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詠唱? それ、気合を入れるためのおまじないですよね? ~異世界キャンピングカーでダンジョンも王国もひっくり返す~  作者: Gaku


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第58話 チート×チート アニメ脳 vs 効率厨 〜強さは使い方で変わる〜

深淵の霊廟は、入口からして生き物を拒んでいた。


 北の山脈の奥。岩肌がむき出しになった斜面に、その黒い口はぽっかりと開いていた。周囲には背の低い草がまばらに生えていたが、霊廟の入口に近づくほど葉は色を失い、乾いた指先のように丸まっている。風が吹くたび、枯れた草が擦れ合い、さわさわという音ではなく、紙を細かく裂くようなかすれた音を立てた。


 空には雲が流れている。


 太陽の光は確かに地上へ降り注いでいるはずなのに、霊廟の入口だけはいつまでも夕暮れの底に沈んでいるようだった。光が届かないのではない。届いた光が、その黒い入口の前で力を失い、吸い込まれているように見える。


 瞬は、入口を見上げて口を開いた。


「うわ……めちゃくちゃ雰囲気あるな」


 声は軽い。


 けれど、誰もすぐには笑わなかった。


 霊廟の奥から、冷たい空気が流れてくる。湿った石の匂い。古い土の匂い。長い間閉じ込められていた水が、暗い場所で腐らずにただ冷え続けたような匂い。その中に、ほんのわずかに鉄のような苦い匂いが混じっていた。


 メイは瞬の隣で、ぎゅっと両手を握った。


「ここが……シルヴィアさんの仲間たちが……」


 言葉は最後まで続かなかった。


 瞬はメイの頭に軽く手を置く。


「大丈夫。怖くなったら、俺の後ろにいればいい」


「うん……」


 メイは頷いたが、その目は入口から離れなかった。


 ゼイクは剣の柄に手を添え、ゆっくりと周囲を見回した。風の音、草の揺れ、岩の隙間から落ちる小石の音。そのすべてを聞き分けるように、彼の目は鋭く細められている。


「油断するな。空気が悪い。入口の時点で、普通の遺跡とは違う」


「瘴気の濃度も高いですわ」


 エリーゼが杖を掲げると、一行の周囲に淡い光が薄膜のように広がった。光は柔らかく揺れながら、冷たい空気を押し返していく。


「これで呼吸は多少楽になるはずです。ただし、奥へ進めばさらに濃くなる可能性があります。体調に違和感があれば、すぐに言ってくださいませ」


「了解」


 瞬は軽く答えた。


 アリスは最後尾で、入口を見上げて露骨に顔をしかめている。白い手袋の指先で、霊廟から流れてくる湿気を払うように扇子を動かした。


「最悪ね。湿気、冷気、暗闇。ついでに床も絶対ぬめってるわ。私、こういう場所に一番向いてないんだけど」


「アリスって、冒険者に向いてないよな」


「今さら気づいたの? 私は本来、日当たりのいい屋敷で紅茶を飲みながら、他人に指示を出す側の人間よ」


「堂々と言うなぁ」


「事実だもの」


 そんなやり取りをしながら、一行は霊廟の中へ足を踏み入れた。


 一歩目で、音が変わった。


 外の風の音が背後へ遠ざかり、代わりに石畳を踏む靴音が、暗い通路の奥へ長く伸びていく。カツン、カツン。硬い音が壁に当たり、遅れて返ってくる。その反響が何度も重なり、自分たち以外の誰かが、少し遅れて後ろを歩いているような錯覚を起こさせた。


 壁には黒ずんだ苔が張りつき、ところどころから冷たい水が滲んでいる。


 ぽたり。


 天井から落ちた雫が、床の浅い水たまりを叩いた。


 その小さな音が、やけに大きく響く。


 瞬が、アリス製の照明魔導具を手に掲げた。白い光が通路を照らし、石壁の凹凸が浮かび上がる。光の端では、細かな埃のようなものがゆっくり漂っていた。だが、それは埃ではない。瘴気が細い糸のように揺れ、空気の中に薄黒いもやを作っているのだ。


「うわー、暗いなぁ。雰囲気出すぎでしょ」


 瞬は照明を左右に振った。


 光が壁を走り、苔の影が不気味に伸び縮みする。


「静かにしろ。足音が響く」


 ゼイクが低く注意した。


 その直後、彼の鎧がカシャン、と通路中に響くほど盛大な音を立てた。


 アリスが半眼になる。


「今、一番うるさかったの誰かしら」


「……鎧は仕方ない」


「仕方なくない音量だったわよ」


 メイが小さく笑いそうになったが、すぐに口元を押さえた。


 笑える。


 けれど、笑い切れない。


 それほど、霊廟の奥から漂う冷たさは重かった。


 一行は慎重に進んだ。


 通路は広いが、天井が高く、光が上まで届かない。見上げれば、ただ黒い空洞があるだけだった。その闇の中から、何かがこちらを見下ろしているような気配がする。


 瞬は照明を少し上に向けた。


「なあ、こういう場所ってさ」


「何よ」


「絶対、天井から敵が落ちてくるよな」


「やめなさいよ、そういうこと言うの」


 アリスが眉をひそめた、その時だった。


 ギギ……。


 石がこすれるような音が、頭上の闇から降ってきた。


 ゼイクが即座に剣を抜いた。


「来るぞ」


 次の瞬間。


 バサバサバサッ!


 天井の闇が、無数の影となって剥がれ落ちた。


 石造りの翼。


 鋭い鉤爪。


 赤く濁った眼球。


 ガーゴイルだった。


 しかも、普通の個体ではない。全身の石皮は厚く、翼の縁には刃のような突起が並び、口元には獣じみた牙が覗いている。三十、四十、いや、もっといる。闇の奥から次々と羽音が湧き上がり、通路の空気をかき乱した。


「ギャアアアアアッ!」


 先頭の一体が、瞬たちめがけて急降下してくる。


 メイが息を呑む。


 エリーゼが杖を構える。


 ゼイクが前へ出ようとした。


 だが、それより早く、瞬が一歩踏み出した。


「下がってろ、ゼイク!」


 その声は、妙に楽しそうだった。


「ここは俺の出番だ!」


「待て、瞬。場所を考え――」


 ゼイクの制止は、最後まで届かなかった。


 瞬の頭の中では、すでに壮大な音楽が鳴っていた。


 古代遺跡。


 暗い通路。


 頭上から迫る魔物の群れ。


 仲間を守るために一歩前へ出る主人公。


 完璧だった。


 あまりにも完璧な場面だった。


 瞬は右手をゆっくり掲げる。照明魔導具の白い光を受けて、指先が影を作る。風もないはずなのに、彼の前髪がふわりと揺れた気がした。


「ふっ……群れるしか能のない石ころどもが」


 アリスの顔が嫌な予感で引きつる。


「ちょっと、瞬。あんた何する気?」


 瞬は聞いていない。


 親指と中指を重ねる。


 指先に、赤い光が集まっていく。


「冥府の炎に抱かれて――」


「待ちなさいって言ってるでしょ!」


「消えろッ!」


 パチンッ。


 指が鳴った。


 その瞬間、通路の空気が膨れ上がった。


 光。


 熱。


 轟音。


 ドッゴォォォォォォォン!!


 紅蓮の爆炎が、通路前方を丸ごと飲み込んだ。


 ガーゴイルたちは悲鳴を上げる暇もなく、炎と衝撃波に砕かれ、石の翼も爪も粉々になって吹き飛んだ。熱風が一行の頬を叩き、メイの髪が激しく揺れる。エリーゼの結界が反射的に強まり、青白い膜がびりびりと震えた。


 床石の隙間に溜まっていた水が、一瞬で蒸発する。


 壁の苔が焦げ、黒い煙が立ち上る。


 遅れて、爆音の余韻が通路の奥へ何度も跳ね返っていった。


 ゴォン、ゴォン、ゴォン……。


 まるで地下そのものが怒っているような反響だった。


 瞬は、立ちのぼる煙の中で片手を下ろした。


 そして、髪をかき上げる。


「……ふ。少し熱くしすぎたか?」


 完璧だった。


 少なくとも、瞬の中では。


 今の自分は間違いなく、古代遺跡に降り立った無敵の英雄である。メイの「すごい!」が聞こえ、ゼイクの感心した声が続き、エリーゼが静かに頷き、アリスが悔しそうに認める。


 はずだった。


 スパァァァァンッ!


 乾いた音が、爆炎の余韻を真っ二つに切り裂いた。


「いったぁぁぁぁっ!?」


 瞬の後頭部に、容赦ない衝撃が走った。


 振り返ると、そこには鬼の形相のアリスが立っていた。手には、いつ取り出したのか分からない巨大なハリセンが握られている。魔導紙で作られているらしく、先端がまだ淡く光っていた。


「あんた、馬鹿なの!? 本気で馬鹿なの!? 遺跡の中で爆発させる人間がどこにいるのよ!」


「な、何すんだよ! 敵は倒しただろ!」


「倒した? 倒したですって?」


 アリスは震える指で上を指した。


「上を見なさい、この歩く火薬庫!」


 瞬が見上げた。


 天井に、亀裂が走っていた。


 細いものではない。


 黒い石の天井を、蜘蛛の巣のように白い裂け目が広がっている。そこから、ぱらぱらと石屑が落ちてきた。一粒が瞬の肩に当たり、ころんと床へ跳ねる。


 続いて、少し大きな欠片が落ちた。


 ゴトリ。


 その音を聞いた瞬の顔から、血の気が引いた。


「あ」


「『あ』じゃないわよ! 狭い通路で爆発魔法? 天井を落として全員まとめて生き埋めになりたいの? それなら一人でやりなさいよ! 私たちまで巻き込まないで!」


「いや、その……アニメだと大丈夫だったから」


「ここは現実よ! 都合よく背景だけ壊れずに済むと思うんじゃないわよ!」


 アリスの怒声が、通路に反響した。


 その直後。


 ギギギギギ……。


 崩れかけた天井のさらに奥から、また石のこすれる音が響いた。


 全員が顔を上げる。


 闇の中で、赤い光が無数に灯った。


 先ほどより多い。


 数えきれないほど多い。


 亀裂の入った天井の隙間から、第二波のガーゴイルが、黒い雨のように蠢き始めていた。


 ゼイクが剣を構え直す。


「まずいな。今度は数が倍どころではない」


 エリーゼの額に、冷や汗が滲む。


「この状態で広範囲魔法は使えませんわ。天井がもちません」


 メイが瞬の背中に身を寄せた。


「瞬……」


 瞬は、後頭部を押さえたまま、青ざめた顔で天井を見上げる。


「……やべぇ。かっこよく決めたはずなのに、なんかすごく怒られる流れになってる」


「最初から怒られる流れしかなかったわよ」


 アリスが一歩前へ出た。


 その足音は、静かだった。


 カツン。


 硬い石畳に、彼女の靴音が落ちる。


 揺れる照明の中で、アリスの横顔が青白く浮かび上がった。


 怒っている。


 呆れている。


 けれど、その瞳の奥には、それだけではない冷たい集中が宿っていた。


 崩れかけた天井。


 迫る百体近いガーゴイル。


 爆発は使えない。


 通路を壊してはいけない。


 必要なのは、ただ敵だけを処理する力。


 アリスは、静かに右手を上げた。


「どきなさい、瞬」


 その声は、先ほどまでの怒鳴り声とは違っていた。


 氷の刃のように細く、澄んでいた。


「力っていうのはね――」


 彼女の瞳が、青く光る。


「こうやって使うのよ」


アリスの右手が、静かに動いた。


 大きく振りかぶったわけではない。


 剣を抜いたわけでも、杖を掲げたわけでもなかった。


 ただ、指先で空気の表面をなぞるように、横へすっと払っただけだった。


 その動きは、あまりにも小さかった。


 けれど、その瞬間。


 通路の空気が、細く張り詰めた。


 爆発は起きなかった。


 炎も上がらなかった。


 床も壁も揺れなかった。


 ただ、アリスの指先が通った軌跡に、青白い光の線が一瞬だけ走った。


 それは、夜明け前の空にひびが入ったような、冷たく澄んだ一本の線だった。


 次の瞬間。


 襲いかかってきていたガーゴイルたちの首が、一斉にずり落ちた。


 ゴト。


 ゴト、ゴトゴトゴト……。


 石でできた頭部が、床へ落ちる。


 それだけだった。


 轟音はない。


 衝撃波もない。


 煙も、粉塵も、ほとんど舞わない。


 翼を広げていたガーゴイルの胴体が、勢いを失って石畳へ落ちていく。赤く光っていた目は、転がりながらゆっくりと輝きを失った。切断面は驚くほど滑らかで、照明魔導具の白い光を受け、濡れた鏡のように淡く光っている。


 天井の亀裂は、広がっていなかった。


 壁にも、床にも、新しい傷はない。


 ただ、敵だけが処理されていた。


 ぽたり。


 天井から落ちた水滴が、床の小さな水たまりを叩いた。


 その音が、妙にはっきり聞こえた。


 さっきまで羽音と叫び声に満ちていた通路が、嘘のように静まり返っていた。


「……終わりよ」


 アリスは、何事もなかったように右手を下ろした。


 その声は落ち着いていた。


 けれど、額には細かな汗が浮かんでいる。頬もわずかに白い。派手さはない。だが、今の一撃がどれほど精密なものだったのかは、誰の目にも明らかだった。


 ゼイクは剣を構えたまま、しばらく動けなかった。


「……今のは」


 ようやく絞り出した声は、低く掠れていた。


「敵だけを切ったのか。天井にも、壁にも、床にも触れずに」


「そうよ」


 アリスは淡々と答える。


「壊す必要のないものまで壊すから、後始末が面倒になるの。力を使うなら、必要な場所に、必要な分だけ。それが一番早いし、一番安全なのよ」


 そう言って、彼女は横目で瞬を見た。


「分かった? 歩く火薬庫」


 瞬は、すぐには返事をしなかった。


 後頭部を押さえたまま、呆然と立ち尽くしていた。


 さっきまで反省していた。叱られて、天井を崩しかけたことに青ざめていた。だから、アリスが前に出た時も、正直なところ「また怒られるんだろうな」くらいに思っていた。


 だが、今のは違った。


 あまりにも静かだった。


 あまりにも速かった。


 何が起きたのか、目では見たのに、頭が追いついていなかった。


 敵が来た。


 アリスが手を払った。


 光が走った。


 首が落ちた。


 天井は壊れていない。


 床も砕けていない。


 仲間は誰も傷ついていない。


 そのすべてが、瞬の頭の中で遅れてつながっていく。


「……え」


 瞬は、転がったガーゴイルの頭を見た。


 次に、傷ひとつ増えていない天井を見た。


 それから、アリスを見た。


「……今、何した?」


「だから、敵だけを切ったのよ」


「敵だけ?」


「そう」


「この数を?」


「そう」


「天井壊さずに?」


「そう」


「壁も?」


「無傷」


「床も?」


「見れば分かるでしょう」


 瞬は、もう一度通路を見回した。


 静かな石畳。


 落ちたガーゴイルの首。


 揺れていない天井。


 傷ついていない壁。


 彼の顔から、青ざめた色が少しずつ消えていった。


 代わりに、目の奥にじわじわと光が灯っていく。


「……」


 アリスは眉をひそめた。


「何よ」


 瞬はまだ黙っている。


 それが、妙に怖かった。


 アリスは、扇子を握る手に少しだけ力を込めた。


 引かれたのだろうか。


 やりすぎた、と思われただろうか。


 前世でも、今世でも、彼女は何度も同じような目を向けられてきた。


 冷たい。


 可愛げがない。


 人間味がない。


 そう言われるたびに、彼女は平気なふりをしてきた。自分の方から相手を突き放したように見せて、本当は傷つく前に逃げていただけだった。


 瞬なら違うかもしれない。


 そう思ってしまったからこそ、沈黙が怖かった。


 霊廟の静けさが、耳の奥で重く鳴る。


 水滴が落ちる。


 ぽたり。


 ぽたり。


 ほんの数秒の沈黙が、ひどく長く感じられた。


 そして。


「……すげぇ」


 瞬が、ぽつりと呟いた。


 小さな声だった。


 いつもの大げさな叫びではない。


 本当に驚いて、言葉を選ぶ余裕もないような声だった。


 アリスが、わずかに目を見開く。


「……え?」


 瞬は、ゆっくりとアリスへ近づいた。


 その顔には、恐怖も拒絶もなかった。


 ただ、目の前で見たものをようやく理解した人間の、純粋な驚きがあった。


「すげぇよ、アリス」


 今度は、はっきりと言った。


「俺、最初、何が起きたのか全然分かんなかった。派手な音もしないし、爆発もしないし、敵が勝手に崩れたのかと思った。でも違うんだな」


 瞬は、転がったガーゴイルたちを指差した。


「全部、狙ってやったんだろ。敵だけ。首だけ。周りを壊さないように」


「……当然よ」


 アリスは、少しだけ視線を逸らした。


「この状況で天井を落としたら、全員終わりでしょう」


「いや、分かってるんだけどさ」


 瞬は、感心したように息を吐いた。


「俺にはできない」


 その言葉に、アリスの指が止まった。


 瞬は、照れくさそうに後頭部をかいた。


「俺、力はあるんだけどさ。こういう細かいの、全然できないんだよ。さっきみたいに、かっこつけてドカンってやって、敵は倒せたけど天井まで壊しかけた」


「本当にね」


「うん。そこは反省してる」


 瞬は、素直に頷いた。


 それから、もう一度アリスを見た。


「だから、今の見て、ちょっとびっくりした。俺と全然違う。強いのに、静かで、無駄がなくて、ちゃんと守るものを守ってる」


 アリスは、何も言えなかった。


 瞬の言葉は、まっすぐだった。


 褒めようとして飾っているわけではない。


 気を遣っているわけでもない。


 ただ、目の前で見たものを、そのまま受け止めている。


 だからこそ、胸の奥に深く入ってきた。


「……あんたにしては、珍しくまともな感想ね」


 アリスは、なんとかいつもの調子を保とうとした。


 けれど、声の端がわずかに揺れていた。


 瞬は、それに気づいていないのか、少し笑った。


「いや、ほんとにすごいって。俺が雑にぶっ飛ばしそうになったら、お前が止めてくれる。俺が散らかしたら、お前がきれいに片付けてくれる。俺にできないことを、お前はできる」


 彼は、少しだけ真面目な顔になった。


「ありがとな、アリス。お前がいてくれて、マジで助かる」


 アリスの胸が、きゅっと締めつけられた。


 冷たいと言われてきた力。


 可愛げがないと言われてきた考え方。


 誰かと一緒にいるためではなく、誰かに置いていかれないために磨いてきたもの。


 それを、瞬は当然のように「助かる」と言った。


 必要だと。


 隣にいてほしいと。


 何のためらいもなく。


「……ばか」


 アリスは顔を背けた。


 頬が熱い。


 耳の先まで熱くなっているのが、自分でも分かった。


「勘違いしないでよ。私は効率が悪いのが嫌いなだけ。あんたが天井を落として、私まで巻き込まれるのが嫌だから、仕方なく面倒を見てあげてるの」


「はいはい」


「はいは一回」


「はい」


「返事だけはいいのよね、本当に」


 アリスは扇子を広げ、顔の半分を隠した。


 けれど、隠しきれなかった耳が真っ赤になっていた。


 瞬はそれを見て、何か言いかけた。


 だが、直後にアリスの扇子が鋭く動いたので、賢明にも口を閉じた。


 メイは、そのやり取りを少し離れた場所から見ていた。


 胸の奥が、ほんの少しだけちくりとした。


 瞬とアリスの間には、自分には分からない空気がある。


 同じ場所から来た者同士だけが共有できる感覚。強すぎる力を持ってしまった者だけが分かる戸惑い。言葉にしなくても通じ合う、遠い故郷の匂いのようなもの。


 そこへ、自分は入れない。


 それが、少し寂しい。


 けれど――。


 メイは、瞬の横顔を見た。


 嬉しそうだった。


 誰かに分かってもらえたことを、心から喜んでいる顔だった。


 その顔を見ると、胸の痛みより先に、温かいものが広がった。


「……よかった」


 メイは、小さく呟いた。


 瞬が楽しそうなら、それでいい。


 自分が知らない瞬の一部を、アリスが分かってくれるなら、それもきっと悪いことではない。


 そう思えるくらいには、メイも少しずつ強くなっていた。


 ゼイクは、その様子を横目で見ながら深いため息をついた。


「……化け物が二人に増えたな」


「頼もしい、と言うべきですわ」


 エリーゼが静かに答える。


「ただし、片方は放っておくと遺跡ごと吹き飛ばし、もう片方は怒らせると敵だけを笑顔で切り落とします」


「どちらも胃に悪い」


「同感ですわ」


 二人は顔を見合わせ、そろって疲れたように息を吐いた。


 その時、天井からまた小さな石屑が落ちた。


 コツン。


 瞬の頭に当たる。


「あいた」


 アリスが即座に睨んだ。


「ほら。さっさと進むわよ。ここにいたら本当に崩れる」


「はい、すみません」


「反省してる?」


「してます」


「次、爆発させたら?」


「……まず相談します」


「違う。使わないの」


「はい」


 瞬は素直に頷いた。


 通路の奥は、まだ暗い。


 照明の光が届く範囲の先には、さらに深い闇が広がっている。壁の苔は黒く湿り、床には古い傷がいくつも刻まれていた。どこか遠くで、水が落ちる音がする。ぽたり、ぽたりと、時間そのものが一滴ずつこぼれているような音だった。


 彼らは、再び歩き出した。


 先頭には瞬。


 その少し横に、アリス。


 後ろにメイ、ゼイク、エリーゼが続く。


 カツン、カツン、と靴音が重なる。


 先ほどまでの騒がしさが嘘のように、霊廟はまた静けさを取り戻していた。けれど、その静けさの奥には、確かに何かが待っている。


 数十年前に途切れた声。


 シルヴィアを縛り続けた言葉。


 勇者アランたちが残した、まだ誰にも届いていない真実。


 瞬は、暗闇の奥を見つめて笑った。


「よし。今度こそ慎重に行こうぜ」


「その言葉を、どこまで信用していいのかしらね」


 アリスが呆れたように言う。


 だが、その声は先ほどより少しだけ柔らかかった。


 深淵の霊廟は、まだ入口に過ぎない。


 最下層は遠い。


 けれど、今の一行には、確かに新しい形が生まれつつあった。


 力で道をこじ開ける者。


 その力を正しい場所へ導く者。


 怯えながらも寄り添う者。


 背中を守る者。


 傷ついた過去に耳を澄ませる者。


 ばらばらの強さが、暗い通路の中で少しずつ噛み合っていく。


 その先にある真実が、どれほど残酷なものでも。


 彼らはもう、引き返さない。

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