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詠唱? それ、気合を入れるためのおまじないですよね? ~異世界キャンピングカーでダンジョンも王国もひっくり返す~  作者: Gaku


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第88話:決死の転移、引き裂かれた絆 〜灯火(ともしび)は一度消えても、魂の炉(ひ)はより熱く燃え上がる〜

車窓の向こう、煤けた世界樹の巨木が近づいてくる。  その黒々とした姿は、かつての威容を失い、天に向かって助けを求める枯れた手のようにも見えた。


「……逃げ場なんて、どこにもなかったわ」


 アリアの声が、再び過去の時間を紡ぎ出す。


 ***


 【回想】


 熱風が吹き荒れる森の中、アリアと数名の近衛兵たちは、断崖絶壁に追い詰められていた。  退路はない。  前方からは、血に飢えた獣人たちの精鋭部隊が、じりじりと包囲網を狭めてくる。  彼らの背後には、あの裏切り者――レオの姿があった。


『諦めろ、アリア。お前たちの時代は終わったんだ』


 レオが冷酷に言い放つ。  アリアは折れた弓を捨て、護身用の短剣を握りしめた。魔力は尽きかけ、足は震えている。  隣に立つ近衛隊長も、片腕を失い、肩で息をしていた。


『姫様……我々が突破口を開きます。その隙に……!』 『無理よ! どこへ逃げろと言うの!』


 アリアは叫んだ。  森は燃え、空は煙に覆われている。どこへ行こうと、待っているのは死か、それ以上の屈辱だけだ。  なら、せめてここで。  誇り高く、戦って死のう。王女として、民と共に散ろう。


 そう覚悟を決めた時だった。


『……姫様。どうか、御許しください』


 背後から、しわがれた、けれど力強い声がした。  アリアが振り返ると、彼女に幼い頃から仕え、魔法の指南役でもあった宮廷魔導士長、エルドが杖を地面に突き立てていた。


 彼の全身から、尋常ではない魔力が噴き出している。  それは、大気中のマナを集める通常の魔法ではない。彼自身の「生命力」を魔力に変換して燃やす、禁忌の光だった。


『エルド!? 何をする気なの! その術式は……!』


 アリアは魔導学を修めている。だからこそ、一目でわかった。  彼が展開しようとしているのは、「長距離ランダム転移」。  座標を固定せず、術者の命と引き換えに、対象者を遥か彼方へ飛ばす捨て身の秘術。


『なりませぬ! 私だけ逃げるなんて……!』 『聞き分けのない子だ』


 エルドは、いつものように困ったような、慈愛に満ちた顔で微笑んだ。


『あなたは王家の希望。森の未来そのものです。……ここで炎に巻かれて良い命ではない』


 エルドが杖を振るう。  アリアの足元に、眩い魔法陣が展開される。


『やめて! 嫌よ! 一緒に戦う!』


 アリアは魔法陣から出ようとした。  だが、見えない壁に阻まれて出られない。


『総員! 姫様をお守りしろ! 最期の時まで、一歩も通すな!』


 近衛隊長が吼えた。  残った兵士たちが、雄叫びを上げて獣人の群れに突撃していく。  自らの体を盾にして。壁にして。  一秒でも長く、この魔法陣を守るために。


『ぐあぁっ!』 『エルフの誇りを……!』


 次々と仲間たちが倒れていく。  剣に貫かれ、爪に引き裂かれながらも、彼らは決してアリアの方を振り返らなかった。  その背中が語っていた。  「生きろ」と。


『嫌……嫌ぁぁぁッ!!』


 アリアは結界を叩いた。  涙で視界が滲む。  目の前で、家族のように過ごしてきた人々が死んでいく。私を生かすために。


『行きますぞ、姫様』


 エルドの体が、光の粒子となって崩れ始めていた。  代償の支払いが始まったのだ。


『エルド! お願い、やめて! 私もそっちへ……!』 『……アリア様』


 エルドは、最期に優しく彼女の名を呼んだ。


『どうか、生きて。……いつか、強く美しくなって、この森を取り戻してください』 『あなたの笑顔が、私たちの誇りでした』


 エルドの姿が消える。  同時に、獣人の刃が彼の立っていた場所を薙ぎ払った。


 転移が発動する。  世界が白く染まる直前、アリアが見たのは、血の海に沈みながらも彼女の方へ手を伸ばし、何かを叫んでいる仲間たちの姿だった。


 ――生きろ。


 その声が、鼓膜に焼き付いて離れない。


 ***


 ……気がついた時、私は見知らぬ石畳の上にいたわ。  雨が降っていて、寒くて、泥だらけで。  そこが人間の領地だと知ったのは、巡回中の兵士に見つかって、あの地下牢へ放り込まれた後だった。


「……私が、生かされた理由なんて、わからなかった」


 アリアは、膝の上で拳を握りしめた。  爪が食い込み、血が滲む。


「みんな死んだのに。私だけが、のうのうと生き残って……。こんな、泥水をすするような思いをしてまで、生きる価値があるのかって」


 地下牢での日々。  寒さと飢えの中で、彼女はずっと自問自答していた。  死にたい。いっそ舌を噛んで死んでしまえば、みんなの所へ行ける。  でも、死ねなかった。  『生きて』という最期の言葉が、呪いのように彼女を現世に繋ぎ止めていたから。


「……辛かったですね」


 不意に、温かい感触がアリアを包み込んだ。  メイだった。  彼女は隣に座り、アリアをそっと抱きしめていた。


「一人で……怖かったですよね」


 メイの声は震えていた。  彼女もまた、世界に拒絶され、一人ぼっちで生きてきた過去を持つ。  アリアの孤独が、痛いほど伝わってくるのだ。


「……うん。……怖かった」


 アリアは、メイの肩に顔を埋めた。  強がるのはやめた。  ここでは、ただの弱虫な女の子でいていいと、彼らが教えてくれたから。


「でも、生きててくれてよかったです」


 メイは、アリアの背中を優しく撫でた。


「アリアさんが生きててくれたから、私たちは出会えました。……こうして、一緒にいられます」


 瞬が、窓の外を見つめたまま言った。


「エルドじいさんたちの賭けは、勝ちだったな」


 彼は振り返り、アリアを見た。


「お前は生きて、俺たちと出会った。……そして今、最強の戦力を引き連れて、森に帰ってきた」


 瞬はニカっと笑い、親指で自分たちを指した。


「『森を取り戻せ』って言われたんだろ? 任せとけよ。……利子がつくくらい、派手に取り返してやるからよ」


 アリアは顔を上げ、涙を拭った。  そうだ。  私はもう、無力な子供じゃない。  一人じゃない。  この、デタラメで、温かくて、頼もしい仲間たちがいる。


「……ええ。行きましょう」


 アリアは、前を向いた。  視線の先には、黒く染まった世界樹。  そこにはまだ、過去の悪夢が巣食っているかもしれない。  けれど、今の彼女には、それを直視する勇気があった。


 クイーン・アリス号は、速度を上げた。  死に絶えた森の深部へ。  そこに残された「絶望」と対峙するために。

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