19 窮屈な暮らし エリオット視点
その頃、二年A組の教室では。
「――エリオット!」
「………第二王子殿下」
窓際で外を眺めていたエリオットに声をかけたのは、エーゼル王国第二王子のディエゴだった。
ディエゴはエリオットと同じA組であり、彼とは昔からよく知った仲だった。身分の低い側室から生まれた王子ではあるものの、父である国王からは可愛がられており、彼が王太子になるのではないかと噂されているほどだ。
「何だ?誰か待っているのか?」
「……いや、そういうわけでは」
ディエゴはエリオットを慰めるようにその肩を叩き、彼の耳元に唇を寄せた。
そんなことをされるほど親しくはないので、エリオットは思わず眉をひそめた。この王子は昔から、他人に対する距離感が少々バグっている。そういうところは母親である側妃にそっくりだった。
「お前の気持ちはわかってる――最近親しくしている平民の女のことが気になっているんだろう?」
「……」
エリオットが最近親しくしている女、それは紛れもなくエミリーたちのことだ。
彼らの噂はすでに学園中に広まっていた。当然、第二王子ディエゴの耳にも届いている。
(だからといって、こんなところで言うか?)
昼休みで人が少なくなっているとはいえ、教室に全く人がいないというわけではない。
この王子はそんなことを気にする頭も無いようだ。
「そんな顔するなって。俺はお前の恋を応援してるんだ。我が父上も、平民だった母上を諦めきれずに側妃にしたくらいだからな」
「……」
エーゼル王国の現国王は、高位貴族の婚約者がいたにもかかわらず、王太子だった頃に学園で出会った平民の少女と恋に落ちた。
王は何とか婚約を破棄しようとしたが、王命で結ばされたものを破棄することはできず、結局はその少女を側妃として迎え入れた。
結婚後すぐ、王妃に第一王子、その一年後には側妃に第二王子が生まれた。
――そしてまさに、ディエゴも今そんな状況だった。
彼は平民ではないものの、男爵家の令嬢にかなり入れ込んでいるようだ。
「俺からのアドバイスだ、エリオット。その婚約者との婚約は破棄するべきだ」
誰もお前のアドバイスなんて望んでいない、とエリオットは心の中で毒を吐いた。
「……家同士の間で決められた婚約を、私情で破棄することなど簡単にはできないでしょう」
「私情ではない、真実の愛だ」
――この男は一体何を言っているんだ?
ディエゴは前代未聞の愛で結ばれた両親によって育てられたせいか、昔からやけにロマンチストなところがあった。
「俺の父上は俺が幼い頃からいつも言っていた。やはり婚約を破棄して母上を王妃に迎えるべきだったと。そうすればこんなにも辛い思いはしなかったのに、とな」
「……」
エリオットは黙ったまま、彼の話を聞いていた。
「まぁ、後悔しないように選択しろよ。破棄までは考えていないのなら、愛妾にするというのも一つの手だと思うしな」
「……ご忠告ありがとうございます、殿下」
エリオットは去って行くディエゴの後ろ姿を、呆れたように見続けていた。
ディエゴは恋をしたせいか、余計に愚かになったようだ。
「婚約破棄とは……」
エリオットはフッと口角を上げて笑った。
馬鹿馬鹿しい、何が真実の愛だ。
――婚約破棄など、絶対にするものか。
ディエゴが立ち去ったあと、エリオットもまた教室を出た。
彼は迷うことなく、ある場所へと真っ直ぐに向かう。
「――エミリー」
「……エリオット様!」
エミリーとマイラ、アデルの三人の待つアカデミー内にあるカフェテリアだった。
いつも彼とエミリーたちが昼食を摂っているお決まりの場所である。
エリオットがやってくると、周囲の生徒たちがヒソヒソと噂話をし始めた。
彼とエミリーの関係は今学園内でかなり話題になっていたから、そうなるのも当然だった。
エリオットはエミリーたち三人が取っておいたテーブルの、空いている席に座った。
隣にエミリー、正面にマイラ、そして斜め右にはアデルの姿が。エミリーが彼の隣を陣取るのはいつものことだった。
隣に座った彼に、エミリーが明るい声で話しかけた。
「今日はどうしたんですか?いつもより遅かったですね」
「あぁ……ちょっと第二王子殿下と話をしていてな、そのせいで遅くなったんだ」
「王子様!?」
”王子”というその単語に、エミリーたちがキラキラ目を輝かせた。
平民や下位貴族である彼女たちは、普段王族と関わる機会なんてほとんどない。
(……物語に出てくる紳士的で品行方正な王子を想像しているんだろうか)
少なくとも、ディエゴはそんな人間ではなかった。
我儘で傲慢で、自分のやっていることが絶対に正しいと信じて疑わない、視野の狭い男だ。
あんな人間が次期国王と持ち上げられるとは、世も末だ。
食事をしているエリオットに、右斜めに座っていたアデルが頬を染めて口を開いた。
「王子様とも親しくなさっているだなんて……エリオット様は本当に素敵な方ですね。私はエリオット様以上に完璧な方を見たことがありません」
「嬉しいな、そう言ってもらえて」
彼はいつものように、紳士的な笑顔で言葉を返した。
アデルは明らかにエリオットに好意を寄せている。誰から見ても明白だった。
そんな彼女を見て対抗心を抱いたのか、マイラが割って入った。
「エリオット様!今日の放課後は私が前に言ってたカフェに行きましょうよ!」
彼女はテーブルの上に置かれていたエリオットの手にそっと触れた。
婚約者のいる男性にそのように気軽に手を触れるべきではない。エミリーと違って名ばかりとはいえ貴族令嬢であるマイラが、そのことを知らないはずがない。
エリオットは一瞬だけ眉をピクリとさせたが、咎めるようなことはしなかった。
「そうだね、今日はそこに行こうか」
婚約者のリディアには一度たりとも向けられたことのない、柔らかい笑顔だった。
そんな彼の対応に、周囲はやはりあの三人の中にエリオットの本命がいるのだと話し始めた。エミリーかマイラかアデルか。一体誰なのだろうと、生徒たちは面白おかしく噂した。
そんな中、ずっと傍観に徹していたエミリーがようやく行動を始めた。
「――エリオット様、今日も前みたいにローレンス公爵邸に泊まりに行ってもいいですか?」
その一言にマイラとアデルは固まり、周囲の生徒たちも驚愕した。
ただ遊ぶだけならまだしも、家にまで泊まりに行っているだと?そんなもの、エリオットの両親公認の仲だとでも言っているようなものではないか。
そしてエミリーはそのままさらなる衝撃発言を続けた。
「エリオット様がくれたあの家はとても素敵ですけど……広いおうちに一人だとやっぱり寂しくて……」
「!?」
あの家を買い与えたのがエリオットの生家であるローレンス公爵家だという噂は本当だったのか。
二人はただの恋人同士というには、あまりにも深い仲だった。
――やはり、あそこまでしてもらっているエミリーが本命なのか。
「もちろんだ、君なら大歓迎だよ」
エリオットは躊躇する素振りも見せずに受け入れた。そのことに、またしても生徒たちは衝撃を受ける。
その後、彼はトイレに行くと言って一度席を外した。
カフェテリアを出て行き、廊下を歩くと、トイレとは別の方向に歩き続ける。
人気のない教室のすぐ傍までやって来た彼は、誰もいないことを確認してため息を吐いた。
「……いつまでこんな暮らしを続けないといけないんだろうな」
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