100. 海を渡った白鴎
メジャーリーグの春季キャンプにおいて、投手と捕手は肩肘を作りつつバッテリー間の意思疎通を図るため他の野手よりも1週間ほど早くキャンプインする。湊鴎賀もその例にもれず。野手と合流する1週間前からブルペンに入った。
『新戦力の調子はどうだった?』
『凄かったですよ、あの身体でいきなり98マイルを出していました』
その様子を見ていた投手コーチがチーム練習終了後に監督と話している。
ちなみに98マイルは約157キロ。
『コマンドは?』
『そちらはさらに素晴らしかったです』
コマンドとは『ボールを狙ったところにピンポイントで投げる能力』のことだ。
コントロールと同義語の様だが、メジャーにおいて二つの言葉は意味合いが違う。『とりあえず四死球を出さない』のがコントロールで『高度な駆け引きが出来る』のがコマンドだ。投手コーチは今、制球力も絶賛していることになる。
『この先、何か伸びしろはあると思うかい?』
『いえ、それは厳しいでしょう』
だが、将来性について彼は否定的な見解を示した。
『彼の身長で98マイルと言うのは、本来考えられないような数字です。おそらく既に、遺伝的限界まで鍛え上げられているのでしょう』
『そうかなぁ、彼ってまだ22歳だし100マイルとか期待しちゃうんだけどね』
そんな監督の言葉に対して投手コーチは、もしそうなったら鼻からスパゲッティ食べてもいいですよと答える。
『野球選手の球速って20~23歳辺りが最速となるケースが多いんです。むしろ今後は、身体が負荷に耐え切れず勤続疲労によって怪我しないか心配ですね。今後は『なるべく現状維持』を第一目標に慎重な起用を考えるべきでしょう。痛みこそないようですが、肘の状態を心配したドクターがMRIの再検査を勧めているくらいですし……』
***
『やばいね、君の肘』
野手組と合流する初日、2度目となるMRI検査を終えた俺はチーム担当医師からそう言われた。英訳があっているかイマイチ自信がないが、西海岸の特徴であるカジュアル英語だからたぶんこんな感じだろう。
いや、肘がヤバいって見た感じどこも悪くないじゃん。ほら、骨棘ができていないのはもちろんのこと、靭帯の連続性や繊維構造も綺麗に保たれていますぜ。エラストグラフィーで確認したら硬さや弾性も良好だったし。
『それがおかしいんだよ。だってエコーで見たら君の肘の靭帯って一般人の1.5倍の太さがあったんだよ?そこまで太い場合、普通は慢性損傷からきた悪い肥厚によるもので瘢痕化や配列異常など何かしらの問題が起きているはずなんだ』
ドクターの言うことは間違っていない。
靭帯も適切に鍛えることで健全に太く、そして強くなるが、メジャーリーガーを対象とした大規模研究によれば『その限界は1.3倍までであり、それ以上に靭帯が肥厚した選手ほど故障リスクが上がっていった』らしいからね。当初、俺の獲得に意欲的だったロサンゼルス・ドラーズからも『両肘とも、近年中に限界を迎える可能性が高い』として契約を見送られたし。
だが、それらが全て正しいとも思わない。
何故なら、何事にも『例外』や『外れ値』と言うものがあるからだ。
「……確かに、君の場合は屈筋腱も関節包も、肘を支える組織全体が異常に発達している。故障せずに長年やって来たメジャーリーガ達と比べても明らかに強い。」
だろうね。
だって、前世知識があるのも、それを用いて幼少期から関節周囲を徹底的に鍛えてあげてきたのも、全メジャーリーガの中で俺だけだもん。
「一体どんなトレーニングしてたらこうなるの?」
なーに、『ビタミンCとコラーゲンを同時摂取した1時間後に関節へ適切なメカニカルストレスを与えてピンポイントで栄養を吸収させる』ことや『肩肘に負担のかからない投球フォームや筋力を先に獲得し、その後安全な範囲で球速を上げていく』なんてアプローチを0歳の時から意識的に毎日行ってきただけですよ。
……なんて言うと頭おかしい奴だと思われるだろうから、『うまい食事と適度な運動。それだけですよ』と答えておこう。嘘は言ってない。
「本当かなぁ……ともあれ、OK、現状なにも問題なしだ。最初はガラスの肘じゃないかと疑ったが、今日までの検査結果を統合したところ君のは特別製の防弾ガラスである可能性が高い。ただし、なにか違和感を感じた時はすぐに報告してくれ」
合点承知の助。
どうもありがとうございました。
「君がデビルズの救世主になることを期待しているよ」
最後にそう言ってきた医師に、サムズアップで答えてメディカルルームを後にする。
ロサンゼルス・デビルズは現在、低迷期の真っ最中だ。
チームの中心選手である強打者、メイク・トラストが毎年のようにリーグMVP級の活躍を見せてはいるのだが、他の選手たちが今一つパッとしていない。特に投手陣の成績はリーグワーストである。
5年くらい前までは強かったけど、FAでの大型補強に失敗し、その余波で投手先発・リリーフ共に層が薄くなり、酷使された主力級投手に怪我が相次いだ結果そうなったらしい。
『トラストは2ホーマーを放った。なおデビルズは負けた』
近年はそんな試合が頻発し、ネットではそれを略して『なおデ』なんて揶揄されているそうな。
しかし、もう大丈夫。
何故かって?俺が来たからよ。
トラストが打ってくれるなら完封すれば勝てるし、俺が完投することで休ませてやれば、リリーフ陣の登板成績だって昨シーズンよりも上向くだろう。少なくともプロ一年目のように『9回完封したけど勝ちつかず』みたいな試合はあまりないはずだ……ないよね?
「湊さん、この後は全体ミーティングに参加して今期からチームメイトになる皆の前で挨拶を行うことになります。日本語で話して下されば私が通訳しますが、どうしますか?」
「ありがとうございます。自分で話すので大丈夫ですよ。もし、なにか致命的な誤解をされそうな言い回しをしたらそこだけフォローして頂ければ」
専属通訳にそう答える。
肘のコンディションが疑問視される中、好条件で獲得された俺に懐疑的な目を向ける選手もいるだろう。偉大な先達はいるものの、この時代のメジャーリーグってアジア人選手の評価はそこまで高くないしな。代理人も『球団は正直、ジャパンマネーの獲得を見込んで下駄をはかせたところもあると思う』と言っていたし……早く認めてもらえるように頑張るぞい。
そのためにも、第一印象は大切だ。先程、医師とのやり取りは通訳を介したがここは自分の言葉で熱い気持ちを伝えさせて貰おう。
ミーティングルームで、監督に促されて前に出ると好奇の視線を感じた。
メジャーリーグを舞台にした野球映画ではアジア人選手って『面白外人枠』的な扱いをされる場合が多いからかな。しかしこれはチャンスでもある。ここで素敵な挨拶ができればギャップで『思っていたよりもずっとクールな奴が来たな』って思って貰えるだろうからね。
知的な言い回しをしてやるぜ。唸れ、俺の英語力。
『オーガ、ミナトどす。チームを優勝させるためにきましたのすけ。皆の衆、よろしく頼みますぞ!』
よし、これでつかみはOKなはず!
あとはプレーで魅せるだけだな。
プロ入り後4年間は『色んな技術・変化球習得』と『第一線で50歳まで怪我せずプレーできる体づくり』をテーマにやって来た。そしてそれはある程度達成できたと思っている。
だから、ここから先の数年間は『球速の向上』にフォーカスしていく予定だ。
とりあえず、現実的な目標として今シーズン前半の間には『球速100マイル』に到達したいと考えている。約160.9キロだな、これはメジャー投手にとっても大きなステイタスになるんだけど、今の俺なら十分に実現可能だと思う。
野球選手の球速って20~23歳辺りが最速となるケースが多いんだけど、それは純粋な瞬発力や関節の柔軟性に依存するからだ。特に関節は普通、大なり小なり炎症が起きてカルシウム沈着や組織の瘢痕化によって柔軟性が失われていくからな。
しかし、俺は今まで怪我しないことを第一にやって来たから関節組織も綺麗なままで強靭だし、純粋な瞬発力も筋力もしなやかな強さもまだまだ伸ばせる自信がある。また、陸上の投擲種目では27~29歳あたりで自己ベストを出す選手が多いし、アスリートの『実戦的なパワー』がピークを迎えるのも20代後半だと言われている。
つまり、俺の肉体的な全盛期は、きっとまだまだ先になるだろう。
ちなみに、肉体と技術のバランスが最も高次元でかみ合う選手としての全盛期、『プライムタイム』はさらに先。その時、一体どんな選手になれているか自分でも楽しみだ。
明日、4話投稿して完結です




