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外務省の片隅で(1/6)

 この世に地獄があるなら、それはまさにここのことだと思う。





 昨日からほとんど寝ていない頭で必死に考えながら、目の前の書類を作成していく。


 明日からの国会答弁に向けて、課長補佐の皆さんにお願いしていた想定問答の初案が上がってきたのは、すでに20時を過ぎてからだった。

 

 明日の朝イチまでにこれらを答弁セットとして最終取りまとめし、関係局課との事前調整に回さなきゃいけない。


 せめて今日の午前中には出してくれと、あんなに催促したのに。


 遅れるのはいつものことだけど、今からだと今日中に仕上がるか怪しい。


 終電は無理だからタクシー帰宅か、最悪泊まり込みか……。



 ため息しかでない。


 私は白井珠希しらいたまき、入省3年目の外務省一般職職員、現在の肩書きは事務官だ。


 官僚はざっくり一般職と総合職に分かれる。


 総合職はいわゆるキャリア官僚。


 私たち一般職とは採用区分も違えば、仕事の範囲も昇進のスピードも違う。


 格差がすさまじい、と言えばそうなのだろう。


 でも、あの人たちは超人だから仕方がない。


 まあ、今回みたいに振り回されることも多々あるんだけど。



 そう思いながらマグカップに淹れたコーヒーを飲もうとして、空になっていることに気づいた。


 今日何杯飲んだか分からないけど、淹れに行くのもめんどくさいなと思っていると、机の上に缶コーヒーが置かれた。


「処理項目、どれくらい残ってますか?」


 淡々とした声で話しかけてくる方を見上げると、そこには斎藤さんがいた。


 斎藤さんは私が去年この国際安全保障政策課に異動になった時にOJT担当だった、女性キャリア官僚だ。


「……すみません、まだほとんど手をつけてなくて。これから段取りを考えようと思ってたところです」


 すると斎藤さんは「ちょっと見せてください」とPC画面を覗き込みしばらく考えたあと、


「このアジア向け安全保障対応は以前私も担当したことがあるので、こちらは私がやります。白井さんはこちらの予備費の問答を整えてください」


「え? でもそれだと斎藤さんの分量が多すぎませんか? ご自身の作業もおありですよね?」


 すると斎藤さんは軽く微笑んだ。


「大丈夫ですよ。あちらは目処がたってるんで。じゃあそのデータ、私にメールで送ってくださいね」


 そう言って席に戻っていく斎藤さんの後ろ姿を見ながら私は呟いた。




「斎藤さん……、マジ神だわ」




─────────────────────




「斎藤さん、マジ神……」


「まだ言ってんの?」


 私の独り言に、同期入省で同僚の栗山くりやまが呆れたように言った。


「だってさあ!」


 思わずカシスオレンジのグラスをテーブルに置いて前のめりになった。


「斎藤さん、他の課長補佐とは比べ物にならないくらい仕事こなしてるのに、私にまでちゃんと目をかけてくれてフォローもしてくれるなんて、まさに神じゃん。普段は厳しくて容赦ないのに、たまにふわっと笑ってくれて……あの缶コーヒーもったいなくて飲めなかったよ。持って帰って飾ってる」


「いや、そこは飲みなよ」


 栗山にあっさりと返される。


 今日は同期の中でも特に気が合う栗山と金曜の夜に飲みに来ていた。


 今日は久しぶりにお互い早めに帰れる貴重な週末だからだ。


「確かにねえ、斎藤さんの噂はこっちまで聞こえてくるもん。うちの新島さんとかしょっちゅう話題にしてるし」


「あー、新島ね」


「露骨に嫌そうな顔するじゃん」


「あいつ嫌い」


 私のきっぱりした答えに栗山は苦笑する。


「分からなくもないけどね。新島さんは斎藤さんと同期らしいけど、ちょっとデリカシーに欠けるところあるし」


「ちょっとじゃないよ」


 私は自分の眉間に皺が寄るのを感じた。


「ただでさえ省内って一応は男女平等を謳ってるけど、まだまだ化石みたいなの多いじゃん。新島なんてその典型。すぐ斎藤さんに絡んでまじウザイ」


「容赦ないねえ」


「あんなのでも既婚者なんだから理解できないわ。よくあんなのと結婚できるよね」


「まあまあ」と栗山はビールを飲みながらなだめる。


「世間的には外務省官僚なんてエリートの極みじゃん。黙っててもモテるよ。あの世代で独身なの斎藤さんと矢野さんくらいじゃない?」


「……そうだけど」


 鶏肉の唐揚げをお箸ではさみ、取り皿に乗せながら栗山は続けた。


「……そう言えば矢野さん、政策課に異動したんだよね? どんな感じ?」


「どんな感じって言われても……、あ」


 栗山が顔を上げる。


「何?」


「矢野さん、異動早々斎藤さんにビシビシやられてたわ。矢野さんってそつなくこなすタイプだと思ってたからちょっと意外だったけど、結果的に斎藤さんがよく纏まってるって褒めてたからあの人もそれなりにできるのかもね」


「いやいや」


 唐揚げをかじりながら栗山は答える。


「あの世代じゃ矢野さんはかなり出世頭だよ。バイリンガルで英語もすごいし会議でもそれなりに発言してるじゃん。白井、矢野さんに厳しくない?」


「そうかなあ」


 首をかしげながら、私はカシスオレンジを飲んだ。


「斎藤さんがすごすぎるから、他はどうでもよくなってた」


 それを聞いて栗山はプッと吹き出した。


「そういうところも白井らしいね」


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