始まらないスローライフ
「――美味い。美味すぎるな、これ」
夕暮れ時。フルリファクタリングが完了した俺のワークスペース(兼住宅)で、俺は至高の晩飯を楽しんでいた。
新開発のシステムコンロで表面をカリッと、中はジューシーに焼き上げた最高級ブラックワイルドボアのステーキ。そして、魔導冷蔵庫でキンキンに冷やした、地元のワイナリー特製の白ワイン。
これまでは干し肉と硬いパン、ぬるいエールが基本だったこの世界で、現代日本並みの「食のQOL」が実現している。これぞまさに、俺が求めていた真のスローライフだ。
「魔力消費量も、待機モード時の術式を最適化したおかげで、一ヶ月で下級魔石一個分。コストパフォーマンスも完全に実用レベル(実稼働環境)だな」
快適な室温、適温の風呂、そして冷えた酒と美味い飯。
エンジニアとしての知識をフル活用して構築したこのプライベート環境は、もはや王族の宮殿すら凌駕している自信があった。
だが、エンジニアの格言にこういうものがある。
――『完璧に動作しているシステムほど、恐ろしいものはない』。
「……ん?」
ワイングラスを傾けた瞬間、またしても脳内のセキュリティアラーム、スキル【危機感知:Lv2】がピキリと微弱な電気信号を発した。
だが、前回の暗殺者の時のような「悪意」や「殺気」とは少し違う。もっとこう……物理的な「質量」と「切迫感」を伴った何かが、この建物に近づいてきている感覚。
ドンドンドンドンドンドン!!!
突然、部屋の強固なオーク材のドアが、壊れんばかりの勢いで激しく叩かれた。
「カズトさん! カズトさん、大変です! 緊急事態ですッ!!」
ドアの向こうから聞こえたのは、息を完全に切らせたアレンの悲鳴だった。
俺はため息をつき、ワイングラスを置いてドアのロックを解除した。
「落ち着けアレン。 扉が壊れたら修理のタスクが増えるだろ」
「そ、そんな生易しいものじゃありません!」
部屋に転がり込んできたアレンは、汗だくで、髪を振り乱しながら叫んだ。
「さっき、商業ギルドの最高監査官、ライラックさんから緊急の呼び出しがあったんです! 職人ギルドの解体と、僕たちの『スイッチ式ランプ』の爆発的ヒットの噂が……よりによって、このフォルトン領を治める【フォルトン辺境伯】の耳に届いてしまいました!」
「……チッ。大口のクライアントのお出ましか」
俺は眉をひそめた。
市場を独占すれば、いずれ中央の権力者が目を引きつけるのは予測していた。だが、いささかタイミングが早すぎる。
「それだけならまだ、利権の交渉で済む話だろ? ライラックさんが間に入っているんだしな」
「違うんです! 辺境伯様直々の『発注』が届いたんです! 来週、王都から臨席される【第一王子】を歓迎する夜会が開かれるのですが……そこで使うために、『三日以内に、街中の広場と晩餐会会場を昼間のように照らす、新型の超巨大魔導照明システムを20基納品せよ』って……!」
アレンの顔は完全に絶望に染まっていた。
「拒否権なしのトップダウン。おまけに納期は三日、技術的な要件定義も丸投げ。……最悪の『デスマーチ』案件じゃないか」
俺は頬を叩き冷徹に分析し始めた。異世界スローライフ、27日目。まさかの国家レベルの超特急クソ案件が、俺の平穏を突如として破壊した。




