祝主は、ひっそりと夢を見る
その翌日、埋めの陣の崩壊と修復が改めて報告された朝議の場は、騒然とした雰囲気に包まれた。
都を徘徊していた鬼が奥宮で封じられたと聞いて安堵したのも束の間、依人内部で衝突が起こり、二人の依人が命を散らしたと発表されたからだ。
それを暴露したのは、同胞を手に掛けた、当の本人だった。
元より罪を逃れる気などなかったのだろう。
むしろ自ら断罪を求めるように、私怨で同胞を殺したと、皆が居並ぶ前ではっきりとそう口にした。
すでに狂気に落ちていた妃咲と違い、ここまであからさまに罪を告白されては、庇おうにも庇いようがない。
淡々と罪を告白する末弟に、兄である宗主は掛ける言葉を知らず、ただ茫然と椅子に座って拳を握りしめるより他はなかった。
情状酌量の余地が多分にあるとはいえ、依人にとって同胞殺しは第一級の罪科に当たる。
まして宗家以外の只人には、祝主と愛依の絆など知り得る筈もなく、司凉はその場で格付けを外されて、蟄居処分を言い渡された。
宗家筋の依人の、無期限の蟄居謹慎。
それはまさに、不見始まって以来の醜聞だった。
「司凉はどうしてる」
彩池の見える一室にゆったりと座し、葵翳は報告に訪れた成唯に静かに問い掛けた。
朝議の場を震撼させたあの事件から半月余りが経とうとしているが、人々のざわめきは未だ鎮まらず、宗家は人心の乱れを抑える事に忙殺されていた。
新しい御世に入って次々と起こる凶事に民は不安を募らせており、宗家は来月にも、大掛かりな後祓いの儀を執り行う予定にしていた。
「一緒だ。あまり眠らず、起きている間中、ぼんやりと外を眺めているようで」
「ずっと佑楽がついているんだな」
「ああ。あれも儀容の死からこっち、随分参っているから本当は代わらせたいんだが、生憎本人が聞き入れない」
陣の見回りのせいばかりとも言えない疲労を口元に滲ませて、成唯はふと言い淀むように視線を伏せた。
「弟や貴沙、翔士に次いで、司凉も失うかもしれないと不安なのだろう。
一度自傷沙汰を起こしているから、佑楽は片時も目を離したくないようだ」
「司凉は決して死を選びはしない」
成唯の不安を感じ取ったのだろう。葵翳は言い諭すように静かに断言した。
「血が失われるのはどんな感覚なのか試してみたくなった、とあれは言ったのだろう。司凉のあの行為に、それ以上の意味はない」
「しかし…」
「成唯。あれは生粋の依人だ。
隠れを前に、宮がそのように司凉を作られた。自分が封じの要であると知る以上、司凉がその任を放棄することはない」
「そのように作られた、とは?」
「室兄と共に双璧をなし、宮不在の時期を乗り切るためにあれは生み出されたものだ。依人としての力に優れる代わりに、人としての情にはことごとく欠ける。
事実、父宗主の死に続き、母が屍鬼となるという事態に対しても、あれは一切取り乱さなかっただろう?
佑楽を見ていれば、その違いは明白だ。佑楽はごく平均的な真霊を授かって生まれ落ち、只人である貴沙と激しい恋をして、弟の儀容を我が子の如く可愛がった。
司凉にとって、只人はあまり意味を持たない。
宮健在の折も、司凉は口ではよく宮に逆らっていたが、宮に対する忠誠や服従は、魂の奥深くまで刻み付けられている。
司凉にとって大事なのは同胞である依人だけであり、突き詰めていけば魂を分け合った愛依だということになる」
成唯は苦しそうに微笑んだ。
「翔士を守ってやれと、何度も宮にそう言われた。あれはそういう意味だったのだろうか」
葵翳は何も答えず、窓の外に見える彩池の波一つない水面をじっと見つめた。無言の肯定だった。
「宮人から司凉の減刑を願う嘆願書が届いている。翔士が生まれた邑からも願いが出された」
成唯の言葉を聞いて、葵翳は僅かに瞳を眇めた。
「先日、翔士の母親が死んだらしい。
元々心の臓が悪かったらしいが、翔士の死が相当堪えたらしい。以来ものを食べなくなり、ついに身罷ったと」
「…惨い事だな」
「ああ。だからこそ余計に、あの邑の人間は司凉の処遇に納得がいかないのだろう。無期限の蟄居は重すぎると、涙ながらに嘆願してきた」
「処分を願ったのは司凉だ」
ゆっくりと息を吐き、感情の見えぬ声で葵翳はそう答えた。
葵翳には、このまま司凉を宮に埋めさせる気は毛頭なかった。宮が予見された通り、司凉はこの時代における戦いの核だ。
いずれ蟄居処分のまま、封じにだけ連れ出すことになるだろう。
そうして一つ一つ実績を積み重ね、来るべき時には処分を解いて格付けに戻す心づもりだった。
その時のために、今の処遇は厳しすぎるほど厳しくて良かった。
狂気のままに若い同胞を殺した依人は殺されてしかるべきだったと、臣民の全てが納得できるまで、目に見える形で罪に服せばいい。
今まで華やかに宮人の注目を浴びてきた司凉だからこそ、後々の誹りを受ける事が露ほどもないように、葵翳は慎重に事を運びたかった。
そして何より司凉本人が、人と隔絶される事を望んでいた。
愛依を失った悲嘆ややり場のない憤り、鉛を飲み込んだような日常の絶望。
そういった感情の折り合いをつけていく時間が、司凉にはどうしても必要だった。
「焦ることはない」
葵翳はゆっくりと頭を上げ、闇を見据える眼差しできっぱりと言い切った。
「あと数年も経てば、宗家にも慶事が訪れるだろう。恩赦をいただくのは、それからでも遅くはない」
鈍色の雲の間からたなびき漏れる月光を、一人の女性が祈るように真摯に見つめていた。
傍らには端正な面立ちの青年がまるで死んでいるかのような静けさで眠っており、寝台に座した女性は、束の間の安らぎを見せるその横顔を、安堵と諦念を呑んで眺めやった。
やがて密やかなため息と共に寝台を抜け出た女は、青年を起こさぬように気をつけながら、そっと身繕いを始める。
汗を残す白い背に脱ぎ捨てられた裳を纏い、すっかり乱れた髪を手櫛で整えた。
夜はすでに深い。燭台の蝋燭から手蜀に炎を移し、扉の取っ手に手を掛けようとした時だった。眠っているとばかり思っていた青年が、女に物憂げな声を掛けてきた。
「佑楽に頼まれたか」
「……っ!」
部屋を出て行こうとしていた架耶は、その声にぎくりと肩を跳ね上げ、ゆっくりと後ろを振り返った。
「…司凉、起きていたの?」
仄かな燭光の中、琥珀の双眸が冷ややかな怒りすら纏って、架耶に突き付けられていた。その眼光の鋭さから、司凉が今まで微塵も眠っていなかったことを、ようやく架耶は思い知る。
「頼まれた訳じゃないわ」
僅かに息を詰め、架耶は仕方なくそう答えた。
「ようやく封じの場に出てこられるようになったのに、貴方が同胞の誰ともしゃべろうとしないから、佑楽は不安なのよ。
…私は佑楽に、今よりもう少し笑って欲しかっただけ。
私が貴方とよりを戻したと知れば、佑楽がほっとするんじゃないかって…、そうね、そんな風に確かに思ったわ」
「で、帰って報告する訳だ。ちゃんと男としての機能は果たせるようだと」
「嫌な言い方はしないで」
せせら笑うような言い方に、さすがの架耶もむっとした。
「貴方だって少しは楽しんだでしょう?私が貴方を騙したように言われるのは心外だわ」
「……気晴らしにはなったさ」
組んだ手の上に頭を乗せ、司凉は投げやりにそう答えた。
ほとんど誰とも言葉を交わさぬまま、ただ窓の外をぼんやりと眺めて過ごす生活に終止符が打たれたのは、およそ半年ぶりとなる葵翳の封じの命だった。
鍛錬から遠ざかっていた体は、自分の体とは思えないほどに重く、最初は破邪の剣すらまともに扱えない有り様だった。
驚いた成唯が、毎日鍛錬を続けるよう司凉に命じ、その後、肩慣らしのように、雑魚の封じに自分を連れ出してくれるようになった。
今はようやく往時の勘と動きを取り戻し、月に数度、危険な任務の時だけ、蟄居を解かれている状態だ。
「佑楽にはそう伝えておいてくれ。ああそうだ。それから今度いつ、結界封じをするかも、ついでに聞いておいてはくれないか」
「貴方が会いたがっていると知れば、佑楽は喜んでこの部屋に来るわよ。自分で聞いたらいいじゃないの」
「佑楽は気晴らしをさせてくれるわけじゃないからな」
天井を見つめたまま、司凉はうんざりと嘯いた。今は同胞の顔を見るのさえ苦痛なのだと、そこまでの弱みを見せる気は司凉にはなかった。
冷やかな拒絶を滲ませる司凉の横顔をじっと見やり、架耶は薄く唇を噛む。
そのまま踵を返して出て行こうとして、架耶はふと足を止めた。
「また来るわ。いい?」
「ああ」
遠ざかる架耶の足音にぼんやり耳を傾けながら、自分は別に同胞が嫌いなわけじゃないと、司凉はまるで自分に言い訳するように、闇に向かって呟いた。
同胞が大事だからこそ、下らぬ自傷は一度で止めた。ちゃんと命を繋ぎ、葵翳の命にも従っている。
ただ、翔士を失った心の間隙を埋めていくものがどうしても見つからない、それだけの事だ。
時々自分は、殺した妃咲の狂気をそのまま受け継いだのではないかと、思う事があった。あらゆる感情が鈍磨して、気が付けば夢に現に愛依の事を考えている。
まだ生まれたばかりの、猿のような顔をしていた翔士。乳を含む力さえないのに、指を裂いて血を滴らせると、貪るように祝血を吸い始めた。
手間の掛かる子供だった。ちょっと顔を見せないとしょげてご飯も食べなくなり、仕方なしに会いに行ってやれば、満面の笑みでまろぶように飛びついてきた。
どんなに言い聞かせても懲りずにやんちゃを繰り返し、何度説教を食らわせたかわからない。
けれどどんなに叱ってもまるで堪えず、すぐに何事もなかったように、側に纏いついて甘えてきた。
楽しい夢だったと司凉は自分に言い聞かせる。けれどどれほどの至福を泡沫の夢に紡ごうと、最後には必ず翔士が鬼に食い殺され、助けようとした自分は間に合わない。
駆け付ける自分を待ち受けるのは、草むらに残る頭蓋の一部と食い散らかされた肉片。
辺りには翔士の血の匂いがむっとたちこめ、甘くいとおしいその香の中で、自分はなす術もなくぼんやりとその場に立ち尽くしている。
あれは俺の贄だった。俺のために生まれ、血肉を食らう権利も俺だけのものであった筈だ。それを力づくで奪われた。
この理不尽な怒りをどこにぶつけていいのかわからない。
ただ、鬼を封じている時だけ、生きているのだと感じられる虚しい日々。
愛依を喪失した虚無が、ゆっくりと司凉を蝕んでいた。
凍り付く闇に包まれて、司凉はひっそりと夢を貪る。狂えるものなら、いっそ狂ってしまえと自分に言い聞かせながら。
残されたのは、退屈で緩慢な人生でしかなかった。
あと少しで、この作品も終了致します。
ここまで読んで下さった方に、心よりお礼申し上げます。
ブクマや感想、評価を下さった方、本当にありがとうございました。
とても嬉しかったです。
また、わざわざ「妣の国」を開いてブクマをつけて下さった方もいらっしゃって、驚くと同時にとても心強かったことをご報告させていただきます。
どうぞ最後まで、この作品を楽しんでいただけますように。




