29 企み
公演が始まるおよそ三ヵ月前に練習が始まり、既に二ヵ月が経過した。
この頃になると、ある程度セリフも歌もダンスも上達してきている。元々覚えの良いリディアは、すぐにセリフや歌詞を暗記することができた。
「リディアはとっても覚えが早くて助かるわ」
「ありがとう、ヴァイオレット」
主役であるリリアーヌ王妃の出番はキャストたちの中でも最も多く、見どころも多い。
悪役令嬢との絡み、ヒーローとの情熱的なラブシーンなどなど。
ちょうど今、力強い王妃の歌を披露したリディアにレベッカが話しかけた。
「リディアはとっても良くやってくれているわ。もう今から公演が始まるのが楽しみだもの」
「気が早いわよ、レベッカ」
リディアはヴァイオレットやヘンリーだけではなく、他の演劇部員たちとも既に打ち解けてきている。
レベッカとは年齢こそ違うものの、まるで親友のように仲良くしていた。
――この場所が、私のいるべき場所。
演劇部の優しいみんなに囲まれていると、そのような明るい気持ちになれる。
エリオットの傍では辛い思いばかりしていたリディアだったが、今は過去を乗り越えて楽しく過ごしている。
とても良い変化だろう。
「公演まであと一ヵ月……何だかとっても早く感じてしまうわ」
「そうね、私もリディアが主演を務めるとは思っていなかったから、とっても不思議な気分」
既にチケットの予約は始まっており、異例のスピードで売れているという。
そうなるのも当然だった。あのヴァイオレット・オースティンが演出を担当し、あのリディア・フロイトが主演を務めているのだから。
高位貴族の二人が関わっているとなれば、注目を集めるのは当たり前のことである。
それ以前に、王立アカデミーの演劇部はレベルが高いことで有名だった。チケットがすぐに完売してしまうのは珍しくはない。
ヴァイオレットとレベッカは、演劇の先輩として、不安を隠せないリディアの背中を優しく撫でた。
「きっと大丈夫よ、ヘンリーもついてるし」
「そうそう、何かあったら何でもアイツに聞けばいいから」
ヘンリーの名に、リディアの顔が明るくなった。
才能に満ちたリディアの相手役であり、彼女が今最も頼りにしている人物である。
「そう、そうだったわ。何か困ったことがあったら何でも言ってくれって……ヘンリー様に言われたし」
その発言に、部員全員が驚きを隠せなかった。
そんなにビックリするようなこと?リディアはきょとんと不思議そうに周囲を見回した。
そして今日はちょうど彼がいなかった。
何でも、急用があって来れなかったのだと。何の用かまでは言わなかったが。
「あら、二人ったら。いつの間にそんなところまで進んでたの?」
「仕方ないわ。リディアの美しさだもの。あのヘンリーもメロメロなのよ」
「ヴァイオレット、レベッカ。何を言っているの?」
彼女の鈍さに、二人はあらあらとヘンリーに同情した。
――この場で気が付いていないのは、当事者のリディアだけである。
***
リディアたちの公演が一ヵ月後に差し迫っていた頃、マイラとアデルはエミリーの暮らすアパートを訪れていた。
マイラはハァとため息をつきながら、愛しき人を思い浮かべた。
「エリオット様はどうすれば私だけを見てくださるのかしら……」
「マイラったら、エリオット様を独り占めするつもり?」
すかさず反応したのは、彼女の正面に座っていたアデルだった。
エリオットに思いを寄せているのはマイラだけではなく、アデルも同じだった。
しかし、二人はどう見てもエリオットとは釣り合っていない。
マイラもアデルも男爵家の令嬢で、男爵令嬢などローレンス公爵家からすれば平民も同然だ。それにエリオットには家格の釣り合った麗しい婚約者もいる。
そのことをわかっていながら、二人はエリオットを諦めることができなかった。
「――二人とも、何を話しているの?」
「エ、エミリー……」
エリオットの話で盛り上がっていた二人に声をかけたのは、トイレから戻ってきたエミリーだった。
彼女を前に、マイラとアデルは口を噤んだ。エリオットがいるならともかく、彼女の前であまり行き過ぎた話はできなかった。
友人関係だと思われていた三人だが、実際は主従関係だった。
マイラとアデルは、エミリーに逆らうことができない。エミリーはエリオットの生家であるローレンス公爵家の当主からの寵愛という盾がある。
いくら彼女が平民とはいえ、二人はエミリーを無下に扱うことができなかった。
エミリーという存在がなければ、彼らのエリオットとの接点も自然となくなってしまう。
「そういえば、エリオット様の婚約者のフロイト令嬢が一ヵ月後のミュージカルに出るそうよ。主演として」
「……主演ですって?あの女が?何かの間違いでしょう?」
マイラからの情報に、アデルは眉をひそめた。
有名な王立アカデミーの演劇部で、脇役ならともかく、主演だと?
信じられないアデルに、マイラは一枚の紙を取り出した。
「それが本当なのよ。ほら、チケットに書かれているでしょう?リディア・フロイトって」
「あら、本当……あの女を主演として起用するだなんて、オースティン令嬢は何を考えているんだか」
オースティン侯爵家が母娘代々演劇に携わっているのは、王国でも有名な話である。
侯爵夫人が女優として身分違いの侯爵を魅了し、結婚にまでこぎつけたのは誰もが知っていることだ。
マイラとアデルは、そんな夫人のシンデレラストーリーを羨ましく思っていた。
マイラがチケットを手に入れたのも、今回リディアが主演を務める身分違いの恋に憧れがあるせいだ。
「演劇……主演……」
テーブルの上に置かれたチケットを、会話に入っていないエミリーは何も言わずに見つめていた。
彼女が何を企んでいるかなど、リディアたちは知る由もなかった――
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