6 初めての友人
リディアはそのまま、無我夢中で学園内を走り続けた。
どこへ行くかなんて決めていない。いや、エリオットのいないところならもはやどこでもいい。
今はとにかく、彼らから離れたかった。エリオットも、エミリーも、アデルもマイラも。そして自身を非難する生徒たちからも。
「キャッ!」
「……」
途中で誰かにぶつかったが、とても顔を上げられなくてそのまま立ち去ってしまった。
ぶつかられた彼女もまさか、相手がリディア・フロイト侯爵令嬢だとは思ってもいないだろう。
こんなにも惨めでみっともない姿を、誰かに見られたくはなかったのだ。せめて他人の前では、完璧な侯爵令嬢でいなければ。
前のように校舎裏までやって来たリディアは、人知れず涙を流した。
あまりにも辛くて辛くて、心が耐えられそうになかった。以前とは似ているようで全く違う涙だった。
「エリオット……」
その名を呼ぶたびに、ついさっき彼から言われた言葉たちが頭の中をループした。
どうして、そんなにも残酷なことが言えるのか。どうして、そこまでして私を傷付けるのか。私が一体何をしたというのか。
彼女はどれだけ考えてもわからなかった。
今だけは、リディアは完璧な貴族令嬢ではなかった。
まるで幼い子供のように、嗚咽を上げて泣いている。こんな姿、誰にも見せられない。そんなことを考えながらも、涙は止まることなく溢れてくる。
彼女はしばらくの間、人の来ないその場所で泣き続けた。もうとっくに授業は始まっているだろう。授業をサボるのは初めてのことだったが、こんな姿で教室に行く方が問題だった。
エリオットは同じクラスではないが、きっとすぐに噂が広まってしまうだろう。リディアはB組、エリオットはA組だ。普通婚約者同士は同クラスに配属されるものであるが、リディアとエリオットは見事に別クラスとなった。
そのことに対して、周囲は首席と次席で入学した二人の勉学の妨げになることを防ぐためではないかと口々に言った。
しかし、彼女の見解は違った。
リディアの予想は、エリオットが意図的にそうするよう学園に圧力をかけたのではないかというものだ。
あのエリオットならば、十分にあり得ることだった。
(きっとそうに違いないわ……だって彼は私をとっても嫌っているもの……)
そんなリディアの頭上に、誰かの影が落ちた。
「――リディア嬢」
「………オースティン令嬢?」
顔を上げると、こちらを見下ろすヴァイオレットの姿が目に入った。
「リディア嬢、こんなところにいらしたのですね。探しましたよ」
「どう、して……授業が始まっているはずでは……」
ヴァイオレットはその質問に答えることなく、座り込んでいたリディアの横にそっと腰を下ろした。
制服のスカートが土で汚れることも気にせず、堂々と足を伸ばした。そのような座り方を、貴族令嬢がするものではない。
しかし、ヴァイオレットは気に留めることなく、口をポカンと開けるリディアを見て笑った。
「実家ではいつもこういう座り方してるんです、正座は足が痺れるでしょう?」
「そ、それはそうですが……オースティン令嬢」
「――どうか、ヴァイオレットとお呼びください」
リディアが遠慮がちにヴァイオレットと呼ぶと、彼女は嬉しそうに笑みを深めた。
その笑顔に、リディアはただただ困惑を隠せなかった。
「リディア、あなたがここにいた理由は聞きません」
「……ヴァイオレット」
あの場にいたのだから、当然気付いているだろう。
しかし、彼女はあえてエリオットとのことを深堀りしなかった。
気になることが山ほどあるだろうに、あえてリディアの心情を慮って何も言わないのだ。
ヴァイオレットはリディアの肩に優しく手を触れた。
「―――落ち着くまで、私もここにいますから」
「……」
ヴァイオレットの気遣いのおかげで、とめどなく溢れる涙はいつの間にか止まっていた。
リディアは最後に顎の下から垂れていた一滴の涙を、ハンカチでそっと拭き取った。
「ヴァイオレット、ありがとうございます。ですが、そろそろ授業に行かないとマズいのでは……」
「先生には既に体調不良でお休みすると言ってあります」
だから時間はたっぷりあるんですのよ、とヴァイオレットは笑みを深めた。
「い、いつの間に……」
彼女の行動力には驚かされながらも、先に手を回していてくれていたことにリディアはホッと一息ついた。
―――それから二人は、家族のことや普段の生活などたくさんのことを話した。
リディアもヴァイオレットもそれまであまり話したことが無く、お互いのことをよく知らない。
そのせいか、妙に話が弾んだ。つい最近親しくなったばかりだとは思えないほどに。
気が付けば、既に時刻は昼になっていた。こんな風に心穏やかに過ごせたのは久しぶりだったせいか、リディアはずいぶん気が楽になった。
「そうだ、リディア。放課後、時間ありますか?」
「……ええ、どうかしましたか?」
「―――実は、リディアと行きたいところがあります」
不思議そうに首をかしげる彼女に、ヴァイオレットはニコッと笑いかけた。
***
「―――ローレンス君、リディアさんの容態は大丈夫かしら?」
「……リディア?」
六限終わりのチャイムが鳴った頃、リディアとヴァイオレットのクラスの担任教師はエリオットに彼女のことを尋ねていた。
エリオットは眉を上げながらも、聞き返した。
「どうしてそんなことを聞くんですか?」
「リディアさんが体調が優れないみたいでね……今日の朝からずっと授業に出ていないのよ」
「……………何だと?」
リディアが授業に出席していない。他の人ならともかく、あのリディアが?エリオットはそのことに驚きを隠せなかった。
彼女は昔から三十八度の高熱を出しても絶対に授業を休まなかったからだ。
―――そんなにも具合が良くないのだろうか。
エリオットはリディアのことが心配になった。
「ローレンス君、リディアさんから何か聞いてない?ずっと来ていないから心配で……」
「……特には何も聞いていません」
「そう……あなたなら何か知っていると思ったんだけど」
担任教師は諦めたのか、エリオットの前から立ち去っていた。
「……」
エリオットはしばらく、その場に立ち尽くしていた。
そんな彼の後ろ姿に声をかけたのは、いつの間にか彼のクラスまでやって来たマイラだった。
「――エリオット様!迎えに来ましたよ!何を考えているんですか?」
「…………あぁ、いや、何でもないよ」
エリオットはいつものように柔らかい笑みを取り繕った。
マイラは嬉しそうに彼の腕を取った。
「今日は学校が終わったら一緒にカフェに行く約束ですよね?私もエミリーもアデルも、エリオット様のことを待っているんですよ!」
「……」
エリオットは特別な予定が無い日は、ほとんど毎日放課後をエミリーたち三人と過ごしていた。
そして、今日もそうするつもりだった。
しかし彼は、その誘いに素直に応じる気にはなれなかった。
マイラはそんな彼に近付き、胸筋あたりを手でなぞりながら誘惑するように囁いた。
「エリオット様、四人で行くのもいいですけど、今度は私と二人で……」
「――すまない、今日は行けなさそうだから三人で行ってきてくれ」
「………………………え?」
初めて誘いを断られ、彼女の顔から表情が抜け落ちた。
エリオットは呆然とするマイラを置き去りにしたまま、その場から立ち去った。
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