番外編 ~医療職からみた湊鴎賀~
ここは、日本最先端の大病院である。
「ーー以上です。総評しますと、今回もどこにも問題はありませんでしたよ」
「そうですか……良かったです。どうもありがとうございました」
そう言って一人トップアスリートが診察室を後にする。
彼の担当者であるベテラン医師はふうっ、と息をついて椅子にもたれ掛かかると、隣に控える女研修医に話しかけた。
「とまあ、湊鴎賀さんの検査は毎回こんな感じだよ。見学してみてどうだった?」
「なんというか……凄かったです。提供して貰った数字に現れるデータだけみても、トップアスリートって人外だなってのがよく分かりました」
指導医から振られた彼女は、率直に答える。
本日彼女が目にしたVO₂max(最大酸素摂取量)や骨密度、身長に対する骨格筋量やそこから予測される数値を遥かに上回る筋出力などは、全てが適正値を大きく逸脱していた。
勿論、上のほうにである。
「……けど、何より驚いたのは自分の身体に対するデータ蓄積と理解。それから疾病や医学的なことに関する知識量ですね。今まで私が診てきた他の患者さんとは全然違いました」
「そうだね」
例えば、前者の『自分の身体に対する理解とデータ蓄積』については、プロ入り後から1日に6回、脇裏や膝裏など自分の身体の挟めるところ全部の体温を測り、『各部位の体温が何度の時にどういうパフォーマンスができたか』を記録しているという。
体温が変わると、皮膚の張力や可動域も微妙に変わってくるから……という理屈らしい。
のみならず、肩関節や股関節の周囲の可動域、筋硬度についても365日、毎日継続的に測定してもらい記録しているとのこと。
登板日にどれだけダメージを受けたのか、どういうトレーニングや調整をすればパフォーマンスをあげつつ一番回復できるのか、そう言った事について把握するためだ。
「過去のデータがあれば照合できるので、絶対に生きてくると思うんです。ピッチャーって感覚で投げてるところが大きいんですが、だからこそ他の部分をしっかりとメンテナンスできていれば投球の感覚も更に研ぎ澄まされるんじゃないかなって」
とは湊鴎賀の談。
加えて、天気や部屋の中と外の温度と湿度も全部記録し、そこに自分の感覚として調子がいいと思っているのかいないのかを十段階評価でつけたり……といったことまでやっているらしい。
すごく神経質というか、半ば病的なほどの拘りぶりである。
そして、幼少期から蓄積してきたというそれらを全てパソコンにぶち込んで、スポーツを専用としてるアナリストに解析してもらう事で『最近はこれぐらいの天気で、体温がこれぐらいのときはこうしたらパフォーマンスが維持できるということまで分かるようになった』そうだ。
「まあ、その辺は僕達の専門外だから他のトップ層がどこまでやっているのかはわからないけどさ。少なくとも『病気や医療に関する知識』については僕も今まで経験がないレベルだね」
「長年アメリカで働いておられた先生でもですか!?」
「うん。まあ、同業者が受診してきた時は別にしてだけど」
アメリカには日本の様な公的医療保険制度がない。故にアメリカ人は一般的な患者であっても、疾病や医学的なことに関する知識量やリテラシーが日本のそれより遥かに高い。
不要な身銭を切らなくて済む様に、必死に勉強するからだ。
日本のように『よくわかんないから先生に全部お任せします』といった患者は皆無に等しい。良くも悪くも医師へと意見や要望を出してくる。
ただ、海外の最先端論文まで読み込み、自らの遺伝的発病リスクを正確に把握してアカデミックな話し合いを望む患者というのはアメリカにも殆どいなかった。
そもそも、湊鴎賀がこの病院を受診しているのだって念のため主治医以外にも意見を求める『セカンドオピニオン』としてだ。現在、彼の主治医はアメリカの最先端病院で働く世界的な名医である。
「アンチ・ドーピングの一環としてか、薬に関する知識もあるしね。いつに何を食べたかという食事内容まで全部記録しているらしいよ」
「うわ、すっごいですね」
「それとさ、アスリートとして靴にも拘ってるみたい」
「靴……ですか?」
その言葉に訝しむ研修医。
確かに履き物は重要だ。合わない靴は疲労を溜め、長期的には整形疾患の原因にもなりえる。
しかし、湊鴎賀が今日履いていたのは普通の革靴の様に見えた。まあ、履き心地の良いブランド物ではあった様だが。
「以前、湊選手から教えた貰ったんだけどね、彼は練習の時だけじゃなくて、ウェイトトレーニングも普段の生活も全部、『野球のスパイクと同じソールの厚さの靴』を履いているんだよ。革靴は基本的に踵が高いから、買った日に修理屋さんに持って行って底をカットして貰うんだって。バランスの取り方とか使う筋肉が同じになるように」
「そこまでやっているんですか!?」
そこまでやっているらしい。
なお、普段歩く時ですら『今日は仙腸関節を動かしつつ骨盤から移動するイメージで歩こう。股関節に乗っけて、外して、乗っけて、外して……」みたいに一々意識しながら身体を動かす様な事もしている。
「うん、プロフェッショナルの拘りってすごいよね。だからまあ、彼らはきっと身体的な才能だけで活躍してる訳じゃないんだよ。僕達も医療のプロとして見習わないとね」
そう言って話をまとめたベテラン医師。
ちなみに、彼らは知らないことだが湊鴎賀はスパイクについては更に拘っている。オーダーメイドで足の形に合わせるだけでなく、裏に付いている歯の長さまで全部ミリ単位で変えていた。
この部分は12ミリ、ここは10ミリ、ここはちょいと短く9ミリ……と言うふうに。
そして勿論、そのこだわりはグラブやバット、ユニフォームについても同様であった。自分の身体をミリ単位で理解してジャストフィットする物をオーダーメイドしているのである。
ちなみにそれは、トップアスリートの中でも結構稀な高水準であった。




