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蜂蜜

「そろそろウォームアップしましょうか」


辻倉さんがパンチとキック両方に対応できるミットを持って、なぜか広い控室ではなく通路に私を誘い出しました。


「コーラがどこかで見てるかもしれないんでビビらせてやりましょう!」


なるほどそういう作戦かと感心しましたが、私ごときのパンチキックでビビるヤツなんているんだろうか?

と、苦笑いを返してしまいました。


攻撃を繰り出す度に「いいッスねぇ!」と私を鼓舞してくれる辻倉さん。

ここで期待に応えねば! と燃えないのが私と言う人間です。


それどころかアクシデントが発生。

思いっきり蹴った右ミドルキックのせいで脚がつりかけてしまったのです。

太ももの裏がビリッと来ました。

ただでさえゼロだった闘志が一気にマイナスになりました。


私はそれを告げるべきか迷いましたが、気を使わせるのは嫌だったので黙っていました。


「バッチリです! 試合でもガンガン行きましょう!」


最後にグローブとミットでタッチして終了です。

私は「これは終わったな」と失意のドン底にいましたが、精いっぱいの作り笑顔で「ハイ! ありがとうございました!」と返しました。


辻倉さんがミットを持って控室に戻っていくのを見ながら、私は通路に残りました。

なんで通路に残ったのかは謎です。

「コーラが同じことしてくるかもしれないからプレッシャーかけてやりましょう」

とか言われた気がしますが忘れました。


そこに声を掛けてきたのが中島さんでした。

表情がニッコニコだったので何だろう? と思いました。


「辻倉くんが蹴りの威力にビックリしてましたよ。マエカワさん隠れてどこかで練習しているんじゃないかって言ってました」


これはガチだったらしいです。

もちろん隠れて練習なんてしていませんが、私には心当たりがありました。


クレアチンです。


私は海外から取り寄せたクレアチンとマグネシウムの混合サプリを愛飲していました。

残念ながら途中で生産中止になってしまったので、汚染サプリだった可能性もありますが、詳しくはわかりません。

ドーピングだったらごめんなさいと形だけ謝っておきます。


ともかく中島さんのおかげでちょっとだけ元気は出ました。

ですがマイナスだった闘志がゼロに戻る事はありませんでした。


それでも無情にも試合開始は迫ってきていました。

私は中島さんと一緒に控室に戻り、主催者のアナウンスでバックステージへと移動しました。



※  ※  ※  ※



私の試合は3試合目だった気がします。

つまり2試合分の時間をバックステージで過ごすことになりました。

アマチュアの試合のルールは、防具着用で3分2ラウンド制で1ラウンドに2ノックダウンでKO、判定ありでマストポイント制(ラウンド毎にどちらかに必ずポイントを付ける)だったかは忘れました。


私はつりかけた脚が全然回復しないので、死んだような顔をしていたんだと思います。

すでに諦めモードだったので、緊張はしていなかったです。


しかし、暗い顔をしていた私を励まそうと会員だけじゃなく、初対面だった中島さんの友達まで「大した事ない相手ですよ」と声をかけてくれました。

心遣いが痛かったです。


1試合目が終わり、2試合目が終わり、ついに私の番になってしまいました。

前の試合ふたつはどちらも判定決着でした。


その間の事はよく憶えていません。

軽く動いていた気もしますし、座って待機していた気もします。

試合に集中していなかった事だけは確かです。


入場口に立った際にお客さんの一人と目が合ってしまったので思わず会釈を返してしまいました。

会場がお客さんでいっぱいだった事にも特に何も感じませんでした。

勝つとか負けるとかもどうでもよくて、とにかく「脚が治らねぇな」とそればかり気にしていたような記憶があります。


選手入場のコールがかかった時も「ああ、アマチュアは同時入場なのか」とこれからデビュー戦に向かうんだという覚悟も熱情も一切湧いてこなかったです。


そしてリングイン。反対側のコーナーには当然コーラの姿がありました。

普通にマッチョって感じの良いカラダでした。

私は近眼でしたが、ぼんやりとですがコーラがこちらを見てニコッと笑ったのは確認できました。


コンタクトという手もありましたが、スパーリング中に落下した事があり、その時探すのにジムにいた全員に迷惑をかけたので、それ以降は着用していませんでした。


(あんな顔して飛び膝とかやってくるのかな?)


辻倉さんの言葉を思い出しながら、私も笑顔を返しておきました。


それからレフェリーに促されて中央でフェイスオフです。

コーラはここでも満面の笑顔、私も笑顔です。

調子狂うなとは思いましたが、イラつきはしませんでしたね。


後は青赤コーナーに分かれて、ゴングを待つのみと言う所で脚の痛みがひいていくのを感じました。

私の心とは裏腹に身体の方は戦闘モードに入ったようです。

アドレナリンの影響でしょうか?


ゴングが鳴りました。


コーラは飛び膝蹴りはしてきませんでした。

突進してくるわけでも無かったので、ちょっと拍子抜けしました。


タッチグローブの後、逆に距離を詰めたのは私の方でした。

手始めにジャブを放ったらブロックされたので、右のローキックを放ってみました。

上下に散らそうという意識はありませんでした。

なんとなく蹴りたかったので蹴ってみた程度です。


結果は直撃、コーラはたった1発で大きくよろめきました。

私は「え? そんなに痛い?」と困惑しました。


コーラも右ローキックをやりかえして来ました。

防御に失敗したのでこっちも直撃でしたが、ダメージはありませんでした。

「マジで?」が食らった感想です。


お返しに再び右ローキック。今度は2連発です。

1発目、直撃。再び大きく態勢を崩すコーラ、効いているのは明らかです。

2発目、直撃。今度はなんと手でガードに来ましたが失敗し、ぐにゃって感じで身体が沈み込みました。


(これハイキック打ったら入るんじゃね?)


妖精さんが囁きました。

私は小賢しくも目線のフェイントを交えながら、スパーリングどころかミット打ちでもサンドバッグでも使った事のない右ハイキックを好奇心の赴くままに繰り出しました。


結果は大きく空振り。

コーラはやっぱりセオリー無視の手でのブロックでローキックの防御を試みようとしていたみたいですが、そのおかげで態勢が低くなりすぎていたせいで、私の右脚は頭2個分は上を通っていましたね。


ここでくるっと回ってお見合いになってしまいました。

お互いちょっと一息いれたかったのか、1、2秒ほど変な間ができたのを憶えています。


「休むなぁあああああ!!」


セコンドにいた辻倉さんの怒声が響き渡りました。

私は(ひぃ~)と思いながら、声に気おされて前に出ました。

正直、コーラなんかよりよっぽど怖かったです。

キックボクシング人生で一番怖かったのがこの瞬間です。


コーラは下に意識がいっていたのか不明ですが、パンチのガードが疎かになっていたみたいで、私のワン・ツーは見事に顔面に直撃しました。


しかし、ここで予想外の事が起こります。

なんとコーラは私のパンチを嫌がって背を向けて後退したのです。


私の頭は(????)でいっぱいになりました。

ですが効いているのは分かったので、間合いを一気につめて、追撃の左アッパーを2発、頭を押さえつけながら放ちました。


1発は直撃したような気がします。

そこから攻撃を嫌がってクリンチ(抱きついてくること)をしてきました。

私は「邪魔くせえな」とばかりに投げを放とうとしましたがコーラがこらえたので失敗に終わりました。


当然ですがこれは反則です。

良い子はマネしないようにお願いします。


闘志マイナスだった試合前とは裏腹に、私の心は暴力に支配されて真っ赤に燃えていました。

今思い返すと完全にキレていましたね。


パンチが直撃するたびに背を向けるコーラにイライラしながら、とにかく「カオヲナグラセロ」って感じで追いかけっこをしていました。

そしてクリンチしてくるたびに投げ飛ばそうと試みていましたね。


反則ですから絶対にマネしないでくださいね。


しかし、攻撃に夢中になっていたせいで防御がおろそかになっていたようです。

クリンチ後のブレイクの後で、コーラが放った右ストレートを被弾してしまいました。


痛くはなかったですし、効きもしませんでした。

ですが試合後に辻倉さんが「いや、あれは効いてました」と言っていたので効いていたのでしょう。


私は本能で「パンチラッシュが来る!」とガードを固めました。

コーラは予想通りパンチを連打してきましたが、全てガードの上で完封してやりました。


(今のでポイント取られたら嫌だな)


そう思った私は、ラッシュの打ち終わりを狙って反撃の連打を試みました。

結果は全弾命中。背を向けて逃げるコーラをロープ際まで追いつめて全力のパンチを10発近く叩き込みました。


「ダウーン!」


レフェリーが止めに入ってきました。

私はダウン奪った喜びよりも「背中向けるのマジうぜぇ! もっと顔面殴らせろ!」とイライラしていたような気がします。


コーラはファイティングポーズを取って続行をアピール。

私は「今がチャンス!」とばかりに猛攻をしかけたかったのですが...


カーン!


とゴングが鳴ってしまいました。


コーナーに戻ってきた時、迎えてくれたのはセコンドの中島さんでした。

ボトルから水を飲ませてくれながら「やりましたね。次のラウンドもパンチでいきましょう」とアドバイスをくれました。


私はというとリングアナウンサーが、私とコーラのプロフィールを読み上げるのを聞きながらボケっと気を抜いていました。


「1ラウンドKOしてたらこれ聞けなかったのか」とか「判定いったら勝てるな」とか考えてた気がします。

体力的にも全力ラッシュのせいでちょっと疲れてましたが「あと1ラウンドで終わりか、がんばろ」とまだまだ余裕がありました。


インターバル(休憩時間)は1分だったと思います。

再びゴングが鳴って、試合再開です。


再びタッチグローブを交わした直後、私は迷わずインファイトを選択しました。

打てば当たるという確信があったので、自信満々で左右の拳を顔面めがけて打ち込みました。


コーラはすでにフラフラだったのか、ガードが全くできていませんでした。

そしてすぐに背中を向けてしまうので、顔面殴らせろ病に罹っていた私はまたしてもイライラしてしまいました。


一回だけコーラが背中を向けた状態から苦し紛れのバックブロー(裏拳)を繰り出してきましたが、ダメージは全然ありませんでした。


それどころか「やっとこっちを向いてくれたね♡」と歓喜し、パンチの連打をお返ししてやりました。


「ダウーン!」


追いかけっこの末に敵陣コーナーに追いつめた所へラッシュを浴びせたら2度目のダウンが取れました。

この時に「これはKOで勝てるのでは!?」と大興奮していました。


コーラが試合続行の意思を示したので、試合再開。

私は全力ダッシュでコーラに迫り、再びコーナーに押し付ける事に成功しました。


この時のコーラの怯え切った顔は今でも鮮明に思い出せます。


(ゼッタイニニガサナイ!)


私は笑っていました。

そして、口の中いっぱいに甘い味が広がるのを感じました。

例えるならそれは...


おそらく息を止めて殴っていたと思います。

ジャブ、フック、アッパー、ストレート。

全弾、顔面目掛けてのフルパワーの連打でした。

何発食らわせたかは覚えていませんが、コーラは全くガードができていませんでした。


快感でした。

いじめっ子をブチのめした時以上の快感でした。


「ダウーン! ノックアウトー!」


レフェリーが割って入って試合終了です。

人生最高の瞬間はあっさりと終わってしまいました。


「殴り足りなかったな」と思いながら自陣コーナーへ戻る途中。


「ヘッドギア取って! カメラ見て!」


という声が聞こえてきました。

たしか中島さんか辻倉さんのどちらかだったと思います。

会員の何人かがカメラマンを指さしながら、興奮気味に叫んでいました。

もちろん全員が満面の笑顔です。

多田さんが笑ったところを見たのもこれが初めてでした。


私は指示に従ってヘッドギアを外し、カメラマンに笑顔を向けました。

最高の気分だったとウソ書きたいですが、なんか照れ臭かっただけでしたね。

あの写真は結局何かに使われたのでしょうか? 謎です。


ラウンドガールから勝利記念のトロフィーを渡された後、観客席に向かって四方に礼をしました。

敵陣営にも挨拶にいったら「お疲れ様でした」とボトルから水を飲ませてくれました。


次にレフェリーの指示で中央に戻され、勝ち名乗りを受ける事になりました。

コーラとはハグを交わした記憶があります。

「ありがとうございました」とか言ったような気もしますが忘れました。


こうして私のアマチュアデビュー戦は終わりました。


四谷さんは「冷静に戦えてたね。ローキックも良かったし、普通はデビュー戦なんてゴチャゴチャの顔の殴り合いになる」と試合を評価してくれました。


辻倉さんは「すごいじゃないですか! 観客総立ちでしたよ!」と褒めてくれましたが、近眼だったのでお客さんがどんな顔していたはわからなかったです。


中島さんは「いや~荷物が増えちゃって困りますね」と私のトロフィーを見ながら笑顔で冗談を言ってくれました。


そのトロフィーは今も自室のテレビの横に飾ってあります。

大切な大切な...本当に大切な宝物です。



※  ※  ※  ※



ジムの先鋒としてプロ選手組のやる気に火を付けられた...のかは不明でしたが、控室に戻ってきた私を同室だったジムの関係者も祝福してくれました。


私は「ありがとうございます。そちらも試合がんばってください」とか生意気にも返した気がしますが、実際のところ記憶はあやふやです。


そして、最後のフルパワーラッシュと試合終わった反動で気が抜けたのか、酸欠状態になってぐったりと横になってしまいました。


スパーリング大会の時同様に結構長い時間を休息に費やしていたと思います。

復活した後は特に手伝える事も無く、プロ選手の出番もまだまだ先だったので、まったり過ごしてましたね。


「デビュー戦であんな大勢の観客の前でKO勝ちしたらクセになっちゃうんじゃない?」

と四谷さんに言われましたが、コミュ障の私は「いや、どうですかね。皆さんのおかげですよ」とか返してたような気がします。


そして時間は流れ、興行はプロの部へと移りました。

山本さんと中島さんは出場選手紹介のためのリングインというイベントがあったので、残った会員はそれを観るために会場内に移動しました。


主催者が関係者用の観戦席を用意してくれなかったので、出入り口付近に集まりました。

結構スペースはあったので邪魔にはなっていなかったと思います。


ライトアップされたリングに、次々とコールを受けた選手が入っていく様子に興奮を覚えた...というのはウソになるので書きません。


疲れのせいもあって、プロ目指して無かった私は「住む世界が違うなぁ」とか冷めた気持ちでいた見ていた気がします。

後はトロフィー渡してくれたラウンドガールの事を思い出して、身体は好みだったけど、顔はそうでもなかったなと失礼な事考えていました。


それでも、山本さんと中島さんがリングインした時はしっかりと名前を叫んでサクラをやっていました。

偉いでしょ?


選手紹介が終わり、全員が一旦控室に引き上げです。

そこでウォーミングアップのためのミット打ちが始まりました。


山本さんのは憶えてませんが、中島さんのミット打ちは「やっぱり中島さんの蹴りってかっこいいな」と思って見ていました。


私の右ミドルキックのお手本は中島さんです。

普段のミット打ちでも「ちょっと角度変えて蹴ってみましょうか」とかアドバイスを貰っていました。

中間距離のミドル、接近戦でのミドル、両方で真似っこをしていました。


中島さんの蹴りでサンドバッグが縦に跳ね上がるのを見て「私もあれやろ」とフォームを真似した結果、連発した勢いで金具が外れて倒れてきたという、ちょっとした事件も起こしました。


「真面目に練習やってる証拠だ」と会長は褒めてくれましたが、私は「すいませんすいません」とパニックになってました。

ちなみにその時は辻倉さんに肩車してもらって金具を付けなおして事なきを得ました。

土日の自主練習の時じゃなくて本当に良かったと思っています。


そんな中島さんですが、プロでの戦績はイマイチだったので、今回勝ちたいという気持ちも人一倍強かったんだろうなと勝手に想像してました。

正直、目指してすらいなかったプロ選手のメンタルはわかりません。


「メンタルは大事ッスよ」


と、中島さん自身も言っていたので重要な事なんだろうなとは思っていましたが、私はキック人生でメンタルコントロールに成功した事が1回も無いので、その教えは守ってなかったという事になります。

格闘技ナメ太郎ですいません。


中島さんがしょっちゅう「自分は人間のクズなんで」と卑屈な事を言っていたのは、キックの戦績が振るわなかった事に加えて、酒もタバコも女もやめられなかったからなのかなと今は思います。


ですが、私は人間的に中島さんの事が好きだったので「勝ってほしいな」と願っていました。


そんな中島さんにも退会の連絡をしなかったマジモンの人間のクズが私です。


試合時間が近づき、二人のセコンドに付く事になった多田さんと辻倉さんを除いたメンバーは再び会場の出入り口付近に移動しました。


ここで二人の激闘を語って聞かせたいところですが、技術的な解説は不可能なので結果だけ書きます。


二人とも判定負けです。


山本さんの相手は相当強かったみたいで「アイツは今大会一番がんばった」と辻倉さんは言っていました。


中島さんは相手の金的(金玉を狙った反則攻撃)をモロに食らった事が原因で後半失速して負けてしまいました。

私は「減点だろあんなの」と主催者の裁定に納得がいかず、内心めちゃくちゃキレてました。


帰りの車の空気は重かったです。

全員ほぼ無言でした。

何しゃべったのかも全然憶えていません。


KO勝利の余韻はどこへやら、私のデビュー戦は苦いモノへと変わってしまいました。

この時、誰かがビデオ係で映像に残してくれていたのですが、コピーを貰っておかなかった事は後悔しています。

それがあったら証拠品として学校のみんなにも見せてあげられたのに残念です。

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