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私のことを一度も見なかった婚約者様へ─私もあなたを見るのをやめることにしました─  作者: 春乃りぜ(ましゅぺちーの)


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31 予期せぬ事態

公演まで一ヵ月を切った頃、全体の通し稽古が行われた。

まだ本物の劇場で練習することはできないけれど、学園に設置された舞台での全体練習だ。



通し稽古とは、本番を想定して一度も止めることなく最初から最後まで行う稽古のことである。まだ衣装を着ることはないが、可能な限り本番の状態に近づけての練習となる。



他の部員はともかく、リディアにとっては当然初めての経験なので、彼女は今日やけに緊張していた。

監督のヴァイオレットの合図と同時に、舞台は幕を開ける。



「あぁ……神よ……どうして私にこのような試練を与えたのですか……」



政略結婚からの夫の不倫に嘆くリリアーヌのシーン。

一度婚約者の浮気を経験しているからか、リディアは上手に悲劇の王妃を演じることができた。



リディアの演じる王妃リリアーヌは物語の主人公であり、最も出番が多い登場人物となっている。

ただセリフを覚えていればいいというわけではなく、感情をセリフに乗せれなければ意味がない。



そして今回の劇では、それぞれの人物たちの歌とダンスも見どころだった。

ヘンリーはダンスだけではなく、歌も上手い。

彼の力強い美声は一度聴いたら忘れることができないほどである。



そして、一番の見せ場であるリディアとヘンリーのラブシーン。



彼女は未だに高鳴る胸を抑えきれずにいたが、何とかやりきることができた。



(や、やっと終わったわ……!疲れた……!)



稽古を終えたときには、リディアは息も絶え絶えだった。

ダンスは激しいものもあり、彼女の額には汗が流れていた。

こんなに疲れたのは久しぶりかもしれない。



一仕事終えたリディアたち部員を、ヴァイオレットが拍手で褒め称えた。



「リディア、とっても良かったわ。初めてにしては上出来よ!」

「ありがとう、ヴァイオレット」

「まぁ、問題点がないわけではないけれど……それはまた後々」



ヴァイオレットはリディアの前から立ち去ると、他の部員たちを労いに向かった。

かなり疲れが溜まっていたリディアは、その場にへたり込んだ。



そんな彼女の頭上から、声が降り注いだ。



「――ダンス、上手になったな」

「ヘンリー様……!」



顔を上げると、ヘンリーが微笑みながら彼女を見下ろしていた。

彼に褒められたのが信じられなくて目を見張っていると、突然腕が伸びてきた。



「キャッ!」



座り込んでいたリディアは、彼に抱き上げられた。

劇中で王妃リリアーヌを抱き上げるときのように、横抱きにしている。



「きゅ、急に何をするんですか……!」

「良いだろう?公演の練習だとでも思えば何てことはない」

「プ、プライベートですよ!?」



至近距離で見てみると、リディアほどではないが彼の額にも汗が滲み出ている。

ヘンリーは彼女を抱いたまま、ゆっくりと歩き出した。



彼はリディアを抱きかかえながら、尋ねた。



「まだ不安なことがあるか?」

「前に比べたらだいぶマシになったんですけど……」



リディアは元々何でもできる天才肌だ。

しかし、それでも二ヵ月という期間の中で全てを完璧にこなすのは難しかった。

彼女にはまだまだ課題がある。



ヘンリーはリディアを近くの椅子にそっと下ろした。

すぐ傍に立つと、彼女の頭に大きな手を置いた。



「――今度、俺がマンツーマンで指導してやる」

「ヘンリー様……」



それは、ヘンリーと二人きりの稽古をするという意味だった。

リディアは満面の笑みを浮かべて、彼の提案を受け入れた。



「……はい!楽しみにしていますね!約束ですよ?」

「……!」



その笑顔に、ヘンリーが不意打ちでドキッとしてしまったこと。彼の指導に喜んでいたリディアは全く気付かなかった。

不思議とヘンリーが横にいてくれるのなら、リディアはどんなことでもやり遂げることができそうだった。



(約束って響き、何だか素敵ね……)



しかし、そんな彼女の約束は叶わぬものとなってしまった――



***



通し稽古から二週間後。

公演まで残り一週間となった頃、リディアは予期せぬ知らせをヴァイオレットから聞いていた。



「――ヘンリー様がニーゼル王国にいない!?」



ヴァイオレットは深刻な面持ちで俯いた。彼女の沈黙が、まさに肯定を表していた。

公演が始まるまで残り一週間となった今日、突然ヘンリーが国から姿を消してしまったのだ。



「ど、どうして急に……」

「……さぁ、私もわからないわ」

「公演までには戻れるの?」



リディアのその問いに、ヴァイオレットは何も答えなかった。

つまり、公演が始まるまでに戻れない可能性が少なからずあるということだ。



――もし、ヘンリーがこのまま戻らなかったら。

最悪の事態が、リディアの頭をよぎった。



「一応、代役を考えてあるわ。ただ、ヘンリーとのときのようにはいかないかもしれない」

「……」



こんなにも急に相手役が変わってしまうだなんて、リディアは想像もしていなかった。

彼が自分の相手で、このまま公演終了までずっと一緒にいるのだと信じていた。

急な代役だなんて、受け入れられるはずがない。



「ヘンリー様……」



今、どちらにいらっしゃるのですか?

――会いたいです。




読んでくださってありがとうございます!


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