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私のことを一度も見なかった婚約者様へ─私もあなたを見るのをやめることにしました─  作者: 春乃りぜ(ましゅぺちーの)


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26/40

26 彼の正体

観劇を終えた頃には、既に外は暗くなっていた。

リディアとヴァイオレット、そしてヘンリーの三人が劇場から出ながら、それぞれ感想を言い合った。



「とっても面白かったわ、ヴァイオレット」

「そうでしょう!?お母様は天才なのよ!」



母親を褒められて嬉しいのか、ヴァイオレットは顔を綻ばせた。

三人が観劇したのは、恋愛物の舞台だ。ちょうどリディアとヘンリーが主演を務めるような格差物で、一国の王子と平民の女性の身分違いの恋物語を描いている。



「二人が市井で再会するシーンが印象に残ったわ……彼女を忘れられなかった王子の愛の深さがとっても素敵」

「そうね、そのシーンが一番の見どころだわ」



ミュージカルというだけあって主演女優も俳優も全員歌が上手い。

リディアも上手いほうだとヴァイオレットに言われたが、やはりプロである彼らとは比べ物にならない。

もっと練習しなければと、リディアが危機感を感じてしまうほどだ。



それに加え、今回の劇ではダンスも踊ることになっている。

一人で踊るシーンもあれば、ヘンリーと二人で息を合わせて踊らなければならないシーンも。一人ならともかく、相手役のヘンリーには迷惑をかけないようにしなければ。



(身分違いの恋だなんて、誰かさんみたいね……)



リディアの脳裏に、つい数時間前まで一緒にいたエリオットとエミリーが浮かび上がった。

公爵令息ではなく王子だし、ヴァイオレットはそのような意図を持って選んだわけではないのだろうが、何だか複雑な気持ちだ。



「そろそろ帰りましょうか、もう夜も遅いし」

「ええ、そうね……今日はとっても楽しい一日だったわ。ありがとう、ヴァイオレット」

「どういたしまして」



楽しかったというリディアの言葉は、嘘偽りない本当の気持ちだった。

ヴァイオレットが迎えの馬車に乗って帰った後、リディアは横にいたヘンリーに視線を向けた。



「カールトン様も……ありがとうございます」

「ああ……」



ヘンリーは素っ気なく返事をした。

それでも彼の口元には笑みが浮かび、リディアも釣られて笑ってしまう。



「俺も今日は楽しめたよ、ありがとうな」

「ふふ、そう言っていただけて私も嬉しいです」



ヘンリーはリディアから顔を背けると、コホンと一つ咳払いをした。



「それと……別にヘンリーでいいよ。どうせこれからしばらくは一緒にいるわけだし」

「………ヘンリー、様?」



振り向いたヘンリーが、コクッと小さく頷いた。

気のせいか、頬がほんの少しだけ赤く染まっている。ここ数日の間で、ヘンリーの意外な一面を何度も見ているような気がする。



リディアはクスッと笑みを溢した。



「では、ヘンリー様と呼ばせていただきますね。私のことも、リディアでかまいませんよ」

「ああ、リディア嬢」



平民が貴族令嬢を呼び捨てするのは流石に憚られるのか、彼は敬称を外さなかった。

それでも、いつかは外してほしいとリディアは心の中で願った。



「私、もっと練習頑張りますね。ヘンリー様の足を引っ張らないようにしないと」

「そこまで思い詰める必要はないさ。最初から上手くできる人間なんていないんだから」



自身の足を引っ張るかもしれないというのに、ヘンリーは笑って優しい言葉を返した。

最初は冷たい人だったけれど、きちんと話してみると彼はエリオットよりもずっと優しかった。



「それに……ダンスならいくらでも俺が指導してあげられるから」

「まぁ……本当ですか?」



ヘンリーがとてもダンスが上手だということは、ヴァイオレットから事前に聞かされていた。

明日からはまた劇の練習が始まるし、一度くらいは彼の指導を受けてみてもいいかもしれない。



(ラブシーンだけはまだ慣れないけれど……きっと上手くできるよね)



リディアは元々、自分に自信がない人間だった。

しかし、ヴァイオレットやヘンリーたち演劇部のメンバーに出会って、自分自身に価値を見出すことができた。



顔を上げると、ヘンリーの赤い瞳と目が合った。

夜の空をバックに正面に立つ彼は、とても綺麗でリディアは思わず見惚れてしまいそうになった。



「ミュージカル……上手くいくと良いな」

「ええ、きっとできますよ」



なぜかわからないが、彼が相手役ならできるような気がする。

それからしばらくすると、フロイト侯爵家の迎えの馬車がやって来た。



「今日はありがとうございました!また明日、アカデミーで会いましょう!」

「ああ、またな」



ヘンリーは窓から顔を覗かせるリディアを、軽く手を振って見送った。

ヴァイオレットが計画した今回のお出かけは、二人の仲をグッと縮めるきっかけとなった。



***



リディアが乗る馬車を、ヘンリーは見えなくなるまで目で追っていた。

そんな彼の後ろから、一つの黒い影が姿を現わした。



「……何だ、迎えに来たのか?」

「ずいぶんと遅かったので、心配で」

「相変わらず心配性だな」



ヘンリーは振り返ることなく、言葉を返した。

影は、そんな彼の前に立ちはだかった。



そして、咎めるような口調で言い放った。



「こんなところで一体何をしていらっしゃったのですか――――殿()()




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