5章【月光の舞姫と揺り籠の歌姫~交わる運命~】
喉から溢れ出したその声は、月光を糸に織り上げたような透明な輝きを纏い、やがて春の陽だまりとなって場を満たしていく。
『私は、ただ……歌っていたい』
その温もりに触れた人々の心は、雪解け水に浸した花びらのように、静かに、優しく解き放たれていった。
『それだけで……いいのに……』
■□■□
いつも通り、集まってきた魔獣たちに小粒の木の実を混ぜたご飯をあげている時だった。
ふいに、一羽の大きな鳥の魔獣が、鋭い鳴き声を上げて旋回し始めた。
(……人間が、いる、人間が、死にかけの匂いしてる)
何度もそう告げ、バサバサと大きな翼を羽ばたかせ、ディアの頭上を激しく飛び回る。
「……人間?」
騎士団が定期調査に来る時も、魔獣たちは騒がしくなる。
けれど――今日は、違った。
最近は、レオンが来ても騒がなかったのに。
それなのに、鳥の魔獣は怯えたように羽を震わせ、
森のさらに奥――普段は誰も足を踏み入れない、瘴気の濃い方角を指し示している。
「ヴァル、……行ってみてもいい?」
「……勝手にしろ、だが、俺の後ろを離れるな」
ヴァルの低い声に背中を押されるようにして、ディアは茂みをかき分けた。
「……ッ」
足が止まる。
草をかき分けた先――そこに、一人の少女が倒れていた。
外傷は見当たらないので、気絶しているだけのようだった。
本来なら、こんなに深い場所に子供は入って来れない。
度胸試しで魔の森に入ってくる子供は数年前にも居たが、入口付近で倒れてしまう。
「……生きてる?」
震える声で問いかけた瞬間。
動かなかった手が、ピクリ、と拒絶するように動いた。
「……やだ……いか……で……」
意識を失ったまま、うわ言のようにそう繰り返している。
助けを求めているのではない。
まるで、大切なものを掴みよるように手を伸ばしている。
「ソイツ……瘴気に当てられてないな」
ヴァルはそう呟くと、少女の服に付いているブローチを見つめる。
赤い石に簡単な装飾がされていた。
それが、ディアの首に付けられているチョーカーと同じモノだと理解するとヴァルは楽しそうに目を細めた。
「……人間にも、面白い奴がいるな」
ディアは、少女が伸ばした手を掴みながらヴァルに視線を向けた。
「ヴァル、この子……家に連れて行きたい」
「いつも通り帝国の入り口に捨てる方が楽だ」
「……ッ、魔の森に入ってくる人は
この国から出たい人でしょ?」
魔の森を抜けなくとも、国境に行く手段は幾つもある。
しかし、それは誰にも知られずにではない。
正式な手続きをしなければならない。
いつも通りの子供ならば、ディアも帝国の入り口に送り届けることを選んだ。
「なんの理由もなく、森の奥まで来る子はいないよ
……それに、瘴気に当てられてないってことは森から出なくても平気だよね」
「連れて帰れば、面倒な奴に見つかるぞ」
ヴァルが言っている“面倒な奴”が誰か、ディアには分かっていた。
それでも、小さく笑って首を振る。
「ごめん、この子……放っておけないの」
「……はぁ」
ヴァルは面倒そうに息を吐くと、しゃがみ込み、少女を軽々と抱き上げた。
「後で面倒を見るのはお前だぞ」
「うん」
短いやり取りのまま、二人は来た道を引き返す。
森は、先ほどまでのざわめきが嘘のように静まり返っていた。
あと少しで家に着く――その時だった。
「…………ッ、ぅ」
腕の中で、少女の体がびくりと震える。
「よかった、気がつい……」
言いかけた言葉が、途中で止まる。
ヴァルの足が、ぴたりと止まった。
ディアはそっと顔を覗き込む。
ゆっくりと開いた少女の瞳は――片側だけ、鮮やかな蒼色をしていた。
もう片方は、見慣れた黒の瞳。
焦点が合っていないはずなのに、なぜか真っ直ぐディアを捉えている。
「……ぅ……」
呼吸が、わずかに乱れる。
ディアは一瞬だけ首を傾げて――それでも、優しく声をかける。
「大丈夫?もうすぐ着くから」
その瞬間。
少女の指先が、ぴくりと動いた。
「化け物!!」
掠れた叫びと同時に、ヴァルの腕の中で、少女が暴れる。弱々しいはずの動きが、はっきりと拒絶を示している。
「やだ……来ないで……っ、やめて……」
その視線はディアに固定されたまま、外れない。
「ディア、捨てていいか?」
ヴァルの声は、どこまでも静かだった。
けれど、その指先が少女の首筋にわずかに食い込んでいるのに気づく。
「ダメって言ってるよね」
さっきの“化け物”という言葉に、ディアは自分の髪に触れ、わずかに目を伏せた。
「ディア」
「……大丈夫、この子……怖いだけだよ」
ディアがフードを深く被り、髪と瞳を隠すと少女は、力が抜けるように意識を手放した。
■□■□
家に辿り着き、扉を開けた瞬間――
「……お帰りなさい、ディア様」
柔らかな声とともに、見慣れた顔がこちらを向いた。
「出かける際は、一言書き置きでも残していただけると助かります
万が一のことがあった場合、こちらも対処が……」
穏やかな笑み。 いつも通りの、隙のない口調。
だが、その言葉は途中で止まる。
レオンの視線が、ヴァルの腕の中へと落ちた。
「……それは」
わずかに、眉が動く。
一歩、近づき、ヴァルの腕の中を確認する。
かすかに、息が止まる音が聞こえた――次の瞬間。
「――フィオナ様?」
貼り付けたはずの微笑みが、完全に消えた。
信じられないものを見るように、レオンは少女を見つめる。
「なぜ……貴女が、ここに……」
静かな声。だが、空気がわずかに張り詰める。
「知り合いなら話が早い、さっさと連れ帰れ」
ヴァルは興味を失ったように吐き捨てると、腕の中の少女を乱暴にレオンへ押し付けた。
「ッ……いつから森に……いや、それより――」
レオンはフィオナの体を支えながら、呼吸、皮膚の色を一瞬でなぞる。
「瘴気に侵されていない……?」
あり得ない、とでも言うように眉を寄せた。
「ソレがあるからだろ」
ヴァルの視線が、フィオナの胸元へ落ちる。
赤い石のはめ込まれたブローチ。
その表面が、じわりと黒く濁り始めていた。
「……私のと、同じ……?」
ディアは自分の首元に触れ、小さく呟く。
森で暮らし始めた頃、ヴァルから“お守り”として渡された石。
「魔石に同じモノは存在しない」
「……魔石?」
レオンがわずかに眉を寄せる。 ディアも続くように首を傾げた。
「なに、それ」
「魔獣の核だ」
ヴァルは淡々と告げる。
「弱い奴のはすぐに消える
だが、力が強ければ――形が残る」
「じゃあ、それを持っていれば瘴気は……」
「濁れば意味はない
――それも、もう死にかけだ」
ヴァルの言葉に、
赤だった石は、ゆっくりと黒に侵食されていく。
「……あと、どれくらい持ちますか?」
レオンの問いは短い。
「半日」
ヴァルは迷いのなく答える。
「なら、私のを……使って」
ディアが一歩踏み出すが、
「無駄だ」
ヴァルは即座に切り捨てた。
視線が、一瞬だけディアの首元に落ちる。
「それはディアのモノだ――他の奴が触れていいものじゃない」
ディアの石は、一度も濁ったことがない。
それでも、何か言おうとして――言葉を飲み込んだ。
「新たな魔石の回収は困難ですよね?」
静かに、レオンが口を開く。
「そもそも魔石があれば……私はクロと契約していない」
現実を並べるような声音。
だが、その指先はわずかに強くフィオナを支えていた。
数秒の沈黙の後、レオンは一瞬だけ目を伏せ――結論を出す。
「……帝国へ連れて帰ります」
■□■□
帝国へ戻る道中、レオンは一言も発さなかった。
腕の中で眠るフィオナの体は軽い。
だが、その存在はあまりにも重かった。
……魔女を、隠す?
あり得ない選択だ。
見つかれば、それだけで終わる。
「ッ……」
ふと、足が止まりかける。
背後に、気配はない。
あの森特有の、肌にまとわりつくような瘴気も、無遠慮に踏み込んでくる赤い視線も、
――あの、鬱陶しい唸り声も。
……いや。
今は、それすら無い方が落ち着かない。
「……」
無意識に、振り返りかけてやめる。
そこにいるはずの存在は、最初からここにはいない。
「……急がなくては」
誰にともなく呟き、レオンは再び歩き出した。
騎士団詰所の裏手。
普段は誰も使わない古い通路を抜け、レオンは足を止めた。
「……ここなら」
低く呟き、扉を開ける。
簡素な寝台と机だけの、使われていない小部屋。
慎重にフィオナを横たえる。
「……ッ」
触れた瞬間、わずかに顔を歪めた。
まだ、完全には安定していない。
ブローチに視線を落とす。
黒く濁った魔石は、ゆっくりと侵食を広げていた。
本来なら、即刻報告。引き渡し。
それが“正しい”選択だ。
「レオ」
心臓が、一瞬だけ強く脈打つ。
ゆっくりと振り返る。
扉にもたれかかるようにして、セオドールが立っていた。
「……団長」
「こんなとこで何してるんだ?」
軽い口調。
だが、その視線はまっすぐ部屋の中を捉えている。
レオンは一歩だけ動き、視線を遮るように立った。
「書類の整理を――」
「嘘つけ」
被せるように即答された。
「お前がそんな顔して“仕事”してるわけねぇだろ」
空気が、張り詰める。
笑っているはずなのに、温度がない。
やがて――セオドールが、ゆっくりと歩み寄った。
「退け、レオ」
低い声だった。
命令でも、脅しでもない。
けれど――逆らうことを想定していない声音。
「……お断りします」
一歩も引かない。
その答えに、セオドールの眉がわずかに動いた。
「へぇ……」
面白そうに、目を細めた。
「余計に怪しいな」
次の瞬間、距離が消えた。
レオンの肩に手がかかる。
重い。
ただ触れているだけなのに、逃げ場を塞がれたような圧。
「――ッ」
抗うより早く、身体が横へずらされる。
止めるより早く、視線が通る。
寝台の上の 小さな少女。
そして――濁りかけた赤い魔石。
「……は?」
空気が、凍った。
セオドールの表情から、軽さが消える。
「……おい、これ……誰だ?」
レオンは答えない。
答えられない。
「レオ」
名前を呼ばれる。
逃げ場は、ない。
「……説明しろ」
静かな命令だった。
――誤魔化しは、通じない。
レオンはゆっくりと息を吐く。
そして――
「……“フィオナ”様です」
その名を、口にした。
一瞬、空気が凍る。
「森で迷っているのを保護しました」
淡々と続ける。
「フィオナ・グラシエ様――“魔女”です」
セオドールは何も言わない。
ただ、ゆっくりと視線を動かした。
寝台の少女へ。
その胸元へ。
――不気味に黒ずんでいく“石”。
空気が、さらに重く沈む。
「……おい……これ、なんだ?
宝石にしちゃ、ドロドロしてて気持ち悪ぃな」
セオドールが顔をしかめ、無造作に指を伸ばそうとする。
「触るな!!」
レオンの鋭い声に、セオドールの指が止まる。
「……瘴気に侵されています
不用意に触れれば、貴方の腕まで腐り落ちる」
確信は無いが、瘴気に耐性のないセオドールには触れさせたくない一心でそう答える。
無意識に“何か”を隠そうとしていることを感じ取ったセオドールはふいに鼻で笑った。
「……そいつが、噂の“白魔女”か?」
その問いに、レオンの眉間がピクリと跳ねた。
「ディア様だと、何度言えばわかるんですか
白魔女なんて呼ばないで頂きたい」
一拍置いて、低く吐き捨てる。
「……それに――
こちらはフィオナ様だと言ったでしょう
からっぽの頭でも、名前くらいは覚えて下さい」
あまりに迷いのないその口調に、セオドールは一瞬驚いたように目を見開き、やがて愉快そうに笑い飛ばした。
「……くくっ、ははは!いつも通りになったか
お前、少しは気が晴れたか?」
「……何の話です」
「森へ行く前の、死んだ魚みたいな目よりはマシだって話だよ
……あんな顔、初めて見たぜ
帰りたくねぇなんて、ガキみたいな顔しやがって」
セオドールはレオンの肩をガシガシと叩いた。
「……は?」
セオドールはしばらく黙り込んで、フィオナとレオンを交互に見る。
そして、その間にある“何か”を測るように目を細めた。
小さく息を吐く。
「理屈は知らねぇが――」
そこで初めて、口角が上がった。
「お前がそいつを助けたいってことだけは理解したぜ」
「……何をするつもりですか」
警戒するレオンを余所に、セオドールは不敵な笑みを浮かべて扉の鍵を閉めた。
「で、オレは何をすればいいんだ?」
「ッ……」
レオンの息が止まる。
「何を言っている」と聞き返す前に、セオドールは腰の剣を軽く叩いて言った。
「お前が独りで抱え込んで、また死んだ魚みたいな目に戻るのは嫌だって言ってんだ
……隠すんだろ? 手伝ってやるよ!
バレたら二人で処刑台だな!」
「……貴方は、本当にバカだ」
「最高の褒め言葉として受け取っとくぜ」
軽く笑う声が響く。
だがその裏で――
確実に、一線を越えた音がした。
■□■□
赤い瞳の化け物が、音もなく手を伸ばしてくる。
怖くて、喉が焼けるほど必死に叫んだ。
けれど、誰も助けてはくれない。
あんなに一緒だと言ってくれた大好きな姉様も、私を置いてどこかへ消えてしまった。
私が、弱いからだ。
誰の役にも立たない“なり損ない”だから――だから、捨てられたんだ。
「……ひとりは……いや……っ」
自分の掠れた声に、意識が浮上する。
重い瞼を押し上げると、見慣れない天井と、自分を覗き込む二人の男の影が映った。
「――っ! あ、……やだ……!」
恐怖が、全身を粟立たせる。
フィオナは反射的に、鮮やかな蒼い瞳を両手で覆い隠し、ベッドの隅へと身を縮めた。
「来ないで……、あっち……いって……っ」
震える声で拒絶を示す。
その時、鎧の鳴る硬い音がして、一人の男がフィオナの目の前でゆっくりと膝を突いた。
「フィオナ様……もう、大丈夫です」
耳に心地よく響く、穏やかで澄んだ声。
フィオナが指の隙間から恐る恐る顔を上げると、そこには、月光を背負ったような美しい騎士がいた。
フィオナは息を呑んだ。
見たこともないほど端正な顔立ち。
帝国にこんなに綺麗な人がいたなんて、聞いたこともない。
レオンは、怯えるフィオナと視線の高さを合わせ、優しく微笑んでいる。
その表情は、一分の隙もないほどに気高く、それでいて慈愛に満ちていた。
「怖いものは、もうどこにもありません
ここは貴女を守るための場所……騎士団の本部です」
「……だ、……だれ……?」
震える唇で問いかけると、騎士はさらに声を和らげた。
「失礼いたしました
私は、騎士のレオンと申します
……森で倒れていた貴女を、こちらへお連れしました
もう、安心してください」
レオンはそっと手を伸ばし、フィオナの震える小さな手を、壊れ物を扱うように包み込んだ。
手の温もりに、フィオナの呼吸がわずかに落ち着きを取り戻していく。
「……れ、……れおん、……さま……?」
「はい、レオンです
…よく、耐え抜かれましたね」
レオンは誓いを立てるように、深く、優しく頷いた。
その完璧な「王子様」ぶりに、傍らで見ていたセオドールは口を半開きにしていたが、我に返ったように豪快な声を上げた。
「おーう、嬢ちゃん! 気がついたか?
このレオが必死こいて担いできたんだ、感謝しろよな!」
「……ひっ……!」
突然の大きな声に、フィオナはびくりと肩を揺らす。
髪を乱暴に逆立たせ、頬に切り傷がある、ガハハと笑うその男は、レオンとは正反対の威圧感に満ちていた。
「あ、悪い悪い!
オレはセオドール
ここの団長だ、怖くねぇぞ、ほら!」
セオドールは自分の顔を指差して笑う。
その瞳はどこまでも真っ直ぐで、悪意の欠片も感じられない。
「オレがいれば、どんな化け物も一捻りだ!安心しな!」
セオドールのガサツだが明るい声に、部屋を満たしていた重苦しい空気がふっと緩む。
フィオナはまだ、見知らぬ騎士——レオンの手をギュッと握りしめたままだったが、その瞳からは先ほどの絶望的な色は消えていた。
「……ひとり、……じゃない……?」
「ええ、私が……護ります
何があっても、貴女を離しません」
騎士の瞳は、嘘偽りない誠実さに満ちていた。
■□■□
「――ッ、くたばれ!!」
裂けるような怒声と同時に、無数の氷の矢が放たれる。
空気を震わせ、軌跡を描きながら降り注ぐそれは――まるで舞のように、美しかった。
だが、その全てが“殺意”でできている。
「――ッ!!」
氷の光が、彼女の横顔をかすめる。
その瞳が、一瞬だけ露わになる。
片側だけが、鮮やかな蒼を宿していた。
「シーナ、魔法を使いすぎです」
低く、抑えた声。
白衣のような、ボロボロの外套を纏った男――テオが静かに告げる。
だが。
「うるさい!!」
返ってきたのは、叩きつけるような拒絶だった。
「テオは黙って、私の言うことだけ聞けばいいの!!」
矢は止まらない。
むしろ、さらに数を増やし、標的を貫き続ける。
貫かれた魔獣は、声もなく崩れ落ちた。
それでも――
シーナの呼吸は、荒いままだった。
「……チッ」
舌打ちが落ちる。
まだ足りないとでも言うように、指先に魔力が集まる。
――フィオナは、誰にも渡さない
脳裏に浮かぶのは、あの顔。
怯えた瞳。
縋るように伸ばされた手。
そして――“嘘”
「……人間に戻れる、だと……?」
吐き捨てるような声が、わずかに震える。
「ふざけないで……」
もう一度、矢が放たれる。
今度は、何もいない空間に向かって。
「嘘つき」
ぽつり、と。
「嘘つき……ッ」
テオは何も言わない。
ただ、わずかに視線を伏せる。
「……シーナ」
静かに名を呼ぶ。
「任務から外れるべきです、この状態では――」
「黙って」
被せるように、遮られる。
「私は平気」
間髪入れないその声に、迷いはない。
だが――その指先は、わずかに震えていた。
「フィオナは……」
言いかけて、止まる。
喉の奥で、言葉が潰れる。
――守らなきゃいけないの
「……行くよ」
振り返らないまま、歩き出す。
逃げるように。
それでも、前に進むように。
「次、どこ」
「……東です」
短く答え、テオも歩き出す。
その背を見つめながら、ほんの一瞬だけ目を細めた。
止めても、無駄だと知っている。
だからこそ、何も言わない。




