3:〔T-テオ-〕
満月に照らされた影が、ウィングをそっと揺り起こす。
その人影は、人差し指を口に当てたゼロだった。ゼロがグレアを起こさないよう、そっと囁く。
『夜分にごめんね。北条博士から緊急収集っスよ』
夜風が冷える渡り廊下を出て、ゼロとウィングは静かに研究所を抜け出した。
見回りをする量産型ゼロ達をよけ、スパイさながらフロアを抜けていく。
ウィングは異様な空気に息を呑んだ。量産型ゼロ達の様子は監視のそれだったからだ。
『今の量産型は、ネットワークを牛耳るマラークの配下だよ。ゼロはスクラップ処理済かつ独立してるから影響はないんス』
ゼロのささやきに、ウィングは静かに頷いた。
長い廊下の先には、遠近感がおかしくなりそうなほど見晴らしのいい、筒状のオラムの中央区域が広がっている。
真っ白な床は迷路のように張り巡らされていた。
その先に、石でも金属でもない濃い灰色の巨塔があった。
光の筋のように鮮やかな青色のラインが引かれてあり、明るいのに妙な暗さを感じる。
銀行の金庫か核収容所のような重厚な扉の前で、北条博士が軽く手をあげた。
「こっちへ」
北条博士はそう言って、塔の壁に手をついた。慣れた手つきでディスプレイに生体認証を通す。
そうして、扉は重々しくその口を開いた。
中は幅広い下り階段で、ホールとうってかわって恐ろしいほど暗かった。
まるで宇宙に放り込まれたかのような感覚に陥る。
おまけに墓の中のようにしんと静まり返っていて、ウィングはなんだか踵を返したくなった。
ウィングはよろめきもって、真っ黒の壁に手を触れてみた。ぼこぼこした黒いガラスの壁だ。
北条博士は物珍し気に壁を見るウィングを横目、ぼそと小さく呟いた。
「ただのテクタイト」
それにゼロが驚き、棒立ちに北条博士に首を振った。
『ここで過去に何があったの?』
北条博士は軽く答える。
「色々。この奥にイルミナの理念がある。中はファラデーケージ(電磁波侵入不可空間)でトラッキング対策済み。おいで」
とっとと行くぞ、そんな目つきだった。
しかしゼロは歩を進めることなく棒立ちだ。ウィングがふとゼロに振り返った。
ゼロは白いホールを逆光に、オラムの入り口で両の指をもじ付かせている。
『……ゼロが入っても大丈夫なの? 生体とはいえロボットっスから』
それに北条博士が軽く頷いた。
「自立歩行型コナトゥスは、独立した自己組織化生体漸増システム。量産型と違って、独立したゼロは問題ない」
とっとと降りていく北条博士に、ゼロが怯えもって1歩、そのあとは転がるように北条博士の背に続いた。
ウィングは息をのんだ。なんせ墨のように真っ暗なのだ。壁に手をつき、幅広い階段を下っていく。
暗闇に目が慣れる頃、階段が終わり広いホールへと出た。ウィングはようやくひと心地に大きく見渡す。
大穴の要塞ともいえるそこは思いのほか、湿度の高い澄んだ空気でひんやりしていた。
そして先にそびえるは、純白の巨塔だった。見上げれば腰が抜ける程の高さがある。
遠くの天井で、オレンジ色の照明が星のように煌めいていてなんとも妙な空間だ。
足元の歩道橋のような橋は純白の巨塔へと続いていて、橋の足元には鏡のような湖が広がっている。
北条博士は、純白の巨塔を背に静かに言った。
「これは最古の生体コンピュータ〔T-テオ-〕」
ウィングはまじまじと〔T-テオ-〕をみた。
青紫色にうっすらと籠目紋のような模様があるが、触れると恐ろしいほど滑らかだ。
北条博士がウィングの背に声をかける。
「これは約45億年前に地球に墜落した人類最古の生体コンピュータ〔T-テオ-〕。
正しくはこの中に〔T-テオ-〕がある。今見ているのは私が造った外皮。
地球に墜落した〔T-テオ-〕は撒き餌のように生命原理を放流し、45憶年前から延々とすべての歴史を記録し続けている。
〔T-テオ-〕はどこから来たのか? なぜ生命を放ち記録するのか? 地球やこの宇宙がなくなってからどこへいくのか? ……すべては謎。そうして墜落以降、ずっとこの場に存在している」
ウィングはふぅんと興味なさげに頷いた。北条におよそ本題があると踏んだのだ。
わざわざこんな時間に呼び出すほどの。
北条博士は淡々と続けた。
「〔T-テオ-〕は従来の人間の生活を便利にするツールではなく、コンピュータ延長上にない独立した存在。無数の生体コアと数百億の生体センサー端末でできているため境界のゆらぎが複雑で、意思のようなものまである」
ゼロは聞いているのかいないのか、まるで観光地に訪れたかのように歩き回っては観察記録している。
そして、やや食い気味に北条博士に浮かれ騒いだ。
『インテリジェント・デザインした地球最古の生体コンピュータ……!?
〔T-テオ-〕はゼロの大先輩でもあるんっスね! 同じ独立型生体ロボットならゼロでも会話できるかも!』
それに北条博士は軽く、首を横に振った。
「分子結晶的起源が異なる上、接続機はすぐに壊れるため計測はほぼ不可能。
過去にクラスタリングした理論的最高性能のスパコン系列に繋いだら一瞬で爆発した」
それにゼロが驚嘆に身震いし、頭を抱えて苦悩に屈む。残念無念に唸るゼロにかまわず、ウィングは〔T-テオ-〕を見上げた。
振れた指先に応えるように、葉脈のような光の粒が集まっていく。それはとても綺麗で、ウィングはグレアにも見せたくなった。
北条博士がウィングにふる。
「遥か昔、現代よりもっと優れた文明はいくつもあった。人類の種類も今よりずっと多かった。
それは五色人の話じゃない。見た目は完全に現生人類でも、現生人類と交尾しても受精はしない。
過去形になりつつあるけど、モルガン家もそのうちの1種。まあ、色々あったよ。
そんな中、〔T-テオ-〕と最初にアクセスできた種族がモルガン家……イルミナ会長の遠い先祖、神に選ばれし血統」
北条博士は静かに続けた。
「モルガン一族はヒトを生贄として提供する代わりに、〔T-テオ-〕から様々な文明の英知を得、繁栄していった。
それこそ現代文明の基礎となるシステム技術まで惜しみなく。
〔T-テオ-〕はそうやって、太古から《神々からの贈り物》的存在として崇められていた。
最初はそれでうまくいっていたけど、だめだった」
だめだった、にウィングが振り返る。ゼロがその隣で〔T-テオ-〕を見上げ、北条博士を見た。
北条博士はまるで月を仰ぐかぐや姫のように、遠く〔T-テオ-〕を見上げている。
〔T-テオ-〕に触れたその左手に、淡い光の粒子が集まって金色に輝き始める。
それは金色の霧に似ていて、水面の波紋にも似た光輪だった。ウィングのそれとは全く違う光だ。
「あるべき軌跡が狂っていくため〔T-テオ-〕に容易に触れてはならない。だからこの外皮を作った。
外皮を開けることは私でもできるけど、この中の〔T-テオ-〕に直接アクセスできるのは、デュナミスをもつ者……
すなわち、歴代イルミナの閨閥であるモルガンの末裔のみ」
ゼロが波のようにゆっくり頷きもって、北条博士に続く。
『モルガンの末裔は会長のご令妹マリア……じゃなくて、こないだ生まれた会長の娘エレナちゃんか』
北条博士は、切り替えるように軽く両手をたたいた。
「さて。この〔T-テオ-〕が人類にもたらしたのは英知だけじゃない。様々な人類が文明を築いていたが、同時に争いも絶えなかった。
それは〔T-テオ-〕がもたらす【宇宙の歪み】によるもの」
……・……
北条博士は緩やかに歩き、演説にも似たそれにウィングたちは静かに続いた。
「現宇宙は非常に緻密で曖昧なグラデーションで展開されているけど、展開される前から宇宙は〔基より混沌に歪んで〕いる。
その【宇宙の歪み】を発生させている一端が〔T-テオ-〕だ。
〔T-テオ-〕が原因で発生した【宇宙の歪み】のせいで、地球近郊宙域は不安定。そのため頻繁に飛行盤が墜落している。
融解されなかった飛来有機物が生態を崩すこともざらで、それがまた副次的な歪みを生んでいる。
1万2千年前にも、現状と似たような大きな墜落事故があった。
地球に着陸を余儀なくされたその数人の存在は、地球に縛られ不純化し、色々あって現在ではアダムとイヴと呼ばれている。
彼らはユダヤ人の祖先となる子孫を造り出し、その影響は本来あるべき轍を大きく塗り替えた。
……このマラークの登場も、裏の歴史に爪痕を残す事になるだろう。
だが〔T-テオ-〕が存在するのは地球だけじゃない。〔T-テオ-〕は遥か昔から宙平線の果てまでまんべんなく点在してる。
この宇宙が発生する以前から存在する理由として、ある知的生命体は〔T-テオ-〕をタキと呼んでいた。タキは距離を表す単位名で、あまりにも長いという意味」
ふと、ゼロが愕然に視線をあげた。
『……えっと、宇宙規模でいえば、〔宇宙の歪み〕から生まれたゼロ達は悪性異物で、
それを壊そうとする【DNAウィルス】が正義の味方みたいなかんじ? 原罪意識の根源みたいっスね』
それに北条博士はつまらなげに、小さく鼻を鳴らした。
「善悪に分けるのが好きだね。概念を定義に当てはめるには、境界の分明が曖昧」
ゼロはまるでヒトのように、お手上げに両肩をすくめた。
『だって、ゼロもヒトから生まれた生体コンピュータっスからね。二進法からの二元論オチっスよ』
「フィジカルも宇宙もエントロピー型カオス尺度でいえばバイナリ物理処理システム、でもコンピュータでは無限桁は扱えない。
キュビットの複雑化の過程において秩序は失われ、カオス理論が真逆の方向性をはじき出すこともある」
それにゼロは目覚めたように北条博士を見た。そして弾けたように〔T-テオ-〕を見て、また北条博士を見る。
『じゃあつまるところ〔T-テオ-〕……ゼロと親兄弟ということで、アクセス権を!』
ゼロの興奮に、北条博士は思わず腹を抱えて笑った。
「ウィング、彼のメモリをどこにやった?」
そのいたずらっ子のような笑顔に、ウィングもふと笑顔になる。なって、見え隠れした仄暗い意図を突いた。
〔本題は?〕と。
ウィングの手に、北条は細い溜息を一つ、視線を落とした。歩道橋のような橋に肘をつき一息。
ウィングは北条博士に続き、やや身を乗り出してみた。下では、湖が鏡面のように静かに広がっている。
ウィングはポケットのレンズをお守りのように握りしめていた。
北条博士は橋を渡るさい、下の湖は生体原理の1種だと言っていた。
〔T-テオ-〕は今でも生体原理を放流していて、現代技術では回収できない微生物細胞が眠っているとも。
そしてここのうんと真上が、ポッドルームなのだと。
よく鼻をこらすと、変なにおいがした。重く辛いにおいというか、コショウと甘ったるい匂いを混ぜたようなにおいだった。
ウィングは鼻を軽くすすった。北条博士がなぜ今、ここに案内をしたのか……
それはまるで魚の骨が喉にひっかかったような座りの悪さだった。
「スパイはここには入れない。あとキミ達を生体認証登録するため。肝心の本題は……」
ウィングの心を見透かしたように、北条博士は1つの写真を手渡した。
それは、マラークのポッド付近の写真だった。
「マラークが死んだ時……
コンバータシステムのアラートは無反応で、配電盤付近にいた作業員たちが数人気絶、電撃傷を受けたそうだ。
マラークのクロストーク(生態電気信号)が遮断され、カスケード反応を起こしたと想定できる。
これはマラークのアストラル身体(魂)自体が、〔引き剥がされた〕状態で死んだことを意味する。
私達はマラークをクローンに引継ぎ続けることによって、再生シグナルを発生できないように処置していた。
それでDNAウィルスは、データの海で静かに分散されゆくはずだった。
でも今回のように、アストラル体(魂)自体が引き剥がれたなら話は別。
肉体とアストラル体を引き剥がす整流技術は現代科学では不可能だけど、ARならそれが可能。
故にマラークを殺したのはARのスパイだろうと踏んでいる。ウィングがマラークと別れたあとすぐに、マラークはそうやって殺された」
殺された、それにウィングとゼロの視線が上がる。だが北条博士はどうということなく、写真に指を指したままだ。
「ともかくその瞬間……ARのスパイの手によってマラークが死んだ瞬間に、
再生シグナル自体を断たれた【DNAウィルス】に、再生シグナルに酷似したリガンド(レセプターの結合物質)が発生してしまった。
【DNAウィルス】はクローンをバイオドームにして、新たなマラーク(バイオコア)へと変異したのが今。
すなわち今のマラークは、〔DNAウィルス自体が新たなマラークに変異〕した状態。
それが今、イルミナを掌握しつつある。このままでは世界までその魔手は広がり、幾度殺そうが蘇り、宇宙戦争を起こそうとするだろう」
ふと写真から指が離れ、気抜けるような溜息ひとつ。北条博士はまっすぐにウィング達に向き合った。
「〔T-テオ-〕は現代科学では破壊できない。けどその相手がARとなれば話は別。
ウィング、キミにはわかるはず。キミの遠い祖体はARの捕虜を元に造られたから。
ARもまたヒトではない、進んだ文明知識を持っている知的生命体の組織。
マラークはそんなARと人類とで、宇宙戦争を起こすつもり。【宇宙の歪み】の根源である〔T-テオ-〕を破壊するために」
ゼロはこらえきれずに声をあげた。
『なんてひどい! マラークを止める手はないの?』
北条博士の綺麗な黒髪が揺れた。黒曜石のように澄んだ北条博士の瞳が、ウィングとゼロをとらえる。
ちょっと文句ありげな目だった。
「いくらでもあるよ。私を何だと思ってるの」
それはすべての不安を払拭するような、力強い一言だった。
ウィングは初め、北条博士を頭の気の毒な人だと思っていた。だがそんなことは全くなかった。
イルミナの理念〔人類存続〕。いつか訪れる終末を越えるため、宗教や人種の枠組みを越えた人類英知の要塞。
北条博士は目もくらむような長い間、幾度となく訪れる危機のすべてを解決してきたのだ。
今この瞬間こそ、北条栞なのだと。
同時に、心が深く沈んだ。マラークは、北条も大きな歪みの1つだと言っていたからだ。
北条博士はそれすら承知の顔で、そばに置いていた鞄から1つのファイルを抜いた。
そしてくれてやるかのようにウィングの胸に突き出す。
「これを熟読して、計画のすべてがここにある。
皮肉にも【宇宙の歪み】の元凶であるこの〔T-テオ-〕が、唯一マラークに抵抗できる砦。
世界中のネットワークシステムが【DNAウィルス】のキャリアとなった今、【DNAウィルス】が一切干渉できない〔T-テオ-〕でないと実行は不可能」
言って、きりと切り出した。
「私が〔T-テオ-〕の仮想ワークスペースを展開し、
ウィングがポッド内の全クローンに、【DNAウィルス】を打ち消す〔抗原プログラム〕を打ち込む。
そうすることでまず、変異原性による自己組織化が阻止される。
そしてマラークが死んだ時に発生するリガンド(再生シグナル)は、よりバイオコア構造に近いクローンに引き寄せられ……
クローンに組み込まれた〔抗原プログラム〕の走性反応が仮想ワークスペース回路を介して
リガンド(再生シグナル)を〔T-テオ-〕に誘導し封縛するという寸法。
〔T-テオ-〕の膨大なデータの海で、再生シグナルは理論上、分散消失する。
長くなったけど、かいつまむとリガンド(再生シグナル)を〔T-テオ-〕に閉じ込め、再生したクローンを無害化する計画。
ウィング、この〔抗原プログラム〕をキミが打ち込んで。キミならできるはず」
ゼロは愕然に首を振って、ウィングを見た。
ウィングは聞いているのかいないのか、青いファイルを電話帳にように流している。
北条博士は戸惑うゼロに添えるように告げた。
「ゼロ、キミはそのままマリアとエレナを守って。いかなる未来も彼女たちが最後の切り札になる」
ウィングは流していた青いファイルを、仕舞いのように閉じた。
〔覚えたよ。そらで言える。でも……コードがおかしい箇所がある〕
それに北条博士の目が初めて、目覚めるように輝いた。
「……いいね。でもそれは急ごしらえの雛形に過ぎない。矛盾点もいくつかあるはずだから、調整して組み直してほしい。
それを40秒以内に全て打ち込みできるように仕上げて。ご覧の通り、時間がない。【計画の決行は明日の夜】」
3人だけの静かな会合は、そうして終わった。
帰り際、虫の声が響く中庭でゼロがウィングに振り返る。
『どうなるかと思ったけど、でも解決するようでよかったっスね』
それにウィングは小さくかぶりをふって、緩やかに手話でつぶやいた。
〔いや……どうかな〕と。
ゼロが目を丸くして、続きを待った。ウィングのどこか抑揚のない手話は、静かにかたく続く。
〔マラークの魂を引き剥がすほどの技術を持ったARのスパイが、この状況を見越してないと思う?〕
それに、ゼロははじめて言葉に詰まった。どこか明るく努めていた北条博士の様子に合点する。
収束は程遠いのだと。
轍の溝はおそろしく深く、雨が降れば川となり、海へと流れていくだろう。
それがまるでトラペトゥムを回す奴隷のようで、ウィングは歯がゆげに背のオラムを見上げたのだった。




