15章【嘘つきの騎士と過去に囚われた魔女 ~帝都への道~】
この世界は、あまりにも残酷で、そして――。
「エミリアがずっと守ってきた、大好きな人のこと、私に教えてくれない?」
エミリアは涙に濡れた顔をゆっくりと上げた。
「私がその子のこと……忘れなければ
エミリアが一人で抱えて、泣かなくてもいいよね?」
エミリアは返事をしなかった。
ただ、否定する言葉だけが出てこなかった。
「……エミリアが話してくれる日まで待ってる」
エミリアは涙を拭うことも忘れていた。
それでも、その唇だけは、かすかに微笑みの形を作っていた。
■□■□
「……随分と、大きな後ろ盾をお持ちのようですね、エミリア様」
エミリアはテーブルの上の書類に目を落とし、微かに息を呑んだ。
それは、ディアを教会に呼び出す為に使った物だった。
その書類の最下部には、帝国の紋章と共に、流麗な文字で一人の男の署名が刻まれていた。
『アルベール・ルクシア』
帝国民なら誰もが知る、第一皇子の名。
レオンにとっては、完璧な微笑みの裏に底知れない冷酷さを隠した、実の兄の名前だった。
「なぜ第一皇子の直筆署名入りの書類を持っているのですか?」
レオンの瞳には、兄への拭いきれない嫌悪と、ディアを狙われたことへの激しい怒りが混ざり合っていた。
「貴方なら、あのお方の『慈悲』をよくご存じのはずでしょう?」
「慈悲、ですか?」
「ええ……アルベール様は、帝国に仇なす“魔女”という呪われた存在を、これ以上この世界に増やしたくないと考えておいでです」
エミリアは、ふっと微かに、本当に微かに肩を揺らした。
完璧な正義。
絶対的な慈悲。
アルベールがいつも口にするその美しい言葉が、どれほど冷酷に他者を踏みにじるか、レオンは誰よりも知っている。
アルベールにとって、ディアをエミリアの手にかけさせることは、帝国の憂いを取り除くための「効率的な手段」に過ぎなかったのだろう。
アルベールが絡んでいる以上、この場でのんびりと言い争っている時間はない。
息がかかった追手が、いつここに現れるかも分からない。
レオンは爪が手のひらに食い込むほどの力で拳を強く握りしめた。
そして、静かに告げる。
「――1度、帝都に行かなければなりません」
その言葉にテオは、眼鏡の奥の瞳を鋭く細めた。
「わざわざ敵の懐に飛び込むのですか?」
「ここに留まっている方が危険です
包囲網が完成する前に、こちらから仕掛けるしかありません」
「だからと言って、自ら罠の真ん中に飛び込む言い訳にはなりません」
テオの声が鋭く響いた。
テオは一歩踏み出し、レオンを射抜くように見据える。
「テオ、どうした?
いつものお前なら止めないはずだ
――そんなに第一皇子に会わせたくない理由があるのか」
レオンの言葉にテオは、表情を曇らせる事もなくいつもと変わらない笑顔で首を横に振る。
「おや、心外ですね
私はいつでも貴方の味方ですよ?」
二人の間に、ヒリヒリとした沈黙が流れる。
テオはレオンの、揺るぎない決意をじっと見つめ、やがてわざとらしく両手を上げた。
「……いいでしょう、そこまで仰るなら、最高のお供をさせていただきます」
帝国の絶対的な権力者であるアルベール。
正面から戦いを挑めば、レオンなど一瞬ですり潰されるだろう。
――レオニス、あの人に“優しさ”なんてモノは微塵もないですよ
「準備はこちらで手配しますので
レオン様はヴァルディス様の説得をしていて下さい」
不機嫌なヴァルを横目にテオは部屋から出ていく。
歩みを止めることはなく、テオは脳内のチェス盤を高速で組み替えていた。
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威圧的な赤い瞳が、レオンを上から見下ろす。
「どこのどいつが来ようが、消せば済む話だ」
ヴァルは不機嫌そうに鼻で嗤う。
「それを本当に、ディア様が望むと思うのか?」
だが、レオンは一歩も引かなかった。真っ直ぐに視線をヴァルへと向け、その威圧感を正面から受け止める。
ヴァルの纏う空気が一瞬で跳ね上がり、ビリビリと震え始めた。
「ヴァル」
ディアが、ヴァルの大きな手のひらに、自分の小さな手をそっと重ねる。
「ディア」
ディアは真っ直ぐにヴァルを見上げ、優しく微笑んだ。
「ヴァルが隣に居てくれれば、それだけで良かったの
森の奥で皆とご飯を食べて、お話して、それだけで十分幸せだった」
静かで誰も来ない深い森。
そこに帰れば、もう誰かに怯えることも、怖い目に遭うこともない。
元の、安全で幸せな毎日に戻れる。
けれど――ディアの脳裏に浮かんだのは、森の外で出会った、たくさんの人たちの顔だった。
「でもね……いま帰ったら、私はもう、みんなと会えなくなっちゃう気がするの」
それは、ディアにとって、暗闇に一人きりで取り残されるのと同じくらい、寂しくて堪らないことだった。
ディアは、自分が特別な存在だとは思えなかった。
魔女なんかじゃない。
強い力を持つ、特別な誰かでもない。
ただの人間だ。
「私、森には帰らない……帝都に、行きたいの」
ディアは胸元でぎゅっと拳を握りしめ、真っ直ぐにヴァルを見る。
「みんなを助ける強い力なんて持ってないよ?
だけど、大好きなみんなと一緒にいたいの」
ヴァルは忌々しそうに顔を背けると、大きな手で、ディアの髪に触れる。
そして、酷く愛おしそうに口付けを落とした。
「……それがディアの願いならば――好きにすればいい」
「ありがとう、ヴァル」
ヴァルは獰猛な赤色の瞳をレオンへと向け直す。
その視線を真正面から受け止めながら、レオンは静かに口を開いた。
「ディア様、何があっても、私が貴女の盾になります
……だから、私を信じてついてきてください」
ディアは、その言葉を胸の奥でそっと抱きしめるように、小さく微笑んだ。
嘘を抱えた騎士、過去に囚われた魔女、そして終焉の白。
それぞれの思惑を乗せた車輪の音が、終わりへのカウントダウンのように、重く、激しく響き渡っていた。
■□■□
「……で、俺は何をするんだ?」
今まで黙って壁際に立っていたセオドールが、ようやく口を開いた。
「団長は、いつも通りの業務に戻って下さい」
レオンがため息混じりに、突き放すように冷たく言った。
「はぁ!? 戻るわけねぇだろ、バカかお前は!」
セオドールは壁際からドカドカと激しい足取りで歩み出ると、レオンの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄った。
「第一皇子だか何だか知らねぇが、そんなヤバい奴が絡んでて、お前らがこれからそいつの巣窟に突っ込むんだろ!?
だったら俺もついて行くに決まってんだろ!」
「皇子のことを知らない奴の一言で片付けるな
それにお前は騎士団の団長だろ」
大真面目に怒鳴るセオドールに、レオンは呆れたように額を押さえた。
いつも通りの業務に戻れと言ったのは、セオドールをこれ以上危険な権力争いに巻き込みたくないというレオンなりの気遣いだったのだが、この男には一切通用しなかったらしい。
「つべこべ言わずに俺を連れてけ、レオ!」
レオンはしばらく沈黙していたが、やがて観念したように、小さく吹き出した。
「……お前は本当に、昔から何も変わらないバカだな」
「あ? 褒めてんのか?」
「褒めてる」
ふん、と鼻息荒く腕を組むセオドール。
その根底にあるのは「仲間を一人で行かせるわけがない」という、どこまでも真っ直ぐで熱い感情だった。
■□■□
ガタ、ゴトと規則正しい車輪の音を立てて、レオンたちの乗る馬車は帝都への街道を順調に進んでいた。
……悪く思うなよ、セオ
レオンは窓の外の流れる景色を見ながら、小さく息を吐いた。
隣では、ディアが馬車の揺れが心地いいのか、ヴァルの膝枕ですやすやと眠っている。その向かいには、フィオナとシーナが座っていた。
そして、馬車の隅ではエミリアが静かに視線を伏せている。
セオドールには「出発は明日の朝五時だ」と嘘の時間を教えた。
さらに、テオの知恵を借りて、騎士団の本部に「至急、セオドール団長のサインが必要な書類」を大量に送りつけさせた。
危険な帝都の政争に巻き込ませないためのレオンなりの完璧な置き去り作戦だった。
「今頃は怒鳴り散らしているだろうな……」
レオンがそんな風に、少し寂しげで、けれど確信に満ちた笑みを浮かべた、その時だった。
「――おい」
ディアの頭を撫でていたヴァルが、ふと窓の外に目を向け、面白そうに喉を鳴らした。
「人間の限界に挑戦している、見苦しい生き物が後ろから猛追してきている」
「は? 何を言って――」
レオンが不審に思い、馬車の後ろ窓から顔を出した。
街道の遥か後方、凄まじい土煙が上がっている。その土煙の中心で、騎士団の白いマントをボロボロに振り乱しながら、鬼の形相で両足を高速回転させて爆走してくる男の姿が見えた。
「騙しやがったなぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
「…… セオドール?」
馬車はそれなりの速度で馬を走らせている。それなのに、生身の人間が、しかもフル装備の鎧を着たまま、もの凄いスピードで距離を詰めてきている。
シーナも窓の外を覗き込み、本気で引きつった顔で呟く。
「テオ、馬車の速度もっと上げて」
「姉様?止めなきゃダメですよ?」
馬車の横の窓に、汗だくで髪を振り乱したセオドールの顔が見えた瞬間。
シーナとフィオナの口から小さな悲鳴が上がった。
「キモッ!!」
「キャッ!!」
セオドールはゼェゼェと死にそうな呼吸を繰り返しながら、地面に倒れた。
「このまま放置しますか?」
楽しそうに微笑むテオにレオンは、溜め息を吐いた。
レオンが馬車から降りてセオドールの元に向かう。
「ハァッ……ハァッ……! 書類……全部……破り捨てて……ハァッ、夜通し走って……追いついた……」
「せめて、馬を使え」
「…… 怒り狂って……馬小屋の鍵、素手で……引きちぎって壊しちまったんだよ……ッ!
鍵師、呼んでる、時間が……もったいねぇから……走った……」
「バカなのか」
セオドールは倒れたまま、レオンの足をガシッと掴んでギラリと目を光らせた。
「お前……帝都に着いたら……絶対に、奢れよ……ッ
あと……テオの野郎……一発殴らせろ……」
そう言い残すと、セオドールは泥のように深い眠りに落ちていった。
「んぅ……? なんだか、賑やか……?」
騒ぎで目を覚ましたディアが、眠そうに目を擦りながら外を見る。
そこには、セオドールを引きずるように運んでいるレオン。
その隣で心配そうに声をかけているフィオナ。
シーナはフィオナの横で、セオドールをじっと見つめている。
テオは「出発しますよ」と、どこか楽しそうに馬車の扉を開けた。
その様子を、エミリアは馬車の隅から呆然と見つめていた。
――なぜ、こんな人達が。
殺そうとした自分を、同じ馬車に乗せているのか。
理解できなかった。
再び車輪が動き出す。
帝都へ向かう旅路は、騒がしく――そして、どこか温かかった。
■□■□
馬車の中に、穏やかな静寂が落ちていた。
先ほどまで騒がしかったセオドールも、ようやく力尽きたように眠り込み、車内には規則正しい寝息だけが微かに響いている。
その静けさの中で、ディアはふと、馬車の隅に座るエミリアへ視線を向けた。
「……エミリア」
小さな声に、エミリアはゆっくりと顔を上げた。
いつの間にか、ディアがこちらを見ていた。
「……なんですか」
「眠れないの?」
エミリアは、少しだけ目を伏せる。
「……貴女も眠れないのでしょう?」
「――うん」
「でしょうね、あれだけ騒がしかったのに1人だけ眠っていたもの」
思わず返してしまってから、エミリアは小さく息を呑む。
「エミリアは騒がしいの苦手なの?」
「……得意ではありません」
「エミリアが好きな物なに?」
エミリアは少し迷うように視線を落とした。
「……花は好きですよ」
「森にも綺麗な花が咲いてるんだよ」
「……魔の森に咲いているのは毒花でしょう?」
「うんん、凄く綺麗な魔法の花だよ」
「……そうですか」
「いつか、一緒に見に行けたらいいね」
こんな風に、他愛のない会話をするつもりではなかった。
けれど、ディアは気にした様子もなく、小さく笑った。
「エミリア」
「……なんですか」
「帝都、怖い?」
その問いに、エミリアはわずかに目を細める。
怖い。
そんなもの、とっくに通り越している。
待っているのは、きっと地獄だと知っている。
「……ええ」
短く答えると、ディアは「そっか」と小さく頷いた。
「大丈夫だよ」
「……何を根拠に」
「みんないるから」
あまりにも、迷いのない声だった。
ヴァル
レオン
テオ
フィオナ
シーナ
セオドール
ディアは、本気で信じているのだ。
エミリアは、静かに目を伏せた。
――眩しい
そう感じてしまった自分に、少しだけ苦笑する。
「……私も少し休みます」
「うん、おやすみ、エミリア」
「……ええ」
ディアは安心したように目を閉じる。
その穏やかな寝顔を見つめながら、エミリアは静かに視線を逸らした。
胸の奥が、少しだけ痛かった。
■□■□
「――レオニスが、帝都へ?」
報告を受けた男は、書類からゆっくりと視線を上げた。
整いすぎた微笑み。隙のない立ち振る舞い。
けれど、その金の瞳には、ひどく冷たい光が宿っている。
「はい、現在、馬車でこちらへ向かっているかと」
部下の報告に、第一皇子アルベールはふっと形だけの笑みを深めた。
手にした万年筆を机に置く音が、静かな執務室に冷たく響く。
「そうか、エミリアは失敗したんだね」
アルベールは小さくため息を吐いた。
それは部下の失態を責めるものではなく、出来の悪い子供を憐れむような、酷く歪んだ優しさを孕んだ声だった。
「けれど、可愛い弟にしては、少しは頭を使ったようだ」
アルベールはゆっくりと立ち上がり、大きな窓から美しく統治された帝都の街並みを見下ろした。
「でも、呪われた魔女を抱え込んで、一体何ができると思っているのかな」
窓硝子に映る彼の瞳には、仮面の奥に隠された圧倒的な傲慢さが揺らめいている。
まだ見ぬ新たな“獲物”に思いを馳せるように、アルベールは細めた目をさらに深く歪ませた。
「可愛い弟のお気に入りの魔女――どんな子なんだろうね?」
ふ、と冷徹な笑みが執務室の空気を凍らせる。
「さぁ……歓迎の準備を始めようか」
その呟きは、これから始まる残酷な劇の幕開けを告げるかのように、静かに響き渡った。
読んでいただき、ありがとうございました!
ついに舞台は帝都へ。
ここから物語は大きく動き始めます。
セオドールは、 あのまま置いていかれる男ではありませんでした。
引き続きお付き合いいただけると嬉しいです!




