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私のことを一度も見なかった婚約者様へ  作者: 春乃りぜ(ましゅぺちーの)


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8 ヒロイン

―――ヴァイオレット・オースティン侯爵令嬢。

広大な西の地を領地として保有する、エーゼル王国きっての名家だ。

父親のオースティン侯爵は実業家としても知られており、複数の事業を展開させている。



そして彼女の母親はかつて首都でトップに輝いた女優であり、現在は有名劇団の演出を務める敏腕演出家だ。



貧乏子爵家の令嬢だった彼女は自らの美貌と才能を生かし、有名劇団のオーディションを受け、瞬く間にトップ女優となった。

彼女が初主演を務めたミュージカルにて、たまたまお忍びとして訪れていたオースティン侯爵の目に留まった。



何の力も持たない低位貴族家の令嬢が、オースティン侯爵家の嫡男の心を射止めた。

彼は彼女を手に入れるために猛アプローチをし続け、二人は結婚した。

ヴァイオレットの両親――オースティン侯爵夫妻のシンデレラストーリーは有名である。



そんなヴァイオレットもまた、母親の才能を受け継いでか、幼い頃から舞台の制作に携わっていた。

とても高位貴族の家に生まれたお嬢様だとは思えない趣味ではあったものの、彼女は母親の仕事を誇りに思っている。



丸めた台本を頭上に掲げたヴァイオレットは、声高らかに意気込んだ。



「――私の夢はまさに、お母様のように有名な演出家になることですわ!」

「わぁ……とっても素敵な夢ですね」



夢を抱くのは素晴らしいことだ。



(私は夢なんて何も無いから……ヴァイオレットが羨ましいわ)



リディアは今までの人生において、特に夢を抱くことも無くただ周囲に言われるがままに過ごしていた。

決められたレールの上を歩くような日々。特にそうしろと強要されたわけではなかったが、やりたいことなんて何も無くて、自然とそんな風になっていた。



彼女のように夢を持てたら、どれだけ楽しいだろうか。

そんなことわかっているが、どうしても自分のやりたいことが見えなかった。



ヴァイオレットは台本を机の上に置き、暗い表情で俯いたリディアの手をギュッと両手で握った。

希望に満ちて輝く瞳が、彼女を映した。



「――私の作品のヒロインに、リディアほどピッタリな人はいませんわ」

「ヒ、ヒロイン……?」



ヴァイオレットは興奮気味に握ったままのリディアの手をブンブンと上下に揺らした。



「ええ、ヒロインのリリアーナ王妃のことです!まさにそのドレスはリリアーナ王妃の衣装!」

「……」



リディアは目の前で騒ぎ立てるヴァイオレットを呆然と眺めていた。

いつも冷静で落ち着いた淑女である彼女が、こんなにもはしゃぐ姿は初めて見た。



ヴァイオレットは一度リディアから手を離すと、机に置いた台本を再び手に取った。

ドレス姿の美しい令嬢が描かれた表紙を、彼女の目の前に持ってきた。



(誰かに似ているような……?)



驚くことに、表紙の令嬢はついさっき鏡で見た自分にほんの少しだけ似ていた。

顔というより、雰囲気がどことなくリディアを感じさせる。



そのことに、ヴァイオレットも気付いていたのだろう。



「実は、なかなかヒロインの役に相応しい人がいなくて困っていたんです。今回の作品は今まで作ってきたどのものよりも時間をかけて入念に制作したので、肝心な配役を適当に決めたくはなかったんです」



ヴァイオレットは王立アカデミーの演劇部に所属している。アカデミーにはいくつも部活やクラブがあり、学生生活を謳歌するために多くの学生が所属している。演劇部はその中の一つだ。

才能あふれる彼女は、第二学年にして部長にまで上り詰めていた。



ちなみに特に何事にも興味の無いリディアは、部活には入っていない。

そのため、授業が終わったあとはいつも速やかに侯爵邸へ帰宅していた。



「リディアのことはずっと見ていました。見れば見るほどリリアーヌにそっくりで……ヒロイン役はあなた以外にいないと、そう思っていたんです」



ヴァイオレットがまるで宝物でも見つけたかのように、感極まった様子で彼女を見つめた。



ヴァイオレットは以前から、リディアに興味を抱いていた。

歌とダンスが他の誰よりも上手く、さらには他人よりも目を引く容姿。まるで物語の中に存在するヒロインが実際に現れたかのように、非の打ちどころがなかった。

彼女がトップを務める演劇部でも、彼女ほどの人材はなかなかいない。



「たしかに、最初はそのような理由で興味を抱きましたが……でも、私がリディアと仲良くなりたいと思ったのは本心です。この子となら、一緒にやっていけるとそう思ったんです」



ヴァイオレットは事の経緯を全て話し終えると、リディアの目の前で地面に膝をついた。

突然何をするのかと、彼女は慌てた。貴族令嬢が膝をついていいのは、自分よりも身分が高い者の前でのみ。

リディアとヴァイオレットは同じ侯爵家なので、彼女がしていることはあまり褒められたことではない。



彼女がそのことを知らないはずがない。

しかし、それでもこうやって地に膝をついているということは……



案の定、リディアの予感は的中することとなった。



「―――リディア、無理を承知でお願いします。私の創るミュージカルのヒロインになってくれませんか!?」





読んでくださってありがとうございます!


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