2:生の苦しみ、死の痙攣
「うっ、ぅうっう……!」
なんとか仰向けになったグレアは、湧き上がる抗いようのない波にいきみ、一息ついてはまた呻いた。
ベッドのパイプを掴み、また大きくいきんだ瞬間だった。
「グレア!?」
医療室の扉が大きく開け放たれ、血相をかえたアーロンが駆け寄る。
「ッお前じゃねぇえええあああああッ!!」
グレアがいきみまま、自分でも解らぬ怒号を上げる。脳の血管か何かが、ぶちぶちと切れるような感覚があった。
それにミリアムが恐怖に固まり、ビッグメンが腰を抜かす。アーロンに続いていた屈強な軍人たちも、大仰天にその場に固まった。
「待って待って、まだいきまないでッ! 赤ちゃんが潰れます!」
ミリアムを降ろしたアーロンが軍人たちに指示し、手を消毒まま駆け寄った。泡を食う軍人たちが、見合う間もなくアーロンに続く。
グレアは誰かが数人、担架に乗せる要領で自分をシーツに移動させたのがわかった。
全員野郎じゃねえか誰だよお前らこのクソが、とグレアは思った。だがそれどころではなかった。
再びグレアの絶叫が、病室に響いた時の事。
窓のカーテンにシュートをかましたウィングが滑るように転がり込んだ。
ウィングに銃口を向ける軍人達を、アーロンが手で制止する。
ウィングはとっさにグレアにかけより、その手を両手で包み込んだ。
グレアはとたん涙に溢れた。どういうわけか痛みが溶けるように楽になり、ウィングの愛しさで胸がいっぱいになる。
グレアはウィングの背をかき抱き、悲鳴にも似た嗚咽をあげた。
「うわああんウィング……! ウィング~!」
ウィングは応えるように抱きしめ、グレアの額にキスをする。
グレアはウィングを背をかき抱き見上げた。その凛々しい横顔、炎のような眼差しに胸が熱くなる。
いつもの「大丈夫だよ」のキスに、グレアは瞳を閉じて身をゆだねる。
ウィングは感じた。今まさに、愛するグレアが自分の子を命がけで産もうとしていることに、胸がいっぱいになった。
この命を守らねばと、心から思った。命は世界中にあるのだ。望まれぬ存在でも、すべて尊い生命なのだと。
グレアからそっと身を離したウィングは立ち上がった。その瞳の先は遠く、オラムに向く。
惨劇に決着をつけるために。
「っ行くんですか」
アーロンが歯痒げに声を投げる
振り返ったウィングは、生前のマラークと同じ目をしていた。
〔アヴァルさん、どうかグレアを頼みます。僕は北条博士の手助けにいかないと〕
自身の名前にアーロンが目覚めるように息を呑み、静かに頷く。
「……わかった。気を付けて」
痛みに喘ぐグレアが、切にウィングに手を伸ばす。
「ウィング、ウィング、お願い……、そばにいてっ……!」
ウィングは最後に抱きしめ、キスをした。大丈夫だよ、というキス。いつもの優しいキスを。
〔愛してるよ、グレア。何よりも愛してる。君は僕の世界、僕の太陽だ〕
名残惜しそうにグレアを撫で、手が離れた。
グレアの切ない声を背に、ウィングは助走をつけて窓の外へ飛び込んだのだった。
ウィングは涙をふりきった。大好きなグレアの声が風に消える。
夜空に大きく飛び上がり、うんとイルミナを見下ろした。
夜明けが訪れつつあった。
わずかに見えた太陽を背に、滑空ままオラムへ飛び込む。
疾風に飛んだウィングは、流れ星のようだった。
……・……
「引きなさい、私はマリア・モルガンですのよ!」
身代わりに盾となったイルミナの警備兵を押しのけ、マリアが半狂乱に叫ぶ。
細い手で銃をかまえ、侵入してきた研究員を次々と蜂の巣にし、震える手でマガジンを装填した。
『マリア!』
銃撃をうけたマリアをゼロがとっさに庇い、銃を放つ。
割れるような金属音が響き、ゼロは煙をあげても片腕が飛んでも、マリアの盾として銃を撃ち続けた。
背で嗚咽を漏らすマリアを守るために、人に銃を撃ち続けた。
しかしゼロの情報処理は穏やかだった。それはマリアをなんとかして守れないかだけを最優先に考えていたからだ。
モニターが割れても、メモリにひびが入っても、考えていた。
(ああ〔T-テオ-〕、僕の大先輩! 僕の声がきこえるなら、……)
そう思った時、人工レンズにヒビが入った。ぶつりと世界が暗くなり、水に潜ったかのようにマリアの声が遠くなる。
やがて考えることができなくなって、ゼロは深海に沈んでいくように機能を停止したのだった。
耳が割れそうなほど、響きわたる銃声。
硝煙のにおい。たくさんの靴音。血のにおい……
銃撃をうけたヘレナは、血で真っ赤な絨毯の真ん中で、息絶え絶えに泣きわめくエレナを抱きしめていた。
ミカエルは、ヘレナの傍らで涙するしかできなかった。
止血のほどこしようがなかった。ヘレナはすでに死の痙攣におそわれていたのだ。
「……エレナ……エレナ……」
ヘレナが泣きわめく娘エレナを撫でる。苦しみに喘ぎ、生き絶え絶えにミカエルを見た。
「おねが、エッ……レナを……あんぜんな、ところ……へ」
ミカエルは大きく頷き、エレナを抱き入れる。
「マッマ! マッマーッ! やだ、やだああマッマ―ッ!」
泣きわめくエレナの小さな手が、ヘレナの血まみれの服を必死に掴んでいた。
泡の血を吐くヘレナの頬に、大粒の涙がおちる。
「ッごめんね……ごめんね……」
焦点の合わない瞳が空を泳ぎ、寝入りばなのうわ言のような囁きが、銃声に消えていく。
エレナを切になでる震える手が、力無く血だまりに落ちた。
「ヘレナさん……!」
ミカエルが声をあげた時にはもう、ヘレナはこと切れていた。うつろな瞳は血の池に半分沈んでいる。
ミカエルの背後では、マリアの悲痛な声とゼロのショート音が響いていた。
なだれこむ研究員の足音に、ミカエルはヘレナの服を必死に掴むエレナを抱き上げた。
小さな手が振りほどかれ、返り血まみれのエレナが大絶叫をあげる。その声に、肩甲骨の下に力が入った。
ミカエルはフェザーチャイルドの不良品だった。身光背反応のかけらもないと診断され、廃棄コンテナで処分されるのを待っていた。
見た目が綺麗だから可哀想、とマリアに引き取られた。どうせ飽きて捨てるんだから、とっとと殺してくれりゃいいと思っていた。
そんな灰色のこの世界で、エレナだけがぴかぴかと輝いていたのだ。ミカエルはその時やっと、世界を理解した。
自分は〔エレナのおねえちゃん〕になるために、この世に生まれてきたのだと。
「ヘレナさん、安心して。あたしはこの身に代えてもエレナを守りぬく。何があっても……!」
ミカエルはエレナをきつく抱きしめ、湧き上がる思いに目覚めるように走った。
背中がうんと熱くなる。勢いをつけ窓の桟に足をかけ、エレナを抱いたミカエルはそのまま星空へ飛び込んだのだった。




