22章【誓いを捧げる軍師と偽りの許嫁~叶わぬ初恋~】
喉の乾きに目を覚ませば、ベッドの脇に寄り添うように丸まる、二つの小さな影が目に入った。
ゆっくりと身体を起こし、テオはベッドから身を引く。
「……子供の成長は、早いですね」
フィオナとシーナを優しくベッドへ横たえさせながら、テオは初めて彼女たちの『騎士』になった日のことを思い出していた。
全身ボロボロになりながらも妹を背後に隠していたシーナは、血走った目でテオを睨みつけ、地を這うような声で言い放ったのだ。
『……失せろ、変態野郎
これ以上近づけば、次はお前の喉を穿つ』
背後では、幼いフィオナが震えながらシーナの服の裾を強く握りしめていた。
あの日の出会いに比べれば、今のこの寝顔は、少しは信頼関係が築けている証拠なのだろう。
傷口を焼き切られた時の鈍い痛みを堪え、テオは自嘲気味に呟く。
「……帝国の人間なんて……貴方たちにとって、親の仇でしょうに
——簡単に信用してはいけませんよ」
静かに言い残すと、テオは二人を起こさないよう部屋の扉をゆっくりと閉めた。
そして、壁に隠された暗道へと足を進め、ディアの居る部屋へと向かった。
■□■□
部屋に入った瞬間、テオは驚いたように目を見開き、ディアを見つめていた。
「……来ると思ってた」
まるで彼が訪れるのを待っていたかのように、起きていたディアは小さく笑ってそう答えた。
「テオとお話ししたくて待ってたの
ヴァルに『外には行くな』って言われちゃったから……ここでお話ししてもいい?」
小さなテーブルの上には、二つのティーカップ。注がれた紅茶は、すでに冷めきっていた。
「来ないかもしれないのに、待っていたのですか?」
ディアが小さく頷き、テオを真っ直ぐに見つめ返す。
テオは静かに椅子を引くと、「お話ししましょうか」と腰を下ろし、優しく微笑んだ。
「テオが呪われているって……本当なの?」
自分を騙したことへの怒りではなく、開口一番に聞こえたのは、テオの身を心から案じる言葉だった。不意を突かれたテオは、一瞬言葉を失う。
『この男――テオはね、30歳までしか生きられない呪い(病)にかかっているんだよ。……だから私に協力する代わりに、“魔女”の力を使って彼の寿命を無理やり延命させているのさ』
アルベールが吐き捨てた、言葉が頭の中に残って消えない。
あの言葉が嘘だと、テオ自身の口から聞きたかった。
「レオンは知ってるの?
シーナちゃんとフィオナちゃんは……?
——私に、何かお手伝いできることある?」
不安そうに眉をひそめるディアの姿に、テオの口元が微かに緩んだ。
――貴女だから
きっと、レオンは笑えるのでしょうね
「何もありませんよ?
私の呪いは、すでに消えてしまっていますので」
「……本当に?」
「おや、信用していただけないのですか?」
テオはゆっくりと立ち上がると、ディアの前に優雅に膝をついた。
そして、彼女の華奢な手をそっと両手で包み込むと、その甲へ静かに唇を寄せる。
「――テオ・アルケミストの名において、お誓いいたします
私は貴女様の望む未来のため、この知略の全てを捧げましょう
どれほど泥を被ろうと、どれほど世界から憎まれようと構いません
貴女様の手だけは、決して汚させない」
言葉の一つ一つに、偽りのない誠実さを込めて。
「……ですから、どうか――最後まで笑っていてください」
誓いを終え、テオがゆっくりと顔を上げると、そこには顔を真っ赤に染め上げたディアの姿があった。
あまりの可憐さに、テオは意地悪そうに目を細めて囁く。
「……ディア様、そんなに可愛らしい反応をされると、私まで落ち着かなくなってしまいます」
そう口にするテオの耳もまた、ほんのりと赤く染まっていた。
これまで生きてきて、誰かに『騎士の誓い』を捧げたことなど、ただの一度もなかったというのに。
部屋の扉の外から、低く不穏な物音が響く。
ドンッ、と壁を叩くような音と、背筋が凍るような不機嫌な殺気。
どうやら、外にいた“過保護な精霊”に感づかれたらしい。
テオは「おや」と苦笑すると、名残惜しそうにディアの手を離し、優雅に一礼した。
「今度は手加減してはくれなさそうですので……私はこれで失礼いたしますね」
クスッと悪戯っぽく微笑むと、テオは隠し通路の扉を開け、滑り込むようにして部屋を後にした。
■□■□
朝日が静かに屋敷を照らし始めるのと同時に、扉が凛とした音を立てて叩かれた。
「お迎えに上がりましたわ、レオニス様」
朝露に濡れた扉の向こうに立っていたのは、名門ローゼンベルク家の令嬢であり、レオンの形ばかりの許嫁――エレノア・ローゼンベルクだった。
事前の連絡も一切ない、完全な奇襲。
思わぬ人物の登場に、レオンは驚きを隠せなかった。
「……エレノア?」
「はい」
「無事だったか……よかった」
その一言だけで十分だった。
エレノアは一瞬だけ目を見開き、柔らかく微笑む。
「レオニス様こそ、お元気そうで安心いたしましたわ」
「で?……どうして、ここがわかった」
隠れ家であるはずのこの場所をあっさりと突き止めたエレノアに尋ねると、気品ある笑みを崩さないまま、簡潔に答えた。
「優秀な部下がおりますので……私と一緒に来てくださいますね?レオニス様」
冗談を言っている空気ではないことくらい、一目で分かった。
アルベール第1皇子の悲痛な亡骸が発見されたことで、帝国の権力機構は今や完全に崩壊しかけていた。まとめ役を失い、パニックに陥った貴族や高官たちを抑えるため、エレノアが代理人として必死に立ち回っていたのだ。
だが、権力に固執する帝国の一部が、若き令嬢ひとりの言うことをおとなしく聞くはずもない。
――なら、あの頭の堅い老害を力で黙らせられる、本物の権威を連れてくればいいのでしょう?
そう決意したエレノアは、姿を消していたレオニス皇子を強引に連れ戻しにやってきた。
「私一人では、限界がありますの」
「……そういうことか、理解した」
事情を悟ったレオンは短く返事をすると、背後に控えるテオへと静かに視線を送った。
ディアや他の仲間たちを置いて、自分だけ先に向かって良いものかという無言の問いかけ。
それを受け止め、テオは優雅に一礼した。
「私たちも準備が整い次第、向かいます」
テオの言葉にレオンは頷いた。
「テオ、任せた」
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パチパチと薪のくべる音が響くキッチンで、手際よく朝食の用意を始めるテオ。
その背中に向かって、セオドールは焦りを隠せない様子で「何してんだ」と詰め寄っていた。
「今追ったところで、あの頭の堅い連中はまだ折れませんよ?
レオン様が場を整えた頃に向かうのが一番です」
「ッ、なぁ……レオンは、本当に……“レオニス皇子”なのか?」
セオドールの問いに、テオはスープの味を確かめながら、あっさりと頷いた。
「ええ、そうです
あの人は、私たちの手が届かないほど、とても偉いお方ですよ」
「……じゃあ、レオンを連れて行ったあの女は信用できる奴なのか? 」
レオンの身を本気で案じるセオドールに、テオは可笑しそうに口元を緩めた。
「エレノア様はレオニス様の許嫁です
あの人に危害を加えることなど、天と地がひっくり返っても考えられません」
セオドールとの会話を軽快にいなしつつ、朝食の準備を終えたテオは、テーブルに腰掛けていたディア、シーナ、フィオナへと温かな視線を向けた。
「食べ終わりましたら、レオン様の元へ向かいます」
テオの言葉に、ディアはぽっかりと空いている二つの席を見つめ、どこか不安そうに「……エミリアは?」と尋ねた。
「エミリア様でしたら、協会で避難民の対応に当たってくださっていますので、ご安心ください
彼女の優しさに救われている人が大勢いますよ」
「そっか……よかった」
テオの言葉にほっと胸を撫で下ろし、ディアは小さく笑みを浮かべたのだった。
「ヴァルディス様も召し上がりますか?」
壁に背を預け、腕を組んで佇んでいるヴァルへテオが尋ねるが、予想通り返事は返ってこない。
テオは気にした様子もなく静かに微笑むと、「気が向きましたら召し上がってくださいね」と短く告げた。
そして、手付かずの皿を前に黙り込んでいるセオドールへと視線を向ける。
「セオドール様、貴方はちゃんと食べてください」
「……」
「聞きたいことがあるのでしょう?
……私の言葉からではなく、レオン様ご本人の口から話してほしいのであれば――まずは食事を取って、身体を整えてください」
すべてを見透かしたようなテオの言葉に、セオドールは悔しそうに拳を握りしめ、低く答えた。
「……ああ」
レオンと共に過ごしてきた時間は、決して短いものではなかった。
辛い時も危険な時も背中を預け合い、仲間として、親友として隣にいたはずだったのだ。
それなのに、自分は彼の本当の姿も、背負っている重荷も、何一つ知らなかったのだと痛感させられていた。
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「第1皇妃の容態は?」
レオンは重苦しい書類の山から視線を上げることなく、側に立つエレノアに尋ねた。
「今はまだ……お話しできる状態ではないと」
「そうか」
夫である皇帝と我が子を同時に失い、精神を病んでしまった第1皇妃。彼女は今、離宮で“静養”という名目の隔離をされている。
「……人選はエレノアに一任する
信頼できる者を4人、呼んできてくれ」
入り組んだ内部事情は、自分よりもエレノアの方が熟知している。レオンはそう判断すると、皇帝の代理人たる帝国の紋章が入った書状をエレノアへと手渡した。
「レオニス様」
「なんだ」
「連れてきた私が口を出せる立場ではありませんが……少しは休憩してください」
気遣う言葉にも、レオンは曖昧に生返事を返すだけだった。そんな彼の頑なさにエレノアは痺れを切らし、バンッ!!とレオンの目の前にある書類を強く叩いた。
「今、貴方まで倒れられたら、私に被害が及ぶのですが!?」
「……エレ、ノア?」
思わぬ剣幕に目を丸くするレオンを、エレノアは凛とした瞳で睨みつける。
「私は……あの方が帰ってくる場所を守ると誓ったのです!!
いいですか!?
私が戻るまで、絶対に休んでいてください!!」
言いたいことだけ捲し立てると、エレノアは勢いよく部屋を飛び出していった。
パタンと閉まった扉の背中を、レオンはどこか愛おしそうに見つめる。
「――素直になれば、貴女だって幸せを掴めるのに」
届くことのない呟きは、静まり返った部屋の空気の中へと溶けるように消えていった。
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幼い頃は、絵本の中に出てくるような、幸せな恋を夢見ていた。
だが、貴族の茶会で初めて出会ったあの少年が、自分の将来の『夫』になる方だと告げられたあの日。
私の甘い初恋は、静かに終わりを迎えたのだ。
――私は、レオニス・ルクシアの妻になるために育てられた。
皇妃になるための教育は、逃げ出したくなるほど辛く、厳しいものだった。
けれど、これが名門に生まれた者の責務なのだと、自分に言い聞かせ続けた。
レオニス様は、とても優しく素晴らしい方だ。
国を支えるため、二人で手を取り合って歩んでいける最高のパートナー。
文句のつけようなど、どこにもない。
……最低ですわ、私は
叶わないと知っている。
望んではいけない立場だと理解している。
けれど――辛い教育に耐える時も、夜一人で泣く時も、私の心に浮かぶのは、いつでも“あの方”の姿だった。
第二皇妃様が亡くなってから、レオニス様は笑わなくなり、以前よりずっと大人びてしまった。
だからこそ、レオニス様が騎士団へ入るために婚約解消を申し出てくださった時――私は、首を振ったのだ。
『婚約を解消しても、私はただ別の家へ嫁がされるだけですわ』
そう言って困らせてしまったけれど。
『お側に並び立つことはできずとも……お役に立つことはできますの』
レオニス様は、私の本当の気持ちに気づいた上で、ずっと知らないフリをしてくださっている。
『それに、レオニス様も……他の令嬢を相手にされるより、私の方が気楽でしょう?』
婚約者ではあるけれど、お互いに恋愛感情はない。
きっと、これから芽生えることすらない。
『お願いします、レオニス様にご迷惑はおかけしません…、どうか――このままの形でいさせてください』
あの方が帰ってくるその日まで、私には守らなければならない場所があるのだから。
『そんなに悲しい顔をしないで?』
『また帰ってくるよ』
『約束する』
『だから——笑顔を見せてくれないかい?』
隣国へ旅立つ馬車の前で、そう笑ったあの方は、もう何年も帝国へ戻ってきていない。
——エリオス・ルクシア。
帝国第二皇子。
私がただ一人、心から愛している人。
22章まで読んでくださり、ありがとうございます!
今回はテオの誓いと、エレノアの秘めた想いを描いた章でした。
誰かを想う気持ちが、必ずしも届くとは限らない。
それでも、大切な人が帰ってくる場所を守り続ける――そんなエレノアのお話です。
次章も楽しんでいただけたら嬉しいです!




