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紅き瞳は夜に溶ける  作者: かな
8/9

記憶の欠片【来年の約束】



帝国騎士団の記録には、魔女の力は「恩恵」だと記されている。


だが、ミレイナ・ルナリアの専属騎士となって三年の月日が流れた今、ノエルはその言葉が真っ赤な嘘だと知っていた。

魔女が魔法を使うたび、その瞳からは輝きが、髪からは色が、そして魂からは「熱」が奪われていく。


それは恩恵などではない。


「……ねえ、ノル、見て」


月明かりの下、森の湿った土に触れたミレイナが、嬉しそうに声を弾ませる。

ミレイナの指先から淡い翠の光が漏れ、冷たい地面から小さな蕾が顔を出した。


一輪の花を咲かせる。

ただそれだけのことに、彼女は自分の命の端をちぎって焚べている。


……やめて、ミア



喉元まで出かかった言葉を、ノエルは鉄の味とともに飲み込んだ。

彼女が魔法を使うのを止めれば、彼女の命は長らえるかもしれない。

けれど、それは“花庭の魔女”としての彼女を殺すことと同じだ。

彼女は、魔法で誰かを喜ばせることでしか、自分の存在を肯定できない場所で生きてきたのだから。


「……ああ、綺麗だ」


ノエルはわざと、いつもの無愛想な声を装って答えた。

気づかないフリをする。

それが、ミレイナの誇りを守るための唯一の「騎士の務め」だと自分に言い聞かせて。


「でしょ?

もっとたくさん咲かせてあげるからね!

ノルの好きな花……見つかればいいな」


ミレイナが振り向いて笑う。

その微笑みは、以前よりもどこか――透き通って見えた。


彼女は自分の身体が限界に近いことを、きっと自覚している。

それでも、ノエルが「気づいていない」と思っているからこそ、ミレイナは最後まで「幸せな魔女」を演じることができる。


「ノルが私の騎士でいてくれるなら……私は、最期まで『花庭の魔女』でいられるわ」


その言葉の真意が、ノエルの胸を鋭く刺した。


「ミア……覚えている?

僕の誕生日に、君が内緒で庭に咲かせてくれた花のこと」


「……ええ、あの時のノル……すっごく困った顔してたわ

『こんなところで魔法を使ったら怒られる』って」


「……あの花、あの花は……好みだった」


ノエルの言葉に、ミレイナは満面の笑みを浮かべた。


「え?なになに?

聞こえなかったわ!!もう一度言って!」


「……絶対に聞こえてただろ

終わったなら帰るよ」


ノエルは剣の柄を強く握りしめた。

帝国のためでも、名誉のためでもない。

ただ、隣で笑うミレイナに、一つでも多くの花を見せてあげたい。

それだけを願った。



♢♢♢♢


帝都の広場は、収穫を祝う人々の熱気と、屋台から漂う香ばしい匂いに包まれていた。


色とりどりの提灯が夜の帳を照らし、行き交う人々は皆、今日ばかりは「魔女」や「騎士」という肩書きを忘れたように笑い合っている。


「……ノル、見て! あれ、すごく綺麗」


人混みの中、ミレイナが足を止めたのは、細工物が並ぶ小さな露店だった。

ミレイナの指先が示したのは、翠色の小石が埋め込まれた、銀色の髪留め。

その色は、彼女の瑞々しい瞳の色に、驚くほどよく似ていた。


「……ミアに似合いそうだ」


「えっ……い、いいわよ!

私なんて、いつもフードを被っているんだし

それに、こういう華やかなのは、もっと……可愛い人たちの方が似合うわ」


ミレイナは、自分の少し白み始めた髪の端を隠すように、慌てて視線を逸らした。


“花庭の魔女”として、日々命を削り、色を失いかけている自分。

そんな自分が、こんな眩い飾りをつけるなんて、分不相応だと決めつけている。


「……行きましょう!

私、あっちの焼き菓子の方が気になるわ!」


ミレイナは無理に明るい声を出し、逃げるようにその場を離れた。

ノエルは、その後ろ姿を無言で見送り――そっと懐から銀貨を取り出した。




♢♢




少し離れたベンチで、ミレイナが一人で夜空を見上げていると、背後から金属が擦れる音が近づいてきた。


「……ミア、これ」


「え……?」


振り返った彼女の目の前に差し出されたのは、先ほどの翠の髪留めだった。

驚きで目を丸くするミレイナに、ノエルは少しだけぶっきらぼうに、けれど確かな熱を込めて告げた。


「ノル……どうして?

私、似合わないって言ったじゃない」


「……僕が選んだんだから、似合うに決まってるだろ」


ノエルは、ミレイナの戸惑いを遮るように、彼女の柔らかな髪にその指先で髪留めを差し込んだ。

月明かりと収穫祭の灯火を反射して、翠の石が彼女の瞳と同じように美しく輝く。


「……ほら

やっぱり、僕の目に狂いはない!」


ノエルの少し得意げな、けれど優しい眼差し。

ミレイナは、自分の頬が林檎のように赤くなるのを感じた。


帝国に「管理」される存在ではなく、ただ一人の女の子として、大切な人に「選ばれた」という事実。

それが、ミレイナの胸の奥をじんわりと温める。


「……ずるいわ――そんなこと言われたら、断れないじゃない」


ミレイナは照れ隠しにふふっと笑い、大切そうに髪留めに触れた。


「……ありがとう、大切にするわね」


そして、ミレイナはノエルの袖を少しだけ強く握りしめ、悪戯っぽく微笑んだ。


「じゃあ、来年は私がノルにプレゼントしてあげる

……もっと、とびきり格好いいやつを選んであげるんだから」


「来年、か」


「ええ、約束よ?」


ミレイナの無邪気な「来年」という言葉。

それが、魔女の命の短さを知るノエルにとって、どれほど重く、愛おしい祈りであったか。

ノエルは、ミレイナの翠の瞳をじっと見つめ、静かに頷いた。


「ああ……楽しみに待っている」


人混みの喧騒から少し離れた場所で、二人は静かに、けれど確かな熱を持って約束を交わした。


ミレイナが髪に挿した翠の髪留めは、ミレイナの瞳と同じ色をして、夜の闇の中で誇らしげに輝いている。

「来年こそは」と笑うミレイナの横顔を、ノエルは世界で一番大切な宝物を見守るような眼差しで見つめ返していた。



けれど


――その約束が、果たされることはなかった。





♢♢♢♢



重厚な扉の向こう側から漏れ聞こえてきたのは、酒の匂いと、反吐が出るほど浅ましい「商談」の声だった。


「――ミレイナ・ルナリア、あの翠の魔女も、尽きかけているな」


「……戦力としては、最初から『利用価値』はなかったが

国民に力を見せつけるのには便利だったな」


冷笑まじりの声が続く。

ノエルは、扉の影で拳を血が滲むほど握りしめた。


「観賞用としてなら、まだ使い道はある」


「死に際の魔女が咲かせる『絶望の花』ですか」


「ええ、娯楽が少ないと嘆いていたので」


「ああ、それで呼び出したのか」


「明朝、その貴公の領地へ送り届ける手はずになっている

――好きに使い潰すといい」


「ははは! それは楽しみだ」


「……美しいまま、庭で朽ち果ててもらうとしよう」


扉の向こうで、グラスの触れ合う乾いた音が響く。

ノエルは、その場を静かに立ち去った。

逆上して斬り捨てれば、ミレイナを救う手立てがなくなる。



心臓が、早鐘のように脈打っていた。



……道具じゃない

ミアは、庭を飾るための置物なんかじゃない


――それでも


一瞬だけ、よぎった。


ここで何も知らなかったことにすれば、

ミアは“楽に”終われるのではないか、と。


……違う


自分の頬を、強く打つ。


「楽になるのは……自分じゃないか……」






ノエルは、ミレイナの居室へと向かった。

扉を開けると、月明かりの下、疲れ切って眠るミレイナの姿があった。

その髪の端が、以前よりも白く透けている。

それが、ミレイナが今日まで帝国のために削り続けてきた命の証だった。


「……ん、……ノル? どうしたの、こんな時間に」


目を擦りながら起き上がるミレイナに、ノエルは跪き、彼女の細い手を強く、壊れ物を扱うように握りしめた。


「ミア、今すぐ、ここを出る」


「え……? でも、明日は朝からの庭園を整える任務が……」


「そんなものは、もういい!!」


ノエルの瞳には、今まで見せたことのないような、剥き出しの殺意と悲しみが混ざり合っていた。

ミレイナは、その視線だけで全てを悟った。



きっと、ノルは――真実を知ってしまったのだろう




ミレイナの瞳から、一滴の涙がこぼれ、ノエルの手に落ちた。

熱を失いかけた彼女の体温とは裏腹に、その涙は驚くほど熱く、ノエルの肌を焼く。

ミレイナは、小さく頷くと、ノエルの手を強く握り返した。



――本当は、振り払うべきだった


頭のどこか冷めた場所で、もう一人の自分が囁いている。

自分の命は、もう秋の終わりの枯れ葉のように、一吹きで散ってしまうほど脆い。

帝国を裏切り、騎士団を敵に回して、この衰えた身体を引きずりながら逃げ切れるはずなどない。



――自分一人が黙って朽ち果てれば、ノルは帝国で、誇り高い騎士のまま生きていけたはずなのに



……ごめんなさい、ノル

――私は……最低な魔女だわ


けれど、ノエルの掌から伝わってくる、震えるほどの必死な熱。

自分を“魔女”ではなく、ただの“ミア”として必要としてくれる、その真っ直ぐな瞳。


それを見た瞬間、積み上げてきた理性が、ガラガラと音を立てて崩れ去った。


「……ノル、私……」


一秒でも長く、この人の隣にいたい。

冷たい鉄の鎧越しではなく、ただの男の子としての彼の体温を感じていたい。


たとえ、その道の先に光はなくても

たとえ、明日には捕まって、二人並んで処刑台に上ることになったとしても。


それでも


ただの“ミア”と“ノル”として

「明日何を食べようか?」なんて、くだらない話をして笑い合える。


そんな、ありもしないはずの未来に、希望を抱いてしまった。


「……ノル」


二人は、音もなく窓から夜の帳へと飛び出した。

目の前にあるのは、絶望という名の、けれど眩すぎるほどの自由。


それが、たとえ一瞬の夢に終わるとしても。


ミレイナは、生まれて初めて「生きたい」と、心から願った。




帝国の外に広がる、見たこともないほど深い闇。


その暗闇のどこかに、自分たちが自由に笑い合える場所があると信じたかった。

駆け出した足跡の先に待つのが、どれほど無慈悲な運命であっても。



今、この瞬間

ミレイナの瞳に宿った翠の輝きだけは

――――誰にも奪えない

読んでくださり、ありがとうございます。


約束は、叶わないこともあります。

それでも――その想いだけは、消えずに残るのだと思います。

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