67.九回裏の自利(case2.大樹匠)
九回裏、二死一塁。二点ビハインド。
ホームランが出れば同点、アウトになれば敗北という場面で、大樹匠はこんな事を考えながら打席へと向かっていた。
(完璧に読み切って、王太子にお返ししてやりたいっす!)
大樹は現在、この試合に苦戦している責任は自分にあると考えていた。
四番打者というポイントゲッターを任されながら、初回のチャンスで狙いを外されて凡退。その後、一度チャンスで打席が回ってきた際も狙いを外されて三振と、この試合ここまでノーヒットに終わっていたからだ。
そして、彼にとって最も屈辱的だったのは七回表、アルベルトにフォークを読み切られ、のみらなず予想外の方法でホームランにされた事である。故にそのリベンジをするべく、今ある全ての情報を統合させて高速で思考を回す。
(リードの主導権は投手にある。捕手のサインはテンプレ通りで、要所で首を振る事で変更。ただし、ダミーの首振りサインあり。基本はストレートとフォークだけど、裏をかいてカーブの可能性も……うーん、厄介な相手っすね)
しかも、どうやらアルベルトは自分と同等以上の察知能力まで持っている感じがする。そんなバッテリーを相手に配球を一人で読み切って攻略するというのは、超難解なパズルを解くのに等しい困難なミッションだ。
(でも、今はこっちも『一人』じゃないんすよ……それにピッチャーの性格も概ね把握できた。メディア対応は模範的で王太子なんて言われてるけど、彼の本質はおそらく『負けず嫌いのファイター』っす。なら、やり様はある!)
そんな事を内心考えつつーー
「よろしく頼むっすー」
しかし表には一切出さず、いつも通りの緩いポーカーフェイスで打席に立つ。それを見たバッテリーが、共に目を見開くのがわかった。
今までの打席と、大樹の立ち位置が大きく変わっていたからである。
普段はバッターボックスの最後尾、内線からは30センチ程離れた『強打者のスタンダードな立ち位置』にいる大樹匠。それが今は普段よりも1メートル程投手寄り、かつ内線ギリギリの所謂『オンザライン』の位置に立っていた。
無論、デッドボールなど狙ってはいない。これは、合理性と挑発という両面から相手の選択肢を絞る大樹の戦略であった。
対するアルベルトは、一旦プレートを外して一塁へと速い牽制球。普段、不慮の事故で怪我をしない様に足から戻れる小さいリードしか取っていない湊だが、この時ばかりは頭から戻りギリギリでセーフ。
(大きいリード……流石、ナイスアシストっす)
現在、二点ビハインドだが湊がホームに帰れば一点差となる。そうなれば、観客には同点を期待するものが出始めるだろう。すると当然、守備陣には多大なプレッシャーがかかる。『甲子園の魔物』の出現だ。
(だからバッテリー心理としては絶対、鴎賀を二塁にはやりたくない。普段よりリードが大きい事から流れを変える一点取る為の盗塁も選択肢に……つまり、この時点でフォークは選択し辛い)
落差が大きく、低めのボールゾーンに落とすフォークボールは捕手が弾くリスクも大きい。また盗塁してきた場合もアウトにしにくいのだ。
(で、次に相手バッテリーにとって最悪のシナリオは『連続四死球でランナーをためて長打率の高いニックにまわす』こと。アルベルトはパワーピッチャーでコントロールはそこまで良くないから、ベース寄りに立てばインコースには相当投げ辛い)
ただし、ここまではバッテリーも分かっている。そしてアルベルトは、そんな中でも『あえて裏をかいて、インコースやフォーク!』という選択をしてくる可能性を排除出来ない男だった。
だから、大樹はもう一手、打席の後方ではなくやや投手寄りに立つという手段を講じた。
当然だが、基本的に投手に近づくほどストレートというのは打ち辛くなる。
ゆえに、打席の前側に立つのはデメリットがメリットを上回る場合が殆ど。あえてそうする場面もあるが、それは『ストレートが遅い軟投派投手の、変化球の曲がり始めを叩きたい』時が多い。
つまり今の大樹の立ち位置は
『コースさえ限定すれば、お前のストレートなど怖くない』
という挑発的なメッセージでもあった。
捕手が動揺しつつ出したサインに、アルベルトが首を振る事なく頷く。普段のアルベルトであれば一度プレートを外しダミーの首振りを要求してもおかしくないが、大樹の立ち位置変更が彼の冷静さを僅かに失わせていた。
この時点で初球のサインは、『アウトコースへのストレート』だとほぼ確定。あとは、前寄りの立ち位置で大樹がそれを打てるかだがーー
(絶対打てる!)
彼には、根拠を伴う自信があった。
確かにアルベルトは世代を代表する投手だ。角度のある凄まじいストレートを投げてくる超高校級でもある。
しかしーー
(それでもーー最強は鴎賀っす!)
そして、自分はその正捕手だ。
湊のストレートを長年取り続けてきたし、フレーミング技術を磨くためマシンを相手に今より至近距離で150キロ超えのボールを補る練習もしてきた。
この試合、チャンスで二度凡退したが、その過程で相手のフォームや球筋のインプットも完了している。
加えていうと、打席の前に立つのにも僅かなメリットがある。少しだけ、ほんの少しだけーー長打を打ちやすい高めでミートできる可能性が上がるのだ。
後は、コントロール自体は平均的なアルベルトが大樹の狙った付近に投げ込んでくるかという場面。こればかりは運、チャンスとラックを掴めるか。
球場に『Get Wild』のブラスバンドが鳴り響く。
普段飄々としているが、内心には熱いものを持つ凄腕が主人公を務めるアニメの主題歌だ。
そしてーー
大樹匠は見事、ターゲットのど真ん中を正確に撃ち抜く。
そのボールは、既に重大な仕事を済ませた掃除屋の様に、バックスクリーン横に設けられた通路口へと消えていった。
もっこり一発!
九回二死から飛び出したまさかの同点弾に大歓声が巻き起こる。立て直しのために遅稲田の監督が、三度しか使えない貴重な守備タイムの最後の一回をとり、遅稲田の守備陣がアルベルトの元へと駆け寄った。それだけの一撃だったという事だ。
そんな中、ホームを踏みベンチへ帰ってきた大樹匠の表情は、先程打席内で大仕事をした時から一転、普段の飄々としたものに戻っている。
「凄いよ!」
「先輩、最高っすわ!」
「優勝盾を受け取った時、何ていうか考えとけよ!」
祝福するチームメイト。
ちなみに最後は湊鴎賀のもの。
このまま優勝した場合、副キャプテンの大樹は豪華な記念品を受け取り、各所からインタビューを受ける立場になることを意味している。
そんな言葉に大樹はーー
本心を悟らせぬ、飄々とした調子でこう答えた。
「その時は……『報酬は既に受け取ってある、俺の胸に刻まれたお前との日々だ』なんてカッチョイイ台詞を言ってみてーっすね!」




