37.5 特A級の二人組
プロ野球選手になれるものはほんの一握りと言われている。
同学年人口で上位約0.25%の狭き門、東大合格よりもさらに低い。
全国高校球児の中からドラフト指名される確率は0.2%を下回るからだ。
という言説はよく『それは数字のマジックだ』と批判の対象となる。
だって全ての高校球児が野球に全てをかけプロを目指しているわけではないだろう、と。
全く以てその通りだ。
まあ、全ての学生が勉学に全てをかけて東大を目指しているかはさておき……
そこで、今回は本気でプロを目指しているような一握りに焦点をあててみたい。
ということで、対象者を甲子園に出るような強豪高校の3年生に限定してみる。
小学生の時から才能を見込まれ、将来野球でメシを食うことを夢見て名門校の門を叩き、トータル一万時間以上を野球が上手くなることに費やしてきた猛者達だ。
この場合、プロになれる確率は約2%になる。
つまり、五十人に一人……相変わらず、ひとつまみにすぎない。
なのでプロ野球のドラフト候補というのは、やはり数多いる球児のなかほんの一握り……の中のさらにひとつまみということになる。
さて、そんな上澄み中の上澄みたるドラフト候補達だが、その中にもさらに序列が存在する。
それは概ねこの3つ。
Cランク:指名されるかどうかギリギリ
Bランク:下位なら指名されるだろう
Aランク:上位指名がほぼ確実
ちなみに二年生夏の現時点で大樹匠、白井慧、中岸ティモンの3名はCランクとして評価されている。
こう言えば、Bランクやさらに上のAランクの凄まじさがわかるだろうか?特にAランクは逸材中の逸材とも言える存在で、高卒ながら僅か2〜3年で苦労しつつも一軍にあがり4〜5年でやっとレギュラー定着するという順風満帆なプロ野球人生を送るものも多い。
ただ、ここは日本。近未来にWBCで優勝することにもなる、世界有数の野球大国だ。
その野球文化の豊かな土壌となっている高校野球には数年に一回ほどの確率でAランクのさらに上、『特A級選手』という怪物が出現する。
まだ高校生にも関わらず即戦力候補として複数球団から一位指名されるレベルで、他球団も外れ一位でならば指名したいと考える『超高校級』とも呼べる選手だ。
例えば春の選抜決勝で激闘を繰り広げたマツケン。湊鴎賀の一度目の人生において、三年生になった彼は『特A級選手』と査定されドラフト一位で広島ギャラドスに入団。プロ入り後期待通りの即戦力として大活躍した。
そして、後世にて『超豊作』といわれた黄金世代には『特A級選手』があと3人も存在していた。
***
9回表、湊鴎賀が白井慧から本日15個目の三振を奪ったのを見て鋭い眼光と釣り上がった太眉を持った男がぼそりと呟く。
「中学時代よりもはっかに強うなっちょっ、血が騒ぐわ」
男の名前は島津隼人。ポジションは高い身体能力が必要とされる内野守備の要、遊撃手。そしてマツケンをも上回る打撃の才を持つ強打者である。
強敵との戦いに強い喜びを感じる彼は、湊鴎賀一度目の人生において地元公立校に進学し私立強豪校と戦う道を選んだ。
なぜなら、近隣の私立強豪校が掲げる『コツコツつなぐ野球』は性に合わなそうだったし、自宅から通えるそこそこ強い公立校にいた方が県予選から好投手と戦える分お得と考えたからである。
なおその際、県内で負ける可能性は一切考慮していない。中学時代、所属していたシニアチームは全国に進めなかったがそれは投手が大炎上したからで、同県内で彼の打棒を抑え込める選手はついぞ現れなかったからだ。
そして実際、島津は高校でも打って打って打ちまくった。
彼を慕う選手も同校に集まった結果、地元公立を三度も甲子園に連れて行き、三年目の夏は甲子園ベスト4入り。『チェスト旋風』を巻き起こした。
だが、湊鴎賀二度目の人生において彼は別の道を選んでいた。北海道の私立強豪校、熊大苫小牧へと進学したのである。
何故なら、中学時代手痛い敗北を喫した相手が存在しており、その相手に甲子園で確実にリベンジするにはより厳しい環境で己を磨く必要があると考えたから。
中学時代、シニアリーグに所属しながら学校の方針で部活動の軟式野球部員でもあった島津。
県大会の打率9割越えで乗り込んだ全国大会にて彼は、そこで湊鴎賀と大樹匠バッテリーに三打数無安打と抑え込まれた。
特に、最終打席は屈辱だった。
先の二打席でストレートとチェンジアップには目が慣れた島津、飛距離が落ちるこの時代の軟式野球で『プロ規格の球場なのに、あわや柵越えホームラン!』という超特大ファールをぶっ放し『次は確実にスタンドに叩き込む』と決意した矢先に初見のドロップを投げられて三振。
なお湊が中学時代公式戦でドロップを投げたのはこれが最初で最後なのだが、島津はそれを知らない。
チームが負けることは多々あれど、三打席ノーヒットで終わるのも三振するのも一年以上経験していなかった島津は大いに悔しがった。そしてより厳しい環境で打撃を磨き、湊鴎賀に甲子園でリベンジすると固く決意したのである。
その目的達成のためベストな進学先はどこか、引く手あまたで悩む島津。
そんな彼が北海道の熊大苫小牧行きを決めたのは、同校監督のこんな一言だった。
「ウチのスローガンは『爆打』、打って打って打ちまくる野球だ。君には三年間、一度もバントのサインを出さない事を約束しよう」
あの日、北海道に行く決断をして良かったと心から思う。何故なら今隣に座っている男――湊鴎賀と同格の超投手――とチームメイトになり、日々実戦形式の打撃練習で切磋琢磨することができるようになったのだから。
「わよりもい投手だど思うが?」
「わからん、神子と湊は同じくれに見ゆっ」
「そったごどはね、わの方が上だ。試合で証明する」
男の名前は神子大将。
彼は湊鴎賀の一度目の人生においても熊大苫小牧に進学していた。そしてこの年、二年生エースとして同校を夏の甲子園優勝に導いている。
ちなみに、北海道・東北勢としては春夏通じて史上初の甲子園優勝であった。
そして甲子園のスターとなった神子と島津は、それぞれ3年生の時複数球団から一位指名され、東北コンドルズと東京ラビッツで即戦力として活躍している。
そんな二人の現時点スカウト評価は――『特A級』。
湊鴎賀二度目の人生において熊大苫小牧は、超高校級選手を二人同時に擁する私立超強豪校となっていた。




