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紅き瞳は夜に溶ける  作者: かな
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12/15

10章【優しすぎる魔女と壊れた命 ~届いたはずの手~】


「少し、手を借りたいのですが」


静かな声だった。


廊下の壁にもたれたまま、セオドールは視線だけを向ける。


「……内容次第だな」


短く返す。


テオはわずかに目を細めた。


「フィオナ様が森へ向かわれます」


セオドールの眉が僅かに動く。


「護衛、か」


「ええ」


テオは頷いた。

セオドールはしばらく黙り込む。


頭の中に浮かんだのは、“終焉の白”。


レオンを騎士にした魔女。


一度だけでも見てみたいと思っていた存在。


「……了解した」


短く答える。


テオは満足そうに微笑んだ。


「助かります」


「準備は?」


「既に整っていますよ」


その返答に、セオドールは小さく鼻を鳴らした。


最初から決めてやがったか。


そう思ったが口にはしない。


「……行く」


そう言って壁から背を離した。



■□■□



指先が、わずかに震えていた。

理由は、分かっている。

あの時の光景が、頭から離れないからだ。


――赤い瞳の魔女


「……助けてくれたのに」


ぽつりと、零れる。

自分は、何も返せていない。

名前も聞けなかった。

きちんと、お礼も言えていない。

それが、ずっと引っかかっていた。


「……行かなきゃ」


誰に言うでもなく、小さく呟く。


けれど――


足は、動かなかった。

森は危険だと、分かっている。

簡単に踏み込んでいい場所ではない。


それでも。


「……でも……」


迷いが、言葉になる前に。


「行きたいのでしょう?」


静かな声が、背後から落ちた。


「……っ」


フィオナは、弾かれたように振り返る。

そこには、いつの間にかテオが立っていた。


「顔に出ていますよ」


淡々と告げる。


「……そんなに分かりやすいですか」


「ええ」


即答だった。

フィオナは、小さく息を吐く。


「……お礼を、言いたくて」


それだけだった。

できれば――誰にも迷惑をかけずに、済ませたかった。


テオは、わずかに目を細める。


「止めませんよ」


その言葉に、フィオナは目を瞬かせる。


「むしろ――行くべきでしょう」


「……いいんですか?」


「ええ」


軽く頷く。


「ただし、一人では行かせません」


フィオナが何かを言いかけた、その時。


「……話は聞いている」


低い声が、廊下の奥から落ちた。


「……っ」


振り返る。


そこには、既にセオドールが立っていた。

壁にもたれ、腕を組んだまま。

最初から、そこにいたかのように。


フィオナは目を瞬かせる。


「……え?」


テオは、何でもないことのように続ける。


「彼が同行します」


まるで、最初から決まっていたことのように。

セオドールは、壁から背を離す。


「危険は少ないと思いますが――念のため、です」


その言い方に、わずかな違和感が残る。

だが、フィオナは気づかない。


「……了解した」


セオドールは短く答える。

フィオナは、少し戸惑いながらも頭を下げた。


「よろしくお願いします」


テオは、その様子を静かに見ていた。


「お気をつけて」


穏やかな声。


「森は――」


一瞬だけ、言葉を区切る。


「“何もない”とは限りませんから」


その言葉を背に。


二人は、歩き出す。


森へ向かって。


その背中が見えなくなってから。


テオは、ゆっくりと眼鏡を押し上げた。


「……順調ですね」


小さく、呟く。

その声には、わずかな愉悦が滲んでいた。


――すべてが、予定通りだと言うように。


■□■□



森の入り口に差し掛かると、空気の温度が一段下がったように感じられた。


道は次第に険しくなり、湿った土と入り組んだ木の根が、フィオナの足元を何度も掬おうとする。


「……っ」


フィオナが小さな悲鳴を上げ、倒れそうになった瞬間。

背後を歩いていたセオドールの大きな手が、その細い肩を力強く支えた。


「おい、大丈夫か」


「……はい、すみません……少し、足場が悪くて」


フィオナは顔を赤くしながら慌てて体勢を立て直した。


先にはさらに険しい斜面が続いていた。

セオドールはそれを見上げ、面倒そうに顎をかく。

少し考えたあと、しゃがみ込んだ。


「乗れ」


「……え?」


「この先は無理だろ」


「だ、大丈夫です!」


「そうか」


短く返した次の瞬間。

セオドールはフィオナの腕を掴み、そのまま背中へ背負い上げた。


「きゃっ!?」


「暴れるな」


低い声が落ちる。


「転ばれる方が面倒だ」


「で、でも……!」


「暴れるな……こっちの方が早いだろ?」


「それは、そうですけど……恥ずかしいです!」


「誰も見てねえよ

それに、テメエが怪我でもして、テオに小言を言われるのは御免だからな……大人しくしてろ」


ぶっきらぼうな言い方。


それでも――腕は揺れなかった。



フィオナは観念したように、小さな手をセオドールの首に回し、その肩に顔を埋める。


「……ありがとうございます」


蚊の鳴くような声。

セオドールは短く「おう」とだけ返すと、重い鎧を身につけているとは思えない軽やかな足取りで、森の深部へと踏み込んでいった。


……この先に、あの時の魔女がいる


セオドールの視線は鋭く前方を見据えていた。

その背中に伝わる温もりを、意識から切り離すように。


レオンが、命を賭けて守ろうとしているもの。


そして――

テオが見せようとしている真実。




「……変な気配がしたら、すぐに言えよ」


「……はい」


二人の気配が、深く、静かな森の闇に飲み込まれていった。


■□■□


どれほど森の奥へ進んだだろうか。

セオドールの足音が、腐葉土に吸い込まれていく。

やがて、視界を遮っていた深い霧がわずかに晴れ、木々の隙間から小さな家の影が見え始めた。


「……あ」


フィオナが小さく声を上げる。

同時に、セオドールの全身の筋肉が、戦場でのそれと同じ鋭さで強張った。


「……誰だ」


地を這うような低い声。


家の前から、音もなく現れた影があった。


漆黒の外套。

猛獣のように紅く光る瞳。


家の前から現れたその男を見た瞬間、セオドールの全身が戦闘態勢へ切り替わる。


「帝国騎士か」


ヴァルが鼻で笑う。


「随分な余裕だな

女もろとも消してやろうか?」


フィオナが息を呑む。


だがセオドールは一歩も退かなかった。


「今日は喧嘩しに来たわけじゃねぇ」


剣の柄に手を置いたまま続ける。


「そこにいるんだろ?

レオが命懸けで守ろうとしてる魔女が」


空気が一瞬で張り詰めた。

ヴァルの瞳が細くなる。


その周囲の空気が熱を帯び始めた。



「……ッ」


フィオナの身体が、背中越しに小さく震える。

その圧倒的な殺気に、息が止まりそうになる。

けれど、ヴァルはセオドールの鎧の紋章を一瞥し、鼻で笑った。




ヴァルの周囲の空気が、焼けるような熱を帯びて歪み始める。

レオンの知り合いだろうが、ディアに近づく者はすべて敵だ。


「……ヴァル? 誰か来たの?」



その緊張を切り裂いたのは、家の中から聞こえてきた、澄んだディアの声だった。

扉が開き、差し込んだ光の中に、一人の少女が姿を現した。

陽の光を知らないような白い肌に、淡い色彩。


フィオナは、あの時自分を助けようとしてくれた「赤い瞳の魔女」の姿を見つけ、ぱっと表情を明るくした。

視線に気がついたディアが近づこうとするが、ヴァルが片腕で制止する。


「家にいろ、ディア」


ヴァルの紅い視線が、セオドールの喉元を射抜く。


「――だから、殺り合うつもりはないって」


「ならば、今すぐ消えろ」


ディアは、反射的に自分のフードを深く被った。

あの時、フィオナを怖がらせてしまった、自分の白い髪を隠すように。



ディアが身を縮めた、その瞬間だった。


「……ったく、何コソコソ隠してんだよ」


セオドールのぶっきらぼうな声と共に、大きな手が伸びる。

フィオナを背負ったまま、迷いなくディアのフードを掴んだ。

ぐい、と容赦なく引き下ろす。

躊躇は、一切なかった。


「――あっ」


ディアが驚いて声を上げる。

セオドールは一瞬だけ目を細めた。


ヴァルが殺気を爆発させ、手をかけようとする。

けれど、セオドールの言葉が、それを止めた。





「せっかく綺麗な髪してんのに、隠すのもったいないだろ」




セオドールは、ディアの白い髪を一瞥し、笑った。


「誰もテメエの髪なんて怖がってねえよ……なぁ、フィオナ」


背中のフィオナに、話を振る。

フィオナは、ディアのフードが剥がされたことに驚きつつも、セオドールの言葉に力強く頷いた。


「……はい! ……その髪、とっても綺麗です!」


フィオナは、セオドールに背中から降ろしてもらうと、震える足でディアの前へと歩み寄った。

ヴァルの威圧感に足がすくみそうになる。


それでも。


伝えたかった言葉が、唇から溢れた。


「……あの、……助けてくれて、本当にありがとうございました!

名前も聞けずに、お礼も言えずに……ずっと、後悔してたんです

貴女は

私の、命の恩人です!」


真っ直ぐな、感謝の言葉。


ディアは、フードを剥ぎ取られた驚きと、セオドールとフィオナの言葉に、瞳を丸くしていた。



怖がられると思っていた。


けれど、二人の瞳には、自分への畏怖も、蔑みも、欠片もなかった。


「……きれい……?」


ディアは、自分の白い髪を指でなぞる。


「……お礼を……言いに来たの……?」


「はい! ……ご迷惑だったら、すみません」


フィオナが頭を下げる。

ディアの口元が、ゆっくりと、綻んでいく。


「……ううん……嬉しい」


小さく、何かを確かめるように呟いて――


その笑顔は、

帝国のどの令嬢よりも、純粋で、温かかった。




■□■□


風が、止まった。





森のざわめきが、嘘みたいに消える。


代わりに——

ぬるり、とした気配が空気を這った。


「……来るな」


セオドールの声が低く落ちる。

その瞬間。

木々の奥から、何かが“引きずられる音”がした。

ぐちゃ、と湿った音。

現れたのは——人の形をしていた。

けれど、腕は不自然に垂れ下がり、関節は折れたまま戻らない。

首は傾き、焦点の合わない目がこちらを向いている。


そして——その体には、黒い“何か”が絡みついていた。生きているように、脈打ちながら動いている。


「……ッ」


フィオナが息を呑む。


「下がれ」


セオドールの剣が抜かれる。

だが——


「待って」


ディアの声が響いた。

ディアが一歩、前に出ると、ヴァルの視線が鋭く細まる。


「……またか」


低く、警告する声。


「無駄だ、ソレはもう、人じゃない」


それでも。

ディアは、ゆっくりと歩み寄る。


「……違うよ」


ディアは迷わず、その姿を見つめた。


「まだ……いる」


赤い瞳が、まっすぐにその存在を見つめる。

震える声が、漏れた。


「……た……す……け……」


掠れた音。

言葉になりきれない声。

フィオナの目が見開かれる。


「……人……?」


セオドールの眉がわずかに動く。

ヴァルは舌打ちした。


「……面倒だ」


ディアは、手を伸ばす。

黒い“それ”が、反応した。


「……苦しいよね」


優しく、囁く。

触れた、その瞬間——

空気が弾けた。

黒いものが暴れ出す。


「ッ、下がれ!」


セオドールが叫ぶ。

だがディアは離れない。


「大丈夫」


その声は、不思議と静かだった。


「大丈夫……ここにいるよ」


黒が、軋む。

裂けるように、震える。

やがて——動きが、止まった。


黒が、ゆっくりと剥がれ落ちる。


地面に溶けるように消えていく。

残ったのは——ただの、人だった。

崩れるように、その場に倒れる。


「……ぁ……」


かすかな呼吸。

ディアは、その身体を支える。


「もう、大丈夫」


微笑む。

その人の目が、かすかに開いた。


「……ありがとう……」


ほんの一瞬だけ。

穏やかな顔だった。


「ディア」


その身体が、びくりと震えた。

ヴァルの気配が変わる。


「……来るぞ」


黒が——

再び、這い上がる。

今度は、さっきよりも濃く、深く。


「……やだ……」


ディアの声が、震える。


「まだ……!」


「コレも手遅れだ」


ヴァルの声は、冷たい。


「器が保たない」


黒が、完全に覆う。

目が、濁る。

もう——戻らない。


セオドールが、一歩前に出るよりも早く、ヴァルが動いた。


手を振り下ろす。

武器を使わずに、目の前の黒い何かを断ち切る。

霧のように散って消えていく。


残ったものは——何もない。

ディアの手の中には、もう何もなかった。


「……っ」


指が、空を掴む。

震えていた。

ヴァルは、何も言わない。

ただ、ディアを見る。


「……なんで」


かすれた声。


「ッ、今回は助けられたのに……」


ヴァルは、短く答えた。


「助けたからだ」


その言葉は、残酷で。

そして——どこまでも、正しかった。

白い髪が揺れる。


「……そっか」


小さく、呟いた。


「……でも……」


ぎゅっと、拳を握る。


「最後は……苦しくなかったよね」


誰に向けたわけでもない言葉。

風が、静かに吹いた。




フィオナは、何も言えなかった。

ただ——

涙だけが、頬を伝っていた。



■□■□


黒は、完全に消えた。

跡形もなく。

まるで最初から存在しなかったかのように。

森は、再び静寂を取り戻す。

けれど——

その場に残った空気だけが、異様に重かった。


「……今のは、なんだ」


一歩、踏み込む。

セオドールの視線は、ディアではなく——ヴァルに向けられていた。


「魔獣、ではないな」


剣はまだ下げていない。

警戒は、解いていなかった。

ヴァルは答えない。

ただ、退屈そうに視線を逸らす。


「……知らなくていい」


短く、切り捨てる。


「おい」


セオドールの声が、わずかに強くなる。


「答えろ、あれがこの森に“普通にいるもの”なら——」


言い終わる前だった。


「ッ、ぁ」


フィオナが膝ついた。

寒気に襲われ、自身の身体を守るように抱きしめた。

セオドールの視線がフィオナに移る。


魔石が——濁っていた。

赤だったはずのそれが、内側から黒く染まっていく。

じわじわと。

まるで、さっきの“黒”と同じように。


「……え……?」


フィオナの声が震える。

セオドールも気づいた。


テオに渡された時の言葉が、脳裏をよぎる。

『それが黒くなる前に戻って下さい』

瘴気を防ぐためのもの——そう説明されていた。




「……チッ」


舌打ち。

その瞬間、ヴァルが鼻で笑った。


「時間切れだな」


冷たい声。


「それ以上ここにいれば、同じになるぞ」


フィオナの顔色が、一気に青ざめる。


「同じって……さっきの……?」


言葉が、続かない。

ヴァルは一瞥すらくれない。


「帰れ」


一言、それだけだった。


「……まだ話は終わっていない」


セオドールは動かない。

だが——魔石の濁りが、さらに広がる。

ぴし、と小さなひびが入る音。


「ッ……!」


フィオナが息を呑む。

その様子を見て、セオドールの判断が変わった。


「……行くぞ」


短く告げる。

フィオナの腕を掴み、引き寄せる。




フィオナはディアに視線を向けた。


「……ッ」


何か言おうとして——言葉が出ない。



ディアも、何も言わなかった。

ただ、小さく微笑む。

何も言えないことを、隠すように。


フィオナの瞳が揺れる。

その意味を、まだ言葉にできないまま。


セオドールは森の外へ向かって、走り出した。

足音が、遠ざかっていく。

やがて、完全に気配が消えた。


ヴァルが、ふっと息を吐く。


「……面倒なのが増えた」


ディアは答えない。

ただ、自分の手を見ていた。

さっきまで、そこにあったはずの重み。



「……助けられたのに」



小さく、零れる。

ヴァルは何も言わない。

その沈黙が、すべてを物語っていた。



10章を読んでいただきありがとうございます。


ディアの優しさと、ヴァルの考え方の違いも少し見えてきたかなと思います。


そして、森に潜む異変も少しずつ姿を現し始めました。


次回もよろしくお願いします!

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