3:走光性プログラム
ウィングの瞳が、暗闇にそびえたつ光の筋をとらえた。
階段を大きく飛び越え、広いホールへと降り立つ。
天高くそびえる純白の塔〔T-テオ-〕を背に、北条博士が穏やかに振りかえる。
「ウィング、あんたがここに来てくれたことを誇りに思う」
ウィングは大きく頷き、示し合わせたように北条博士の隣に立った。
北条博士が〔T-テオ-〕に両手をあてたとたん、〔T-テオ-〕は待ち構えていたかのように起動する。
光のパネルがたちまち結晶ように形作られ、ハニカム型のキーボードが広がった。
「これより、リガンド(再生シグナル)を〔T-テオ-〕に閉じ込め、ポッドのクローン達を無害化する」
北条博士の両手がライトのように輝くが、電灯とは違った新たな光だ。
最初は白く、そしてどこかエメラルドに近い色に変わっていく。
「……私がRATになって、〔T-テオ-〕をこじ開ける。カウントダウン、5……4……」
ウィングは北条博士が展開した光のパネルに両手をかまえた。何度も組んだ〔抗原プログラム〕は隅々まで頭に叩きこんである。
「……1……開始」
その北条博士の声を合図に、ウィングは光るキーをピアノのように叩いた。
息を荒くした北条博士の手が真っ白に輝き、分解されていく。ウィングは思わず北条博士を見た。
北条博士はどうということなく、ウィングに横目で物を言う。
「解析に分子結合が解かれてるだけ。……もって1分、頑張って」
北条栞は、最期の息を細く吐いた。
こうして死を迎えるのはこれまで幾度もあった。ヒトが今の姿かたちになるより遥か昔から、何度も死んでは甦ってきた。
平穏に過ごした時もあれば、幾度も自殺した時もあった。狂い果てても壊れても、またまっさらな体で再生される。
手を取ってくれた彼はもういない。いくら彼の形をした模造品を造っても、それは本人に似ただけの肉の器に過ぎないのだ。
北条栞はふと、独りぼっちにしてしまったサムソンの事を思い出していた。
灰の人形になった北条博士はたちまち崩れ落ち、床で粉のように広がった。命を懸けた北条博士に、ウィングは奥歯を噛みコントロールパネルを打ち続ける。北条博士が死んだことで、〔T-テオ-〕の光がたちまち失せつつあったからだ。
この世には光と闇がある。闇から光が生まれ、宇宙となった。
生命のその在り方しかり、生命そのものは宇宙の一部でありその縮図ともいえる。
故にどんなに残虐な人間であろうとも、必ずどこかに[光]がある。
仏教でいうところの仏性は、精神的に病でもない限り、[愛]という名の光を個々に宿しているものだ。
ウィングはプログラムを組んだ。[愛]という名の抗原プログラムを。
グレアに出逢った事で、ウィングは生まれ変わったのだ。
ウィングはグレアを一心に想った。愛する幸せを、愛される幸せを、すべてグレアが教えてくれた。
それは、言葉にできない走光性プログラム。
ウィングはふと背後に気配を感じた。だけどかまわず打ち続けた。もう少し、……あと少しで打ち終わるのだ。
エンターキーを弾いた瞬間のこと。
「やめろ!」
マラークの声が響いた。大きく両手をかざしたマラークから、波動の波が放たれる。
とたんウィングの頭がぽんと音をたてて破裂した。コンソールに真っ赤な花が咲き、ウィングは糸が切れたように膝をつき、ゴミのように崩れ落ちる。
肩で息をするマラークが、唾をのみ大きく息を吐いた。
「……書き換える、つもりだったか」
ジャッドの銃撃により痛む足を引きずり、マラークは血まみれの〔T-テオ-〕に手をついた。
「〔T-テオ-〕はまだ収束していない。このまま全機能を停止すれば……最小限の被害で済むはずだ」
マラークが好機にウィングのプログラムを消去しようとした瞬間だった。
背後から突然髪を掴まれたマラークは、大きく後ろに放り投げられた。
ガラスのようになめらかな床にマラークが滑り、手すりに激突する。襟元を掴まれた瞬間すぐさま拳を打ち付けられ、マラークはそのまま、何発も何発も何発も殴り潰された。
片目が潰れたマラークは、拳の主である会長を見た。
ジャッドのレンズにより正気を取り戻した会長は、自身が乗っ取られている間に起こった事すべてをその目に見せつけられていたのだ。最愛のヘレナの恐怖にひきつった顔に、会長は気が狂いそうだった。殴り飛ばし、罵声をあびせ、涙を流すヘレナの瞳に映った自分を心の底から呪った。
かけつけたマリアの部屋で、血と涙に濡れたヘレナを抱き上げた時に、会長のすべては切り落とされたように終わったのだ。
会長の声にならない怒号が響く。
悲しみも通り越した純粋な絶望と憎悪と殺意を前に、マラークは初めて恐怖の絶叫をあげた。間髪いれず、会長の拳がそれを叩き潰す。
マラークは死に物狂いで手をかざした。会長の頭が鈍く割れ、こめかみに血が流れる。それでも会長の拳は止まらなかった。
2発、3発目にしてやっと、会長はぐらりとマラークに倒れた。会長の頭蓋が砕け、零れ落ちた脳味噌がマラークを埋める。
脳味噌をぬぐったマラークだったが、会長を押しのけようにも撃たれた肩に力は入らない。
「……う、宇宙の、歪みを正さ、ない……と……」
虫のように這いつくばり、必死にもがくマラークの指先がパネルに触れた。
マラークは目一杯手を伸ばす。どんどん視界は揺らぎ、意識がのぼっていく。
そして震えるマラークの手がずるりと落ち、力なく血の池に落ちた。
瞬間、〔T-テオ-〕は見届けたかのように、夜明け色の光を放った。まるでスペースシャトルの打ち上げのように眩く、波打った光が龍のように昇り上がっていく。
同時、バックドアは溜息が消えるように収束した。静寂の中、〔T-テオ-〕は何事もなかったように静まり返ったのだった。
海底のような暗闇に包まれた〔T-テオの-〕真上の階では、ポッドルームが雷のような閃光を放った。
一瞬だったが、それはあまりの熱量だった。
ポッドルームでは、幾つかのクローンが沸騰した羊液で絶命した。
アラートの中、幾つか難を逃れたポッドの生命維持装置が点滅する。コインランドリーにも似た培養槽は次々と浮き上がり、生卵のような液体が溢れた。
次々と目覚めたクローン達は、目も当てられないほどの重症だった。
溶けた皮膚を引きずりながら激痛に呻く者や、水を求めてドアを叩きながら死んでいく者もいた。いずれも油のように喉に張りつく蒸気の中、次々と絶命していった。
「プリズム反応確認! 全部隊すみやかに撤退せよ! 繰り返す、全部隊撤退!」
ポッドルームの外で武装待機していたAR軍の声が響いた。
ポッドルームのうめき声が消えてしばらく。あるガラスの扉を押し開けた少年が1人、力無く床に落ちた。
少年は2、3痙攣し、口内の液体を吐いた。大きく咳込み、水音が大きく響く。
生まれたての小鹿のように震える彼は、両手をつき、片膝をつき、ゆっくりと起き上がった。
それは、新しいマラークの誕生の瞬間だった。




