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私のことを一度も見なかった婚約者様へ─私もあなたを見るのをやめることにしました─  作者: 春乃りぜ(ましゅぺちーの)


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33/40

33 婚約破棄

リディアは左足の怪我を隠した状態で、稽古に参加した。

しかし、相変わらずヨーク令息からの罵倒は止まなかった。



怪我をしたことで動きが鈍くなっていた。

そのせいか、以前よりも暴言を浴びせられることが増えた。

彼はヴァイオレットや他部員の見ていないところで暴言を吐いてくるため、リディアはただ耐えるしかできなかった。



練習が終わった後、彼女は一人アカデミーにあるベンチに座っていた。

ヨーク令息に罵倒された後だからか、自然とため息をついてしまう。こんなにも気が沈んでいるのは、とても久しぶりだった。



ベンチにじっと座っていると、彼女の脳裏に一人の男性が浮かび上がった。

いつも温かい眼差しで彼女を見守ってくれる、最高の相手役(パートナー)



――ヘンリーに会いたい。



そんな彼女の願いが神に届いたのか、背後から近づく影があった。

ザッという足音に気付いた彼女は、すぐに振り返った。



もしかして、彼が帰ってきたのか。



「――リディア、こんなところで何をしているんだ?」

「…………エリオット様?」



振り向いた先にいたのはヘンリーではなく、エリオットだった。

望んでいた彼ではないことで、リディアは落胆を隠しきれなかった。



ヘンリーであればどれほど良かったか。

そんな彼女の気持ちに気付いたのか、エリオットは困惑した。

少し前まで愛に満ちた目で自身を見つめていたリディアがもういないことに、気付いたのかもしれない。



しかし、それでも彼らが婚約者であることに変わりはない。

今は疎遠になっていようと、卒業後は結婚する運命にあるのだ。エリオットと結婚することを考えると、リディアの気が重くなった。



なぜだろうか、前はこんな感情にはならなかった。

たとえエリオットが自分を愛していなかったとしても、彼の妻になる覚悟でいた。

貴族令嬢にとって政略結婚は当たり前のことで、むしろ恋愛結婚をする者のほうがごくわずかだ。



リディアは目の前で心配そうに自身を見つめるエリオットから、視線を逸らした。

彼を前にしても、何の感情も抱けなかったことに気付いたのだ。愛も憎しみも、以前まで持っていた感情全てが気付かぬうちになくなっていた。



――私は、政略結婚を嫌がっているというの?

こんな気持ちを抱くのは初めてだった。



エリオットは一歩彼女に近づくと、その頬に手を触れた。



「リディア……どうしたんだ?もうとっくに帰っている頃だろう?」

「少し……休んでいただけです。稽古で疲れてしまってたので」



リディアは彼の手を避けるように、顔を動かした。



(今日はエミリーたちはいないのかしら?)



どこかに彼女たちが隠れているのではないかと辺りを見渡すが、人の気配は感じられなかった。

どうやら本当にエリオット一人のようだ。しかし、今さら彼と二人きりになったところで何を話せというのか。



リディアは何だか急に気まずくなり、彼に背を向けた。



「私、そろそろ行きますね。もう帰らないと親も心配するし……」

「――待て、リディア」



呼び止められたリディアは、ビクリと肩を上げた。

彼女は足を止めたが、振り返ることはなかった。今はエリオットと向き合っていたくなかったのだ。



エリオットはそんな婚約者に不信感を抱きながらも、尋ねた。



「足……怪我してるのか?」

「……何を」



誰にもバレることはないと思っていたのに、どうして。

エリオットはリディアが左足を僅かに引きずっていることを瞬時に見抜いたようだった。



ヴァイオレットやレベッカたちですら気付かないほど、いつも通りの自然な歩き方だった。

当然、エリオットにも足の怪我がバレることはないと確信していた。



(今まで私に一切興味なんてなかったのに……どうして急にそうやって気にかけるの?)



エリオットは婚約してからの十年間、一度たりともリディアを視界に入れなかった。常に彼の後ろを歩き、話しかけても冷たくあしらわれる。極めつけはエミリーたちとの不適切な関係。

それらのことが重なり、彼女はいつも寂しい思いをしていた。



ようやく彼への思いを捨て、離れられたと思った。

しかし、なぜ今になってリディアを気にかけるような発言をするのか。



――ふざけないで、私のことをあれだけ馬鹿にしていたくせに。



彼女の身体が小刻みに震えていることに気付いたエリオットが、その肩を掴んで振り返らせた。



「リディア、どうしたんだ……!」



――振り向いた彼女の目からは、大粒の涙が溢れていた。



彼女が泣いているのを初めて見た彼は、慌てふためいた。

涙を拭おうと伸ばされた彼の手を、リディアは残酷なまでに振り払った。



「リ、リディア……?」

「嫌、触らないで」



彼女はキッパリと言い放ち、エリオットの手が触れるを阻止した。

今、彼女が望んでいたのはその手ではなかった。



リディアは涙を手で拭いながら、彼を真っ直ぐに見上げた。

もうこれ以上は耐えられそうになかった。彼と二人でいる時間が、どうにも辛い。



彼女は涙に濡れた目で、エリオットに向けてハッキリと告げた。



「――婚約破棄してください、エリオット様」




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