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私のことを一度も見なかった婚約者様へ─私もあなたを見るのをやめることにしました─  作者: 春乃りぜ(ましゅぺちーの)


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32/40

32 辛い日々

その後、ヴァイオレットの計らいで急遽ヘンリーの代役が用意された。

しかし、代役はヘンリーとは正反対で、横暴な男子生徒だった。ヨーク侯爵家の令息という高い地位はあるが、傲慢で人を見下すような発言が多い。



「――お前、さっきのシーンは何なんだ?」

「え、ど、どういう意味でしょうか……?」



練習後、彼はリディアを険しい表情で問い詰めた。

何を言われているかわからず、彼女はきょとんと首をかしげていた。



「声も出てないし、演技がわざとらしい。お前、そんなんで本番に臨むつもりか?俺の顔に泥を塗ろうとしてるのか?」

「ち、違います……私、そんなつもりは……」



リディアは必死で否定したが、彼は聞く耳を持たなかった。

彼女にはやる気がないのだと決めつけ、まともに話を聞こうともしない。



どうやらヨーク令息は、リディアのことが気に入らないようだった。

外部から入ってきた新人が、突然主演に抜擢されたのだから当然かもしれない。



ヨーク令息が代役になってからというもの、彼女にとって辛い日々が幕を開けた。

彼はヘンリーと違って、リディアをヒロインとして扱うことはなかった。



「重いから持ち上げれない」



お姫様抱っこのシーンは頑なにやろうとせず、ダンス中も目を合わせすらしなかった。

歌やダンスの実力はそれなりにあるのだろうが、ヒロインに対する態度が問題だった。ヨーク令息は何かとリディアの演技に難癖をつけ、暴言を吐いた。



彼と稽古をしていると、余計に前まで一緒に練習していたヘンリーのことが恋しくなってくる。

リディアはヘンリーに会いたくてたまらなかったが、彼が国にいない以上、会いに行くことはできない。



(どこにいるのよ、ヘンリー……)



その日の稽古終わり、リディアはヘンリーを思って一人涙を流した。



しかし、リディアがいくら彼を恋しく思おうと、時間は流れていく。



公演まで残り一週間となり、部員たちの練習にも熱が入った。

リディアはヴァイオレットにヨーク令息の暴言を相談しようと思ったが、ただでさえ忙しいこの状況で彼女の手を煩わせたくはなかった。



ヴァイオレットもレベッカも、全員が一生懸命やっているのだ。彼女たちに迷惑をかけるようなことは、絶対にしたくなかった。

ヨーク令息も突然いなくなったヘンリーの穴を埋めようと必死なだけだと、そう思い込むことで何とか耐えた。



公演まで一週間を切ると、実際の劇場に入っての練習が始まった。

ヘンリーが帰ってくることはなく、彼からは何の音沙汰もない。



その日、リディアたちは実際の衣装を着て全体の通し稽古を行っていた。

リリアーヌのために用意されたドレスはかなり重量があり、動きづらさも増した。普段使っていたお稽古スカートよりも、ずっとずっと重い。



(大丈夫かしら……)



相手役がヘンリーであれば、このような気持ちにはならなかったかもしれない。

しかし、ヨーク令息というのがリディアの不安感を増大させた。

もしかすると、何か良くないことが起きてしまうのではないか。



そして、そんな彼女の予感は的中してしまう。



――見せ場となるヒーローとのダンスシーンで、事件は起こった。



リディアはヨーク令息と手を取り合ってのダンスシーンに臨んでいた。

相変わらず彼はこちらを見ないし、笑いもしない。彼の冷たい対応にはだいぶ慣れていたため、特に何か思うこともなかった。



しかし、ダンスの一環でリディアが後ろに身体を倒したそのとき、異変が起きた。

バランスを崩した彼女が、そのまま後ろに倒れ込んでしまったのだ。



「……キャアッ!」

「リディア!!!」



倒れてしまったリディアに、ヴァイオレットたちが慌てて駆け寄った。

ヨーク令息の舌打ちしたような音が聞こえる。



「リディア、大丈夫?」

「え、ええ……」



今までこんな異常事態が起きたことは一度もない。

なぜ、このようなことが起こってしまったのか。



――それは、これまでヘンリーがしっかりと彼女の腰を支えてくれていたおかげだった。



ヨーク令息はリディアの腰に軽く手を添えただけで、彼女を支えようという意思がなかった。

そのため、倒れていくリディアをただ眺めることしかしなかった。



「ご、ごめんね……みんな……」



リディアはヴァイオレットたちに肩を支えられ、舞台袖に移動した。

ヨーク令息が相手役を変えてほしいとヴァイオレットに直談判しているのを、彼女は聞き逃さなかった。



***



「……足を、ちょっと捻ったみたい」

「お嬢様、大丈夫ですか?」



公爵邸に帰った後、リディアは左足が僅かに腫れているのに気が付いた。

歩けないほどではないものの、痛みが走る。激しいダンスはとてもできなさそうだが、今部員たちに怪我のことを伝えるわけにはいかなかった。



両親もリディアの主演を楽しみにしている以上、彼女が劇に出ないという選択肢はない。

リディアは痛む左足にそっと手を触れた。



「一週間後までに治るのかな……」



リディアの中で、拭えない不安がまた一つ。




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