記憶の欠片【泥に咲く誇り】
帝国騎士団は、その役割に応じて七つの騎士団へと分けられている。
第一中央騎士団から第四騎士団までは皇都周辺に駐屯し、皇族の護衛や首都防衛を担う帝国の中枢戦力である。
第五騎士団は中央領全域を巡る遊撃部隊として機能し、大規模な災害や魔物災害が発生した際には真っ先に派遣される。
第六騎士団は各地方へ分散配置され、街や村の治安維持、巡察、行政補助などを担当していた。帝国民が最も目にする機会の多い騎士団でもある。
そして、第七外縁騎士団。
彼らだけは帝国の内側ではなく、その外側を守るために存在していた。
魔の森。
未開領域。
国境地帯。
人が住まぬ危険地帯を巡回し、魔物や外敵の侵入を未然に防ぐ。
その過酷さゆえに死亡率は全騎士団の中でも突出して高く、常に人員不足に悩まされていた。
そのため、問題を起こした騎士や、他の騎士団で扱いに困った者が送られることも少なくない。
♢♢♢♢
「騎士になったらッ!
モテると思ったんスよぉぉぉッ!!」
第七外縁騎士団の執務室。
レオンとセオドールが出ていって数週間。
静かだった室内に、カイル・アッシュの魂の叫びが虚しく響き渡っていた。
机に思いっきり突っ伏し、ワシャワシャと頭を抱え込むカイル。
そんな彼の背中に、残された騎士たちが哀れみの視線を向けた。
「……なぁカイル、お前いい加減に諦めろって」
「女が好きなのはイケメンで優しいレオンさんみたいな人だろ」
「いや、強くてカッコイイ、セオドール兄貴だろ?」
「そもそもお前のその『モテたい下心』が滲み出すぎてるから女子に引かれるんだよ」
騎士たちの言葉にカイルは叫ぶ。
「うるさいっす!!
騎士といえばですよ!?
華やかで! 淑女たちの憧れの的で!
手紙とかバンバン届くポジションじゃないんスか!?
なんで俺は毎日汗くさい野郎どもと泥にまみれてるんスか!?」
「ここが『第七外縁騎士団』だからだよ、華やかさとは一番無縁の辺境だ」
身も蓋もない同僚の突っ込みに、カイルは「ひどいっす……」と落ち込む。
だが、そんなカイルの胸ポケットには、ズッシリと重い革袋が収まっていた。
中身は――ジャリッ、と音を立てる大量の金貨。
去り際、魔の森の魔女——ディアから直接託された『重大な任務』の資金であった。
『あの、これで……魔獣さんたちのご飯……お願いしても……いい?』
頼まれた瞬間、カイルの全細胞が覚醒した。
魔獣は本来であれば、討伐対象だ。
世話をするなんて、聞いたことはない。
それでも、カイルの辞書に“女性の頼みを断る”という文字はない。
例えそれが、どれだけ凶暴で恐ろしい魔獣のご飯係だとしても、だ。
「よしッ! 俺はディアちゃんの期待に応える男になるッ!」
ガバッと起き上がったカイルは、胸ポケットの金貨をしっかりと握りしめた。
帰ってきた時に、金貨は返すつもりだが、あわよくば——上目遣いで『ありがとう』と微笑まれたい。
「……おいカイル、正気に戻れ」
「『魔獣のご飯』って、魔の森に行く気か?」
「終焉の魔女に弱みでも握られてるのかよ」
「うるせぇ!!
飯の準備だろうが何だろうが、男カイル・アッシュ、死んでもやり遂げてみせるっす!
これで俺の好感度は爆上がり……ディアちゃんから『カイルさん、大好き』って微笑んでもらえる未来が見えたっス!!」
騎士たちは呆れたように部屋を出ていくカイルの背を見送った。
♢♢♢♢
生まれた直後に親を亡くしたカイルを拾い、育ててくれたのは、街の片隅で体を売って生きる一人の娼婦の姉さんだった。
綺麗事など一つもない、汚濁に満ちた世界。
身体に幾重もの傷を刻まれ、どれだけ理不尽な泥を浴びせられても、その背中は決して曲げず、真っ直ぐに前を向いて生き抜いていた。
――幼いカイルにとって、その姿は世界で一番美しかった。
「おいガキ、突っ立っててんじゃねぇよ
アタシが汗水垂らしてここまで育ててやったんだからさ……大きくなったら死ぬほど稼いで、アタシに全額貢ぎな」
投げやりに、けれどどこか愛情の混じった声で、姉さんは煙草の煙をくゆらせて笑った。
カイルはそれに「当たり前っスよ!」と威勢よく笑い返していた。
だが、運命はいつだって残酷だった。
騎士団の入団試験を明日に控えた夜。
カイルの前に差し出されたのは、使い古された布きれに包まれた、わずかばかりの荷物が入った一つの袋だった。
「……姉さん?」
「荷物はそれだけだ……さっさと行きな
お前みたいなトロいガキを、いつまでも養ってやる義理なんてないんだからさ」
冷たく吐き捨てられ、カイルはそのまま家を追い出された。
「え!!ちょっと!?姉さん!!」
「うるせぇ、さっさと行けよ……バカ」
追い出された扉の向こう、閉ざされた板戸の向こうから微かに聞こえた震えた声――今思えば、あれは怒鳴り声ではなく、咳き込む声と、必死に声を殺した泣き声だったのかもしれない。
知っていた。
姉さんが、不治の病に侵されていたことを。
自分の命が長くないと知っていたからこそ、姉さんはわざと冷酷な言葉をぶつけ、カイルを外の世界へと送り出したのだろう。
自分のために生きるな。
自分の足で立ち、真っ直ぐに前を向いて生きていけ。
それが、姉さんなりの命がけの“巣立ち”だった。
勉強はできず、綺麗な剣術の型なんて教わっていなかったカイルにも、生きるための術だけは体に染み込んでいた。
飢えをしのぎ、荒野を駆け、野獣を撃ち抜いてきた“狩り”の経験。
カイルには、獣のわずかな気配を聞き分ける耳と、空間のわずかな隙間を見通すような視野と、『弓の才能』があった。
華やかな剣技で競い合う騎士団の試験会場において、カイルの戦い方は泥臭く、異質だった。
けれど、身一つで飛び込んだその世界で、カイルは誰よりも遠くの未来を見据えていた。
暗い夜空を見上げ、カイルは思い出す。
どんなに傷だらけになっても、病に蝕まれても、決して背中を丸めず、前を向いて生き抜いた——あの人の姿を。
「……ッ、よし!」
遠く離れた獲物の急所を、一寸の狂いもなく正確に射抜く。
音もなく、気配を殺し、ただ一撃で仕留めるその腕前は、誰もが認めていた。
「――見ててくれよ、姉さん!
俺は、俺のやり方で……この世界で一番になって
めっちゃ可愛い彼女を手にしてみせるっス!!」
不器用で、お調子者で、誰よりも真っ直ぐな弓を引く男。
カイル・アッシュの誇りは、あの日の泥のなかから——始まっていた。
♢♢♢♢
魔の森には、瘴気が深く立ち込めている。
カイルは重い足取りで歩を進めていた。
濃い霧が視界を遮り、じっとりと肌を這う。
相変わらず最悪な空気だった。
瘴気に当てられ、胃のあたりが重く沈んでいくのが自分でも分かった。
ピリピリと肌を刺すような痛みが走り、頭の奥でキーンと耳鳴りが始まる。
長居したくない場所ではあったが、引き返すわけにはいかなかった。
「こんな場所に、ディアちゃんを独りにしておくなんてッ…」
荒れる息を整えながら、カイルの脳裏には自然と世間の噂や、忌み嫌われる者たちの姿が過っていく。
終焉の魔女が、誰からも好かれていないことなんて嫌でも理解していた。
本来、“魔女”という存在は国を守るべき宝であり、敬われるべきはずなのに――現実は冷酷だった。
「……クソ喰らえだ」
カイルは吐き捨てるように悪態をついた。
世間の連中がどう言おうと、綺麗事ばかり並べ立てようと、知ったことじゃない。
魔女だろうが
なんだろうが
女の子は可愛い
理屈なんていらない。
女の子が理不尽に傷つけられたり、一人でこんな危険な場所に追いやられたりするのは、男として見ていられなかった。
肩で息をしながら、カイルは持ってきた肉の塊を地面に降ろす。
そして、目の前にうずくまる影へと警戒しながら視線を移した。
「……大人しい魔獣だな」
牙を剥き、荒々しく襲いかかってくる狂暴な生き物だと身構えていた。
確かに、見た目はどうひいき目に見ても可愛いとは言い難い。
不格好で、いかにも物騒な外見をしている。
けれど、不思議と敵意は感じられなかった。
「ほらよ、腹減ってんだろ?
いっぱい食って、ディアちゃんに“カイルはいい男”だって伝えてくれよな!」
♢♢♢♢
帝国内では密かに“騎士の墓場”と呼ばれ、第七外縁騎士団を落ちこぼれの集まりだと嘲る者もいる。
だが、それは外縁を知らぬ者の評価に過ぎない。
魔の森の魔物。
国境を越えて現れる脅威。
人の住まぬ危険地帯での長期任務。
外縁で生き残るためには、剣の腕だけでは足りない。
判断力、忍耐力、そして仲間を信じる力。
それら全てを兼ね備えた優秀な騎士でなければ、第七で長く生きることはできない。
ゆえに、第七外縁騎士団には奇人や問題児こそ多いものの、実力だけは誰もが認めていた。




