1:不定形エキゾチック型エイリアン
ジャッドは腕時計に目をやって溜息一つ、書類をまとめた。
マラークが会長になってからというもの、物騒な処理が目立つようになってきていた。
慌ただしい現場に顔見せする間もなく、会議の連夜に気が落ちる。
連日続いた徹夜に、ジャッドは大きなあくびを噛み殺す。
10代の頃は1ヶ月ぶっ続けの訓練にもビクともしなかったものだ。
今はただベッドに飛び込みたかった。今なら死んだように眠れる自信がある。
マラークが会長になってからというもの、まるでバケモノの口の中に入ったかのような薄気味悪さがあった。
まるで夢の中で泳いでいるような、閉鎖的な感覚だった。だが前会長は気持ちが悪いほど上機嫌なのだ。
最初こそ重圧から解放された反動かと思っていた。しかしどこかおかしい。
どこがおかしいか考えを巡らせようとすると、まるで油を塗った鉄棒のように掴みどころなく思考が散っていくようだった。
(疲れた……とにかく寝たい、疲れた……)
ジャッドは鉛のような溜息ひとつ、ふと先代……前会長の父を思い出した。
息子の支えになってくれと静かに囁いた大きな背を。
それは四面楚歌の自身の境遇を憂いたものだったのか、今のような状況を憂いてだったのか、もうわからない。
ジャッドは自分の身の振り方を見極めれずにいた。
「失礼します」
そう会長室をノックしたジャッドは、信服ある配下の顔で「申し上げます」と続けた。
「申し上げます。既存軍部の戦闘領域拡大と、フリゲートの納入が完了しました」
ジャッドから報告書を受け取った前会長が、満足げにジャッドの肩をひとつ叩く。
「やっぱりお前は最高の部下だ。私も鼻が高いよ!」
それにジャッドは口の端を引き上げ、ありがとうございますと穏やかに口角をあげてみせた。
「そうそう、今日は話がある」
前会長はそう言って、ジャッドにソファをすすめた。
めずらしく嫁ヘレナと娘エレナの姿が見当たらない事を不思議に思いつつ、ジャッドは言われるまま腰を落とす。
「最近どうだ?」
笑顔の前会長にどうだも何もと思いつつ、ジャッドは適当な返事をした。
前会長はちゃんと聞いているのかいないのか、軽い相槌をうつ。およそ本題があるのだろう。
そのジャッドの読みは当たり、キリのいいところで前会長がさてと切り出す。
「そろそろ腰を据えないか?」
その言葉にジャッドは一瞬何かと思った。前会長は続ける。
「嫁さんだよ。喪に附す時期はとっくに過ぎただろう?」
ジャッドはとたん、胸が張り裂けそうになった。前会長の笑顔に吐き気と眩暈すら覚えた。
(どの口が言う、マリンと子供が死んだ時、一番そばにいて共に涙してくれたのはお前じゃないか!)
前会長は芝居がかったように眉をさげ、少し間をおいて続けた。
「実はモスマンを種馬にしようと思うんだ。メスは生涯出生数に限りがあるのに、ケッコンしたら他のメスと子作りしないなんて効率が悪い。
優秀な種はどんどん残していくべきだ。グレイシアの子含め、産まれた子供達はイルミナの優秀な〔戦力〕になるだろう。
残ったグレイシアはお前がツガイになるといい、ジャッドはあのメスが気に入っているんだろ? あと数匹は産めるだろうから褒美にどうだ」
その言葉にジャッドは声が出なかった。時計の針の音がやかましい。
「……、少し……」
ジャッドは目をふせ、ようやく絞り出した声でかたく言い切った。
「少し時間をください」
……・……
「ぱっぱ! おかえぃー!」
ジャッドの帰宅に、ミリアムは上機嫌に飛びついた。
ミリアムはサムソンと一緒に買い物したことや、ビッグメンが食堂でそそうをしたこと……たくさんジャッドに伝えたかった。
けれどジャッドは苛立ちに「家でくらいゆっくり休ませろ」と吐きつぶし、酒をあおる。
ここ最近、特にマラークが会長になってからというもの毎日そうだった。
ミリアムは今夜も寄り添うビッグメンをぬいぐるみのように抱きしめ、遠くで聞こえる晩酌の音さみしく眠りについたのだった。
その夜、ミリアムはめずらしく夢をみた。
目くるめくお菓子の夢だ。サイダー味のジュースの川でひと泳ぎ、キャンディシュガーでお城を作る夢のような夢だ。
甘いグミを咀嚼しつつふと、ミリアムは口に転がるものを手に吐いた。真っ白のそれは、自分の歯だった。
驚く間もなく歯はたちまち零れ落ち、ミリアムはびっくりして夢の中で泣き叫ぶ。
そして、藁をも掴むように目覚めた。
月明かりが薄っすらと寝室を照らしていた。
隣ではジャッドがいびきをかいている。怖い夢に胸をなでおろしたミリアムは、ビッグメンをヌイグルミのように抱きしめた。
ふと目覚めたビッグメンがミリアムの頬を舐める。それにたちまち体の感覚を思い出したミリアムは、尿意に膝をもじつかせた。
「ぱぱ、おちっこ……」
ミリアムはジャッドを揺り起こそうとしてやめた。
いつもはすぐに起きてくれるジャッドだが、どうもここ最近疲れ切っているせいかすっかり寝入っている。
いつも訓練のせいか寝息ひとつたてないはずなのに、いびきをかいているのが不思議だった。
ミリアムはそれにふと違和感を感じ、月明かりに照らされたジャッドを見つめた。
ふとして、ジャッドのおでこをぺろりと舐める。舐めて、首をひとつかしげた。もう一度舐めてみて、今度は大きく首を傾げた。
なんだか鉄っぽい味がしたのだ。匂いも、いつもとどこか違うと。
違和感にミリアムは犬のように鼻をひくつかせ、ジャッドの鼻の穴に押し付けた。
鼻息は、やはり鉄っぽい臭いだった。粉っぽい液体のような、固い臭いだ。
「へんなにょーい。くよいによい。おくしゅいみたい、くっしゃー」
ミリアムは鼻をつまんで言った。
ふと思い付きに小さな口を開き、ジャッドの鼻を大きく咥える。
「ふばッ!」
ジャッドは大仰天に声を上げ、ベッドでくの字に飛び上がった。
まるで海に投げ込まれたかのような鼻腔の激痛に、鼻を咥えているミリアムを反射的に突き飛ばす。
同時、連動してジャッドの鼻から抜けたのは、ミリアムの口から出た長いゼリー状の本体だった。
ころんとひっくり返るミリアムに、ジャッドが声を上げる。
「ミリアムッ……!」
ミリアムはちょっと転がってから、夢の歯のように何かを手に吐き出した。
手のひらで、銀色の小さな何かが光る。ミリアムの口から出たゼリー状の本体が、まじまじと手の銀色の何かを見た。
「ナんかアったのよォ」とゼリー状の本体が、人あらざる声をあげる。
ゼリー状の本体が、勢いよくミリアムの口の中に戻っていく。
それをゴクリとひと呑み、ヒトに戻ったミリアムがぱちくりと目をまばたきひとつした。
「こえとえたのよ」
ジャッドは激痛に鼻を押さえていた。流れ出る液体が鼻血である事に内心舌打つ。
長い家族生活の中で、ジャッドはついミリアムがエキゾチック型エイリアンだという事をすっかり忘れていた。
引き取った当時、愛情表現のひとつとして鼻水を啜ろうとしてきたことを思い出す。
「お前、寝ぼけてるのか? ……くそッ鼻血が……!」
ジャッドがティッシュを掴もうとしてミリアムに当たり、手の銀色がカーペットに落ちる。
「あ! どっかいったった」
それにジャッドが声をあげた。
「どっかいっちゃったーじゃないだろッ! 前にも言っただろ、人の鼻を啜るなって!
すごく痛かったぞ、こういう時なんて言うんだ……!」
それにミリアムが雷に打たれたように強張った。ミリアムに悪気なんて一切ないのだ。
「っめ、めんしゃいッごえんしゃ……ふぁああああ~ッ!」
ミリアムの号泣にジャッドは我に返って、気抜けに肩をおとした。手元のティッシュをみると、血はもうすっかり止まっている。
「あー……悪かった、怒鳴って悪かった。寝ぼけてたんだな、わかったから……もうしちゃダメだぞ……」
小さなミリアムを抱きしめて、オシッコで冷えたやわらかなお尻を撫でた。
太もももまでオシッコで冷たく湿っている。追撃のビビリションがジャッドの手を温かく濡らした。
「ごめんな、もう怒ってないから泣くな……。小便まみれだから風呂で一緒に流そう、な」
温かいシャワーでミリアムの泡を流すジャッドが、爽やかな感覚にふとした。
なんだか妙に頭がさえるというか、脳を何十にも覆っていた重い膜のようなものが剥がれたような、とにかく妙にスッキリしたのだ。
「なんだか疲れが一気にふっとんだな。入眠の昼寝ってやつか?」
ミリアムは柔らかなバスタオルで拭かれるさい、ジャッドの額を舐めた。
「こら、舐めない」と、ジャッドが優しくたしなめる。
ミリアムは、ジャッドがもう変な味も匂いもしなくなっていた事に胸をなでおろした。
大好きなジャッドの頭をぎゅうと抱きしめ、うんと頬ずりしたのだった。




