23章【罪を背負う魔女と誓いの騎士~守りたい人のために~】
「ありがとう、助かったよ」
救護所で治療の手伝いをしていると、行き交う人々から何度も感謝の言葉をかけられる。けれど、エミリアは一度も笑うことができなかった。
手元に置かれたアルベールの手記を見つめ、静かに息を吐き出す。
「……これで、終わるはずなんてないですよね」
■□■□
執務室へと足を踏み入れたエミリアは、レオンの前へと歩み寄ると、一冊の資料を静かに差し出した。
「これは?」
「アルベールが残していた実験記録です」
レオンがページをめくる。
そこには帝都だけでなく、各地の村や教会、捨てられた廃鉱山に至るまで、精霊や人々を使った惨烈な実験が行われていた記録が残されていた。
「……こんなに、広範囲に……か……」
帝都の混乱はいまだ収まっていない。
各地へ騎士団を派遣して調査や救護に向かわせようにも、今の帝国には圧倒的に人員も時間も足りていなかった。
「レオニス様」
エミリアは逃げることなく、真っ直ぐにレオンの瞳を見つめた。
「私に、行かせてください
各地を巡り、調査と救助を行います」
レオンは静かに目を閉じた。
エミリアの持つ力、そしてその優秀さは重々理解している。協力してくれるというのであれば、国として喉から手が出るほど助かるのも事実だった。
だが――。
「危険だ」
「分かっています」
懸念を示すレオンに対し、エミリアは一歩も引かない。
「……罪の、償いのつもりか?」
すべてを見透かしたようなレオンの言葉に、胸の奥を鋭い刃で刺されたような痛みが走った。
「そうですね」
あの日の血の温もりは、今も手から離れない。
これから先も、消えることはない。
守るために、救うために、私は多くの魔女を——殺した。
「恨まれても仕方の無い事をしました」
魔女である以上、“自由”は存在しない。
自嘲気味に呟くエミリアに、レオンの眉間にしわが寄る。
レオンに向かって、エミリアは静かに語りかけた。
「レオニス様……簡単な決断ですよ?
“魔女殺し”は本来、重罪でしょう?
ならば罪人である私の力を、有効活用すべきではありませんか?」
本当に……優しくて、馬鹿な人だと思う。
罪人である自分にさえ、こうして本気で“心配”の眼差しを向けてくれている。だからこそ、エミリアの決意は揺らぎなかった。
「私が今、一番必要とされている場所は……この帝都ではありません」
しばらく重苦しい沈黙が部屋を支配した。
やがて、レオンは静かに口を開く。
「帝都に残っても――お前の力は、十分に人の役に立つ」
引き留めようとするその言葉に、エミリアは小さく首を振った。
「……もっと国のためになる、使い道があるはずです
どれだけ足掻いたところで、私が犯した罪を消すことはできません
……でも、生きて償うことならできます」
レオンは深く息を吐き出し、黙ったまま資料へと目を落とした。
「――私は、誰かのために生きて、死にたいんです」
その言葉に込められた決死の覚悟を感じ取り、レオンは……やがてゆっくりと、小さく頷いた。
「……分かった」
その許しを得て、エミリアの口元に、ようやく安堵の笑みが零れ落ちた。
「……ありがとうございます、レオニス様」
■□■□
ディア達を応接室に集めると、レオンは口を開いた。
「エミリア様には、帝国内の調査を任せることにしました」
レオンからの説明に、ディアは少し驚いた表情を見せる。
「……ひとりで行かせるの?」
「安心してください、一人で行かせるつもりはありません
護衛を同行させます」
その言葉に、ディアはどこか寂しそうに、けれど温かく笑った。
「入れ」
レオンは応接室の扉へ視線を向け、外で待機していた騎士へ声をかけた――その瞬間。
――ドゴッ!!
鈍い衝撃音と共に、扉が勢いよく開け放たれた。
「失礼いたします!!」
凄まじい気迫に、部屋にいた全員の視線が一瞬で集まる。
そこに立っていたのは、倒れた男性騎士の足首を掴み、床を引きずりながら堂々と踏み込んできた、一人の女性騎士だった。
「…………」
静まり返る応接室。
レオンは深く溜め息をつき、痛むように額を押さえた。
「……アイリス、何をしている」
女性騎士――アイリスは、身構えることもなく男性騎士をレオンの前へ放り投げた。
「こちらが護衛候補と聞きましたので、連れて参りました!
それで、確認なのですが……コレとエミリア様の二人きりで旅をさせるおつもりですか?
万が一、間違いがあったらどうするのですか?」
床に転がされた男性騎士が慌てて起き上がる。
「い、いや! 俺は何も――」
「黙ってください」
アイリスの氷のように冷たい睨みを喰らい、男性騎士は速やかに口を閉ざした。
その光景にアイリスは満足そうに頷くと、レオンへ向き直って胸を張る。
「このような野蛮な男より、私の方が適任です!
どうか、エミリア様の護衛は私にお任せください!」
「……」
「私ならエミリア様のお着替えも完璧に護衛できます!
寝室にも入れます!
女性同士ですので何の問題もありません!!」
勢いよく言い切ると、彼女はその場にビシッと膝をついた。
「どうか私を、エミリア様の護衛に任命してください」
レオンはしばらく無言のまま、アイリスを観察し、やがて、静かに問いかける。
「……理由は?」
その問いに、アイリスは一切の迷いなく答えた。
「エミリア様が大好きだからです!」
思わぬ言葉に、エミリアが目を丸くする。
アイリスは真っ直ぐに、愛おしそうにエミリアを見つめた。
エミリア様は覚えてはいないだろう
孤児の子供に膝をついて、放っておいても治る怪我を優しく微笑んで治してくれたことなんて
それでもいい
私はただ
あの日いただいた優しさを、一生をかけてお返ししたいだけなのだから
「……私にそんな価値はありませんよ?」
エミリアは困ったように首を傾げ、申し訳なさそうに身を縮めた。
その反応に、アイリスはどこか誇らしげに、優しく微笑む。
「エミリア様がご自身を嫌っていたとしても
私はエミリア様が好きです
——どうか、私に貴女と共に歩むことを許してはいただけませんか?」
部屋が静かで、どこか温かな空気に包まれる。
その様子を観察していたテオは、口元に小さな笑みを浮かべた。
「適任ですね」
レオンもまた、諦めたように、けれど確かに信頼を込めてゆっくりと頷いた。
「アイリス・ヴァレンティア」
「はい!」
「エミリアの護衛を命ずる」
「――はっ!」
力強い返事が、応接室の中に凛と響き渡った。
「ちょっと待って下さい、何を勝手に……」
アイリスは、困惑するエミリアの手を掴むと、満面の笑みで部屋を出て行ってしまう。
残された男性騎士に、レオンは「任せたいことがあるのだが」と仕事を与えている。
「……知らない奴みたいだ」
遠ざかる賑やかな気配と、淡々と指示を出すレオンの背中。
その様子をじっと見つめていたセオドールは、重く冷たい感覚と共に、無意識に呟いた。
■□■□
初めて会った時、整った容姿に目を奪われた。
どこかの貴族が騎士に志願してきたのだと、最初はそう思っていた。
実技も筆記も常にトップを取り続け、よく思わない連中に嫌がらせをされても、何事もなかったかのような顔で受け流していた。
当たり障りのない態度で、決して本心を見せないよう一定の距離を保ちながら。
共に過ごした時間は、決して短いものではなかった。
殴り合いの喧嘩をしたことだってある。
お互いに背中を預け合える、確かな仲だと思っていた。
けれど――。
声も、姿も、全て同じなのに。目の前にいる『男』のことが、急に分からなくなった。
テオはあいつの全部を知っていて、俺なんかよりもよほど信頼できる相手なのだろう。
何も言わずに、また――俺を置いていくつもりなのか?
……そんなこと、絶対に許したくない
「テオ、お腹空いたから……フィオナちゃんとシーナちゃんと甘い物食べに行きたいな」
ディアが声をかけると、テオは微笑んで頷き、セオドールの方へと視線を向けた。
「セオドール様は、レオニス様の護衛のためこちらに残ってください」
「おいっ、テオ……!」
セオドールが引き留める暇もなく、部屋にはセオドールとレオンの二人だけが取り残される。
セオドールは一呼吸置くと静かに声を上げた。
「なぁ、レオ……少し付き合えよ」
「……ああ」
二人で向かったのは中庭だった。
セオドールは、木剣を二本持ち出し、一本をレオンへと放り投げる。
「お前、どこで拾ってきた」
「使い終わったら返す、問題ない
……それよりも、書類仕事ばかりで身体が鈍ってるだろ?
——相手してやるよ」
不器用な自覚はある。
話し合いなんて、上手くできる器用さはない。
――ガンッ! カンッ!!
静かな空間に、木剣のぶつかり合う鈍い音が激しく響き渡る。
「ッ、で……俺に何か言うことあんだろ!?」
「…………すまない」
「誰が謝罪を聞きてぇって言った!?」
「……ッ!」
「お前は――“誰”だ」
セオドールの鋭い問いかけに、一瞬レオンの手が止まった。
そのわずかな隙をセオドールは見逃さず、力任せに木剣を弾き飛ばす。
――ルクシア帝国第3皇子『レオニス・ルクシア』
――第七外縁騎士団『レオン・セリウス』
弾き飛ばされた木剣の代わりに、セオドールの刃がレオンの喉元へと突きつけられた。
だがレオンは怯むことなく、真っ直ぐにセオドールの瞳を見つめ返し、はっきりと声を張った。
「オレは――ディア様の騎士だ」
「……ふっ、あはは!
そうだよなぁ……お前は素直で可愛い奴だったよ」
緊張の糸が切れ、セオドールは木剣を下ろすと、レオンの頭を乱雑にワシャワシャと撫で回した。
「おい、やめろ……!」
「第七外縁騎士団の奴らもさ、お前が皇子様だろうがなんだろうが関係ねぇ
——変わるわけないだろ」
「……変わるだろ
少なくとも、仲間に嘘をつくような奴を許すお人好しなんていない
命を預け合う現場で、信頼は僅かな亀裂で簡単に崩れ去るんだ」
自分を卑下するように俯くレオンに、セオドールは呆れたように鼻で笑った。
「体調が悪い仲間の代わりに嫌な仕事を受けたのは誰だ?
誰もやりたがらない雑務を率先して動いたのは誰だ?
……アイツらを見くびるな
俺は誰よりも近くでお前を見てきたんだ
レオがどれだけ偉い皇子様だとしても、今さら付き合い方を変えるつもりはねぇよ」
「……セオドール」
「ただ! 俺よりもテオを信頼して隠し事をしてたことも、綺麗な許嫁がいたことも、何一つ話してくれなかったことには死ぬほど腹が立っている!」
セオドールは笑うと、レオンの肩をドシッと叩いた。
「だから――美味い飯を奢れ」
「……は?」
「一緒に美味い飯食いながら、全部話せ……奢りなら許してやる」
「……そんなことでいいのか?」
呆れつつもどこか安堵したように口元を緩めるレオンに、セオドールが満足そうに笑った――その時だった。
「お話し終わった?」
木陰から顔を出したのは、両手に小さな焼き菓子の袋を抱えたディアだった。
気を利かせてくれた事は知っていた。
話せる時間を作ってくれた。
これは、小さな少女の優しさだとわかった。
心配して戻ってきたのだろう、とセオドールの目元が自然と和らぐ。
「助かった、ありがとな」
セオドールは笑いながら、ディアの頭を撫でようと無造作に腕を伸ばした。
――その瞬間。
パシッ。
「……え?」
セオドールの手がディアに触れる直前、横から伸びてきたレオンの手首によって、ガシッと腕を遮られた。
「……?」
制止されたセオドールだけでなく、阻止したはずのレオン自身も「あれ?」というように目を丸くしている。
自分の意思というよりは、身体が勝手に動いたような……そんな無意識の拒絶だった。
自分の手を見つめ、不思議そうに首を傾げるレオンを見ていたセオドールは、思わず口元が緩んだ。
ディアがどれほど特別で、譲れない存在なのかが痛いほど伝わってきたからだ。
重い立場を背負い、自分の感情すら押し殺して生きようとする不器用な奴だ。
けれど、こうして大切なもののためには無自覚に必死になってしまう。
本当に……手のかかる奴だ
セオドールは、レオンの手を払い除け、声を上げた。
「よし!ディアも一緒に、レオンの奢りで美味いもん食いに行くか!」
「おい、何度も言わせるな
ディア様だ
馴れ馴れしい呼び方はやめろ
騎士としての誠意を見せろ」
「ディアが気にしてないなら、問題無いだろ?」
「そう言う話じゃないだろ」
「なら、レオも“ディア”って呼べばいいだろ」
「っ!?」
皇子としての重圧も、背負った秘密も、自分には代わってやることはできない。
だが、こうして不器用に傷つきながら進もうとする友の隣に立ち、その背中を支えることくらいはできるはずだ。
「なぁ、ディアも“様”より、呼び捨ての方がいいだろ?」
「レオンが呼びやすいなら、なんでもいいよ?」
困惑するレオンを置いて、セオドールはディアと共に歩き出す。
レオンは小さく息を吐くと、二人の後を追いかけた。
■□■□
エミリアは、自分を見つめるアイリスへ諭すように静かに語りかけた。
「私は“罪人”ですよ?
貴女が誇りをかけて守るような価値はありません
……もし“魔女の騎士”になりたいのでしたら、他の方を紹介して差し上げます」
この国において“魔女の騎士”という存在がどれほど特別で名誉あるものか理解しているからこそ、エミリアはアイリスの持つ才能と未来を無駄にしてはいけないと感じていた。
女性騎士自体は存在するが、戦力として前線に立てるほどの実力者はほんの一握りだ。
レオンが彼女に護衛を任せると判断した以上、アイリスには相応の力があるのだと分かっていた。
「何故……そこまで私を慕ってくださるのですか?
……貴女には、もっと相応しい仕えるべき人がいるはずです」
「……」
「それに、私はどこへも逃げたりしませんから……“監視役”は必要ありません」
諭すような言葉を聞いていたアイリスは、静かにエミリアの前へと膝をつくと、その華奢な手を取った。
そして、そっとその手を両手で包み込んだ。
「エミリア様
私は……“魔女の騎士”ではなく、エミリア様の騎士になりたいのです」
「……っ」
「私はあの日、エミリア様に救われました
……これは、私の我儘な恩返しだとでも思ってください
すぐに私を信用するのが難しいことは承知しております
ですが――私は、エミリア様の笑顔を曇らせるような不届き者は、全てこの手でなぎ倒してみせます」
真摯な眼差しに射抜かれ、エミリアは動揺を隠せない。
「……私に、救われた……?」
「はい、救われました」
「……でも、私に誰かを救う力なんて……っ」
「エミリア様に救われたから、今私はここにいるのです」
孤児は、どこへ行っても忌み嫌われる存在だ。
手厚く保護される恵まれた場所もあるのだろうが、アイリスが生まれ育ったのはゴミ溜めのような劣悪な環境だった。
泥水を啜り、捨てられた腐った飯を拾い、生き延びるために盗みだって働いた。
ある日、運悪く盗みがバレて、死ぬほど殴られた。
命を取られなかっただけマシだと、当時はそう思った。
『――傷ついているのですか?』
血の混じった唾を吐き捨てて地面を見つめていると、視界に美しい白いドレスの裾が入り込んだ。
泥と埃で汚れた地面だというのに、その白い服の少女は躊躇いもなく膝をついたのだ。
驚いて顔を上げると――腫れ上がった頬に、柔らかく温かな手が優しく触れ、包み込むような光が身体を巡った。
『――もう、痛くありませんか?』
教会の者が稀に奉仕活動として貧民街を訪れることは知っていた。
だが、薄汚れた孤児に嫌悪感も見せず、心から慈しむような微笑みを浮かべて治療をしてくれた者など、ただの一人もいなかったのだ。
『貴方、身体を鍛えればとても良い騎士になれそうですね
……少なくとも騎士になれれば、衣食住に困ることはありません
下を向いて今日の終わりを待つより、前を向いて生きる方が……きっと楽しいですよ』
その瞳に自分の惨めな姿が映った瞬間、「この人は私を“人間”として見てくれたのだ」と、名前のつかない感情が胸から溢れ出した。
蔑みの目でも、哀れみの目でもない、ただどこまでも優しく澄んだ瞳。
「――エミリア様
どうか、このアイリス・ヴァレンティアを貴女の騎士にしてください」
決して引き下がらない強い意志が伝わり、エミリアは困惑しながらも、小さく首を縦に振った。
「……わかりました、よろしくお願いします」
その言葉を聞いた瞬間、アイリスの表情がぱっと花が咲くように明るくなった。
「ありがとうございます、エミリア様」
アイリスはエミリアの手をそっと離し、改めて騎士の礼を取る。
そして再び、その手を両手で胸元へと恭しく引き寄せた。
「必ず……お守りいたします」
そして、騎士としての誓いを捧げるように、その手の甲へ静かに口づけを落とした。
23章までお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、レオンの正体を知ったセオドールや、エミリアの騎士となったアイリスなど、それぞれの「守りたい人」への想いが動き始めるお話でした。
次章も楽しんでいただけたら嬉しいです!




