4:あなたじゃないと、意味がない。
遠くの救助隊の声に、マリアは薄目を開けた。
目下に揺れる赤い髪、盾となって壊れたゼロに、マリアは奥歯を噛んだ。仰向けに寝かせ、いつものようにゼロの頬を叩く。
「……起きなさい、ゼロ……」
胸元に蜂の巣のようにあいた弾痕から、黒く細い煙があがる。
「っ起きなさいッ……」マリアの声に涙がかかる。
「命令ですわよゼロ、起きっ……ゼロ、ゼロ……」
真珠のような珠の涙がゼロの頬におちた。虚しくも水を弾くようなショート音が返るだけで、ゼロが目覚める事はなかった。
呆然としたマリアは痛む腹をおさえつつ、廃墟と化した自室の奥へ向かう。
ベッドで静かに横たわるヘレナは陶器のように白く、静かにこときれていた。マリアは呆然と後ずさり、血まみれの床に膝をつく。
救助隊の呼びかけに、マリアは静かに顔を上げた。
差し出された手をとらず、マリアは転がる銃を杖に立ち上がる。
血まみれの腕で涙をぬぐう、その瞳にかつての無垢な少女の面影はなかった。
…
静かな〔T-テオ-〕の足元では、救助隊により会長達の遺体がしめやかに回収されていた。
駆け付けたサムソンが見たものは、北条博士だった粉と、難を逃れたポッドから取り出された新しい北条栞だった。
エレナほど幼い赤ちゃんの北条栞の、鮮やかな翡翠色の髪が光る。サムソンは呆然と赤ちゃんを受け取った。
「……髪が緑に……〔T-テオ-〕の光で羊膜壁がコスモクロア反応を起こしたのか……」
記憶は情報に過ぎない。クローンは記憶を持たない。
サムソンは心に穴が空いたようだった。いつか北条博士が言った言葉が胸に刺さる。
《全部が終わったら、キミはこのクローンと好きに過ごすといい》
彼女は最初から、この結末をわかっていたのだ。
「……北条博士……君じゃないと、意味が、ないのに……」
サムソンはそう声を震わせ、溢れる涙に目を伏せた。
こうして夜明けとともに、悲劇は終わった。
裏の歴史に刻まれたこの日は、たった一夜の出来事だった。
新生マラークが誕生した瞬間、内部テロを起こしていた研究員たちは次々と倒れていった。
先の検視の結果、テロを起こした研究員たちの脳内にスティモシーバーの痕跡が確認されることとなる。
暴徒と化した研究員たちは〔AR軍の人道的救済活動によって制止された〕として、悲劇の一夜は〔イルミナの内部テロ〕という形で収束を発表された。爪痕は深く、13血流もまた統制に深手を負ったのだった。
大きな産声を、ウィングがきくことはなかった。
グレアの元に悲しい知らせが届いたのは、それからしばらくしてからの事。グレアの涙に誰もが目を伏せた。
イルミナ復興活動の最中、ミルクにどっぷり浸したかのような医療室は、棺のようにしんと静まりかえっていた。
ウィングが亡くなってからというもの、グレアはまるで人形のようだった。笑いもせず、泣きもせず、ただぼんやりと息をしているだけだ。
ウィングがいない、その言葉はグレアにとって何よりも残酷な現実だった。
そんなグレアに、アーロンは毎日面会に訪れ、返ることのない会話を投げかける。
今日はいい天気だよ、サクラの花が綺麗だよと。しかしグレアは返さない。ただ静かに、腕の中の赤ちゃんを見つめるだけ。
赤ちゃんの翼色の髪が太陽に輝く。
褐色の肌、赤い瞳、まるでウィングの生まれ変わりのような赤ちゃんは、無垢にグレアを見つめていた。
「グレア!」
ある日、アーロンが息をきらしかけつけた。赤ちゃんを起こさないよう、そっと扉を閉める。
動かぬグレアの手の平に、1つ輝くものをのせた。
グレアの視線がちらと動く。それはナットを粗削りにしたような、いかにも手製のいびつな指輪だった。
「ウィングの部屋の照明から見つかったんです」
ふとグレアの瞳に指輪の光が射した。2人で一緒に過ごしたあの日に、ウィングが「まだ内緒」と照明の上に何か隠していたこと。
そっと指にキスをして、愛し気に頬ずりしてくれたこと。声なき愛の囁きの数々を。
冷えた心の奥底が、ウィングのあたたかい思い出で解けるように溶けてゆく。
グレアは左手の薬指にそれを通した。いびつなリングは、ぴったりのサイズだ。
とたん言葉にできない感情が溢れ、熱い涙が一気にせきをきる。
ウィングの無邪気にふざける姿や、ふてくされる横顔、むせびなく姿や、優しい笑顔。
さりげない腕力や、無垢な優しさ。抱きとめて優しいキスをしてくれたこと、大丈夫だよって愛してくれたこと。
グレアは痛みに震えるような嗚咽を漏らした。熱い涙が赤ちゃんに落ちる。
赤ちゃんは小さな手でグレアの頬に触れ、春の雨のような温かい涙に濡れた。
「もっともっと、そばにいたかった。……いつまでもそばにいたかった。もっと喧嘩もしたかった、一緒に散歩したかった……
したい事も、してあげたい事も、たくさん……伝えきれてない言葉も、たくさんたくさんあったのよ……ウィング」
あなたじゃないと、意味がない。
あなたの隣でずっと、歩んでいきたかったのに。
……・……
……あれからもう、16年にもなる。
薬指にいびつに光るリングを見て、グレイシアは窓の外を見上げた。
イルミナ研究所という鳥籠に閉じ込められ、くる日もくる日も研究漬けの毎日。
卓上に並ぶフラスコや試験官の山を横目、そっと胸元から息子の写真を取り出す。
「今日でちょうど、16年……」
某郊外の荒野にたたずむ、イルミナ生命工学研究所。
地平まで続きそうな塀はさながら刑務所のようで、高圧電流の金網が蛇のようにとぐろをまいていた。
そこに一筋の光がさすのはそう遠くない未来の事。
……辛いながらも、日々は続いた。
ー おわり ー
MIB1st contact へ続く
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