文明の利器(ただし100円均一レベル)が欲しい
「……朝だ」
木の隙間から差し込む朝日を浴びて、俺は泥のように重い体を起こした。
一睡もできなかった。いや、正確には「怖くて眠れなかった」のだ。夜通し小屋の周りでガサゴソと何かが蠢く音が聞こえ、そのたびに心臓が跳ね上がった。
前世での徹夜は深夜コーヒーと栄養ドリンクで乗り切れたが、今の俺にあるのは、極限の空腹と、冷え切った体だけだ。
「生き残るために、まずは水と火だ。話はそれからだ……」
ゾンビのような足取りで外に出る。
まずは水分補給。昨日見つけた川へ向かう。ブラック・ニードル・フィッシュが怖いので、川岸から少し離れた浅瀬を【鑑定】してみる。
> **【ただの川の水】**
> 危険度:F
> 特徴:一見綺麗だが、上流に生息する魔獣の糞尿や微生物が混入しているため、生水で飲むと激しい下痢と発熱を引き起こす。要煮沸。
「知ってた。知ってたよチクショウ……!」
異世界の川の水をそのままゴクゴク飲んで「ぷはぁ、美味い!」なんてやるのは、強靭な胃袋の固有スキル持ちか、ただの命知らずだけだ。
つまり、水を飲むためにも「火」が絶対に必要ということになる。
俺は再び、手のひらの水ぶくれを庇いながら、昨日集めた薪と枯れ葉の前にしゃがみ込んだ。短剣と石を構える。
「頼む、ついてくれ……!」
カツン、カツン、と虚しい音が響く。たまに火花が飛ぶが、枯れ葉にはかすりもしない。
気づけば1時間が経過していた。額から汗が流れるが、一向に火が起きる気配はない。
「はは、笑えてくるな……。俺、大学まで出てシステムエンジニアとして数百万行のコード書いてたんだぜ? なのに、たった一つの『火』すら作れないなんてさ」
前世の知識が、この原始的な環境では全く役に立たない。ITの知識なんて、電気すらないこの世界ではただの妄想だ。
無力感に打ちひしがれ、地面にへたり込んだその時、ふと脳内に『あるアナウンス』が流れた。
『条件が達成されました。称号【不器用な着火者】を獲得。スキル【生活魔法:着火】が解放されました』
「……え?」
慌てて自分のステータスを確認する。確かに、見慣れないスキルが生えていた。
「ま、魔法だ! 異世界といえばこれだよ!」
一筋の希望の光が差し込む。俺は枯れ葉に向けて右手を突き出し、強く念じた。
「着火!」
ボッ。
「うおっ!?」
指先から小さな火種が飛び、枯れ葉に見事に引火した。赤い炎がパチパチと音を立てて広がり始める。
俺は慌てて細い枝をくべ、火を絶やさないように慎重に育てた。
「やった……やったぞ! 火だ! 人類の勝利だ!」
たかが小さな焚き火。前世なら100円のライターで1秒でできることに、俺は本気で涙を流して歓喜していた。
火ができたなら、次は湯沸かしだ。
俺はアイテムボックスから、まだ使っていなかった女神支給の「お着替えセット」を取り出した。その中には、運良く小さな鉄製のカップ(1人用のマグカップ程度)が含まれていた。
川から慎重に水を汲んできて、焚き火のそばに置いた石の上にカップを乗せる。
数分後、水がブクブクと沸騰し始めた。
「よし、これでやっと水分が……って、熱くて持てないじゃん」
取っ手までカンカンに熱せられた鉄のカップを見て、俺はまた頭を抱えた。
結局、服の裾を破って即席の鍋つかみにし、フーフーと言いながら白湯をすする。
「……あぁ、生き返る……」
ただの温かい水なのに、五臓六腑にしみわたる。
だが、落ち着いたのも束の間。すぐさま次の問題が俺を襲う。
ぐぅぅぅぅ。
「……次は、飯だな」
白湯だけで腹が膨れるわけがない。
俺は昨日採った、例の「可食(ただし非常に渋い)」と鑑定された灰色のキノコを取り出した。
「煮れば、少しはマシになるか?」
カップの白湯の中に、ちぎったキノコを投入する。
しばらく煮込んでみると、スープが禍々しい紫色に染まった。どう見ても魔女の毒薬である。
「【鑑定】……」
> **【灰色のキノコのスープ】**
> 危険度:なし
> 特徴:毒は抜けたが、驚異的な渋みと土臭さは健在。栄養価は極めて低い。味の評価:家畜でも残すレベル。
「いただきます……」
覚悟を決めて、一口すする。
「ぶふっ……!? ゲホッ、ゴホッ!」
思わず吹き出しそうになった。
口の中に広がるのは、強烈な渋みと、まるで泥をそのまま舐めているかのような不快感。塩も、コンソメも、醤油もない。ただの「熱い泥水」だった。
それでも、生きるために無理やり喉の奥へ流し込む。涙がボロボロとこぼれた。
「スローライフって……こんなに、惨めなものなのか……?」
飯はマズい、全身は煤まみれ、体はバキバキに痛む。
何がのどかなセカンドライフだ。これなら、冷めたコンビニ弁当を食べながら深夜残業している方が、よっぽど人間らしい生活をしていた。
その時、小屋の外から「グルルル……」と、昨日も聞いた低い地鳴りのような声が響いた。
ピキリ、と空気が凍りつく。
木の板の隙間から外を覗くと、そこには――柴犬を5倍にして、牙をナイフのように尖らせたような、巨大な灰色狼がこちらを睨みつけていた。
「う、嘘だろ……。まだ昼間だぞ……!?」
異世界2日目。
スローライフ(物理的サバイバル)は、俺に休憩の時間すら与えてくれないようだった。




