私も好きです
ついにデビュー戦当日になってしまいました。
相変わらず私の闘志はゼロで「先鋒だけど、どうせ負けてジムの士気を下げちゃうんだろうな」と悲観的な事を考えていました。
車は四谷さんが出してくれました。
搭乗者は出場選手である中島さん、山本さん、そして私に加え、同行者として四谷さん、多田さん、辻倉さんと中島さんの友達が1名という、会長を除いたほぼジムのフルメンバーという布陣でした。
中島さんの友達も元キックボクシング経験者でそこそこ強かったと聞きました。
防具は主催者が用意した物を使うと言う事でしたが、今回も必要な備品に加えてタイオイルや携帯酸素缶と言ったアイテムも持ち込んだせいで、またしても大荷物になってしまいました。
当日計量と言う事もあって、減量が必要だった中島さんと山本さんは若干ピリついていました。
私はというと先のエピソードで記した通り、増量失敗していたので計量の心配もゼロでした。
肝心の対戦相手のデータですが、中島さんの対戦相手だけは分かっていましたが、山本さんと私の対戦相手の事は会場に着いてパンフレット貰うまで不明でした。
まあ、誰が来ても負ける気しかしなかったですがね。
あいかわらずのコミュ障だったので道中はほぼ無言でした。
集中してると思われたのか、話かけられた記憶は無いですね。
少なくともワイワイ盛り上がってのドライブではなかったと思います。
※ ※ ※ ※
2、3時間の移動の末にたどり着いた会場は、駐車場がめちゃくちゃ広いかなり大きめの建物でした。収容人数は300人から500人くらいだったと記憶しています。
リングチェックの時はもちろん無人でしたが、試合の時は前座のアマチュアの時にすでに満席でした。
計量は全員問題なくパス。
この時、私は対戦相手を確認することもなくボケッとしてました。
パンフレットももらっていたのに気を抜きすぎですよね。
途中、服を脱いだ山本さんを見た辻倉さんが「あいつのパンツ葬式カラーですよ」と笑っていました。
私も不謹慎すぎて笑ってしまいました。
その後は控室...ではなく主催者側の都合で一旦外に出されて自由時間となってしまいました。
1時間か2時間くらい間が空いたと記憶しています。
しかたがないので車のところまで戻り、貰ったパンフレットを見ながら中島さんの友達が差し入れてくれたエナジードリンクを飲みながら駐車場でたむろしていました。
私の対戦相手はアマチュアで20戦以上して勝ち星が一桁というベテランでした。
選手からの一言コメントには「好きな飲み物はコ〇コーラです。よろしくお願いします」と書かれていました。
ちなみに私のは「練習の成果を見せられるように頑張ります」という面白味ゼロなモノです。
「何がコ〇コーラだよ。格闘技ナメてますよコイツ」
辻倉さんがたぶん鼓舞するつもりで対戦相手をディスり始めました。
格闘技ナメ太郎なのは私も同じだと思っていたのでこっちにもダメージが来ました。
「完全に趣味でやってるだけのヤツ」「全然大した事ない。マエカワさんなら絶対勝てる」と言ってくれました。
私は「そんなベテラン選手の貴重な1勝になっちゃうんだろうな」と思いながら苦笑いを返すので精一杯でした。
あと「完全に趣味でやってるだけのヤツ」も流れ弾です。
辻倉さんは私がプロ目指していると思っていたのでしょうか?
聞かれた事は無かったので不明です。
その後は辻倉さんがみんなの緊張をほぐそうとしてくれたのか、中心になって話題を振っていました。
辻倉さんは見た目は最凶に怖いけど良い人なのです。
彼から貰った言葉の中で一番好きなものがあるので紹介します。
「仕事なんてのはこっちが働いてやってるくらいの気持ちでやればいいんですよ」
私に向けてのアドバイスだったのかは不明ですが、いつかの雑談で語っていた事です。
『都合のいいひと』だった私に取ってこの言葉は金言でした。
これ書いている今現在はB型作業所への就職が決まるかもしれないと言う状況ですが、彼の言葉を胸にできるだけ気楽に働こうと思っています。
そんな辻倉さんにも退会の報告をしなかったクズが私です。
1時間くらい経った頃でしょうか、気遣い上手の辻倉さんが雑談を回してくれていた時、その男は突然現れました。
「すいません、マエカワさんって人がいるジムここであってますか?」
コ〇コーラです。
身長は私より少し低かったと記憶しています。
パンフレットには書いてなかったので不明です。
満面の笑みを浮かべて、試合前の挨拶にやってきてくれました。
「僕がマエカワです。もしかしてコーラさんですか?」
「そうです。今日の試合よろしくお願いします」
私も負けじと営業スマイルで対抗しながら「こちらこそよろしくお願いいたします」とガッチリと両手で握手を交わしました。
パンフレットの彼の顔は陰影がキツすぎて「君、写真と顔違うね」というのが第一印象でした。
「それじゃあリングで会いましょう!」
そう告げてコーラは去っていきました。
私は「爽やかな人だったな」と思っていましたが、彼のせいで会員達がピリついたのを感じました。
辻倉さんと四谷さんが特にイラッとした顔をしていたのが印象的でした。
そうです。ウチの会員達は『そういう馴れ合い』が嫌いな人が多かったみたいです。
会長からして「俺はああいうのが嫌いだ」と試合前後の挨拶を嫌っていました。
私はと言うとコミュ障なのに加えて、会長も言ってたしいいか、と対戦相手に挨拶に行った事はキャリア通して1度も無かったです。
対戦相手へのリスペクトなんてのもありませんでしたしね。
一瞬で場の空気が死んだ後の事はよく憶えていません。
笑顔で応じた私も悪いのかもしれませんが、やってくれたなコーラと思いました。
※ ※ ※ ※
「時間になりましたので、関係者はそれぞれの控室へ移動をお願いします」
という感じのアナウンスで会場入りです。
控室はけっこう広めで、別のジム一行と共用でした。
リングチェックが後に控えていたので、荷物を置いてすぐにお着換えタイムになりました。
この辺の記憶は結構あやふやで、確かそんな感じの流れだった気がします。
中島さんが持参したタイオイルもこの時好意で使わせて頂きました。
どういう効能があるのかは全然知りませんでしたが、オススメしてくれたので、せっかくだから塗ってもらおうとか考えてたと思います。
テカテカになった私の身体を見て「エロすぎじゃないですか」と辻倉さんは笑っていました。
この時の体脂肪率はあくまで市販の体組織計での計測ですが1ケタでした。
リングチェックまではまだまだ時間があったので、ここでも雑談タイムとなりました。
話題は各自のプライベートの話でした。
子供の話だったり、嫁の話だったり、休日に何してるかだったり色々です。
「プライベートと言えばストイックなマエカワさんは普段何してるんですか?」
半笑いで質問してきたのは辻倉さんでした。
「あ、それは僕も気になってました」と中島さんも同調。
というか、辻倉さんの中では私はストイックなイメージだったのかと驚きました。
冗談で言ったつもりだったかも知れませんが、入会して1年以上経っても、黙々と練習して終わったら即帰っていたのでそう映ったのかもしれません。
ただのコミュ障なのに...そしてここでもそれを発揮してしまい。
「仕事とキックやってる時以外は無気力人間ですよ」
空気読めてなさすぎですが、ほぼ事実なので仕方ありません。
「録画したアニメ見てます」はともかく「エロゲーやってます!」とは口が裂けても言えません。
それでも私と言う珍獣の事をイジりたくてしかたなかったのか、攻撃の手を緩めてはくれません。
好みの女性のタイプの話になった時。
「マエカワさんってなんとなく年下好きっぽいですよね」からの「キッズクラスの子とかたまんないんじゃないっスか?」
あまりの容赦の無さに大笑いしてしまいました。
冗談なのは分かりましたが、よりにもよってロリコンの変態扱いです。
ですが年下好きは大正解だったので、コイツ結構鋭いなと脅威に感じました。
風俗店もなるべく若い子が揃っている所ばかり通っていました。
ちなみにこの時はまだ童貞です。
「もしそうなら破門ですよ破門」と答えたら「破門じゃなくて市から追放ですよ」と畳みかけてきました。
その後も市に変質者が出るたびに「マエカワさんじゃないっスよね?」としつこく聞いてくるようになりましたが、私もその扱いに慣れてきた頃には「今回のは僕じゃないですね」と余裕で返せるようになっていました。
イジられキャラ扱いに抗議した事もありましたが、その時助けを求めた中島さんは「だってマエカワさん面白いんだもん」と援護を拒否されてしまいました。
そんなくだらない話をしている内にリングチェックの時間になりました。
青コーナーと赤コーナーの選手が順番にリングに入って感触を確かめる段取りになっていました。
仮想敵としてリングに上がってくれたのは辻倉さんでした。
何が面白かったのかは知りませんが、途中からニヤニヤしていました。
私も釣られてニヤニヤしてしまいました。
緊張感が無いですね。
私にはスパーリング中に良いパンチを被弾した時、自分のダメさ加減に呆れてニヤニヤしてしまうという悪癖がありました。
ムエタイ選手がよくやる強がりのブラフスマイルとは全然違います。
とある有名ボクシング選手が試合中に被弾してニヤニヤしている姿を見た時「私と一緒なのかな?」と変な共感をしていました。
窘められた事は無かったので、単に「変なヤツ」と思われていたのかもしれません。
その後は控室に戻って試合開始を待つのみとなりました。
「コーラはきっと開幕で飛び膝蹴りを狙ってきますよ」
辻倉さんの発言は私をからかう目的だったのか、ガチのアドバイスだったのかは不明です。
真顔だったので、奇襲には気を付けろという真面目な忠告だったのかもしれません。
私は「それは嫌だな」と本気で思いながら、刻々と近づくデビュー戦に向けて闘志を燃やし...ていた記憶は全然無いので、やっぱり「負けるんだろうな」と考えていたんだと思います。
卑屈な性格って嫌ですよね。




