66 九回裏の自利(case1.湊鴎賀)
九回裏、二点ビハインド。
八幡の監督である竹中は試合の流れを変えるため、打席とネクストサークルに向かう二名を除く全員を集めてこんな指示を出した。
「お前らは全員ここまで、フォア・ザ・チームで本当に良く頑張ってきた。だから……この回だけは全員エゴイストになって構わんぞ。俺もサインは出さん!」
普通なら『応援してくれる人の為にも頑張ろう』とでもいう場面で発せられた、テンプレとは真逆の内容。これには湊や大樹といったメンバーも驚きの表情を浮かべる。
「自利利他、という言葉がある。本来は『他者を利することはすなわち自らを利すること』と言う意味なんだが、お前は全員気のいい奴らばかりだからな!『心の赴くままワクワクする様にやった事が、巡り巡ってチームの人の為になる』って逆パターンも成り立つと思うんだよ」
そして、人間……特に若い男というものは、自分の欲望に素直になってワクワクする挑戦をする時、爆発的なエネルギーを出す事がよくある。その事も、竹中はよく理解していた。
「だからここは一つ、自分の欲望に素直になって、自分の為に全力でプレーし、あるいは全力で応援してみようじゃないか。せっかくの大舞台、悔いの残らない様に思いっきり好き勝手やってこい!」
その指示に、周りの緊張が和らぎ士気が上がる。竹中の計算通りだ。ただーー
「よっしゃ、好き勝手やるわ!」
「ふっふっふ……やってやるっすよ」
「なにせ、監督のお墨付きだからな!」
そんな彼でも計算できないのは、湊、匠、ニックという普段から充分好き勝手やってる様に見える奴等が、この指示によってどんな化学変化を起こすかだけである。
(ま、後はコイツらを信じて見守るだけか……なるようになーれだ)
既に賽は投げられた。
腹を括った竹中はベンチに戻ると、自分のエゴに従い特等席での野球観戦を楽しむ。既に自らの手を離れつつある、頼れる選手達の活躍を信じて。
***
一番打者の細川が鋭いライナーを放つが、不運にも野手の真正面をつく。ワンナウト。
二番打者の菊池は面白い打球、今度は相手の攻守に阻まれる。ツーアウト。
二死走者なし。
日本中の殆どが遅稲田実業の勝利を確信し、また『アルベルトが湊から三振を奪って優勝!』という結末を期待する中、湊鴎賀が二点ビハインドで打席に向かう。
そこで、明るく力強いアップテンポなブラスバンドが鳴り響く。彼の応援曲、『サンライズ』だ。
かつて多くの善玉レスラーを屠り『不沈艦』の異名をとった、伝説的悪役レスラーの登場テーマでもある。
そんな曲に球場のボルテージが上がる中、湊鴎賀は竹中に指示された通り、こんなエゴを胸に打席に入っていた。
(もっと長くコイツらと試合してぇー、そして勝ちてぇー)
故に、彼はこの打席『一番同点になる確率が高い戦略』をとる事を、自分の意思で、心の底から望んだ。
浅いカウントでは『高確率でヒットに出来そうな球』のみを狙い、追い込まれてからは失投を狙いつつ際どいコースをカットして粘る。そして……
「ボール、フォアボール!」
四球を獲得した。
物語として一番美しい結末である『アルベルトが湊から三振を奪って優勝!』という筋書きが消え、球場のあちこちからため息が聞こえる。
アウトでもヒットでもない、ある意味『勝負無し』ともいえる、一番スッキリしない結果だったので当然だろう。
そんなしょっぱい空気中、当事者である湊鴎賀はと言うとーー
「ウィー!!」
人差し指と小指を立てたまま右腕を振り上げ、空気を読まずにノリノリな雄叫びを上げていた。
ともあれ、これで二死一塁。
ネクストバッターは……大樹匠。




