ウルフの胃袋と、異世界ビジネスアワー
「うわあああ!? な、なんだお前は! 敵か! 魔獣か!?」
突如として木陰から現れた俺を見て、少年――アレンは飛び上がって腰の短剣を抜いた。
無理もない。今の俺は全身煤まみれ、服はウルフの返り血でガビガビ、おまけに3日も風呂に入っていない。どう見ても不審者か山賊の類だ。
「落ち着け! 俺はただの旅の者だ。敵じゃない! それより、そのじいさん、フォレスト・スパイダーの毒にやられてるんだろ!?」
「えっ……な、なんでそれを!?」
「いいから、じいさんを助けたいなら俺の言う通りにしろ!」
俺はアレンの警戒を無視して、倒れている御者のムトの傍らに膝をついた。
顔面は土気色を通り越して紫色になり、呼吸は浅い。もう1分1秒を争う段階だ。
「おい、少年。ナイフと、綺麗なお湯……は無理か。綺麗な水はあるか!?」
「み、水なら水筒にあります! でも、解毒薬はさっきの魔獣の襲撃で瓶が割れちまって……!」
「薬なら今から作る。アイテムボックス、オープン!」
俺はアレンの目の前で空間から、昨日解体したフォレスト・ウルフの残骸――その「胃袋」を取り出した。ドサリ、と生々しい肉の塊が河原に転がる。
「ひぇっ!? ウ、ウルフの胃袋……!?」
「フォレスト・ウルフはな、フォレスト・スパイダーを好んで食うんだ。だからその胃液には、スパイダーの毒を中和する成分が含まれてる。【鑑定】で確認済みだ!」
前世のSE時代、仕様書の隅に書かれた「バグの裏技的解決法」を見つけた時の感覚に似ていた。
俺は鉄の短剣でウルフの胃袋を切り裂き、中から滲み出るドロリとした粘液を、アレンの水筒の水に混ぜた。
「おい、これを見ろ。【鑑定】」
> **【即席のウルフ胃液薄め水】**
> 危険度:なし
> 特徴:フォレスト・スパイダーの毒を70%の確率で無毒化する。ただし、猛烈に酸っぱくて臭い。
「よし、可食(飲用可能)だ! 少年のじいさんの口をこじ開けろ! 流し込むぞ!」
「う、うん!」
アレンも俺の気迫に押されたのか、必死になって老人の顎を開いた。
俺は出来上がった禍々しい液体を、老人の喉の奥へと流し込む。
「ゴホッ、ゲホッ!」と老人が激しくむせた。直後、老人の顔からどす黒い血が混じった唾液が吐き出される。
「じいさん!」
固唾を呑んで見守ること数十秒。
老人の顔の紫色が、ゆっくりと引いていき、荒かった呼吸がすうすうと穏やかなものに変わっていった。
「あ、青みが消えた……。息も落ち着いてる……。助かったんだ……」
アレンがその場にへたり込み、大粒の涙をこぼした。
俺もまた、心の中で盛大にガッツポーズを決めていた。システム復旧完了、オールグリーンだ。
「……ふぅ。ひとまずは峠を越えたみたいだな」
俺が汗を拭うと、アレンはハッと我に返り、俺に向かって勢いよく頭を下げた。
「あ、ありがとうございました! 俺はアレン、しがない行商人です。この人は御者のムトさん。街へ向かう途中でクモの魔獣に襲われて、馬車の車輪はやられるわ、ムトさんは刺されるわで、もうダメかと思ってました……!」
「俺はカズト。ちょっと訳あって、森で行き倒れかけてたところだ」
「カズトさん……。あなた、ただの旅人じゃないでしょう? 魔法袋を持ってるし、あの状況でウルフの胃液の特性を知ってるなんて、凄腕の冒険者か、高名な学者先生ですか?」
アレンの目が、尊敬の色を帯びてキラキラと輝き始める。
凄腕の冒険者? 冗談じゃない。ただの家を失った限界サバイバーだ。
だが、ここで「実は何も知らない素人です」と言うよりは、少しハッタリをかました方が今後の交渉(インフラへの便乗)がスムーズにいく。前世のクライアント交渉と同じだ。
「まぁ、ちょっとした『知識』があるだけさ。それよりアレン、この馬車、車輪が折れてるな。街まではどれくらいかかるんだ?」
「ここからだと、馬車で丸一日、歩きだと三日はかかります。でも、車輪がこれじゃ動かせないし、ムトさんを抱えて歩くなんて無理です……」
アレンが再び絶望に表情を曇らせる。
丸一日。歩いて三日。
やはり、このままこの付近に留まるのは自殺行為だ。何が何でも、この馬車を直して一緒に街へ連れて行ってもらわなければならない。
俺は折れた木製の車輪に近づき、【鑑定】を試みた。
> **【壊れた馬車の車輪】**
> 状態:大破(主軸の木材が完全に折れている)
> 修理方法:同等以上の強度の木材を芯にし、接合部を強固に固定する必要がある。
「木材、か……」
俺のアイテムボックスには、ちょうどいい素材があった。
ウルフの群れと戦い、爆発して全壊した「我が家(元・女神の木造小屋)」の、焼け残った頑丈な大黒柱の端材だ。あの一件の後、何かに使えないかと貧乏性で放り込んでおいたのだ。
「アレン。俺がこの車輪を直してやる。その代わり、俺を街まで乗せていってくれないか? ついでに、街に着いたら美味い飯と、風呂に入れる場所を紹介してほしい」
「えっ!? 直せるんですか!? もちろん、そんなの喜んでお乗せしますけど……!」
「交渉成立だな」
俺はニヤリと笑い、アイテムボックスから黒焦げの頑丈な木材を取り出した。
異世界3日目。
スローライフを完全に諦めた元SEは、生き残るために、ついに「文明(商人)」との共同戦線を張ることにしたのだった。




