Hello Worldと、術式の翻訳
「おいおい、本当に自分でやる気かい? 悪いことは言わん、職人の世界を舐めない方がいい」
魔道具店の老店主は、あきれ顔でパイプをトントンと机に叩きつけた。だが、俺が提示した大銅貨の束を見て、結局は「まぁ、素人が身の程を知るのも勉強さね」と、注文通りの品をカウンターに並べた。
手に入れたのは、一般的な魔石ランプ、低品質の赤魔石が3個、魔力を通しやすいという白粘土の板(練習用の台座)が5枚、そして先端に微量の魔銀が使われた術式用の彫刻刀だ。
「カズトさん、本当に大丈夫なんですか? 魔道具作りって、何年も修行した専門の職人しかできないって聞きますけど……」
アレンが心配そうに、俺の両手に抱えられた荷物を覗き込む。
「心配するな、アレン。俺にとっちゃ、これは初めて触る『新しいプログラミング言語』の研修みたいなもんだ。仕様さえ理解できれば、記述する方法は必ずある」
石造りのマイオフィス(兼自宅)に戻った俺は、さっそく机の上に道具を広げた。
まずは、買ってきた既製品の魔石ランプを分解する。外側の真鍮製のカバーを外すと、底部に直径5センチほどの平らな魔力伝導石が現れた。その表面には、髪の毛ほどの細さで、複雑怪奇な幾何学模様がぎっしりと刻まれている。これが魔道具の心臓部、発光の『術式回路』だ。
「よし……【鑑定】」
俺は目を凝らし、その幾何学模様にスキルを集中させた。脳裏に、これまでとは違う、より深い階層の情報がテキストとして流れ込んでくる。
> **【魔石ランプの術式基盤】**
> 構造解析:
> ・始点(魔石接続部):外部入力(魔力)の受信
> ・経路(増幅ルーン):入力された魔力を均一に拡散
> ・終点(発光ルーン):光素への変換処理
> 状態:ソースコード固定。外部制御用のインターフェースなし。
「ビンゴだ……!」
俺は思わず膝を叩いた。
表示されたのは、前世で嫌というほど見てきた『データの入力・処理・出力』という基本フローそのものだった。魔石から流れてくる魔力を入力とし、増幅回路を経て、発光という処理を行っている。
しかし、店主の言う通り、この回路には途中で処理を止めるような「条件分岐(if文)」が一切組み込まれていない。だから魔石をセットした瞬間から、魔力が枯渇するまで無限ループで処理が走り続け、光りっぱなしになるのだ。
「構造は読めた。要するに、入力と出力の間に、物理的な接触を感知して回路を遮断・接続する『スイッチ機能』のルーンを割り込ませれば(インサートすれば)いいわけだ」
俺はまず、練習用の白粘土板を1枚、目の前に置いた。
彫刻刀を握り、自分の魔力を少しだけ刃先に込める。じわりと刃先が青白く発光した。
「まずは基本中の基本、ハローワールドからだな」
脳内で【鑑定】した発光ルーンの形状を思い浮かべながら、慎重に粘土板の表面を削っていく。細い直線を正確に引き、円を描き、特殊な幾何学記号を刻む。前世で、キーボードを使ってコードをタイピングしていた感覚を、今は右手の彫刻刀に集中させる。
カリカリ、と静かな部屋に小気味良い音が響く。
およそ30分後、粘土板の中央に、歪ながらも一つの小さな術式が完成した。
「よし、テスト稼働だ」
俺は低品質の赤魔石を一つ手に取り、刻んだ術式の始点にそっと押し当てた。
同時に、自分の体からほんのわずかに魔力を流し込み、回路をアクティベート(起動)する。
チカッ……。
「おお……!」
粘土板に刻まれた溝が、一瞬だけ淡い赤色に発光した。だが、すぐにプスンと光が消え、赤魔石の表面にピキリと小さなひびが入った。
「あ、あれ? 失敗か?」
慌ててその状態を【鑑定】する。
> **【不完全な発光術式】**
> エラー内容:構文エラー(シンタックスエラー)。
> 右下の接続ルーンの角度が3度ズレているため、魔力の逆流が発生。魔石が破損しました。
「くっそ、コンパイルエラーかよ!」
思わず前世の悪癖で専門用語が口から出た。
どうやらこの世界における魔道具制作は、1ミリの線のズレ、わずかな彫りの深さの違いが、プログラムでいうところの「全角スペースの混入」や「セミコロンの付け忘れ」と同義の致命的なエラーになるらしい。
だが、原因(バグの箇所)がハッキリ分かっているなら、修正(修正パッチの適用)は容易だ。
「面白い。仕様が厳密であればあるほど、プログラマーにとっては攻略しがいがあるって もんだ」
俺は煤まみれの顔に不敵な笑みを浮かべ、2枚目の粘土板を引き寄せた。
時計の針がないこの世界だが、外の太陽はすでに傾き始めている。久しぶりに味わう、時間を忘れて物作りに没頭する感覚。
異世界16日目の夜。元社畜SEの、深夜に及ぶ孤独な開発フェーズが、静かに幕を開けたのだった。




