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紅き瞳は夜に溶ける  作者: かな
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25章【道化の皇子と小さな魔女~忘れられない音~】



いつからだろう


誰かの体温が無ければ、まともに安眠できなくなったのは。

冷たいベッドの中で、独りで眠ることができなくなってしまったのは。


隣に横たわる女の体温を感じながら、浅い眠りを何度も繰り返す。

やがて薄暗い部屋に静かに日が昇ってきたのを確認すると、エリオスは小さく重い溜め息を零した。



ルクシア帝国第二皇子――それが、エリオスに与えられた名目上の肩書だった。


第三皇妃の息子としてこの世に生を受けた。

なりふり構わず色目を使って皇帝に取り入ろうとする母親の姿は、今も脳裏に焼き付いて消えない。


幼いエリオスにだって理解できていた。

皇帝が愛しているのは、第二皇妃だ。


第一皇妃の息子であるアルベール兄上はあまりにも優秀で、その才覚の差は誰の目から見ても明らかだった。

そして第二皇妃に待望の息子――レオニスが生まれた時、エリオスは己の立場の危うさから目を背けられなくなった。



アルベールやレオニスに万が一のことがあった時の『保険』として、生かされているに過ぎない



自分の存在価値すら見出せないまま、母親のなりふり構わぬ執着のせいで、周囲の大人たちからは『醜女の子』と陰口を叩かれ続けた。

どれほど優しく振る舞おうとしても、すべてを否定される日々。



――そして、あの日。



「最後くらい……私だけを見てくださいませ」



あの耳障りで痛々しい母親の最後の言葉は、今でも鮮明に思い出せる。



どれだけすがりついて呼び止めようとも、皇帝は一度たりとも振り返ろうとはしなかった。

その冷たい背中に向かって、第三皇妃は狂気を含んだ笑みを浮かべながら告げたのだ。



「愛されないのなら……せめて、貴方の記憶に一生残る女になりましょう」



次の瞬間、ギラリと光る短剣が彼女の白く細い首筋へと当てられた。


刺すような沈黙を切り裂き、そのまま自ら喉を深く切り裂いた母親。

皇帝の目の前で、鮮血が噴き出すそのあまりにも惨烈な光景を――幼いエリオスは、すべて見てしまった。


第二皇妃がこの世を去った後も、皇帝が第三皇妃の元を尋ねることは一度としてなかった。

城内にただ居場所を与えられていただけでも、少しは恵まれていたのかもしれない。けれど、母親がそれで満足できるはずもなかったのだ。



『女は、男に愛されるためなら命まで捨てるのか』


――愛なんて、醜いものだ。


血溜まりの中で冷たくなっていった母親の体に触れても、エリオスは涙ひとつ流すことができなかった。



■□■□


「……逃げたんじゃないの?」


朝食を終え、客間でいつ戻るとも知れないエリオスの帰りを待っていると、シーナは呆れ返ったように吐き捨てた。


「帰って来ないじゃない」


「姉様……もう少し待ってみてもいいのでは……」


フィオナの宥めるような言葉を遮るように、シーナは「じっとしてるなんて時間の無駄だわ」と立ち上がった。


そんな二人の様子を見ていたテオは、胸元からずっしりと重みのある革袋を取り出すと、そっとフィオナの手の上に差し出した。


「暇潰しに街の散歩をしてきていいですよ

ただし、必ず二人で行動してくださいね」


「あの……テオ様はご一緒されないのですか?」


「私が一緒に行ったところで、シーナは私の言うことなど聞かないでしょう?

ここは帝国より治安が良い国ですから問題ありません

……私はこれから、エリオス様を探しに行って参りますので」


その会話を横で聞いていたセオドールが、「おい!」と声を上げた。


「お前は魔女の騎士だろ!? そんな簡単に側を離れていいのかよ!?」


「私が居なくても何の問題もありませんよ

……それよりも今は、エリオス様の行方の方が気がかりですので」


「なら、俺が代わりに護衛についてやるぜ」


「はぁ? 要らないわよ」


拒絶するシーナに、セオドールは笑いながら身を乗り出す。


「そう遠慮するなよ」


「遠慮じゃなくて嫌だって言ってんのよ!」


「おい、そんなこと言うな――」


「迷惑だって言ってんのよ、行くわよ!フィオナ」


シーナはフィオナの手を強引に掴むと、セオドールを無視して部屋を飛び出して行ってしまった。

慌てて後を追おうとしたセオドールだったが、その肩をテオが片手で制する。


「セオドール様はここに残り、エリオス様が戻られた時の対応をお願いします」


「……は? なんで俺が留守番なんだよ?

俺も探すの協力するぜ!」


「お気持ちは嬉しいのですが、セオドール様はエリオス様の顔をご存じないでしょう?

それに……もし本人が戻ってきた際、逃げ出さないようにする人が必要です」


「いや、なんでそこまで逃げるって決めつけるんだよ?」


不満そうに溢すセオドールの問いに、テオは微笑んだ。


「皇族にもいろいろと事情があるのですよ」


そう言い残し、テオも部屋を後にしていった。



アルヴェイン王国には、帝国から正式な使者を出していない。

皇帝崩御の報せは、未だ帝国外へ伝えられていなかった。


残されたレオンは、静かにディアへ視線を向ける。


「ディア様は、どうなさいますか?」


「……どうって?」


「このまま城でお休みになられても、街へ出られても構いませんが」


レオンの問いかけに、ディアはふと、昨日出会ったあの美しく優しい青年の顔を思い出していた。


「……レオンはどうするの?」


「ディア様に許可を頂けるのであれば、エリオス兄上を探しに行きたいのですが

ヴァルディス様が居れば、私が傍を離れても問題ないでしょうし」


「……私も探すの手伝っていい?」


上目遣いに尋ねるディアの言葉に、レオンの表情がふっと柔らかく緩んだ。


「はい、ありがとうございます」


(ディアも一緒!!)


レオンは、影から飛び出してきたクロの首を掴むと、言い聞かせるように告げた。


「クロ、この国でも“魔獣”だと騒がれれば処分されるからな」


(うるさい!!離せ!!バカ!!!)


「こらッ、暴れるな!!」


レオンとクロの姿を見ながら、ディアは小さく笑う。


「仲良しだ」


「仲良くないです」

(よくない!!)


■□■□


朝から活気と喧騒に包まれた酒場の一角で、賭け事に興じているテーブルがあった。

あと一歩で勝負が決まり、完全に破産するところまで追い詰められていた男の肩へ、青年はポンッと優しく手を置いた。


「お兄さん、俺と席代わって?」


「……え、あの……」


「大丈夫、代わりに勝たせてあげるからさ」


誰がどう見ても負けが確定している盤面だというのに、青年は爽やかな笑顔を向けた。

対面の男は嘲笑を浮かべながら肩をすくめる。


「俺は構わねえぜ?」


「ほら、相手のお兄さんも良いって言ってるし!」


半ば強引に男から席を奪い取ると、青年はテーブルに置かれていたカードをすっと引いた。


「……あんた、アイツの知り合いじゃないだろ?

なんで見ず知らずの奴のために首を突っ込んだんだ」


「んー、なんとなくイイコトしたくなったから?」


適当すぎる青年の答えに、男は爆笑した。隣にいた仲間たちもつられてゲラゲラと下品に笑い転げる。


――そんな一瞬の隙を突いて、青年は静かにカードを滑らせた。



「――――俺の勝ち」



青年がテーブルの上に手札を投げ打つと、その場の空気が凍りついた。

あり得ない逆転劇に「イカサマだろ!?」と男たちが怒鳴り散らして立ち上がるが、青年はピクリとも表情を変えずに涼しい顔で答えた。


「ただ、運が良かっただけさ」


騒ぐ男たちを軽やかにいなしながら、青年は先ほどまで青ざめていた男の耳元へ忍び寄り、低く囁いた。


「外で君の彼女が泣きそうな顔で待ってるよ?

ここは俺が上手くやるから、早く行ってあげな」


弾かれたように店を飛び出していく男の背中を見送ると、青年は「マスター、このテーブルの奴ら全員に冷えたビール頂戴!」とカウンターに向かって叫んだ。



「一杯奢るからさ、ついでにちょっと面白い話を聞かせてよ」


「あはは! あんた面白い兄ちゃんだな! お名前は?」


「俺? ロイ、しがない道楽者だよ」


ロイと名乗った青年は、微笑みを浮かべて席に座り直した。


「そういえばさ、昨日この街に“魔女”が来たって噂、知ってる?」


「あぁ! 白い髪に赤い目をした魔女が出たって噂だろ?」


「そうそう!もし戦争でも始まるなら今のうちにこの国から逃げ出そうと思ってさ」


「ハハ、心配いらねえよ!

なんでも帝国の皇子様を迎えに来ただけらしいぜ」


「へぇ? 遊び人の皇子様を連れ戻すなんて、帝国で何か大きな動きでもあったのかな?」


「詳しくは知らんが……向かいの店の店主からそう聞いたぞ」



必要な情報を手に入れると、ロイは一気にビールを飲み干し、銀貨を数枚テーブルの上に置いた。


「ごちそうさま、これで酒のつまみでも頼みなよ」


席を立ち、去り際に男たちの耳元でそっと、一切の冗談を感じさせない冷ややかな声で囁いた。



「あ、それから――次も同じイカサマ仕掛けたら、騎士団に突き出すからね?」


■□■□


外から規則正しく聞こえてくる素振りの音に、セドリックは窓の外へと視線を向けた。


中庭で一心不乱に剣を振っている男の姿が見える。


「……あれは確か、レオニス殿下の護衛だったな」


部下からの報告では、レオンたちは街へエリオスを探しに向かったと聞いていたはずだった。


「……護衛を城に置いて行ったのか?」


気になったセドリックは、手元の書類を机に仕舞い込むと自室を後にした。


中庭へと下り、汗を流す男へ声をかける。


「レオニス殿下のお側に居なくても良いのかい?」


話しかけられたセオドールはピタリと動きを止め、剣を鞘へと納めると丁寧にお辞儀をした。


「……置いて行かれてムカついたので、気を静めるために鍛錬をしております」


どこか固く不自然な言葉遣いに、セドリックは小さく苦笑した。


「レオニス殿下に『他国の王族に無礼な言葉遣いをするな』とでも言われたのかな?

僕は全く気にしないから、普段通りで構わないよ」


セドリックの言葉に、セオドールの表情が一瞬で明るくなる。


「っ、ありがとな! 助かるぜ!」


数秒と待たず笑顔を向けてくる様子に、セドリックは、目の前の男がどこまでも素直な人間なのだと理解した。


「それにしても……どうして君たちは急にエリオスを連れ戻しに来たんだい?」


「ん? 俺はレオが『兄上に会いたい』って言うから付き添ってるだけだぜ」


「今まで一度も会いに来なかったのに?

……帝国で何か大きな問題でも起きたのかな」



利口なレオンや側近のテオに尋ねるよりも、このまっすぐな男から話を聞いた方が、本音を引き出せるのではないか。


そう考えたセドリックだったが、返ってきた答えは、拍子抜けするほど単純だった。



「兄貴に会いたいと思うのなんて、普通のことだろ?」


「……」


「家族なんだからさ

会って話したいと思うのに、特別な理由なんて要らねぇよ」


セオドールのあまりにも迷いのない言葉に、セドリックは思わず声を上げて吹き出してしまった。


「あはは、そうだね

君の言う通りだ……話し合いは、とても大切なことだね」


複雑な思惑ばかりを巡らせていた自分を可笑しく思いながら、セドリックはセオドールのあたたかな素直さに、静かに目を細めた。



エリオス


ごめんね


今回は、逃がしてあげられそうにない



■□■□



店内に美しく飾られているオルゴールへ手を伸ばすと、カウンターに立つ店主の顔つきが途端に険しくなった。


壊すなと言いたいのか、金など持っていないと思われているのか……あるいは、魔女だから蔑まれているのか。


「ねぇ、他にはないの?」


けれどシーナは周囲の冷ややかな視線など一切気にする素振りも見せず、堂々と店主へ話しかけた。


「全体に綺麗な花の装飾が施されていて

蓋を開けると、二人の女の子の人形が仲良く回る仕掛けになっているやつ」


シーナの具体的な説明を聞いて、フィオナはハッと息をのんだ。

それは昔、自分たちの母親が何よりも大切にしていたオルゴールだ。


家ごと焼かれ、跡形もなく消えてしまった思い出の品。

けれど、あの優しく透き通った音色だけは、今でも耳の奥にしっかりと残っている。


フィオナはそっと瞳を閉じると、思い出を手繰り寄せるように小さな声でその旋律を口ずさんだ。

すると――さっきまで険しい顔をしていた店主の顔色が、明らかに変わった。


「あんた……その曲、どこで聞いた?」


「えっ……あ、あの……お母さんが、昔よく好きで歌ってくれた曲で……」


フィオナが気押されながらも答えると、店主は一転して目元を柔らかく崩し、どこか懐かしむように遠い目をして言葉を紡いだ。


「そうか……昔な、うちにいやがった出来損ないの弟子が作った物があってな

歯車の重なりが悪くてすぐに狂う、売り物にもならんガラクタだった

彫刻の装飾だって下手くそでなぁ

……だが、曲を作る才能だけは本物だった」


「じゃあ、そのオルゴール、ここにあるの!?」


身を乗り出すシーナに、店主は静かに首を横に振った。


「ここにはもうない……だが、時間を貰えるなら、俺が似たものは作ってやれる」


店主の温かな言葉に、シーナとフィオナは顔を見合わせると、溢れる歓喜を抑えきれないように深々と頭を下げた。


「「お願いします……!!」」


店を出ると、フィオナはどこか気懸かりそうにぽつりと呟いた。


「エリオス様が見つかれば……テオ様、少しはお休みになれますでしょうか?」


帝都の戦いで重傷を負って以来、テオがまともに休んでいる姿を見たことがなかった。

最低限の睡眠は取っているものの、常に何かしらの仕事で動き回っている。この旅も、怪我人は帝都に置いていくべきだった。


「……まあ、お茶を飲むくらいの時間は作ってあげようかしら」


シーナは小さく息を吐き出すと、フィオナの耳元へ忍び寄り、静かに作戦を告げた。


二人が少し広い大通りへと差し掛かった、その時だった。

突然、フィオナが苦しそうに膝をつき、そのまま地面へと倒れ込んだのだ。


「ねぇ!? ちょっと、どうしたの!?」


シーナが街中に届くような大声で悲鳴を上げると、周囲の歩行者たちが一斉に足を止め、辺りがざわざわと波立ち始めた。


だが――手を差し伸べようと近づいてくる者は誰ひとりとしていない。



『いい? 大通りに出たら倒れて……フィオナは絶対に声を出してはダメよ』


『大丈夫、あの“2番目”はお人好しだから……上手くいけば絶対に引っかかるわ』



フィオナは姉の言いつけを忠実に守り、地面に倒れ伏したまま息を潜めてじっと耐えていた。



シーナの痛々しい悲鳴が大通りに響き渡る中。

ざわめく人混みを押し分けて、こちらへ向かってくる力強い足音がひとつだけ聞こえた。



「大丈夫かい!? 騎士たちとはぐれちゃったのか!?」



駆け寄ってきたのは、少々身なりの汚れた平凡な町人の男だった。

だが、シーナはうつむいたまま、ゆっくりと口元を釣り上げた。


どれほど服を汚して変装しようとも、差し出されたその手は――あまりにも滑らかで美しかった。

荒れることも、泥に塗れることも、戦傷もない……大切に育てられた高貴な指先。



「ふふ、やっぱり……お人好しね」


凛とした冷たい声が大通りに響き渡った。


その瞬間、男の足元から一気に冷気が吹き荒れ、その両足が瞬く間に氷漬けにされた。


「――――つかまえた」


25章、最後まで読んでくださってありがとうございます!


エリオスとレオンのお話も少しずつ動いていきます。

それぞれが抱えている想いが、ちゃんと届いていくのか。

次章も楽しんでいただけたら嬉しいです。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

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