商談開始、逆転
翌朝。俺は宿屋の部屋で、アレンが用意してくれた新しい麻のシャツの襟を正していた。
昨夜、アレンが持ってきた羊皮紙の契約書を隅から隅まで読み込み、ロジックの脆弱性を完全に洗い出した。前世で数多の無理難題な契約書や仕様書に目を通してきた俺の目から見れば、この世界の個人間取引の書類なんて、穴だらけのスパゲッティコード(難解で整理されていないプログラム)のようなものだった。
「よし、デバッグの準備は完了だ。いくぞ、アレン、ムトさん」
部屋を出ると、ロビーで待っていたアレンが俺の姿を見て「おお!」と声を上げた。
「カズトさん、髭を剃ってその服を着ると、本当にどこかの若き大商人か、ギルドの偉い人みたいに見えますよ!」
「はは、前世じゃ毎日スーツを着て死んだ目で満員電車に乗ってたからな。こういう『交渉ごとの格好』には慣れてるんだよ」
俺たちは宿を出て、商業都市フォルトンの中心部にある「商業ギルド」へと向かった。
朝の街は活気に満ちており、行き交う商人たちの活気が肌に伝わってくる。目的地であるギルドの建物は、大理石で造られた立派な三階建ての洋館だった。
中に入ると、吹き抜けの広いロビーにいくつもの受付窓口が並んでいる。俺たちはその奥にある、中堅商人向けの商談ブースへと足を運んだ。
「おや、おや、おや? これはこれは、新米商人のアレンくんじゃないか。どうしたんだい、そんなに早く戻ってくるなんて。まさか、もうザルツの街まで行って帰ってきたのかね?」
ブースの奥から、ねっとりとした嫌らしい声が響いた。
そこに座っていたのは、仕立ての良いローブを着た、小太りの男。薄くなった髪を無理に横から持ってきて頭頂部を隠している。彼こそが、アレンに不良在庫を押し付けた張本人、ギルドの担当者ハンスだった。
ハンスの目は、アレンの背後に立つ俺の姿で一瞬止まったが、すぐに鼻で笑うような態度に戻った。
「見ての通りですよ、ハンスさん。実は、森の中でちょっとした『トラブル』がありましてね。ザルツへ行くのは断念して、こうして戻ってきたわけです」
アレンは昨夜俺が仕込んだ通り、あえて少し落ち込んだような、弱気なトーンで話し始めた。
それを見たハンスの口元が、下卑た笑みで歪む。
(かかった。完全に『アレンが破産した』と誤認を起こしているな)
「おやおや、それは災難だったねぇ! 確か君は、全財産をはたいてブルー・ハーブを800束も買い込んでいたはずだ。今の時期の森は暑い。馬車で数日も彷徨っていれば、あのハーブは今頃、ただの腐った雑草になっているだろう。実に同情するよ、うん。それで、今日はギルドに破産手続きの相談にでも来たのかな?」
ハンスは勝ち誇ったように、わざとらしく大きなため息をついた。周囲の職員たちも、哀れみの目をアレンに向けている。
「いえ、破産手続きではありません。今日は、ギルドに商品の『買い取り』を提案しに参りました」
アレンが毅然とした態度で書類をデスクに置く。
「買い取りぃ? 馬鹿を言いなさい。ギルドが腐った雑草を買い取るわけがないだろう。契約書にも書いてある通り、現物を引き渡した後の品質劣化について、我がギルドは一切の責任を負わない。君が商品を腐らせたのは、君の自己責任だ!」
「ええ、その通りです。ですから、その『引き渡された商品』の話ではなく、私が新しく仕入れた『最高に新鮮なブルー・ハーブ800束』を、現在のフォルトンの市場価格でギルドに買い取っていただきたいのです」
アレンの言葉に、ハンスがピクリと眉を動かした。
「新しく仕入れた……? 何を言っている。君にそんな追加の資金があるわけがない。ハッ、まさか、私が昨日引き渡したハーブが、まだ生きているとでも言うつもりかね?」
「ええ、生きていますよ。それも、採れたてピチピチの状態でね。……カズトさん、現物の提示をお願いします」
アレンに促され、俺は一歩前へ出た。
ハンスが「なんだお前は」と不審な目を向ける中、俺はハンスのデスクの上の広いスペースに手をかざした。
(アイテムボックス、展開――数量、100束!)
ササササッ!!!
何もない空間から、突如として鮮やかな緑と青のグラデーションを描く、瑞々しいブルー・ハーブの山が出現した。部屋の中に、ツンとした特有の爽やかな薬草の香りが一瞬で広がる。ハーブの表面には、まるで朝露を吸ったばかりかのような、細かな水滴すら光っていた。
「なっ……な、ななな……何ぃぃぃ割いぃぃ!?」
ハンスが椅子から転げ落ちそうになりながら、絶叫した。
目を限界まで見開き、デスクの上のハーブを凝視している。
「な、なんだこれは!? なぜ、こんなに新鮮なハーブが……!? 馬鹿な、あり得ん! 昨日の時点で、あのハーブはあと1日持たない状態だったはず……」
「おっと、そこまでだ、ハンスさん」
俺は冷徹な声で、ハンスの言葉を遮った。
「『昨日の時点で、あと1日持たない状態だったはず』……へぇ、ずいぶんと具体的な仕様(消費期限)をご存知なんですね? ギルドの公式な説明では、確か『豊作で余った優良な在庫』だったはずですが?」
「あ、いや、それは……! 商人としての私の見立てというか、推測で……!」
ハンスの額から、滝のような冷汗が流れ落ちる。
俺はすかさず、自分のスキル【鑑定】を上書きするように、ギルドに常備されている公式の鑑定魔道具(天秤型の道具)をハンスの前に突きつけた。
「言い訳は結構です。さあ、ギルドの公式魔道具で【鑑定】を行ってください。このハーブが『腐った雑草』か、それとも『市場に今すぐ流せる最高品質の薬草』か、システム的にハッキリさせましょう」
ハンスは震える手で魔道具を操作した。魔道具から放たれた光がハーブを包み込み、チン、と涼やかな音が響く。
> **【ブルー・ハーブ】**
> 状態:新鮮(品質:C)
> 薬効:100%保持。
「……っ!!」
ハンスの顔面が、今度は土気色に変色した。
脳内システムが完全に想定外のエラー(NullPointerException)を起こし、フリーズしている状態だ。彼が仕掛けた「アレン破産トラップ」というバグは、俺のアイテムボックスの時間停止という規格外のチート仕様によって、完全にクラッシュさせられたのだ。
「さあ、ハンスさん。商談の続きを始めましょうか」
俺はフリーズした悪徳担当者を見下ろし、SE時代に理不尽なクライアントを論破する時に使っていた、最高に邪悪で不敵な笑みを浮かべた。




