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紅き瞳は夜に溶ける  作者: かな
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14/15

12章【白き導き手と揺らぐ魔女 ~選ばされる意思~】




「――協会より、通達です」


静かな声が、部屋の空気をわずかに震わせた。


振り返ると、見慣れない男が一人、扉の前に立っている。

整った制服、無駄のない所作。

だが、その視線はどこか落ち着かない。


「……きょう、かい?」


ディアが小さく首を傾げると、男は一歩だけ近づき、紙を差し出した。


「至急、協会本部までお越しください」


淡々と告げられる言葉に、ディアの指先がわずかに止まる。


「……あの、伝達事項はすべて私の騎士に――」


そう口にしかけた瞬間。


「既に、お伝えしております」


被せるように、男は答えた。


「ですが、お忙しいとのことで時間が取れず……

代わりに私が、直接ご報告に参りました」


一瞬だけ。


ほんの一瞬だけ、視線が逸れる。



「……そうなんだ」


小さく頷く。


「では、準備が整い次第、こちらへ」


男はそれだけを告げると、深く一礼し、音もなく部屋を後にした。


扉が閉まる。

その中で、ディアは手元の紙を見つめたまま、小さく呟いた。


「……協会って、どんなところなんだろう」


胸の奥が、わずかにざわつく。


「……行く気か」


低い声が、背後から落ちた。


振り返らなくても分かる。

ヴァルだ。

ディアは手の中の紙を握りしめたまま、小さく頷く。


「……うん」


重たい空気が、部屋を満たす。


「やめておけ」


即座に返ってきた言葉は、迷いのない拒絶だった。


「あそこの奴らは……ロクな連中じゃない」


吐き捨てるような声。

けれど――その奥にあるのは、苛立ちではなく、明確な警戒だった。


「……でも」


ディアは視線を落とす。


「レオンにも、伝わってるって…」


その言葉に、わずかに空気が揺れる。

ヴァルは何も言わない。

ただ、ゆっくりとディアへと歩み寄った。


足音が止まる。


すぐ目の前にヴァルの姿がある。


「……あいつが、本当に許可したと思うか?」


低く、問いかけると、ディアの瞳が、わずかに揺れた。


「それは……」


答えられない。

胸の奥のざわつきが、少しだけ形を持ち始める。


それでも――


「……行かなきゃ、いけない気がするの」


ぽつりと零れた言葉。


理由なんて、うまく言えない。


けれど、放っておけない。

そんな感覚だけが、残っていた。


ヴァルはしばらく何も言わなかった。


ただ、ディアを見下ろす。


その赤い瞳が、わずかに細められる。


「……面倒なことに首を突っ込むのが好きだな」


小さく、息を吐く。


そして――


「好きにしろ」


その一言に、ディアが顔を上げた。


「ただし」


低く、言葉が続く。


「何かあれば――俺が潰す」


空気が、わずかに震えた。


「お前に手を出す奴は、全部だ」


迷いのない、圧倒的な言葉だった。


「……だから」


ほんの一瞬だけ、視線が柔らぐ。


「選べ、ディア」


逃げ道も、強制もない。


ただ、委ねるように。


ディアは、その言葉をまっすぐ受け止めて――


小さく、けれど確かに頷いた。


■□■□


ディアが案内されたのは、いつも通る道とは違う、細く静かな小道だった。

木々の間を縫うように続くその道は、踏み固められているはずなのに、不思議と“使われていない”ような気配がある。

 

「……こっち、なの?」

 

小さく問いかけると、先を歩く男は振り返りもせず答えた。

 

「こちらの方が近いので」

 

簡潔な返答。

それ以上、何も言わない。

ディアは少しだけ首を傾げたが、深く考えることはせず、その背中を追った。

 

やがて、視界が開ける。

 

そこは整えられた空間だった。

その中心に――白い建物が、静かに佇んでいた。

陽の光を受けて、淡く輝く壁面。

 無駄な装飾はないのに、どこか神聖さすら感じさせる造り。

その周囲には、色とりどりの花が咲き誇っていた。

白、薄紅、淡い青、 風に揺れるたび、柔らかな香りが空気に溶けていく。

 

「……綺麗」

 

思わず、零れる。

魔の森とはまるで違う。

瘴気も感じない、穏やかな空間。

 

けれど――胸の奥のざわつきは、消えなかった。

 

「どうぞ、こちらへ」

 

男に促され、ディアは建物の中へと足を踏み入れる。

ひんやりとした空気。

外の柔らかさとは対照的な、静まり返った内部。

案内された先の部屋に入ると、男は一礼し、そのまま静かに退室した。


「――お待ちしておりました」

 

柔らかな声が、背後から響いた。

振り返る。

そこに立っていたのは、一人の女だった。

長い髪をゆるやかに揺らし、穏やかな微笑みを浮かべている。

 

整った佇まい。 どこか上品で、隙のない気配。


「はじめまして」

 

ゆっくりと、丁寧に頭を下げる。

その声を聞いた瞬間。

ディアの瞳が、わずかに揺れた。



  

……この声


 

記憶の奥に、引っかかる。

森の中で聞いた声。

 

「……」

 

思わず見つめたディアに対し、女はほんの一瞬だけ目を細めると、そっと指を口元に当てた。

――内緒、というように。

 

次の瞬間、女は軽く手を振る。

それだけで、気配が消えた。

周囲にいたはずの人間たちの気配が、一斉に遠ざかる。



 

女はゆっくりと手を下ろし、視線をディアへと向けたまま――フードに手をかける。

 

さらり、と。布が滑り落ちる。

現れたのは――

淡く光を宿した、金の瞳だった。

 

「……改めて」

 

わずかに口元を歪める。

先ほどまでの“穏やかな女”とは、どこか違う気配。

 

「ようこそ、協会へ」

 

その声音は、森で出会った時と同じだった。


■□■□


室内に、静かな香りが広がる。

白い陶器のカップから、ゆるやかに立ち上る湯気。 花の香りに似た、けれどどこか甘すぎない匂いだった。

 

エミリアは優雅な手つきで茶器を扱い、向かいに座るディアの前へとそっとカップを置く。

 

「どうぞ」

 

「……ありがとう」

 

ディアは小さく頷き、両手でカップを包み込む。

温かい。

それだけで、ほんの少しだけ緊張がほどけた。

 

壁際では、ヴァルが腕を組んだまま背を預け、目を閉じている。 興味がない、というより――警戒を解かないまま、動かない。

 

「呼び出してしまって、ごめんなさい」

 

エミリアが、ふっと視線を落とす。

 

「どうしても……貴女とお話がしたくて」

 

その言葉に、ディアの指先がわずかに止まる。

 

……レオンには、伝わってないんだ

 

“通達”という形を取ってはいたが、 これはレオンを通した正式なものではない。

そう、直感で理解した。

 

「……話って?」

 

ディアはカップを持ったまま、静かに問い返す。

エミリアは一度だけ目を細めると、 そのまま真っ直ぐにディアを見つめた。

 

「私達は――“帝国に利用されている魔女を救いたい”の」

 

静かな声音。

けれど、その奥にあるのは、決して穏やかなだけの意志ではなかった。

 

「……救う?」

 

ディアの眉が、わずかに寄る。

その言葉は、どこか引っかかった。

 

「ええ」

 

エミリアは微笑む。

 

「力を持つが故に、道具のように扱われている子たちがいる」

 

カップを持ち上げ、ひと口だけ口をつける。


「望まない役割を押し付けられて、 逃げ場もなく、ただ消費されていく」

 

静かに、淡々と。

けれどその言葉は、確実に何かを含んでいた。

 

「……それって」

 

ディアの声が、少しだけ揺れる。

脳裏に浮かぶのは――蒼い瞳の少女の、“道具になんてさせない”という叫び。

 

「フィオナのこと……?」

 

ぽつり、と零す。

その瞬間。

エミリアの瞳が、わずかに細められた。

 

「……あの子も、その一人」

 

否定はしない。

むしろ、当然のように肯定した。

 

「でも、それだけじゃないわ」

 

ゆっくりと、カップを置く。

 

「貴女も、同じ」

 

空気が、変わる。

ほんの一瞬で、温度が下がったような錯覚。

 

「……私?」

 

ディアが小さく目を見開く。

エミリアは、変わらず微笑んだまま、言葉を重ねる。

 

「ええ」


その視線は、まっすぐにディアを射抜いている。

 

「“終焉の白”――」

 

静かに、名をなぞるように。

 

「貴女もまた、“利用される側”の魔女よ」


 

その言葉が落ちた瞬間。

――ドン。

壁に寄りかかっていたはずのヴァルが、わずかに体を起こした。

閉じていた瞳が、ゆっくりと開く。

赤い光が、まっすぐエミリアを射抜いた。


 

「随分と勝手なことを言う」 

 

低く、短い声。

空気が、軋む。

その一言だけで、場の温度が完全に変わった。

 

「お前たちがディアをどう定義しようが構わない

魔女、道具、終焉の白……好きに呼ぶがいい

だがな――」

 

ヴァルの指先が、エミリアの喉元を掠めるように止まる。

 

「ディアをその天秤に乗せようとする奴から順に

――俺が噛み殺す

それがたとえ、帝国だろうが、教会だろうが……お前だろうが、だ」


エミリアは震える声を絞り出し、微笑えんだ。

  

「貴方がどれほど強くても、巨大な国家という仕組みそのものを殺すことはできないわ」


ヴァルは低く笑った。

その笑みには、一切の温度がない。


「……ヴァル?」


不安そうなディアの声に、ヴァルは表情を消し、静かにエリミアから手を引いた。


「行くぞ」

 

ヴァルがディアを連れて部屋を出ていく。

残されたエミリアは、膝の震えを止めることができなかった。


「……あはは」


エミリアの視線が、机の上に残されたカップに向けられる。


「即効性では無いですけど、貴女はどこまで抗えますか?」


初めから、力では勝てないことは理解していた。

警戒心も薄い、貧弱な女1人であれば始末は簡単だった。

しかし、厄介なのは片時も離れることのない“精霊”の存在だ。


■□■□


廊下を進むディアは、不意に足元がふらつくのを感じた。


「……っ」


「ディア?どうした」


ヴァルが即座にその肩を抱き寄せる。


「……ヴァル、大丈夫

ちょっと、疲れちゃっただけ……かな」


ヴァルは、ディアを抱きかかえる腕に力を込める。

その赤い瞳は、去り際に見たエミリアの「確信に満ちた笑み」を反芻していた。



あの女、何かを混ぜたな




ヴァルは気づいている。

だが、ディアの鼓動に乱れはなく、肌の色も変わらない。それどころか、彼女の体内にある毒の成分すら、静かに無力化されているのが分かった。


「……念の為に耐性は付けさせていたが」



普通の人間なら死に至る代物だ。

ヴァルは溜息を吐き出すと静かに声をかけた。


「ディア、下僕のことろに寄る

騒がしいだろうが、少しは休めるだろ」


ヴァルはディアを抱き上げ、早足で出口へと向かう。


「ヴァル、大丈夫だよ?私ちゃんと歩けるよ?

それに……レオンとの約束、破っちゃたし」


ディアは気まずそうに視線を逸らして呟いた。


「最初から約束なんかしていない

アイツが勝手に言ってるだけだ無視しろ」


森で生きるために摂取してきた毒草に比べれば、エミリアの仕掛けた死の味など、甘い誘惑にすらならなかった。



■□■□


伝令の声を聞いた瞬間、思考が途切れた。

ただ一つ――“ディア”という名前だけが、頭の中に残った。



レオンは弾かれたように駆け出した。

その顔は蒼白で、ディアの無事を確認した瞬間に、安堵よりも先に激しい「諦念」が混じった溜息が漏れた。


「ディア様」


レオンの手がディアの肩に伸びる。

だが、その手は届く前に、ヴァルの鋭い視線によって空中で止められた。


「……触るな、今は寝ている」


「外に出ないで下さいとお願いしたはずですが?」


「連れ出したのはあっちだ、お前に許可を取ったと言っていたが……聞いてないのか」


ヴァルは、面白そうに微笑むと協会から受け取った紙をレオンに渡す。

差出人の名を確認した瞬間、レオンの表情から一切の血の気が引いた。


「……っ」


レオンは震える手でディアの顔を覗き込んだ。

毒に耐性があるとはいえ、彼女の顔色はいつにも増して白い。


「今すぐディア様を奥へお連れして下さい

セオドールに連絡し薬も届けさせます」


2人の姿が視界から消えると、レオンは背後で静観していたテオを一瞥した。

テオは、相変わらず穏やかな微笑みを崩さないまま、その様子を眺めている。


「おや……協会が直々に動くとは

予定よりも少し、賑やかな事になりそうですね、レオン様」


テオの眼鏡の奥で、好奇心に満ちた光が揺れる。

それは、ディアという存在が、人の欲という名の大きな渦に飲み込まれたことを示す合図だった。


■□■□


これは夢だとわかっている。



けれど、頬を撫でる熱風も、鼻を突く焼けた匂いも、嫌なほど鮮明に覚えている。



広場の中央、杭に縛り付けられた“魔女と呼ばれた人”が叫んでいた。


『私は魔女だ! 私を殺せば、この街は呪われるわ!!』


掠れた声で、それでも必死に、自分が「価値のある化け物」であることを訴えていた。

その人の瞳は、確かに淡い金色を宿している。

私たちが“特別”だと教えられてきた、あの色だ。


けれど。


「……火をつけろ、その女はただのペテン師だ」


群衆の冷ややかな声が、女の叫びを塗り潰す。

力を証明できなければ、“魔女”として扱われることはない。

物心つく前から魔女として隔離され、家族からも引き離され、ただ魔女として生きる術だけを叩き込まれて。

それなのに、力を見せられなけられば――待っているのは「嘘吐き」という罵声と、無慈悲な死だけ。





これは、私が初めて「魔女の処刑」を見た日の記憶だ。




……あの人も、私と同じだったのかな



火が燃え上がる。

女の瞳から金色の光が消え、ただの絶望に染まる瞬間を、ディアはじっと見つめていた。


『見るな』


ヴァルの大きな手が私の視界を塞ぐ。

けれど、瞼の裏には焼き付いて離れない。


「魔女」でなければ、生きていてはいけない。

でも「魔女」であっても、利用価値がなくなれば、人として死ぬことすら許されない。


……もし、私も『嘘吐き』だと知られたら?

……ただの、何も出来ない、人間だと知られたら?


熱い。

夢の中の火が、足元まで迫ってくる。

助けて、と言おうとして、喉が焼けたように動かない。


「……ィア……ディア!」


暗闇の向こうから、私を呼ぶ声が聞こえる。

低くて、少しだけ不機嫌そうで。

けれど、どんな火よりも確実に、私をこの悪夢から引き戻してくれる声。





「……っ、……はぁ、……っ」


ディアは弾かれたように目を開けた。

視界に飛び込んできたのは、見慣れない天井と、揺れるランプの灯。


「……悪夢でもみたか?」


すぐ隣から響いた声に、ディアは震える肩を少しだけ落ち着かせた。

そこには、腕を組んでこちらを睨むように見守る、ヴァルの赤い瞳があった。


「私……もし、魔女じゃないって知られたら……殺されるのかな」


ディアは泣かなかった。

泣くことすら自分に禁じているかのように、ただ、膝の上で握りしめた指先を見つめている。


「レオンも、みんな……私が『終焉の白』っていう魔女だから、そばにいてくれるんだよね

もし、私がただの……何もできない『嘘吐きの人間』だって……」


その言葉が落ちるより早く、ヴァルの大きな手が、ディアの頭を乱暴に、けれど温かく包み込んだ。

そのまま自分の方へ引き寄せ、彼女の視界を自分の胸元で遮る。


「……勝手に自分を殺すな」


「……ヴァル?」


「周りの奴らがどう思うかなんて、知ったことか

都合のいい奇跡が起きなくなれば、手のひらを返す……そういう連中だ」


ヴァルの声は低く、どこまでも冷徹だった。

けれど、ディアの耳に届く彼の鼓動は、驚くほど力強く刻まれている。


「だが、俺は違う」


ヴァルはディアの顎を少しだけ強引に持ち上げ、自分の赤い瞳を直視させた。

そこには、同情も、哀れみもない。ただ、逃れようのない「事実」だけを告げる光が宿っていた。


「俺がお前の傍にいるのは、お前が魔女だからじゃない

……お前が、俺の名前を呼んだからだ」


ディアの瞳が、わずかに揺れる。


「お前が魔女だろうが、ただの人間だろうが

俺が護ると決めたのは、ディアだ」


ヴァルの指先が、ディアの白い髪をゆっくりと漉いた。


「嘘吐きだと罵る奴がいれば、その舌を引き抜いてやる

殺そうとする奴がいれば、その命ごと食い尽くしてやる

……だから、怯えるな」


「……ヴァル……」


ディアの瞳から、ようやく恐怖が消えていく。

“魔女じゃない”ことがバレるのが怖い。

それは、世界から拒絶されるのが怖いということ。

けれど、ヴァルだけは、世界が自分を拒絶しても、その世界ごと噛み砕いてくれる。

ディアは、自分を包み込むヴァルの体温に、静かに身を委ねた。



「……ありがと、ヴァル……あと…少しだけ、眠ってもいい?」


「……勝手にしろ」


ディアの呼吸が、ゆっくりと整っていく。

その様子を見下ろしながら、ヴァルはわずかに目を細めた。


――消えきっていない


体内に残る“異物”の気配を、確かに感じていた。

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