26章【第二皇子と第三皇子~すれ違う想い~】
アルヴェイン王国の静かな路地裏に、耳障りな罵声が響いていた。
「おい、聞いてんのか無能!」
「……申し訳ございません」
透き通った紫の瞳を細め、柔らかな笑みを絶やさず、上品に頭を下げる少女。
専属騎士である男は、苛立ちを隠そうともせずに唾を飛ばして少女を睨みつけている。
「チッ……本当に役に立たない女だ
この俺様が『無能な魔女』の護衛など、汚点以外の何物でもない
貴様のような出来損ないは消えた方が良いのではないか?」
「……わたくしのような無能が、あなた様のようなご立派な騎士様のお手を煩わせるなんて、本当に心苦しい限りですわ」
表面上は申し訳なさそうに眉を下げながら、少女の心の中は氷のように冷ややかだった。
知っている。
魔女の力を使えば使うほど、己の命が削り取られて死に至ることを。
だからこそ、無能を演じる。
馬鹿にされ、利用価値がないと蔑まれることこそが、この理不尽な世界で生き残るための最大の盾なのだから。
男の罵倒を右から左へ受け流し、早くこの退屈な時間が終わらないかと考えていた――その時だった。
「――アルヴェイン王国の騎士とは、随分と暇を持て余していらっしゃるのですね」
涼やかで、どこか背筋が凍りつくような低い声が割り込んだ。
「あぁ!? 誰だてめぇは――っ」
威勢よく振り返った騎士の言葉が、途中で喉に詰まる。
そこに立っていたのは、眼鏡の奥で冷ややかな眼差しを光らせるテオだった。
騎士の視線が、テオの胸元へと吸い寄せられる。
そこに刻まれていたのは、見間違えるはずもない帝国騎士団の紋章。
しかも、ただの騎士が身につけるものではない。
皇族直属の者だけに許された、特別な徽章だった。
「ひっ……! い、帝国のッ」
テオは騎士の怯えなど一切視界に入っていないように、ゆっくりと少女の前へ歩み寄った。
「失礼、あまりにも不快な雑音が聞こえましたので、少しお邪魔させていただきました
……お怪我はありませんか?」
手を差し伸べるテオの手を取ると、少女は控えめに一礼する。
「お気遣いありがとうございます
……ですが、わたくしのような天気を当てることしかできない『無能な魔女』に、そのようなご親切は勿体ございませんわ」
その言葉に、テオの唇が面白そうに、そして怪しく釣り上がった。
「無能、ですか?
私にはとても魅力的な力だと思うのですがね——アリア様」
「っ……!」
名乗ってもいない。
姿もローブで隠れているはずなのに、名を呼ばれ動揺が隠せない。
「何のことかさっぱり分かりませんわ
——私のような無能をからかわないでください」
「いいえ、滅相もございません
私は貴女のよう“賢い方”が大好きなんですよ」
■□■□
エリオス様を探しに街へ出たのは良いが、あの御方のことだ。
おそらく街へ潜伏するにあたって、身分を偽り素性を隠しているに違いない。
テオは花街や酒場を中心に足を運び、情報を拾い集めていた――その時だった。
薄暗い路地裏の奥から、罵倒が風に乗って聞こえてきた。
「……はぁ、」
テオは小さく重い溜め息を吐き出すと、眼鏡のふちを指先で押し上げ、声のした方へと静かに足を進めた。
視線の先では、今にも騎士に手を上げられそうな一人の少女――魔女が、慣れた様子で頭を下げて謝罪を繰り返していた。
諦めを孕んだ立ち振る舞いを見ただけで、これが日常的に行われている理不尽な嫌がらせなのだと即座に理解できた。
――その光景を目にした瞬間、脳裏に一瞬だけ、シーナとフィオナの顔が浮かんだ。
周囲の人間から冷遇され、酷い扱いを受けていた頃の二人の姿。
「――アルヴェイン王国の騎士とは、随分と暇を持て余していらっしゃるのですね」
気づいた時には、自分でも驚くほど自然に声が出ていた。
普段の自分ならば、他国の路地裏で起きているつまらない揉め事など通り過ぎていた。
己の“らしくない”行動に心中で苦笑しつつも、テオは少女の前へと歩み寄り、静かに手を差し出した。
そして――差し出された手を見つめる少女が顔を上げた、その時だった。
少女の瞳の色が視界に飛び込んできた瞬間、テオの唇から自然と微笑みが溢れ出した。
透き通った、吸い込まれそうな美しい紫の瞳。
少女の特徴が報告書に記されていた人物と一致した。
……なるほど
本命のエリオス様を見つけるより先に、まさかこれほど興味深いお方と出会うことになるとは
テオは未だに事態が飲み込めず固まっている騎士へ向けて、完璧な笑顔を向ける。
「アリア様は、私が保護致します
貴方は下がって良いですよ?」
「なッ……俺はただ! この無能な奴を指導していただけで――」
「同じことを何度も言わせる貴方の方が、私にはよほど無能に見えますね」
笑顔のまま、一切の温もりを消した冷酷な声で言葉を遮る。
「――――下がれ、と言いましたが?
それとも、首と胴体が離れる方がお好みですか」
「ひッ……!?」
「アルヴェインの騎士が、帝国の『魔女』に対して無礼を働いたとなれば——国際問題にするのも容易いのですよ?」
テオの放つ圧倒的な威圧感と命の危険を感じ取り、騎士は悲鳴を上げて逃げ出していった。
無様に走り去る騎士の背中を見送ると、テオはアリアに向き直り、手を胸に当てて深々と一礼した。
「初めまして、アリア様
私はテオ・アルケミストと申します
ルクシア帝国第一中央騎士団の総司令を務めております
それから、私も魔女の騎士です」
テオの涼やかな声と重なるように、空から翼を羽ばたかせる小さな羽音が聞こえた。
(こいつ、城に入っていくの見たわ)
(白い髪の女と一緒にいたよ)
(背の高い皇子と仲良しな男だ)
頭上を旋回する鳥たちが、アリアだけに聞こえる声で次々とテオの情報を教えてくれる。
帝国の重要人物で、あの噂の『白髪の魔女』の側近と瞬時に状況を理解しながら、アリアは淑女としての完璧で優雅な一礼を返した。
「助けていただき、ありがとうございます
アルケミスト様
すでにご存じかとは思いますが、改めてご挨拶を……わたくしはアリアと申します
天気を言い当てるくらいしか能の無い、“無能”で“出来損ない”の魔女ですわ」
「おや、随分と謙虚なお方ですね
……私に届いた報告書には、“動物と意思疎通ができる珍しい魔女”と記されていたのですけれど?」
試すように目を細めるテオへ、アリアは困ったように小さく眉を下げてみせた。
「それは、あの騎士の嫌がらせですわ
私に虚偽の報告という罪を着せて処罰させようとしたのでしょう
私が消えれば、あの方の子守役(護衛)も終わりますもの」
「……では、動物とお話はできないのですか?」
「ええ、一人で寂しくて動物さんにお話しかけて遊んでいたことはございますけれど……
よくある子供の戯れですわ
それを大げさに言いふらされてしまっただけなのです」
アリアの返答に、テオの眼鏡の奥の瞳が可笑しそうに揺れた。
「ふふ、……今は、そういう事にしておきますね」
テオはそれ以上追及せず、懐から時計を取り出して時間を確認した。
エリオス様を探すつもりでしたが
一筋縄では見つからないでしょう
それよりも……この『魔女』を城へ連れ帰る方がいいですね
テオは決断すると、アリアへ向けて優しく手を差し伸べた。
「アリア様、あのような無礼な騎士に再び絡まれては大変です
よろしければ、私がお送りいたしましょう」
「まあ、ご丁寧にありがとうございます
ですが、お手を煩わせるわけには……」
「いえいえ、遠慮なさらず
これも魔女の騎士の務めですから」
「あら、私は貴方の魔女ではないのですが?」
「ふふ、魔女は全て帝国の力……守るのは義務ですよ」
互いに完璧な笑顔を張り付けながら、アリアとテオは静かに火花を散らした。
■□■□
エリオスを探しているはずなのに、ディアは街の景色に目を奪われるたび、なかなか先へ進めずにいた。
色とりどりの花や、店先に並ぶ工芸品を眺めながら歩いていると――
街道沿いにあるガラス工房の店頭で、ディアの視線がふと足元の小さなガラス細工へ吸い寄せられた。
「……これ、きれい」
日光を受けてキラキラと透き通る、小さな花の形をしたガラス細工にそっと指先で触れ、ディアは小さく呟いた。
「おっ、魔女の嬢ちゃん! 見る目があるなぁ!」
店奥から顔を出した気前の良さそうな店主へ、ディアは「いくら……?」と静かに尋ねた。
「そいつはちょっと傷が入っちまってるからな、銅貨1枚でいいぜ!」
店主の言葉に、レオンが少し怪訝そうに眉をひそめた。
「……傷物を売っているのですか?」
「ハハッ、傷物だってバカにすんなよ?
溶かして別の物に作り直したり、上から装飾を付け足したり、使い道は幾らでもあるのさ
まあ、普通なら廃棄するんだが……俺の師匠が『使える素材は最後まで使い切れ!』って教えでね
それに――どれだけ腕のいい一流の職人だって、全く同じ物は二度と作れねえからな」
店主は快活に笑うと、「まあ、銀貨3枚出してくれるなら、傷のない品もあるぞ?」と、ディアの前に形の綺麗なガラス細工を持ってきた。
ディアはふたつのガラス細工を見比べ、じっと見つめた。
そして、迷うことなく最初に手にした『傷物』のガラス細工を愛おしそうに握りしめると頷いた。
「ううん、これがいい」
レオンは少し困惑したようにディアを見つめ、優しく提案した。
「ディア様、あちらの傷のない品もデザインは同じですよ?
欲しいのでしたら、私が買って差し上げますが……」
「ううん、他のはダメ——これがいいの」
レオンの目から見れば、傷の有無以外に何の違いがあるのか分からなかった。
そのやり取りを後ろから静かに見ていたヴァルは、面倒そうに息を吐くと、懐から銅貨を1枚取り出して店主へ向かって投げつけた。
「……おい、行くぞ」
「へい毎度! ありがとよ、嬢ちゃん!」
店を離れ、賑やかな街道を再び歩き始めると、レオンは気になっていた疑問をディアへ投げかけた。
「ディア様、先ほどのガラス細工……一体、何が違ったのですか?」
「色」
「……色、ですか?
どちらも同じ透明な黄色に見えましたが……そんなに違いましたか?」
ディアは足を止めると、手のひらに乗せた小さなガラス細工を陽の光にかざした。
傷から差し込む光の屈折が、美しい黄のグラデーションを描いている。
ディアは愛おしそうにそれを眺めると、振り返ってレオンを真っ直ぐに見つめた。
「こっちの方が……レオンの瞳とおなじ色してるの」
「っ……」
思いがけないディアの言葉に、レオンは一瞬、息を呑んで言葉を失った。
「どうしたの?」
「……いえ、なんでもありません」
不意打ちのようなその温かな想いに触れ、レオンの胸の奥がぎゅっと熱く締め付けられた。
■□■□
「遅いわよ!!」
客間の扉を開けた瞬間、シーナの容赦ない怒鳴り声が部屋中に響き渡った。
テオは入り口で立ち止まると、ゆっくりと部屋の中の惨状を見渡して、静かに重い溜め息を落とした。
「――――全く
後処理が面倒なのですから、姿くらいは隠してください」
すでに部屋の中では、シーナがエリオスの目の前で堂々とフードを脱ぎ捨て、己の素顔を晒していた。
「消せばいいだけでしょ?」
「皇族を一人消すのに、どれだけ後処理が必要だと思っているんですか」
テオは深い溜め息を吐くと、エリオスの首元へ視線を向けた。
「……まずは、その物騒な氷を消してください」
ソファーに腰掛け、未だに呑気でにこやかな笑みを浮かべているエリオスの首元には、シーナの生み出した鋭く光る氷柱が、目と鼻の先でピタリと向けられていた。
一歩でも動けば喉笛を貫くような生々しい脅迫に、テオは再び呆れたように溜め息を吐く。
「……あの、テオ様、そちらの方は……?」
フィオナが、テオの隣に立っていた少女の存在に気づき、不思議そうに首を傾げた。
「アリア様です」
「誘拐しました?」
「誘拐したのね」
間髪入れずに揃った姉妹の発言に、テオは眼鏡のふちを指先で押し上げた。
「失礼ですね……“保護”したのですよ」
そう言うと、テオは首元に氷を突きつけられたままのエリオスへと視線を向け、手短に指示を出した。
「シーナ、フィオナはアリア様とお茶でもしてきてください」
■□■□
城からの伝令を受けたレオンが、客間の扉を開くと――そこには、呑気な笑みを浮かべてソファーに深く腰掛けるエリオスと、その横で完全に限界を迎えた顔をして佇むテオの姿があった。
「で、テオの好みのタイプ教えてよ」
「……」
「シーナちゃんとフィオナちゃんって双子ちゃんなんだねぇ
テオが二人の保護者してるの?
あんな可愛い子と一緒なんて羨ましいな」
「……」
テオはエリオスの軽薄な問いかけを完璧に無視すると、無言のままゆっくりとレオンの方へ歩み寄ってきた。
そして、レオンの肩にぽんと手を置くと、淡々とした声で告げた。
「久しぶりにご兄弟でお話しされたいことがおありですよね
私は席を外しますので
何かございましたらお呼びください
ごゆっくりどうぞ」
嵐のようにそれだけを一気に捲し立てると、テオは深々と一礼し、部屋を出て行ってしまった。
バタン、と静かに扉が閉まり、静まり返った客間。
気まずい沈黙が流れる中、最初に口を開いたのはエリオスだった。
「久しぶりだね、レオ……元気にしてた?」
笑いながら話しかけていたエリオスだったが――ふと、レオンの背後に隠れるようにして立っていた影に気づき、その瞳を大きく見開いた。
小さな少女が、レオンの後ろから顔を覗かせていた。
「私も、外で待ってるね」
レオンの背中にそっと手を添えながら、ディアは小さく呟いた。
「……申し訳ありません、ディア様」
レオンが目を伏せると、ディアは不思議そうに首を傾げた。
「なんで謝ってるの?」
「ディア様の騎士でありながら、私情に付き合わせてしまい、ご迷惑をおかけしてしまったので……」
「下僕が一匹いなくとも何も問題ないが?」
背後に佇んでいたヴァルディスが不機嫌そうに鼻を鳴らすと、レオンは苦笑いを浮かべた。
「……ヴァルディス様がご一緒であれば、確かに何の問題もないでしょうね」
ふたりのやり取りをソファーから見ていたエリオスは、驚きに一瞬言葉を詰まらせた。
あんなに柔らかく、愛おしそうに優しく笑うレオニスの姿を見ることになるなんて、思いもしなかった。
“ディア”と呼ばれたその少女が、レオニスにとってどれほど大切で特別な存在なのか、一目で理解できた。
部屋を出ていく間際、ディアはレオンの背後からそっと振り返ると、昨日フードを被せ直してくれた心優しい青年――エリオスに向かって、小さく丁寧に頭を下げた。
エリオスは目元を和らげると、小さな動作でそっと手を振り返してみせる。
バタン、と静かに扉が閉まり、今度こそ二人きりになった室内。
「……いい子じゃないか、レオの大切な人なんだろ?」
エリオスが柔らかく問いかけると、レオンは一瞬頬を朱に染めながらも、すぐに表情を引き締めると真剣な眼差しで兄を見つめ返した。
「エリオス兄上……真面目な話をしましょう」
「えぇー?昔みたいに『エリオス兄ちゃん』って呼んでくれないの?」
「……そのような呼び方は、幼少期から一度もしたことがありません」
「えー、いいじゃん! 一回くらい呼んでみてよ!」
相変わらず笑顔で茶化して逃げようとするエリオスに対し、レオンはひとつ大きく深呼吸をすると、重く静かな声で告げた。
「――――皇帝陛下が、崩御なされました」
その一言が落ちた瞬間、エリオスの貼りついたような笑みがピタリと止まった。
静まり返る室内に、刺すような沈黙が満ちる。
エリオスはしばらく無言のまま天を仰ぐと、小さく息を吐き出して「……そうか」とだけ低く呟いた。
「……帝国へ、戻って来てはいただけないでしょうか?」
言葉を絞り出すレオンに、エリオスはいつものどこか冷めた笑みを唇に浮かべ直した。
「ふふ、俺は戻らないよ」
「……ッ、何故ですか! 兄上なら、今の帝国の支えになってくださると――」
「アルベールがいるだろ
それにレオだって……俺みたいなのが居なくたって、もう立派にやっていけるじゃないか」
自分なんて最初から必要ないのだと、自虐混じりに切り捨てようとする姿。
しかし、引き下がるわけにはいかないレオンは、なおも強い眼差しで詰め寄った。
「ですがッ……!」
どこまでも真っ直ぐに自分を追いかけてくるレオンの瞳から逃れるように、エリオスはソファーの背もたれに深く体重をかけると、試すような軽薄な笑みを浮かべて、1つの提案を持ち出した。
「……ならさ
あの子――ディアちゃん、だっけ?」
「……ディア様が、何か」
「あの子を、一晩俺に貸してくれるなら……帝国に帰ってあげてもいいよ?」
「――――ッ!!」
その瞬間、静寂を切り裂くように激しい声が響いた。
「巫山戯るなッ!!」
レオンの全身から、抑えきれない怒りと殺気が爆発するように溢れ出す。
拳を固く握り締め、刃のように鋭い眼差しでエリオスを睨みつけるレオン。
だが、エリオスは笑みを浮かべ続けた。
自分を嫌え
期待するな
追いかけるのをやめろ
レオは1人でも立派に立てるだろ
これは、あまりにも最低で惨めな嘘だ。
「……前言撤回いたします……兄上は、何一つ変わっておられない」
低く冷え切った声を残すと、レオンは激しく扉を開け放ち、振り返ることもなく部屋を飛び出していった。
荒々しく扉が閉まり、再び訪れた一人きりの静寂。
エリオスは貼り付けていた笑みをゆっくりと消すと、ぽつりと呟いた。
「……これでいいんだよ、レオ」
暗い部屋の中に、誰にも届かない、小さなため息だけが虚しく溶けていった。
更新が遅くなってしまい、申し訳ありません。
今回は、アリアとテオの出会い、そしてレオンとエリオスのすれ違う想いを書きました。
少しずつ動き始めた物語を、楽しんでいただけたら嬉しいです。
引き続き、読んでいただけると幸いです!




