番外編 〜台湾より親愛をこめて〜
湊君30歳くらいのお話
小春ちゃんエンドの半年後くらいです
ワン・メイリンは今年24歳になる台湾人OLだ。
対人関係や給与面の不満こそないものの、午後から突発的な仕事が舞い込む事も多く、それなりに忙しくてストレスの溜まる社会人生活を送っている。
そんな彼女の息抜きは野球観戦にアニメ、それからBL小説というごく一般的なものだ。
……最後の1つが一般的かどうかについては議論の余地があるかも知れないが、『少なくとも極端なマイノリティではない』とメイリンはそう考えている。
嗜好の有無はきっと右利きと左利きくらいの配分だろう。勿論、BL好きが右利きである。
てぇてぇな百合が嫌いな男なんていないだろ?
それと同じ事だよ。最近は電子書籍で周囲にバレずに購読できるようになったしね。
そんな訳で、人気BL作家である『シャオチュン先生』の小説でしか得られない栄養素を補給しながら日々を過ごし、今日は楽しみにしていた野球観戦の日。
勿論、早めに会場入りし満喫するつもりだったのだが……
「はあ、はあ……」
彼女は現在息を切らしつつ、台中インターコンチネンタル野球場の内野席へと繋がる通用路を小走りで移動していた。
(んもう、急な仕事ですっかり遅くなっちゃった。ウチの会社には困ったものね……っと)
脳内でそんな愚痴をこぼしつつゲートを抜けると、景色は一変する。
日常の雑事にイライラするのはここまで。
だってここから先は、華やかで特別な非日常の空間なのだから。
入り込んだ瞬間、音シャワーが身体に降り注ぐ。
大音量の応援歌に、身体に響くほどの歓声。声を張り上げているのは自分と同じくホームである『李満ブラザーズ』のチームカラーである黄色いユニフォームを着た人ばかり。
ダグアウトの屋根の上ではアイドル顔負けの美貌を持つチアガール達が輝くような笑顔で踊り、場をさらに盛り上げている。
ライブ会場のように同好の士が集まった時にだけ生じる、熱くて一体感のあるこの空気がメイリンはとても好きだった。
そんな彼女の目下に広がるのはまるで人工の太陽のように強烈なカクテル光線に照らし出された、息を呑むほどに鮮やかな緑の芝生と赤土のコントラスト。
そこから少し視線を上げると、聳え立っているのは煌びやかなバックスクリーン。
スコアボードは現在が七回裏、ブラザーズの攻撃中と言う事を示しており時計は午後の8時25分を指していた。
大いに盛り上がってはいるが、五回終了時の球団マスコットによるパフォーマンスや七回裏の攻撃前に行われるラッキーセブンの演出などは既に終わっており、この試合に残された時間はあと少し。
そんな状況にメイリンはというとーー
「よかった……一番見たい所には間に合った」
指定席に腰掛け、安堵した様子でそう呟いた。
今、台湾の野球界は最盛期を迎えている。
その証拠に昨年までは土日でもチラホラと空席が見られたスタンドが、今日は水曜日だというのにぎゅうぎゅうの満席だ。
このチケットを取るのだって抽選で結構苦労した。
それは何故か?
昨年メジャーリーグで投手三冠とMVPを獲得した世界的なスーパースターが、台湾へ一年限定でやってきたからだ。
いや、来てくれたと言った方が正しいか。
だって、年俸ならばメジャーリーグの各球団から提示されていたものの方が桁違いに多いのだから。
『台湾には大恩がある。日本で育った野球選手として、それに報いるためにはどうすればいいか考えた末の決断です』
そう言ってやってきた、親台で男気のある選手を一目見ようと、多くの野球ファンが球場に詰めかけるようになった。
いや、野球ファンだけではない。例えばーー
と、そこで七回裏の攻撃が終了。
グラウンドでは、八回表の守備につくブラザーズの選手たちがそれぞれのポジションへ散っていくところだった。
しかし、マウンドには誰もいない。
ざわめきが波紋のように球場全体へ広がっていく。
が、それは戸惑いからではない。
数万人の観客が、次に呼ばれるであろう選手の名前を予測し、期待に胸を膨らませているのだ。
『――レディース・エーンド・ジェントルメン!』
そしてスタジアムDJの低い力強い声が球場に響いた瞬間、爛々と輝いていた照明が一斉に暗転。
訪れた暗闇の中、テキサス州の草原を想起させる爽やかで疾走感のあるイントロが流れ始めた。
スーパースターの登場曲『サンライズ』だ。
それと同時に、メイリンは『その選手』の応援グッズであるピンク色のライトを取り出して掲げる。彼女に続くように球場中の観客席に光が灯り始め、それはやがて光輝の奔流となった。
『我らがブラザーズは、ここでピッチャーの交代をお知らせしまァす!』
とそこでイントロが終わり曲調が変わる。
重低音の効いた、勇壮かつどこなくデンジャラスな空気を漂わせる旋律がグラウンドに鳴り響く。音楽に合わせて球場のボルテージはどんどん高まっていき――
『ピッチャー、No.1……湊!』
DJのコールと共にブルペンの扉が開き、真っ白なスポットライトに照らされながら彼が……湊鴎賀が現れたタイミングで爆発した。
地鳴りのような歓声。割れんばかりの拍手。
そこからマウンドへと向かう湊を撮ろうとあちこちで焚かれるカメラのフラッシュは、ピンク色の光と共に天の川のようになって客席を彩る。
「キター!!!」
メイリンもまた、スーパースターの登場に歓声を上げながら応援ライトを振っていた。これが、ブラザーズの試合で球場が連日超満員となっている理由の一つだ。
『この一年はリリーフに挑戦します』
台湾にきて早々、入団会見にてそう宣言した湊鴎賀。
『多くのファンに見て貰える様、できるだけ毎日登板したいんです』
そう決意表明した通り、彼はここまで殆ど全ての試合で試合の終盤である『八回』に投げていた。
台湾記録だった年間70登板はとっくに塗り替えて、このままいけば年間100登板を超えそうな勢いである。
登板しないのはそれこそ味方の先発投手が完封や完投を狙える時くらいで、それと重なるこの時間帯は野球中継視聴率も爆上がりだ。
また、球場にいけば高確率でスーパースターの登板が見られるという状況は、台湾のみならず日本や韓国からも観光客を呼ぶ事態となっていた。
加えていうと、彼は台湾にきた当初から、『普段、野球を全く見ない層』にも関心を向けられている選手だった。そのきっかけは過日、彼がオフに投稿した一本の動画。
『この様に、アイソレーションをすることで身体を思い通りに操る能力も高まります。では、動画の締めに私の好きな振り付けで一曲踊ってみましょう』
そう言って披露したダンスは、日本で日曜日の朝に放送される某魔法少女アニメのエンディングダンスだった。
『えっ、湊このアニメ好きなの?』
『いやいや、話題作りだろ』
『娘と一緒に見てたんじゃないか』
某アニメのファン、通称『大きなお友達』が反応し、そんな感じで様々な憶測が流れるようになったネット界隈。
それに終止符を打ったのは、台湾でメディア露出を増やした湊がファンからの質問に答えたとあるインタビュー配信だった。
『ええ、好きですよ。今回作って頂いた応援グッズはその作品の映画版応援上映をイメージしましたし』
とか
『好きなキャラ?あえて一人を挙げるなら二作品目の鳥モチーフの娘ですかね。エンディングで恥ずかしがりながら胸を張るところとか可愛いんで。あと美少女キャラなのに私服がスカートじゃなく活動的なズボンな所もいい』
とか
『でも、好きなシリーズはプリンセスの奴です。 夢に向かって前向きに努力している描写が多いですし、変身バンクはゴージャスでアクションシーンも華やかでかっこいいし、OPやED、アイキャッチのパターンも豊富で製作陣の熱意を感じられますので』
とか
『映画だとシリーズ十周年目の奴が好きです……そうそう、あのダンサーのやつ。冒頭5分の破壊力が狂ってますよね。「フィクションには現実を変える力はないけど、幼い頃のキラキラした憧れは嘘じゃない、いつか大人になった君に何ができるかはわからないけど、心はずっと一緒だよ」……という作り手のメッセージを感じました。子供向けだけど、子供騙しじゃないんですよね』
とか
『私見ですけど、最後に目覚めたシーンの後で女の子がまた踊れる様になったのは本人が努力したからだと思うんですよ。敵が仕掛けていた呪いは「脚の筋力をゼロにし続ける」みたいなタイプで、「倒した時点では歩けないまま、但しリハビリして鍛え直せば再び筋力は付いていく」って感じなのかなと。だからあの後、女の子はきっと筋トレメニュー考えて頑張ったり、栄養あるもの食べて体作ったりしたんですよ、きっと』
とか宣ったことで、界隈はザワついた。
おいおい……コイツ結構なガチ勢じゃねーか、と。
日本のアニメは台湾でも人気があるのだ。
某魔法少女作品もその例にもれず、初代作から吹き替え版が放送されている。
勿論、メイリンだって大好きである。15周年記念のオールスター映画は姪っ子を誘って三回見に行った。
そうしたアレコレが重なった結果、普段野球に興味を持たない女児先輩や限界オタク先輩も湊個人には興味を持つ様になった。全然違う人種と思っていたところに共通の趣味を見つけて、親近感を持ったらしい。
また湊、そのインタビューにて
『好きになったきっかけ?昔、ちょっと心がしんどかった時に救って貰った事があって……』
とも発言した事により、母性本能をくすぐられたマダム達もいたようだ。
『彼は高校生の頃、理不尽にバッシングされていた時期があったらしいわよ』
『まあ、可哀想に』
『鋼の精神力を持った完璧超人のエリートと思っていたけど、年相応に弱い所もあったのね。応援してあげたくなっちゃった』
みたいな感じで。
まあ、実際のところは前世に病気で体力が落ち、ヒマを持て余していた際にサブスクで履修していただけなのだが、それを知るものはいなかった。
そんな訳で
「みなとさん、がんばえー!」
「湊氏ー!ファイトー!」
「湊くーん、頑張ってー」
こんな感じで普段野球に興味のない層まで球場へ足を運び、ミラクルなペンライトを振りつつ応援する様になっていた。
そんな訳で、台湾中の……いや、衛星中継を通して世界中の注目が集まっている中で今日も今日とて彼は投げる。
なお、連日登板について身体は大丈夫なのかと心配されたが、本人曰く『問題ない。アメリカ程の過密日程や移動はないし、両投げかつ1イニング限定登板ゆえに片腕を二日連続では使わないから』との事。
また、『少ない球数を、アドレナリンがドバドバ出た状態で毎日全力投球する事は球速を上げる神経系トレーニングにもなるから一石二鳥なのだ』とも言う。湊鴎賀はこの年、球速のパーソナルベストを更新する気満々であった。
その成果によるものか、大きく振りかぶって投げた本日の一球目は彼がシーズン早々に樹立した台湾記録をさらに1キロ更新する。
163キロの快速球だった。
その瞬間、観客は総立ちになり、耳が痛いほどの大歓声が球場の夜空にこだまする。
それはまるで、天高く上がり弾けた超特大の花火のように。
台中インターコンチネンタル野球場は今、熱狂の真っ只中だ。
勿論、メイリンだって声を張り上げる。
「じゃおぉぉぉー!!!」
普段だと絶対に出さない様な大声を出しても全く問題ないというのも、プロ野球観戦の魅力の一つだ。
ちなみにコレ、誰にも迷惑をかけずにスカッとできちゃう大変お勧めのストレス解消法である。
機会があれば、ぜひ一度お試し頂きたい。




