58. 黒霧実業キャプテンの羞恥
八幡と黒霧実業により行われた夏の甲子園ニ回戦、試合自体は一回の表で概ねの決着がついていたように思う。
ランナーを溜めたところから八幡のクリーンナップトリオに三連続で長打を浴び、この回だけで五失点。そして相手の先発は大会屈指の好投手、湊鴎賀。
黒霧実業の主将、西尾はこの時点で勝ち目は薄いと考えていた。ただ、せめて格好のつくスコアにして終わりたいな、と言う思いはあった。
黒霧実業は、最近野球に力を入れ始めた私立高校だ。
そんな歴史の浅さもあり個々の選手の実力としては県内でも精々が3〜4番手といったところである。
その監督として西尾の入学と同時にやってきた八百は、選手達にこう宣った。
『お前ら程度の実力じゃ、普通にやっても甲子園にはいけん。そこでウチはこれから、『サイン盗み』と『オンザライン』という戦法を導入する』
当初、それに反発する選手もいたが、そう言う選手は実力があってもレギュラーから外され、また今まで勝てなかったチーム相手にも勝て始めた。
それにより、八百のやり方は徐々にチームを侵食していく。
八百は事あるごとにこんな弁舌をふるった。
『サッカーのマリーシアという言葉を知っているか?』
『上手い反則は立派な技術だ。強い所は大なり小なりやってんだよ』
『勝負事は勝ってナンボだろ。そして勝つにはズルさも必要だ、社会ってのは綺麗事だけじゃやっていけねぇ』
ただでさえ周囲の影響を受けやすく、視野狭窄に陥りやすい高校生、集団心理も働いた結果、次第にチームのほぼ全員が『そういうもんだよな』なんて事を考えるようになっていった。
そして黒霧商業はアンチスポーツマンシップ戦法により甲子園に出場。初戦でも八百の打ち出した策を躊躇いなく遂行し、有名校にも勝利した。
しかし本日、西尾は……いや西尾達は、すっかり慣れてしまったチームの方針に久しぶりに疑念を感じている。
四回、一死ランナーなし。
腕と脚に打者用プロテクターを着用した西尾は本日二度目のバッターボックスに入る。
足の位置はバッターボックスの内側、ベース側に引かれたラインを踏むようにセット。そして、膝を少し突き出し、ベースに覆い被さるように構える。それが、このチームの約束事だからだ。
バッターボックスの内線からホームベースの近端までの距離をご存知だろうか?
正解は『6インチ』、馴染みのある単位にすると約15cm、硬式ボール換算で僅か二つ分程だ。
当然、そこに立つ様にするとインコースが全然打てなくなるため、殆どの打者はスパイク一足分、つまりボール四つ分ほど内線から離れて立つ。ちなみに、手足の長い選手なら50センチ以上離れて立つ者も珍しくない。
しかし、黒霧実業の選手は全員がベースラインギリギリに覆い被さるように立っていた。
何故か?
『オン・ザ・ラインからのデッドボール戦法』
これを実践するためだ。
名前で大体予想がつくし嫌な予感をしている人もいるだろうが、一応解説しよう。
まず、やる事は実にシンプル。
『バッターは真ん中から外側に来た球だけ打つ。インコースの良い所に投げられたら諦める。それより内側に失投してきたら、避ける演技をしながらわざと身体に当てる』
これだけである。
正直、ド邪道なやり口である。怪我するリスクも高いので、プロで実践するチームは皆無だ。
しかし、一発勝負の高校野球で、選手の安全性を度外視するならば効果的な作戦でもあった。
投手というのは基本的にバッターのアウトローを軸にピッチングを組み立てる。だから、あからさまに踏み込んでそこを狙い打たれると困るのだ。
ここで察しの良い方なら『では、全球インコースに投げれば良いのではないか』と思うかもしれないが、それも中々難しい。
と言うのも、丸くて滑る硬球をボール一つ単位でコントロールし続けるのはトッププロでも不可能だからだ。何せ、ガンガンストライクゾーンで勝負する近代メジャーリーガーでも試合のストライク率は精々が65%くらいなのだから。
またこの時代、『ストラックアウト』という競技がバラエティ番組で流行っていた。ストラックゾーンに見立てた九枚のパネルを12球以内に全て落とせるかというものだが、なんとこの競技、プロの一軍投手でも成功率は1割程度なのである。
それに普通、真ん中は一番打たれる。だから好投手ほど『真ん中にだけはボールが行かない』ような練習を積んでいる。日々の練習で『ストラックゾーンギリギリを狙い、ミスした場合は真ん中ではなくストライクゾーンの外側に、ボール数個分外れるようにする』という投げ方を身体に染み込ませていくのだ。
普通の立ち位置で真っ当な打者なら、ボール5つ程打者寄りに外れても腰を引いて避けるためデッドボールにはならない。
しかしベースギリギリに立ち被さり、巧妙に当たりにくる打者なら話は全然違ってくる。審判の裁量、判断にもよるが、ボール一つ半、たった10センチ狙いから外れただけで死球を取られる事があるのだ。
ましてやこれは高校野球、そして『デッドボールを出す』というのは全方位に申し訳ない行為。故に、ピッチャーはインコースに投げる時は一番神経を使うし、基本的にインコースに連投も出来ない。
しかし……
ずどん!
「ストライク!」
ずどーん!
「ストライーク、ツー!」
ここまで湊鴎賀は、9割以上のボールをインコースに投げ込んでいた。それも、全球ストレートで。
当然ながら、三イニングを終えた時点で三つものデッドボールがコールされている。しかし、湊鴎賀は西尾達が今までの対戦してきた相手と違い、帽子をとって謝意を示す事をしなかった。
というか、「ワザと当たりに来てんじゃねーよ、正々堂々やろうぜ」と言う風に打者へ不満げな顔を向けている。一塁手も同様だ。
当然スタンドからは湊へ「帽子とれ、帽子!」なんてヤジもとんでいたが……西尾達が感じたのは自分達への羞恥であった。
その様子に審判も思うところがあったようだ。
三回裏の途中からは、避ける振りをしながらユニフォームにボールを掠らせてアピールした味方打者に対して『きちんと避けていない』とデッドボールをコールせず、以降は唯のボール球として処理するようになった。
そしてこの打席、ツーストライクからの三球目。
(うわ、来た!怖!)
湊鴎賀は突如、凄まじく角度をつけたサイドスローから、西尾の土手っ腹に向けてボールを投げ込んでくる。ぶつかると思い、思わず背中を向けた西尾だったが……
「ストライク、バッターアウト!」
そこからボールは凄まじい横変化をし、キャッチャーミットに収まったのはストライクゾーン。それは、まるで死神の鎌の様なスライダーだった。
これで、デッドボール以外では十一人連続アウト。
しかも、その全てが奪三振である。
しかし、湊鴎賀は一切笑顔を浮かべる様な事をしなかった。
事前情報では『試合中に相手を称え、笑顔を浮かべる事も多い』とあったプロ注目投手。
それが今は、汚物を処分する時の様な目でベースに覆い被さる打者を見つめ、無慈悲に、無表情で淡々と殺し続けている。




