36 ヘンリーの正体
ヘンリーが帝国の皇子であるという事実に、リディアは瞬きするのも忘れて固まった。
あまりの衝撃に、脳が追い付かなかった。
ヘンリーが皇子?平民ではなかったの?
謎が多いと思っていた相手役の正体が皇子だなんて、誰だってショックを受けるだろう。
理解が追い付かない中、リディアは何とか声を絞り出した。
「ヘンリー様が……オルトレーン帝国の皇子殿下……?」
「ああ、カールトンは偽名だ。アイツ、帝国からこのニーゼル王国に留学してるんだ」
ハルクから事情を聞いてもなお、リディアは未だに信じられなかった。
しかし、考えれば考えるほど不審な点が浮かび上がる。平民にしてはあまりにも洗練された所作。只者とは到底思えないダンスや歌の上手さ。
点と点が線になるまで、そう時間はかからなかった。
「アイツの実家……オルトレーン皇家ってちょっぴり複雑でね……」
「複雑……と言いますと?」
ハルクはヘンリーが置かれている状況を、リディアに説明した。
オルトレーン皇家には、仲睦まじい皇帝夫妻の間に三人の子供がいる。
第一子となる皇太子、二年後に生まれた第二皇子、五年後にようやく授かった念願の姫・第一皇女。
勉学や剣術に長けた優秀な皇太子に、社交的で美しい第一皇女。
――第二皇子だけが、特に何の才能もなく平凡だった。
加えて明るい二人の兄弟とは違い、彼だけが暗く陰鬱であった。
第二皇子とはまさにヘンリーのことだが、彼が暗い性格になったのは実は理由があった。
第一子が男児だったこともあり、皇帝夫妻は二子に女児を強く望んでいた。
しかし、生まれたのは男の子。夫妻はヘンリーの顔を見たとき、酷く落胆したという。
既に皇太子が産まれている以上、彼はスぺアでしかない。
両親の愛は全て兄に注がれ、ヘンリーは放置されることとなった。
五年後に待望の第一皇女が生まれてからは、彼はとうとう家庭内に居場所を失くしてしまった。
家族の中で、自分だけが両親から愛されていない。
完璧のように見えるオルトレーン一家には、深い闇の部分が存在していたのだ。
「俺はヘンリーの母方の親戚で……昔からよく遊んだりしていたんだ。アイツが置かれた状況を知って、放っておけなくってな。留学しにニーゼル王国に来いと言ったんだ」
「それでヘンリー様は……」
彼は皇宮での窮屈な暮らしに耐えられず、逃げるようにニーゼル王国への留学を選んだ。
皇族の身分をあえて明かさなかったのは、彼たっての希望なのだという。一国の皇子が平民を名乗るとは、何とも理解しがたい。
ハルクはそんなリディアの疑問に、笑いながら答えた。
「皇子だって知られると嫌でも注目されるだろう?アイツは平和な暮らしを望んでいたからな。そういうのは御免だったんだよ」
「それはそうですね……」
ヘンリーの考えはわかったものの、リディアにまで隠していたことだけは納得できない。
ヴァイオレットやレベッカには話していたようだし、どうして私にだけ。
彼が帰ってきたら問い詰めようと心に決め、今はハルクと向き合った。
「それで、今回国に帰ることになったのはどうしてですか?」
「あぁ、実は……兄の皇太子が不祥事を起こしたんだとか」
――皇太子の不祥事。
リディアは数日前に新聞で読んだ話を思い出していた。
オルトレーン帝国の第一皇子が殺人や窃盗などを平然と行う悪のギルドに出入りしていたという話だ。
ギルドのリーダーである男から金銭を受け取る代わりに、彼らの悪事を見逃していたそうだ。そして時には、皇子自身が彼らに殺人の依頼をすることさえあったという。
品行方正で有名だった第一皇子の裏の顔に、世界中の人間が驚愕した。
「その事件に関しては私も知っています。かなり話題になっているそうですね」
「ああ、帝国を揺るがす大事件だからな。おそらく……皇太子は皇族ではいられなくなるだろう」
いくら皇帝夫妻が彼を推したところで、犯罪者が次期皇帝など国民たちは絶対に認めない。
「今回の一件で、皇太子はまず間違いなく廃嫡になる」
「と、いうことは……」
その先はわざわざ言われずとも、すぐにわかった。
――第二皇子のヘンリーが、第一皇子の代わりに皇太子となるのだ。
皇帝夫妻の期待にはそぐわない形で生まれ、スぺアとして育てられた少年が、次期皇帝として君臨する。
「それでヘンリー様をわざわざ王国から呼び戻したんですね……今まで散々冷遇してきたくせに、身勝手です」
「そうだな、俺もそう思う。だが、皇帝夫妻にとってはヘンリーの幸せなんてどうだっていいんだよ。あの人たちは皇家の名誉を何が何でも守りたいんだろう」
大切に育てた第一皇子を切り捨て、残された皇子であるヘンリーに頼る。
皇帝夫妻の自己中心的な考えに、リディアは不快感を隠しきれなかった。
「……ハルク様。ヘンリー様は……帰ってこられるのでしょうか」
「……わからない。皇帝夫妻が本気を出せば、ヘンリーは今すぐにでもアカデミーを辞めさせられ、自国で後継者教育を受けることになるはずだ」
「……!」
――ヘンリーが二度と帰ってこないかもしれない。
その事実に、リディアは倒れそうになった。
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