93. ドラ1投手の試投
本日より始まったシート打撃。
そこからやや離れた、投手や打者の視界に入らないところに二人の男がいた。名古屋ドラゲキン監督の落愛と、投手コーチの林である。
「さっき打ってた大樹は、投手目線からはどう見えた?」
「厄介な打者だな、という印象です。高卒ルーキーとは思えないくらいスイングが速いですし、身体も開かない。間の取り方も上手く、速球と変化球、どちらにも対応してきそうな雰囲気があります」
二人が現在何をしているのかと言うと、選手達が勝負に集中出来る様に配慮しつつ意見交換を行なっているところだ。
「俺も同じ意見だ。想像以上にいいなアイツ。バッテリーコーチからはキャッチングと肩もいいって報告が来てたし……よし、オープン戦では優先的に使って、ヒットが打てる様なら控え捕手として開幕一軍メンバーに入れよう」
落愛は打者として超一流だった。しかし投手については林コーチの方が詳しい。
故に、多角的な視点で選手を分析できる様に、落愛はこうやって林を帯同させながら選手をみることが多かった。
「さて、次はいよいよ湊の登板だな。前のクールではブルペンで凄いボールを投げていた様だが、打者が立つとどうかな?」
「あー、楽しみにして下さっている所にすみません監督。湊はキャンプ初日から少しオーバーペース気味に見えましたので……」
そして林は、『今日は出力を抑えて、アピールではなく色々試すくらいのつもりで投げろ』という指示している旨を話す。
「おっと、そうなのか」
「はい、彼はキャンプ初日から140キロ中盤のボールを200球近く投げ込んでいましたから。性格も把握できる様に初めは自由にやらせていたんですが、怪我しない様にそろそろ手綱を握ろうと思っていたところなんです」
もちろん、プロで先発投手としてやっていくならそれくらいの球数を投げ込む日も必要ではある。
しかし、それは肩のスタミナ強化や疲労状態での再現性を高めるための練習であり、『7〜8割くらいの力加減』で投げるもの。200球というのは、決して全力全開で投げ続けていい球数では無いのだ。
「あれ、おかしいな?湊ってそんなガムシャラな練習をするタイプではないと思うんだが……」
一月に面談した時は理詰めでクレバーに練習してきた印象だったんだよ、と落愛。
「まあ、まだ18歳ですからね。プロ入りに舞い上がって、ついつい張り切りすぎてもおかしくはないでしょう」
「8割くらいの出力で140キロ中盤をコンスタントに出していたって可能性は……流石にないか」
「ははは、ご冗談を」
だって140キロ中盤というのは、高卒ルーキーとしてかなり破格の球速なのである。
なにせ昨シーズン、十二球団最強を誇ったドラゲキン投手陣の平均球速でさえ143キロだったのだから。
「もしそうなら、湊鴎賀は全力投球なら常時150キロ台を出せる選手という事になりますよ」
ちなみにこの時代、電光掲示板に145キロ以上が表示されると『おお、速い!』と観客が沸く。
「まあ、流石にそれはないか」
「ええ、高校時代に150キロ台を複数回出したとは聞いていますが……それはおそらくスピードガンの不調。そうでなければ、絶好調の日にアドレナリンが噴出する中で全てのタイミングが上手く噛み合った結果でしょう」
なお150キロ以上は『球界を代表する剛腕のみが到達できる領域』とされている。日本記録でさえ158キロだ。
「投球メカニックの方はどう?」
「そちらは理想的ですね。力の流れが非常にスムーズだし、胸郭の動きが大きいから肘の負担も少ない。だからあれだけの球速を出しながら、大きな故障をせずにここまで来られたのでしょう」
そんな事を話しているうちに、次の勝負の準備が整ったようだ。
マウンドに立つのは、話題にしていた湊鴎賀。キャッチャーには正捕手の山茂が座り、バッターボックスには一ノ瀬、二階堂、三ツ矢、遊川という内野のレギュラー陣が順に立つという本日屈指の好カードだ。
多数のフラッシュがたかれ、キャンプに詰めかけた報道も活気づく。
そんな中、この日湊鴎賀は各打者に対して10球ずつ、合計40球を投じる。それらは全て140キロ台中盤のストレートであり…… かなりの確率でヒットを連発されていた。
割としょっぱい結果である。
「んー……なんかパッとしないな」
「ええ、まさかここまで打たれるとは……」
クレバーな選手と評判だったが、期待ハズレだったかと内心で嘆息する林。
確かに球速は速い。
だが、相手は一軍の打者だったとはいえ僅か3〜4球でアジャストされていた。
ブルペンで見た時は、手元で伸び上がる様な質のいいストレートをコースに投げ分けていたのだが、打者が立ちプレッシャーがかかると違うのかもしれない。
そんなタイプは、今まで沢山見てきた。アマチュアでは通用しても、プロでは活躍できない典型例だ。
加えて、わりとあっさり打たれたことにムキになったのか、 8割の力で色々試す様に伝えていたにも関わらず全力のストレートのみを投げ続けるというオマケつき。
この調子が続く様ならば、投手王国といわれているこのチームで開幕一軍の座を掴むのは厳しいだろう。
「でも、なんか気になるんだよなぁ。打者連中が異常なほど気持ち良さそうにバットを振れていたというか……お、きたきた」
そんな事を考えていると、一人の男がやってきた。先程、湊とバッテリーを組んでいたベテラン捕手の山茂である。
注目のドラ1選手である湊について、実際にボールを受けた現役捕手の意見も聞いておいた方がいいだろうと言うことで落愛が予め呼んでいたのだ。
チームの勝利を第一に考える、献身的なプロフェッショナルである山茂。その表情は現在……硬い。
「ぶっちゃけ、湊はどうだった?」
「想像していたのとかなり違いました」
それを聞いた投手コーチの林は、やはり『期待外れ』だったかと残念に思った。
「予想を大きく上回っている。『期待以上』というか……はっきり言って『異常』ですよ、アイツ」
「ちょっと待て!?」
それは何か?
プロの一軍で通用する実力があると言うことか?
「ええ、高卒ルーキーとは思えません。おそらく、ストレートだけなら各チームのエースにも負けない実力を持っています」
「何故そう言える?今日、全力投球したのに結構打ち込まれていたじゃないか」
「それが……」
山茂が、硬い表情をした先程まで体験していた事を話す。それを聞いた落愛と林は、驚愕に目を見開くことになった。
一体何があったのか。
時間は、30分ほど遡る。
***
「打者の一番得意なコースに、全球ストレートを投げたい!?」
「ええ」
話題となっているドラ1ルーキーの言葉に、山茂は耳を疑った。
「しかし何故そんな事を……?」
「8割の力で投げつつ、色々試してみろと林コーチにアドバイスを頂いたからです」
「そ、そうか……」
それならまあ……とは、決して思わない。
だって普通、シート打撃で試すというのは
『自分は今、打者の苦手なコースに狙い通り投げられるか。そしてこの先、どんなボールやコンビネーションなら打者を抑えられそうか』
を確認していく作業を指すのだから。
そんな場でこのルーキーは
『一番得意なコースに投げ続けた場合、プロの打者は何球目でアジャストしてきて、かつどれくらいの確率でヒット性の当たりを打ち続けられるのか確認してみよう』
と考えたらしい。
常人の発想ではないな、と言うのが率直な感想だ。少なくとも、20年間のキャリアでこんな事を言うルーキーに出会った記憶はない。
また、直前の投球練習でも伸びのあるいいボールを投げていた。プロ基準でも『それなりの威力』だと言えるくらいには。もしかしたらこの男は、相当な逸材なのかもしれない。
そして、同時にこうも思う……
(コイツ、もしかして調子こいてないか?)
だって、今やろうとしているのはルーキーの力試しとは対極に位置するものだ。言うなれば、絶対的エースが先を見据えて新米打者の実力を測る『実験』のような……
しかし、自分はコーチから『今日は湊には8割の力で投げて色々試せと指示する。だからアイツの好きなボールを投げさせてやってくれ』と言われている身。
なので本人の希望通り、キャッチャーズボックスに座って打席に入った一ノ瀬ーー昨年レギュラーを掴み今年ブレイクが期待されてる25歳の若手ーーの得意コースにミットを構えた。
(まあ、プロのレベルの高さを身を以て勉強するといいさ……大口叩いたからには、きっちりと構えたところに投げてこいよ)
そんな事を思いながら。
なにせプロ野球の一軍打者と言うのは、幾度もの淘汰を生き残ってきた化け物ばかりだ。『それなりに威力のあるボール』でも、その打者の一番得意なコースになんて投げようものならまず間違いなく、初球から完璧にアジャストされる。
そしてそれは、貧打と呼ばれているドラゲキンの打撃陣とて例外では無い。キャンプ中盤で本調子で無いことを差し引いてもだ。
開幕一軍クラスの投手が全力で投げたって、大体2球目には対応してくるだろう。そしてその後は延々とヒットを打たれる事が目に見えている。
そんな事を考えている中で、投げ込まれた初球。
(少し低……なっ!?)
コースは合っているが低いと判断したボールが、凄まじい伸び上がりを見せて構えたコースに寸分違わず収まった。
つまり、打者は空振りしたのである。
ボールは完全な得意コースにきたのに、だ。
(投球練習は全力じゃなかったのか……)
身体操作やコントロールに自信のある投手には、試合で余計な体力を使わない様にそうするタイプも多い。今回、投球練習の段階でそれにベテランの山茂が気づかなかったのは、軽く投げているとは思えない程ボールが走っていたからに他ならない。
(そして今の一球は……『それなりの威力』なんて次元のボールじゃなかった……)
おそらく、ボールの回転軸が垂直に限りなく近いことに加えてスピン量も相当多いのだろうと山茂はあたりをつける。
続くボールも完全に打者の一番得意なコース。バッターはフルスイングで迎え打つが、ボールは前に飛ぶ事なく真後ろへのファールとなった。
***
「それでバッター陣は結局、アジャストするまでに3〜4球を要していたと?」
「はい」
理由は単純明快。
打者がいる状態で投げ込まれたのは、プロで長くやってきた山茂や打者陣の想定を遥かに上回る程に伸び上がってくるボールだった。それだけの話だ。
「しかも、その後も結構ミスショットしてたよな?」
「……ええ、そうです」
打者もキャンプで調整中とはいえ、驚くべき結果だ。
「途中からコントロールがバラついたとかは?」
「いいえ、凄まじいコントロール精度でした。誤差は全てボール一つ以内、まるで精密機械です」
実践形式で打者が立つとパフォーマンスを落とす投手も多いが、どうやら湊鴎賀はそんなタイプとは程遠かったらしい。
「彼の直球は一軍でも即通用するクオリティがありました」
そう断言する山茂の言葉に、思わず顔を綻ばせる落愛。
今までの情報を統合すると、湊鴎賀は『分かっていても中々打てない、超強力なストレートを抜群のコントロールで投げていた』ことになる。
つまりそれは、開幕一軍クラスを飛び越えて、球団を代表するエース級のパフォーマンスだ。
「監督、差し出がましいかもしれませんが、是非リリーフとしてでも開幕から……」
「いや、いっそ先発でもいけるんじゃないか。なあ、林コーチはどう思う?」
とうとう、そんな皮算用まで開始した山茂と落愛。
一方で、林は慎重なスタンスをとった。
「とはいえ彼はまだルーキーです。ここまでを鑑みるに、投手コーチとしては張り切りすぎて怪我しないように慎重な運用をお願いしたいと思います。幸い、ウチは投手層が厚いですし……」
それはあくまで、功を焦らずルーキーの選手の安全を鑑みる善意からの意見。しかし、そんな有能な投手コーチにもまだ見落としがあった。
『今日は8割の力で投げろ』
林の言葉を、湊鴎賀は律儀に守っていたのである。心理学で言うところの『秘密の窓』と言うやつだ。
この場にいる三人がそれに気づいたのは、これから二週間後に開始されたオープン戦。
全力投球を解禁した湊鴎賀が、初球からいきなり155キローー新人投手としての歴代最速タイ記録ーーを叩き出した時の事だった。




