35 ハルク・マゼルダ公子
突然のエリオットの介入に、驚いたのはリディアだけではなかった。
ディエゴは彼に腕を掴まれたことが信じられないというように、狼狽えている。
「エ、エリオット!なぜお前が……!」
「殿下、生徒たちが見ている前です。ご令嬢に失礼な真似は控えてください」
「ッ……」
エリオットはディエゴは友人というほどではないが、昔から知った仲だった。
そんな彼が自身の味方をしなかったことが悔しいのか、ディエゴは俯いた。そんな彼の姿を見ても、エリオットは冷静だった。
「殿下、パーラー令嬢と婚約破棄をしたいのであれば、きちんとした手続きを踏むべきです。いくら王族であろうと、このような真似は許されません」
「……それもそうだな」
エリオットの言っていることは正しく、反論の余地もない。
いくらディエゴが王子だろうと、公爵令嬢を公衆の面前で罵倒し、晒し上げたのだ。今回ばかりは、彼が百悪い。
ディエゴはようやく自身の非を認めた。
彼は諦めたように男爵令嬢の腰を抱き、人目を避けるように食堂から出て行った。
ディエゴがいなくなった食堂は、すぐに平和な時間が流れた。
「あら、ローレンス公子が私を助けてくださるとはね。ありがとう」
「……パーラー令嬢」
ミシェルは意外だとでも言いたそうに、エリオットに礼を述べた。
たしかに、あの場でミシェルを守るために王子に反旗を翻すことができる人間はそう多くはない。
(そういえば、エリオット様は私以外には紳士的な人だったわね……)
足を捻った令嬢をお姫様抱っこで運んだり、彼は困っている女性を見ると放ってはおけないのだ。
ミシェルを助けたのも、おそらく本来彼が持つそのような性格からだろう。
――もし、彼が最初から私に対してもあんなふうに接してくれていたとしたら。
きっと別の人間に恋することも、婚約の解消を申し入れることも無かったのではないだろうか。
今さら、そんなことを考えたところでどうしようもない。
しばらくエリオットを見ないように視線を伏せていたリディアは、ふいに顔を上げた。
――そのとき、ちょうど彼女に気が付いた彼と目が合った。
「……!」
「リディア?」
リディアは慌ててその場から走り去った。
今はとても、彼と話せるような状態ではなかった。
リディアはとにかくエリオットから離れたくて、廊下を走り続けた。
注意をする教師の声など、耳にも入らない。優等生として知られている彼女が廊下を走るなど、前代未聞だった。
このまま誰もいない遠い世界へ――ヘンリーのところへ行きたい。
彼のことを考えながら曲がり角を曲がったその瞬間、リディアは向かいからやって来た人物とぶつかってしまった。
「キャッ……!」
「おっと」
後ろに倒れそうになったリディアを、彼が受け止めた。
誰かは知らないが、無礼を働いてしまったようだ。リディアは慌てて口を開いた。
「ご、ごめんなさい……前を見ていなくって……」
「――あれ、もしかしてリディア・フロイト侯爵令嬢?」
頭上から聞こえた明るい声に、リディアは思わず顔を上げた。
サラサラな銀色の髪に、黄金色の瞳のヤンチャそうな青年が目に入った。リディアは彼のことを知っていた。いや、貴族令嬢であれば誰もが知っているだろう。
「あなたは……ハルク・マゼルダ公子?」
「俺のこと知ってたんだ!あのリディア嬢に認知されてるだなんて、何か嬉しいなぁ!」
彼はニコッと歯を見せて笑いながら、力の抜けたリディアの腰を引き、ゆっくりと立たせた。
(マゼルダ公爵家といえば……ヘンリーが住んでいる家……)
ヘンリーは現在、マゼルダ公爵邸に住んでいる。
彼はマゼルダ家の者ではないが、長男のハルクとは旧知の仲であり、特別に住まわせてもらわせているのだという。
「君のことはもちろんよく知っているよ――ヘンリーから聞いていたからな」
「……!」
久しぶりに耳にしたヘンリーの名に、リディアは必死の思いでハルクに縋りついた。
「ヘンリー様は……!ヘンリー様はどちらにいらっしゃるのですか……!?」
「お、落ち着いてくれ……リディア嬢……!」
ハルクはリディアを宥めると、すぐ傍にある教室に二人で入った。
彼を前に、リディアは泣きそうになってしまった。
「ヘンリー様……突然いなくなってしまって……ずっと帰ってこないから心配で……」
「ああ、事情は知っているよ。アイツ、君の相手役を務めていたんだろう?」
リディアは首を縦に振った。
どうやらハルクはリディアとヘンリーの関係を知っているようだった。同居している彼から聞いたのだろう。
ハルクなら、ヘンリーの現状を知っているかもしれない。リディアの心に、一筋の希望が湧き上がった。
「アイツ、今国に帰ってる。実家でちょっと問題が起きたらしくて……」
「国?実家?一体どういうことですか?」
彼女が尋ねると、ハルクは目をパチクリさせた。
「あれ?アイツ、君に何も言っていなかったのか?」
「き、聞いてません……ヘンリー様はご自身のことをほとんど話さない方でしたから……」
「……」
ハルクは大きなため息をつき、何やってるんだアイツと呟いた。
リディアはハルクのため息の意味が理解できなかった。
そんな彼女に、彼は衝撃的な事実を突き付けた。
「アイツの本当の名前は、ヘンリー・オルトレーン――オルトレーン帝国の第二皇子さ」
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