奴隷なんてやってられないよ
連れて来られたのは、僕が生まれた臨洮 (りんとう)という町から出ておよそ南に半日程歩いた辺りにある村だった。
生まれて初めて町を出た。いつかは都に行って学を修めた後は各地で要職に就いて、中央にまた戻って位を昇って行くのだと思っていたけど、まさかこんな形で故郷を後にする事になるとは思っていなかったよ。
「ああ、そういえばまだ名乗りをしていなかったねえ。私の名前は周豊だよ。以後ヨロシク。董真くん」
小柄な少年は帝王のような椅子に着いていた。
さも偉そうげに高く脚を組んでいる。対する僕は手錠を掛けられたまま、茣蓙の上に膝をついて座らされている。とてもお客を迎える態度とは思えない。
なぜ僕の名前を知っているのだろうか。
まず聞いてみたが、彼は「まあ、そんなこといいじゃないか」と取り合わなかった。
「ずいぶんと配下が減ったじゃないか。あの不男は何の適職を持っているんだい?」
不男とはご挨拶だが、きっと我が弟を指している代名詞だろう。こんな奴に言ってやる義理は無い。僕が黙っていると少年はまあいい、と別の質問を寄こした。
「君の持っているスキルはなんだ? 所持スキルによっては生かしておいてあげない事もないよ。君は非戦闘向けの適性職のようだしね」
その言い草だと、彼のお気に召さないスキル持ちだと、殺されることになるようだ。言わなくてもきっとヒドイ目に遭わされるだろう。仕方なく自身のスキルを教えてやった。
僕達転生者は、生まれつき天性の職、適職が与えられる。僕の場合は【商人】、そして弟――といっても一卵性双生児だけど、として生まれた、董戎は【将軍】だ。そして、職業にはそれに見合ったスキルが獲得できるようだ。【商人】には、『値踏み』、『値切り』などがあるし、【将軍】には『槍術』『剣術』などがあった。
少年は顎に手を当ててしばらく考える様子だったが、ポンと手を打ってこう言った。
「いいね。いいじゃないか。うん。最高だ。いいねいいね。これはすごい。高揚がってきたよ」
何がだ?
よく分からないが、僕のスキルは彼の気に入ったものだったようだ。どういった使い方を想定しているのか見当もつかなかった。なにせ、僕が使えるスキルは今のところ、『値踏み』、『交渉術』、『 値切り 』、『収納術』の四つだ。自分でも何に使えるのか持て余している。
「今日から君は僕の奴隷だ。いいね。もちろん、拒否権はないよ」
奴隷だって?
冗談じゃない。昨日まで結構いい身分で育ってきたんだ。いきなり奴隷はないじゃない。仲間になろうっていうならなってやってもいいけどね。せめて子分とか舎弟くらいにしておいてよ。
という僕の抗議の声は無視されて、結局僕は奴隷にされた。具体的には「周的物」と右腕に烙印を押された。烙印とは、アツアツの棒の先を押し付けて名前や印などを焼き付ける事だけど、これが無茶苦茶熱かった。実際熱いなんてものじゃない。腕が薪にくべられでもしたような熱さと情けなさ、悔しさが頭を駆け巡り心が折れそうになる。意識を辛うじて保っていられたのはかえって不幸だったと言えるんだろう。
「だ、だだ、大丈夫?」
暗い部屋に放り込まれた僕に声をかけてくる人がいた。心配そうな女性の声。まだ若そうだ。きっと子供だろう。
でも、右腕が痛くて疼く。意識が朦朧としている僕は、何かを言う気力ももうなかった。
「う、うう……」
うめく事ぐらいしかできない。
倉庫のような室内は暗く、目の慣れない僕には声をかけてくれる相手の顔は確認できない。ぼんやりと小柄であることが認識できた。
「まっててね。ね。すぐに戻るから。ね」
どこかへ去って行った声の主は、本当にものの数十秒ほどで戻ってきた。
「熱いよね、痛いよね。ね」
熱が出ているのか、身体が熱くなっていた。少女は傷口を水で流し、濡らした布を僕の額に当ててくれる。動こうともしない僕の上半身を起こして、コップに入れた水を飲ませてくれた。
僕は彼女の太もものぬくもりを感じながら眠りに就いた。
「昨日はとってもとっても大変でしたね。ね」
笑顔の女の子がぼんやりと目をこする僕を覗き込んでいた。
暗い部屋に朝の日が差して、ようやく見えるようになったその少女は泥だらけだった。
痩せて小さな身体。何日も洗っていないであろうその髪は硬くごわついていた。粗末な、服とも呼びにくい布を纏った姿で、その布も元の色が分からなくなるほどに汚れていた。
そして、昨日僕が枕代わりにさせていただいた太ももには例の、「周的物」の烙印があった。
そう、つまり彼女は奴隷の先輩だった。
その姿を目にした僕は、悲しみよりも怒り、そう、全身を滾らせる様な、沸騰させられるような怒りを覚えた。
思わず、近くの壁を叩こうとして手錠の存在を忘れていたことに気づく。それでも構わずに両手を叩きつける。脆い土壁の表面は簡単に破壊され、破片は足元に散らばった。
「いやっ。ごめんなさいっ」
少女はうずくまり、必死に許しを乞うている。
「あ、ご、ごめん。そんなつもりじゃあ……」
怒られたと思った少女はまだ屈んだままだ。殴られるのを待っているように両腕を挙げて頭を護っている。
慣れている。彼女は怒られたり、暴力を振るわれたりすることに慣れているようだった。
再び怒りが沸いてくるが、今はそれよりも謝り続けている彼女を落ち着かせる事のほうが先決だ。
「いないいない、ばあ~」
「……?」
精一杯おかしな顔をしてみせる僕に不思議そうな表情を見せる少女。目尻に涙が溜まっているが、ひとまず泣き止んではくれたようだ。
ここで畳み掛けるようにもういっちょ別の変顔でやってみる。僕の取って置きの変顔で勝負だ。
「…………、ぷ。はは、あっはははは」
どうやらミッション成功だ。
渾身の変顔をお見舞いしてやった見返りに彼女の笑顔を引き出す事ができた。
ひとしきり笑った後に、彼女は急に慌てた様子で歩き出した。
「笑ってごめんなさい。そこに朝ごはんがあるの。食べてね。ね」
笑わせるためにいないいないばあをやったのだが、彼女は笑ってしまった事を失礼な事だと思ったらしい。まあ、その誤解は時間のあるときに解くとして、まずは彼女の用意してくれた朝食を食べよう。
脚の折れたアンバランスなテーブルに欠けた皿があった。そして、皿には粟、豆、あと葉野菜が乗せられている。育ち盛りの僕には物足りないと感じる量だ。そして、味も決しておいしいとはいえない。用意してくれた少女には悪いけど、むしろ不味いくらいだ。
この世界の上流階級の家柄で育った僕の口には合いそうにないけど、お腹が鳴らないようにするには不味くてもとりあえず詰め込んでおかないといけない。
そういえば、彼女にお礼をまだ言ってなかった事を思い出した。
その日は引越しの準備で忙しかった。
なんでも、この村を去り、東に向かうつもりなのだそうだ。きっと僕に追っ手がかけられていると思っての事だろう。これでも僕は、今この涼州地方でもっとも名声の高い家柄である、董家の長男だ。
今頃、僕の生家がある臨洮 (りんとう)の町では大騒ぎになっていることだろう。
「遅いぞ、羊聖。役立たずなんだから、せめて早く動け。周豊様のご不興を買いたいのか」
「あうっ!」
大きな水入れ袋と背負い袋を担いだ少女に容赦の無い蹴りを入れた男は、さっさと歩いて行ってしまう。
一方、蹴られた羊聖は、転ばされた拍子に床に散らかった荷物をせっせと袋に詰めている。
「おい。貴様っ。少女を足蹴にするとはどういう了見だ」
「は?」
歩いて行きかけた男は振り返ってしかめ面を作った。そして、行った道を戻って僕の前に立つ。歳は二十前後だろう。奴は中肉中背だったが、子供である僕は見上げなければいけない。
「何言ったの今? え? 奴隷様がこの俺になんて言ったの? ええ?」
「女の子を蹴る奴はクソだって言ったんだよ」
本来、僕は荒事を好む性格じゃない。勉強ばっかりしていたし、先は安穏と暮らすのが理想の生き様だと思っている。戦いや喧嘩は好きじゃない。そんなものはいつだって董戎に任せていた。でも今は気が立っていて我を忘れていたんだ。
「奴隷が何かっこつけてんだ。おい。死にてえのかよ」
男は僕の胸ぐらを掴んでグイと引き寄せた。小さな僕の身体は簡単に地面から離れてしまう。
昨日からのいろいろな出来事で僕はどうかしているのだろう。いつもならもっと冷静でいられたはずなのに。手錠を嵌められた貧相な子供が、大人に敵うはずも無いのに。どうして僕は今、無駄に相手を挑発しているんだ。まったく冷静じゃあない。まともな思考じゃない。いつもの僕じゃない。
「止めて下さい。ね。ね。私のせいです。私がノロマだから悪いんです。だから、責めるなら私を責めて下さい。ね。ね」
男にすがり付いて許しを請う少女。
そうだ、ここで僕が取り乱した態度をとっていたら、またこの娘に危害が及ぶ。そんな事も分からないのか。僕は。どうしようもないな。
「うるさい。お前はもう関係ねえんだよ。用があるのはコイツだ。コイツをぶち殺してやるんだよ。役立たずな奴隷を一人殺したところで喜ばれこそすれ、罰を受けるなんてことはないだろう」
「それは困りますね。馬毛」
喚き散らす男が懐から短刀を抜いたのと、その少年がどこからともなく現れたのはほぼ同時だった。
「その奴隷にはまだ利用価値があるのですよ。私に許しもなく勝手に殺していいとでも?」
大きな男を二人背後に従えて腕組みをして凄んでいるのは周豊だった。
「い、いえ。お頭。これはその……」
「いいかげんそのお頭と呼ぶのは止めなさいと言ったでしょう? どこぞの盗賊のようではありませんか。我々はいずれは天下に名を轟かせる豪族になるのです。そろそろ自覚してもらいたいものですね」
「へ、へい。すいやせん」
周豊に言われ、男はすごすごと先に行ってしまった。
「そう、あなたは生かさず殺さず。私の駒として働いてもらいますよ。永遠にねえ」




