7章【月光の舞姫と揺り籠の歌姫 ~影に舞う歌~】
『ここから先は俺一人で行く』
そう言い残し、レオンは足早に部屋を出ていった。
その背を、セオドールは無言で見送る。
追うことはできる。
だが、視線を落とせば――そこには、不安に押し潰されそうなフィオナの姿があった。
一人にはできない。
「あの……セオドール様は、行かないんですか?」
「そんなにかしこまるな、様もいらねえよ」
軽く肩をすくめ、セオドールは続ける。
「それに、レオはお前を一人にすることを許さないだろうな」
フィオナはぎゅっと手を握りしめ、俯いたままぽつりと呟いた。
「私が……弱いから……迷惑かけて……ごめんなさい」
「――いつ、誰が、迷惑だって言った?」
わずかに強い口調で言い切ると、そのままセオドールはフィオナの体を軽々と持ち上げた。
「きゃっ……!」
不意の浮遊感に、小さな悲鳴が漏れる。
「目、開けてみろ」
そう言われ、怯えながらもフィオナはゆっくりと目を開いた。
「オレはな、たとえ魔女だろうが――子供は元気に遊ぶべきだと思ってる」
視線の先で、セオドールが少しだけ笑う。
「グダグダ考えてる暇があるなら、飯食って大きくなれ」
そして、ぶっきらぼうに言い放つ。
「オレは、お前がオレの身長を追い抜くまで――甘やかしてやる」
「……ッ、追い抜けるわけ、ないじゃないですか」
かすかに震える声でそう返すと、
「なら、ずっと甘やかされてろ」
セオドールは、当たり前のようにそう言った。
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……ずるいです」
小さく呟いて、フィオナは視線を逸らした。
■□■□
魔の森の奥では――
張り詰めた空気が、なおも続いていた。
「他の魔女が命を燃やして灯す火を――貴女は呼吸するように永遠に吐き出し続けられる
それがどれほど恐ろしく、残酷な才能か理解していますか?」
テオは、うっとりとした手つきで、許可もなくディアの髪を一房すくい上げた。
「普通は、力を使うたびに自分の命を削り、色を失って死んでいく
ですが……貴女はどれほど膨大な魔力を行使しても、色が濁ることも、命が尽きることもない
いわば――永遠に回り続ける歯車です」
「…………っ」
「わかりますか?
貴女が今、その精霊と触れ合えていること自体が、貴女の異常性を証明しているんですよ」
ディアは息を呑み、言葉を失った。
「素晴らしい!
実に見事な“利用価値”です」
ディアに触れていたその手を、レオンは容赦なく払い除けた。
「……お前は、相変わらず悪趣味だな」
レオンの声は、いつもの穏やかさを削ぎ落とした、抜き身の剣のような冷たさを孕んでいた。
「心外ですね
私はただ、この停滞した世界を、最も効率的な形に書き換えようとしているだけですよ」
テオは眼鏡の奥の瞳を細め、挑発するように肩をすくめる。
「そのためには、彼女……“終焉の白”の力が必要だ
第一皇子のご機嫌を伺うより、私と手を組む方が、貴方にとっても合理的でしょう?
レオニス殿下」
「ディア様を巻き込むな」
「ふふ、最初に巻き込もうとしたのは――貴方だったはずですが」
「ッ、それは……」
「生半可な覚悟で挑むから、足が竦むのですよ
大切なモノを失いたくないならば――例え……最愛の人に嫌われようが、笑って立ち続ける覚悟を持ちなさい」
二人の言葉は、ディアには理解できなかった。
ただ――自分が“何かの中心”にいることだけが、はっきりと分かる。
「……っ、二人とも、やめて……!」
ディアが震える声で遮ろうとするが、状況が飲み込めない。
レオンが“皇子”であること、そして彼らが自分を巡って、何か恐ろしい“賭け”を始めようとしていること。
「おい、いつまで序列争いをするつもりだ?」
その時、地響きのようなヴァルの声が割って入った。
ヴァルはディアを完全に背後に隠すと、牙を剥き出しにして二人を同時に威嚇する。
「貴様らがどこで死のうが構わない、ただ……ディアに手を出してみろ
――楽に死ぬことは許さない」
剥き出しの殺意。
絶対的な威圧感に、さしものテオもわずかに頬を引きつらせた。
「……おやおや、機嫌を損ねてしまいましたか
ですがヴァルディス様、貴方も分かっているはずですよ」
テオは不敵な笑みを浮かべ、ディアに視線を向ける。
「彼女をこのまま森に閉じ込めておけば、いずれ帝国が“掃除”に来ます
……守り抜く自信はあっても
彼女に『地獄』を見せない自信は――
貴方には、ないでしょう?」
「…………」
ヴァルが奥歯を噛み締める。
その中心で、ディアはただ、ヴァルの服の裾を強く握りしめていた。
■□■□
「……っ、……!!」
ベッドの上で、シーナが跳ね起きるように意識を取り戻した。
視界が激しく揺れ、喉の奥からせり上がる血の味が鼻腔を突く。反射的に魔法を練ろうとした指先に、違和感を覚え視線を落とす。
「……これ、は……」
手が拘束されている。
解こうと藻掻いていると、テオがにっこりと笑顔を浮かべた。
「お目覚めですか、シーナ
随分と派手に暴れてくれましたね」
シーナは震える手でシーツを掴み、奥歯を鳴らしてテオを睨みつけた。
「変態メガネ……!テメエの仕業か!!
邪魔するな!!!」
「落ち着きなさい
……フィオナなら、とっくに帝国に戻ってます
今頃は、清潔な寝台で眠ってんじゃないですか?」
「……え?」
シーナの動きが止まる。
絶望に塗りつぶされていた蒼い瞳に、困惑が広がった。
「嘘よ……だって……あいつら、私を殺そうとしてたのに!!
こんな凶暴な奴らがフィオナを無事に帰すはずない!!」
「貴女が勝手に暴走して、勝手に自滅しただけです
……話も聞かずに攻撃したのは、シーナですよ?
むしろ、生きていることに感謝するべきです
貴方に勝ち目は1ミリもありませんでした」
テオが視線で促した先、部屋の隅にはヴァルが、そしてその背後には不安げな表情のディアが立っていた。
シーナの瞳に、再び激しい憎悪が宿る。
だが、その瞳をテオの冷たい掌が遮った。
「今の貴女にできることは、一刻も早く戻り、フィオナの無事を確認することだと思いますよ
……そして、上層部に『魔女の排除に失敗した』と報告して下さい」
「……っ、嫌よ! あいつらが、フィオナを……っ」
「貴女がここで死ねば、フィオナを守る者は一人もいなくなりますね」
テオの静かな、けれど逃げ場のない正論。
シーナは唇を噛み切り、悔しさに肩を震わせた。
自分の弱さが、そして、いいように踊らされていた己の愚かさが、涙となって溢れそうになるのを必死に堪える。
「……分かったわよ
帰ればいいんでしょ、帰れば……!」
シーナはふらつく足取りでベッドから降り、壁を伝いながら出口へと向かう。
すれ違いざま、彼女はディアを、射殺さんばかりの目で見据えた。
「……次は、外さない
……必ず、あんたからフィオナを、私たちの場所を取り戻してやる……っ」
ディアの存在を拒絶するように、シーナは冷たい霧の中へと消える。
その後ろ姿を見送りながら、テオは満足そうに口角を上げた。
二人の姿が完全に霧の向こうへ消え、扉の軋む音が止んだ。
部屋には、ただ、冷たい風の音だけが虚しく響いている。
「…………」
レオンは、ゆっくりと、折れるような動作でディアの前に膝をついて、深く、深く頭を下げた。
「申し訳ありません……ディア様」
消えそうな、掠れた声が、レオンの唇から漏れる。
「……先程の話は、すべて真実です
私は……ディア様を利用しようと近づきました」
レオンの拳が、みしりと音を立てて握りしめられる。
ゆっくりと顔が上がる。
その苦悶に満ちた表情は、ディアの胸を直接締め付けた。
「貴女の優しさに触れるたび、自分の浅ましさに吐き気がしました
……身分を偽り、目的を隠し、貴女を『道具』として見ようとした」
ディアは息を呑んだ。
テオの冷酷な言葉が、レオン自身の口から肯定されるたびに、温かかった思い出がパラパラと剥がれ落ちていく。
だが。
「…………レオン」
ディアが名前を呼んだ。
レオンは驚きを隠せずに、目を見開く。
今まで、ディアが“レオン”の名を口にした事は一度たりともなかった。
――初めて呼ばれた、その名に。
レオンの呼吸が、一瞬止まった。
「レオン」
今度ははっきりとレオンの瞳を見て告げた。
ディアは、レオンの手に、自分の手を重ねる。
「私も……“嘘つき”だよ」
あまりにも無防備な、ディアの微笑み。
「ディア様……?」
「私には“利用価値”なんてないよ
レオンが望んでる力なんて――なんにもない
私はただ、ここで生きてるだけ
……ヴァルが傍に居てくれてる、それだけ」
レオンは、その微笑みに救われ――同時に、取り返しのつかない罪悪感に胸を締めつけられる。
縋るように、彼女の細い指先をそっと包み込んだ。
「誓います
この命が尽き果てるまで――
……いえ、死してなお影となっても
俺は貴女を、二度と誰の『道具』にもさせないと」
静まり返った室内。
二人の距離が、吸い寄せられるようにわずかに縮まる――
その、直後だった。
「――おい、誰が触れることを許した?」
背後から、地を這うような低い声が響いた。
「わっ……!」
ディアの身体が、強い力で後ろへ引き寄せられる。
腰に回された腕は、逃がす気など微塵もないと告げていた。
「……ヴァル、苦しい」
「黙ってろ」
短く吐き捨てると同時に、ヴァルはディアの後頭部を押さえ、自分の胸元へと深く埋め込ませる。
それは守るための動きでありながら――同時に、剥き出しの独占だった。
赤い瞳が、獲物を睨む獣のようにレオンを射抜く。
「……ヴァルディス様、私はただ、誓いを――」
「誓いなら独り言で言え……二度と気安く触れるな」
空気が張り詰める。
レオンは一歩、わずかに引いた。
――その瞬間。
(……ボクのディアに触るな!!)
ディアの胸元から飛び出したクロが、容赦なくレオンの顔面へ尻尾を叩きつけた。
「っ……!?」
(見えなければいいんだ!潰してやる!!)
「クロ、やめなさい!」
ディアの鋭い声が、張り詰めた空気を切り裂いた。
クロは、ぴたりと動きを止める。
(……なんで?)
低く、幼い声が、響いた。
(あいつ、ディアを傷つけようとしてるのに、壊しちゃダメなの?)
その声に宿るのは、無垢な疑問と――純粋すぎる“破壊衝動”だった。
ディアは、ゆっくりと首を振った。
「だめ」
小さく、けれど確かな声。
(……でも)
「いいの」
ディアは一歩前に出て、そっと自分の胸元に手を当てた。
「私は、自分で決める」
その言葉に、クロはレオンの足下で小さく丸くなった。
(……わかった)
その声はどこか不満げだったが、逆らうことなく、
クロはレオンの影の中へ、静かに溶けるように消えた。
「本日は、これで失礼致します」
レオンは深く息を吸い込むと、ディアを見つめて静かに告げる。
「……ディア様」
ほんのわずかに、言葉を選ぶような間が落ちる。
「――ありがとうございます」
レオンが、穏やかに微笑んだ。
見慣れたはずの、その笑み。
――けれど。
その奥にあるものを、
見誤れる者は――ここにはいなかった。
■□■□
「……姉様」
ぽつりと漏れた声が、無人の部屋に吸い込まれる。
その時、乱暴に扉が押し開けられた。
「フィオナ……ッ!!」
「――っ、姉様!?」
飛び込んできたのは、ボロボロになり、顔中を傷だらけにした姉である、シーナの姿だった。
シーナは、妹である、フィオナの姿を捉えた瞬間、膝の力が抜けたようにその場に崩れ落ち、這うようにしてベッドへと駆け寄る。
「……よかった、あの魔女に、何か酷いことをされなかった!?
どこか、痛いところはない!?」
「姉様
私……私は大丈夫です
それより、そのお怪我は……!」
フィオナが震える手でシーナの頬に触れようとする。
だが、シーナはその手を強く握りしめ、自分の額をフィオナの手のひらに押し当てた。
その身体は、極限の緊張から解放されたせいか、小刻みに震えている。
「ごめんね……私が弱かったから、あんな森に一人で行かせて……
あいつら、あの白い魔女と、赤い目の化け物……! 必ず、私が……」
「……違うの、姉様、あの人たちは――」
フィオナは言いかけて、唇を噛んだ。
森で気を失った後のことは、レオンから聞かされていた。
助けてもらった。
見ず知らずの子供なのに、森に住む魔女は、私のことを、助けてくれたんだよ?
でも、それを今、復讐に燃えるシーナに伝えても、彼女をさらに混乱させるだけだと分かっていた。
「……姉様、帰ってきてくれて、ありがとう」
フィオナは、自分より一回り大きく見える姉の背中に、そっと腕を回した。
いつもは「守られる側」だった彼女が、今はボロボロの姉を支えるように。
「……フィオナ――私、誓うわ」
シーナが顔を上げ、片方の蒼い瞳に鋭い光を宿した。
それは、テオに『勝ち目は1ミリもない』と断言された屈辱を、無理やり力に変えたような、危うい決意。
「二度と、あんたを離さない
帝国が何を言おうと
あの魔女が何を企んでいようと……
私は、フィオナを守るためだけに、この命を使い切る」
「……姉様……」
抱き合う二人の影が、月明かりに照らされて一つに重なると
――バンッ、と乱暴に扉が開いた。
「フィオナ! 準備できたぜ」
空気を読まない明るい声が、室内に割り込む。
「――っ!?」
シーナが反射的にフィオナを庇うように前へ出た。
「……誰?」
鋭い視線を向けるが、飛び込んできた男――セオドールは、まるで意に介した様子もなく、ひらひらと手を振った。
「あー……悪い悪い、急いでたんだよ
よし、フィオナ、行くぞ」
「え……?」
いきなり名前を呼ばれ、フィオナが目を瞬かせる。
「歌、上手いんだろ?」
「……っ、いや、あの……無理です」
即座に首を横に振るフィオナ。
だが、セオドールは気にした様子もなく、にやりと笑った。
確かに、歌について会話をした記憶はある。
けれど――上手いなんて、一言も言っていない。
……どうして、そんなふうに言い切れるのだろう
思い返せば――
『……お前さ、好きなこととかねえの?』
唐突な問いに、フィオナは戸惑う。
『す、好きなこと……ですか?』
『ああ、なんでもいい』
少しだけ考えて、視線が泳ぐ。
『……その、えっと……』
言い淀んだあと、小さく呟いた。
『……歌、は……好き、です』
『へえ』
それ以上は何も言われず、会話はそこで途切れた。
「大丈夫、大丈夫
ちゃんとした場所用意したから
せっかくなら、ちゃんと聴きてえし」
「え、い、いや、そういう問題じゃ……」
後ずさろうとしたその腕を、セオドールがひょいと掴む。
「ほら、遠慮すんなって」
「わ、ちょっ……!」
そのまま軽い力で引っ張られ、フィオナの体がよろける。
「待ちなさい!」
シーナが鋭く声を上げる。
「フィオナをどこへ連れていくつもり――」
「歌わせるだけだって」
振り返りもせず、あっさりと言い放つセオドール。
「別に取って食ったりしねえから、安心しろ」
軽く笑うその声音に、余計に信用できないものが混じる。
「……ふざけないで」
シーナの声が低く沈む。
だが、その間にもフィオナはずるずると引きずられ――
「姉様……っ」
困ったように振り返る。
ほんの一瞬、視線が交わる。
「……っ、待ちなさい!」
シーナは舌打ちを一つ落とすと、すぐに後を追った。
「勝手に連れていくな!」
「いいじゃねえか、減るもんじゃないし」
軽口を叩きながら、セオドールはそのまま廊下へと歩き出す。
半ば引きずられるようにフィオナが続き、
その後ろを、鋭い視線のままシーナが追う。
騒がしい足音が遠ざかり――
先ほどまでの静寂が、嘘のように消えていった。
■□■□
騎士団詰所へと戻ったレオンは、すぐに異様な空気に気づいた。
普段は統制の取れたはずの空間に、ざわめきと熱が渦巻いている。
「……何をしているんですか?」
騒がしい騎士たちの間をすり抜け、その中心へと足を進める。
すると――
「戻ったのか! いいところだぞ、今ちょうど始まる」
振り返ったセオドールが、愉快そうに口角を上げた。
「……これは?」
レオンの問いに、セオドールは顎で前方を示す。
そこには、広く張られた一枚の白布。
その向こう側から、柔らかな光が当てられている。
■□■□
白布一枚隔てただけの空間は、外の熱気が嘘のように静まり返っていた。
フィオナの喉は、ひどく震えていた。
「……っ」
息が、浅い、うまく吸えない。
ただ“歌う”だけなのに
こんなにも、怖いなんて思わなかった。
「フィオナ」
優しい声に振り返ると、そこにはシーナが立っていた。
「震えてる」
「だ、大丈夫……」
言葉が、うまく出ない。
それでも、無理に笑おうとする。
「ちゃんと、歌えるよ……」
「嘘つかないで」
短く、遮られる。
シーナの手が、フィオナの肩に触れる。
強くはない。
けれど、逃がさない力だった。
「……怖いんでしょ」
否定できなかった。
フィオナは、小さく俯く。
「……こんなにたくさんの人の前で……歌うなんて、初めてで……」
声が、震える。
「もし……失敗したらって……」
「失敗すればいい」
即答するシーナに、フィオナが顔を上げる。
「……え?」
「別に、誰も死なない」
淡々とした声が続いた。
「歌が下手でも、転んでも、終わるだけ
それに、アイツが勝手に仕組んだことよ
やめても誰も困らないわ」
その言葉は、あまりにも乱暴で。
けれど―――
歌を、聴いて欲しい人がいるの
「……ッ、」
「それでも怖いなら」
一瞬だけ、言葉が途切れる。
「……私が、全部壊してあげる」
空気が、止まった。
「え……?」
「この舞台も、観客も、全部」
何の躊躇いもなく、言い切る。
「フィオナが嫌なら、全部なくしていい」
その瞳に、迷いは一切なかった。
フィオナは、息を呑む。
――お姉様は、本当にやる
そう思った。
「……だめ、です」
かすれた声で、言う。
「そんなこと、しちゃ……」
「じゃあ歌いなさい」
間髪入れず、返ってくる。
「壊されたくないなら、自分で守りなさい」
シーナの手が、そっと離れる。
「……フィオナ」
名前を呼ばれる。
「アンタの歌、嫌いじゃない」
それだけ言って、視線を逸らした。
――外から、歓声が上がる。
旋律が、始まる合図。
フィオナは、ぎゅっと手を握りしめた。
まだ、怖い。
でも。
「……いきます」
小さく、息を吸う。
震えは、消えないまま。
それでも、足は前へ進んだ。
白布の向こうへ。
光の中へ――
■□■□
次の瞬間。
どこからともなく、静かな旋律が流れ始めた。
――歌声。
澄んだ、優しい声が空間を満たしていく。
それに呼応するように、白布に二つの影が映し出された。
ひとつは、静かに揺れるような細い影。
もうひとつは、それを包み込むように、しなやかに舞う影。
歌と舞。
互いに寄り添うように、重なり、離れ、また交わる。
その完成された調和に、騎士たちは息を呑み――
やがて。
「……“月光の舞姫”だ」
「“揺り籠の歌姫”……!」
誰かの呟きが広がった瞬間、空気が一変した。
歓声が上がる。
称賛と興奮が、場を満たしていく。
だが。
「…………」
レオンは、その場に立ったまま、ただ静かにそれを見つめていた。
柔らかな光に浮かぶ影。
耳に残る、あまりにも穏やかな歌声。
――そのどちらにも、既視感があった。
――その瞬間。
レオンの瞳が、わずかに見開かれた。
揺れる影の輪郭。
歌声の癖。
舞う足運び。
見間違えるはずがない。
「……シーナ・グラシエとフィオナ・グラシエ……」
小さく零れたその名に、自分自身で確信が走る。
――なぜ、こんなに大勢の前に
レオンは一歩、踏み出した。
「……やめさせろ」
低く、押し殺した声でセオドールに告げようとした、その瞬間。
「おや」
どこからともなく、軽い声が割り込んだ。
「帰還早々、随分と無粋なことを仰いますね」
振り返るまでもない。
いつの間にか背後に立っていたのは、テオだった。
「……何を考えているんですか」
レオンの声音が、わずかに鋭さを帯びる。
テオは肩をすくめ、白布の向こうに視線をやった。
「何も?
ただ、うちの姫の晴れ舞台を整えるのに協力しただけです
あ、邪魔はしないでいただけますか?」
その言葉は柔らかく、だが明確な拒絶を含んでいた。
「……正気か」
レオンは低く吐き捨てる。
「魔女は、本来――」
「ええ、姿を見せてはならない」
言葉を遮るように、テオはあっさりと頷いた。
「ですが」
くすり、と喉の奥で笑う。
「“弱虫魔女”だの“暴虐氷魔女”だの、好き勝手に呼ばれるよりは――」
細められた瞳が、わずかに愉悦を帯びる。
「こうして、称賛を浴びている方が、よほど健全でしょう?」
白布の向こう。
歓声が、さらに大きくなる。
「それに」
テオは、指先で光の境界をなぞるように示した。
「これなら――」
わずかに声を落とす。
「誰も、“中身”には気づかない」
影だけが踊る舞台。
そこにあるのは、名前も過去も切り離された“役”だけ。
「……」
レオンは、言葉を失う。
目の前で行われているものが、あまりにも歪で、そして――
完成されすぎていた。
「さあ」
テオは微笑みながら告げた。
「どうされます? レオン様
この美しい舞台を――止めますか?」
テオの言葉に返事を返す前に、セオドールが声を上げた。
「眼鏡の! えーと……テル? だったか!
準備手伝ってくれてありがとな」
屈託のない笑顔を向けるセオドールに、テオはわずかに首を傾げた。
「おや、きちんと自己紹介はしたはずですが」
「悪いな、人の名前覚えるの苦手なんだ!」
セオドールは、まるで悪びれた様子もなく笑う。
「……テオ・アルケミストです
レオン様の“友人”ですよ」
わざとらしく言葉を区切りながら、そう名乗る。
そのやり取りを見ていたレオンは、静かにため息を吐き――静かに視線を落とした。
テオと出会ったのは、まだ三歳の頃だった。
どうやって忍び込んだのかは、今でも分からない。
気づいた時には、すでに寝室の中にいた。
そして。
『初めまして。私は貴方に非常に興味があるのですが――』
にこやかな笑顔のまま。
『解剖させていただけませんか?』
そう告げてきたのだ。
あの時と、何一つ変わらない。
“魔女”という存在にしか興味を示さない男。
執着とも、探究ともつかないその視線は、
今もなお、何かを測るように世界を見ている。
ことあるごとに現れては、干渉してくる厄介な存在。
――それでも。
双子の魔女の騎士となって以降は、
表立って動くことはなかったはずだった。
……それが、なぜ今になって
レオンの視線が、ゆっくりと細められる。
テオは、何事もないかのように微笑んでいた。
「…………」
レオンは、静かに視線を舞台へと戻す。
光の中で踊る影は、あまりにも美しかった。
歌声は、どこまでも優しく。
まるで、すべてを包み込むように。
――だからこそ。
それは、あまりにも無防備だった。
誰一人として、それが“始まり”だと――気づいていない
読んでくださり、ありがとうございます。
少しずつ、それぞれの想いと嘘が表に出てきました。
守るための選択が、誰かを傷つける――そんな流れが動き始めています。
そして、新しく動き出した“舞台”。
この先、何が壊れて、何が残るのか。
引き続き、見届けていただけたら嬉しいです。




