60.5 上様の定職や
八幡の二番センター、菊池上は大阪府の母子家庭で育った。
母親は愛情を注いで育ててくれたが、物心ついた頃には頼りになる父という存在がおらず、経済的にも豊かとは言えない環境。
そんな中で幼少期、少年期を過ごした菊池は、周囲の子供より少しばかりいろんなことを考えるリアリストに育った。
彼の好きなスポーツは野球。得意なスポーツも野球。菊池の家にはゲーム機がなく、仕事で親がいないときも多かったので、寂しさを紛らわすために近所の公園でひたすら壁当てを続けているうちに自然とそうなった。
小学生の高学年となる頃、自分は学校の誰よりも野球が上手いと気づいた菊池は、将来野球選手になりたいと考える。
大阪にはプロ野球球団が2つもある野球熱が盛んな都市だ。ゆえに、『将来の夢は野球選手です』という子供は多い。
ただ、菊池はそういう子供たちと違い『プロ野球選手』を目指そうとは思わなかった。
彼がなりたいのは『社会人野球の選手』だった。
なぜか?
それは、プロ野球選手という職はあまりにもなれる確率が低く、もしなれたとしても不安定だからである。
大学進学は金がかかる。奨学金という選択肢もあるが、あれは一種の借金だ。
ゆえに、もし菊池がプロになれるとしたら『高校時代野球に全振りし、ドラフト下位で入団』というのが一番ありえる未来だった。
ごく一部の例外を除き、ドラフト上位は即戦力として計算できる社会人や大学生の選手が指名されることが多いからだ。
そして下位で指名された場合、年収は600万程度、上位指名選手と比べて与えられるチャンスが少ない中で頭角を現すことができず数年でクビになった場合、あとに残るのは野球以外能のない20代半ばの無職である。
菊池は、それを良しとしなかった。
そこで、『社会人野球の選手』である。
こちらも狭き門ではあるがプロに比べればまだハードルが低いうえ、高卒でも大企業に就職できる。野球手当てがつけば30代で年収700万を超えることも多く、競技終了後も社内で社会人としてのキャリア継続が可能。
だから菊池はそれを目標とした。
夢ではない、現実的な目標である。
ちなみ夢は、母親との同居に理解のある嫁を貰い、ウィシュレット付きトイレのある二世帯住宅で幸せな家庭を築くこと。
幸い、近所には年会費、月費ともに格安の強豪シニアがあったので、そこに入団。
現実を見据え、日々努力を続ける菊池はそこでも頭角を現す。
打率、盗塁数など多くの『数字』でチームのトップとなり、スカウトも来るようになった。
ここまでは、非常に順調だった。
菊池の計算が狂ったのは、学費や寮費が全額免除される『S特待』がとれなかったことだ。
大阪十陰でレギュラーをとって甲子園で活躍することで社会人野球への扉を開くルートを考えていた菊池。
しかし、大阪十陰から提示された条件は入部のみが許可される『B特待』だった。
シニアでは卓越した数字を残しているものの、小柄で身長の大きな伸びも見込めないため今後プロになれる可能性は低いと判断されたからである。
菊池は疾くて巧かった。
が、特待生ならそれは当然で、『S特待』には更にデカさが加わる必要があるとスカウトは言った。LP学園など、プロ輩出を目指す他の大阪府内強豪私立も同じような評価であった。
「ほな、やめときますわ。せっかくお誘いくださったのにすんまへん」
高校で野球をするのは、ただでさえ金がかかる。
それが私立強豪なら、それはもうとんでもない額だ。
「野球は中学で終わるわ」
数日悩んだ末、母親にそう伝える。強豪私立以外で激戦区の大阪大会を勝ち抜き社会人野球スカウトの目に留まるのは現実的ではなかった。
ゆえに高校は野球部のない高専へ進学し、そのまま就職するつもりだった。
それに、母親はこう答える。
「アンタ、八幡高校に行かんか?おばさんが下宿させてくれる言うとるんよ」
本当はもっと野球したいんやろ?といわれ、目をしばたたかせる菊池。
どうやら、母親は全部お見通しだったらしい。
八幡は昨年、強力な一年生エースを原動力に甲子園へ出場した公立校だ。故に、また甲子園に出られる可能性があり、学費も安い。
また、そのプランが上手くいかなかった場合の保険として商業科でビジネス系の資格を取れるのも魅力的だった。
こうして菊池は大阪を離れ八幡に野球留学することになる。
そこで、菊池は高校野球のレベルの高さを痛感した。
(この人達、ホンマすごいわ……)
正直言って、湊鴎賀以外にめぼしい選手はいないだろうとタカをくくっていたがとんでもない。
真田、大樹、細川、ニックなど上級生は猛者揃いだったし、同級生の河野だって相当な実力者だった。自主練習も各々が相当質の高いものを行なっているように見える。
だがまあ、やはり別格なのは湊鴎賀だった。
「先輩、何書いてますの?」
「ん、野球ノートだよ」
「ちょっと見てもええですか」
所属していたシニアでは監督へ野球ノートを提出することが義務づけられていたが、いわゆる三行ノートで終わる者も多く自分よりもキッチリした内容を書いている選手は皆無だった。しかしーー
(なんやこれ……)
湊が書いていたのは、まるで医者のカルテ。
湊鴎賀という個体の現在コンディションとトレーニング内容に対する身体変化が事細かに記録されており、そこから翌日以降の緻密な育成計画が立案されていた。
それを毎日、微修正しながら積み重ねている様子まで窺える。
ふと、気になったことをきいてみた。
「……先輩って、何か目標とかありますの?夢じゃなくて、目標。」
「目標?長期的にはメジャーのサイ・ヤング賞だな。で、そのための中期目標としてはーー」
レベルが違った。
眼前の男は、プロを夢見るのではなく通過点として見据え、さらにずっと先まで見通している。
「と、まあその為にも、今年と来年は甲子園で優勝したいな。だから菊池もうんと力をつけて甲子園で活躍してくれよな!」
「今度、勉強のために先輩のノートを何日か借りてもええですか?昔のやつでいいんで」
「ああ、いいぞ。やる気あるやつは大歓迎だ」
菊池が大阪十陰を相手に大車輪の活躍を見せるのは、この日から一年と二ヶ月後のことである。




