第59話 共犯者たちの対話 〜同じ痛みを知る者は、黙って隣に立てる〜
ガーゴイルの残骸を越えて、一行は再び霊廟の奥へ進み始めた。
通路には、さっきまでの騒がしさが嘘のような静けさが戻っていた。天井から落ちる水滴の音が、ぽたり、ぽたりと暗い石畳に響く。照明魔導具の白い光は、湿った壁を細く照らし、黒い苔の影をゆらゆらと揺らしていた。
「……今度こそ慎重に行く」
瞬が小さく言う。
「三歩くらいは信じてあげるわ」
アリスが横目で返した。
「三歩だけ?」
「さっき遺跡を崩しかけた人にしては、かなり譲歩してるわよ」
「はい……」
瞬は素直に肩を落とした。
ゼイクが、剣を構えたまま短く息を吐く。
「頼むから、次に敵が出ても先走るな。俺の心臓がもたん」
「ゼイク、心臓弱かったのか?」
「お前と旅をしてから弱くなった」
「俺のせい?」
「だいたいな」
あまりに即答だったので、メイが小さく笑った。
その笑い声はすぐに暗い通路へ溶けたが、ほんの少しだけ空気が和らいだ。
けれど、霊廟の奥へ進むほど、笑いは自然と少なくなっていった。
壁の色が変わり始めていた。
苔に覆われた古い石壁は、いつの間にか黒く滑らかな材質へ移り変わっている。光を当てても、表面は鈍く沈むだけで、反射しない。まるで、光そのものが石の内側へ吸い込まれているようだった。
靴音も変わった。
カツン、という乾いた音ではない。
コン、コン、と低く、深く沈む音。
そのたびに、自分たちが地上から遠ざかっていくのが分かった。
瞬は前を歩きながら、ちらりと隣のアリスを見た。
「なあ」
「何よ。今度は爆発以外の案でしょうね」
「違うって。ただ……さっきの、やっぱすごかったなと思って」
「それ、もう聞いたわ」
「いや、何回見てもすごいだろ。俺、ああいうの全然できないし」
アリスは少しだけ目を逸らした。
「……別に。効率が悪いのが嫌いなだけよ」
「そういうところがすごいって言ってんだけどな」
「調子が狂うから、あまり褒めないで」
素っ気ない言い方だった。
けれど、声は少しだけ柔らかかった。
メイは、その後ろ姿を見ていた。
瞬とアリスの間には、自分には分からない何かがある。同じ場所から来た者同士にしか通じない感覚。強すぎる力を持ってしまった者同士の、言葉にしなくても分かる距離。
胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。
でも、メイはその痛みを飲み込んだ。
瞬が嬉しそうだった。
アリスも、いつものように偉そうにしているけれど、さっきより少し安心した顔をしている。
それなら、悪いことではない。
「メイ?」
瞬が振り返った。
「どうした?」
「ううん。大丈夫」
メイは首を振り、小さく笑った。
「怖くなったら言えよ」
「うん」
その短いやり取りだけで、胸の痛みは少し和らいだ。
自分には入れない場所があっても、自分だけが知っている瞬の優しさもある。
それでいい。
ゼイクとエリーゼは、後方で周囲を警戒していた。
「前の二人、ずいぶん噛み合ってきましたわね」
エリーゼが小声で言う。
「噛み合うのはいいが、片方は遺跡を吹き飛ばしかけ、もう片方は敵だけを音もなく切る。どちらも規格外だ」
「だからこそ、私たちが止め役ですわね」
「止め役と、後始末役だな」
ゼイクは前方を見つめたまま言った。
「瞬が道を開き、アリスが整える。メイは瞬を支える。お前は異常を見抜く。俺は背中を守る」
エリーゼは少し驚いたようにゼイクを見た。
「意外と冷静に見ていますのね」
「冷静でいないと胃がもたん」
「結局、そこですのね」
エリーゼが小さく笑った。
その直後、空気が変わった。
笑いの余韻が、すっと消える。
霊廟の奥から流れてくる冷気が、肌にまとわりつくように重くなった。エリーゼがすぐに結界を強める。淡い光が一行を包んだが、その外側に黒いもやのようなものが薄くまとわりついた。
「瘴気が濃くなっていますわ」
エリーゼの声が低くなる。
「この先、何かあります」
瞬が足を止めた。
ゼイクも剣を握り直す。
通路の先に、青白い光が見えていた。
出口の光ではない。
もっと冷たく、古い光。
長い時間の底で眠っていた何かが、こちらを見つめ返しているようだった。
「……見えてきたな」
瞬の声も、自然と低くなった。
誰も返事をしなかった。
一行は、靴音だけを響かせて、その光へ向かって進んだ。
カツン。
カツン。
深淵の霊廟は、ここから本当の顔を見せようとしていた。
青白い光は、通路の終わりで静かに揺れていた。
近づくにつれ、それが扉の縁から漏れる光だと分かった。
巨大な両開きの扉だった。
高さは十メートルほどある。人のためというより、何か大きなものを閉じ込めるために作られたような扉だった。黒い石とも金属ともつかない材質でできていて、表面には細かな模様がびっしりと刻まれている。
瞬は、足を止めた。
「……でかいな」
言葉はそれだけだった。
けれど、その声には、いつもの軽さがなかった。
扉の前には、冷たい空気が溜まっていた。肌に触れるだけで、体の奥まで静まり返るような冷たさだった。照明魔導具の光も、扉の表面では弱く沈み、刻まれた模様の影だけを浮かび上がらせている。
メイが、そっと瞬の袖を掴んだ。
「ここが……最下層?」
「おそらくな」
ゼイクが剣を構えたまま答える。
「この奥に、シルヴィア殿が知りたがっていたものがある」
エリーゼは扉の文字を見上げていた。
「古い警告文ですわ。かなり崩れていますが……『戻れ』『ここから先は命ある者の場所ではない』という意味に近いと思います」
「ずいぶん分かりやすく脅してくるわね」
アリスが言った。
だが、笑ってはいなかった。
指先にはすでに青白い光が宿っている。いつでも動けるように、彼女は扉から目を離さない。
瞬は扉の前へ進んだ。
靴音が、低く響く。
コン。
その一音だけで、広い空間に入る前から、向こう側の広さを感じた。
「瞬」
メイが小さく呼んだ。
「怖くないの?」
瞬は、少しだけ黙った。
それから、正直に答えた。
「怖いよ」
メイが目を見開く。
瞬は、扉を見上げたまま続けた。
「昔の最強パーティが戻れなかった場所だ。何があるか分からない。怖くないわけない」
「じゃあ……」
「でも、戻れないだろ」
瞬の声は静かだった。
「ここまで来て引き返したら、シルヴィアさんはずっとあのままだ。何十年も止まってた時間を、また置き去りにすることになる」
メイは、何も言えなかった。
瞬は振り返り、少しだけ笑った。
「だから、怖くても行く」
その笑顔は、強がりではなかった。
怖さを分かった上で、それでも前に進む顔だった。
ゼイクが頷く。
「開ける前に確認する。瞬、先走るな」
「分かってる」
「本当に?」
アリスが横から睨む。
「今度は本当に」
「信用はしてないけど、期待はしてあげるわ」
「それ、いいのか悪いのか分かんないな」
「悪くはないわ」
短いやり取りのあと、空気が引き締まった。
エリーゼが結界を厚くする。
淡い光が五人を包む。瘴気がその外側で薄く波打ち、黒い霧のように押し返された。
ゼイクは剣を構え、メイは瞬の後ろへ下がる。
アリスは右手を上げたまま、扉の向こうへ意識を集中させていた。
「中は読めないわ。分厚い壁に遮られているみたい」
「罠は?」
「扉自体には目立ったものはない。けど、奥は別」
「了解」
瞬は、巨大な取っ手に手をかけた。
冷たかった。
ただ冷たいだけではない。
長い間、誰にも触れられず、誰にも開かれず、闇の底で待ち続けていたものの冷たさだった。指先がじんと痺れる。
瞬は息を吸った。
空気が重い。
肺に入るたび、胸の内側が静かに軋む。
「開けるぞ」
誰も言葉では返さなかった。
ただ、それぞれが頷いた。
瞬は力を込めた。
ギギ……。
重い音が鳴った。
扉が、ゆっくりと動き始める。
ギギギギ……。
古い蝶番の音が、深い闇の中へ伸びていく。
隙間から、冷たい空気が流れ出した。
そこには、獣の気配も、魔物の唸り声もなかった。
ただ、古い石の匂いと、鉄のような苦い匂いがあった。
そして、深すぎる沈黙があった。
何十年も誰の声も届かなかった場所に溜まり続けた沈黙。
それが、扉の隙間から静かに流れ出し、五人の足元を満たしていく。
メイが息を止める。
ゼイクの剣先がわずかに揺れる。
エリーゼの結界が淡く震える。
アリスの表情から、余裕が消える。
瞬は、さらに扉を押した。
青白い光が、五人の顔を照らした。
その先に何があるのか、まだはっきりとは見えない。
けれど、分かった。
この奥にある。
シルヴィアが何十年も待っていた答えが。
勇者アランたちが残した最後の痕跡が。
誰にも届かないまま眠っていた、本当の言葉が。
瞬は、一歩踏み出した。
カツン。
乾いた靴音が、広い闇の奥へ吸い込まれていった。
深淵の底に眠っていた真実が、今、ゆっくりと目を覚まそうとしていた。




