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熱海一泊旅行(1/4)

(矢野視点)


「一泊旅行?」


金曜の夜、夕飯を食べながら俺は紀子に提案した。


「来月おまえ誕生日じゃん。仕事も突発が起きなければ落ち着いてると思うし、土日使ってどこか行かねえ? 一泊だから遠出は難しいけど」


食べながらスマホをいじる。


「レンタカー借りて行くのもありだし、……あ、でも観光地は避けた方がいいかな。インバウンド多いと、おまえ仕事モードになって観光客の傾向とか見始めそうだし」


「……」


しばらく無言で食事を続けたあと、紀子がポツリと言った。


「……分かんない。旅行ってほとんど行ったことないし」


「え?」


その言葉に紀子の顔を見る。


紀子は口調を変えず淡々と言った。


「国内は色々行ったけど、基本は出張だし。用事がすんだらすぐにとんぼ返りだから、旅行ってピンとこない」


「そ、そっか……」


結婚の休暇でアメリカ行ったときは楽しそうにしてたから、それなりに好きかと思ってたけどそう言うなら別のプランを考えるか……。


と思ってると、また紀子がポツリと言った。


「……温泉とか?」


温泉……。


「……? どうかした?」


俺が一瞬固まったので、紀子は不思議そうな顔をした。


「あ、いや……。実は俺、他人と一緒に風呂に入るの苦手なんだよね。サウナは好きなんだけど」


そこまで言って、はっとした。


せっかく紀子が希望を言ってるのに、これを断るのは悪手だ。


紀子が「じゃあやめ……」と言いかけるのを俺は全力で止めた。


「待て! ちょっと今思い付いたことがあるから」


そう言って食事もそこそこに集中してスマホで検索をする。


そしてお目当ての宿がたまたま週末で一室空いてるのを見つけた。


それを紀子に見せる。


「ここにしよう。熱海の温泉。風呂付きの部屋なら俺も大丈夫だし、一緒に入れる」


「お風呂付きの部屋?」


「ここ、前に飯田が家族で行ってよかったって言ってたんだよ。部屋の露天風呂から海が見えるって。部屋食でご飯も美味いらしいし」


「週末にそんな部屋って高くない?」


「いいよ、全然。もう予約取った。……嫌ならキャンセルするけど」


すると紀子はしばらく考えたあと、ふっと笑った。


「……ありがとう、楽しみにしてる」




─────────────────────



熱海まで東京から新幹線で45分、在来線でも2時間弱で行けるけど今回は新幹線にした。


俺も熱海に行くのは初めてだ。


宿から熱海駅までの送迎があり、熱海駅に14時半に来てもらうことになった。


それに合わせて家を出るのでわりと朝はゆっくりしていたんだけど、前夜の荷造りで紀子は弱冠フリーズしていた。


「……何持って行ったらいいかな」


持って行く旅行バッグも出張でいつも使っている黒のミニボストンだ。


そこも紀子らしいけど。


「下着くらいじゃない? アメニティはそろってるだろうから拘りがなければ。服も2日くらいなら着替えなくても俺はいいと思ってるけど」


「……予備でモバイルバッテリーは要るな。緊急時のためにノートパソコンも。あとは……」


仕事で持ち歩いているノートパソコンまで入れようとするので俺は慌てて止めた。


「おい、仕事に行くんじゃないんだからさ。スマホ以外は連絡ツールは禁止。先に言っておくと仕事関係の書類も英語の参考書もな。書類は機密の問題もあるんだから」


すると紀子は渋々バッグからそれらを取り出した。


既に入れてたのかよ。


取り出したあとのバッグを見つめて紀子は呟いた。


「……荷物ってこれだけでいいのかな。私も下着だけになりそうだけど」


それを見て軽く吹き出す。


「少ないなら俺のバッグにまとめて入れるよ。お前は貴重品だけ持っていけ。それでいいだろ?」


すると紀子は複雑そうな顔をしながらもうなずき、バッグの中身を渡してきた。




─────────────────────




何とかそうやって荷造りを済ませ、翌日の土曜日、13時半発の新幹線チケットを予約した。


朝も遅めに食べたので、昼食は東京駅で駅弁を買うことにした。


紀子は駅の構内で適当に済ませようと言ったけど、駅弁は旅行の醍醐味だからと弁当売場につれていく。


しばらく悩んで二人とも「東京弁当」と書かれているものを買った。


東京の名物が詰め込まれているらしく観光客向けではあるが、東京に住んでいるとこう言うのは逆に食べる機会がない。


紀子も細身だけど食べるのは好きだから、ちょっと興味を持ったようだった。


弁当とお茶を買い込み、新幹線に乗り込む。


予約したのは向かって左側の窓側A席とB席で紀子をA席に座らせる。


普段仕事で移動するときはグリーン車が多いが、今回は敢えて普通車にした。


その方が距離が近く座れて嬉しいのもある。


座ってしばらくすると新幹線は滑らかに走り出した。


時間もないのですぐに駅弁を開ける。


なかは銀ダラの西京焼きや、牛肉を甘辛く味付けしたもの、野菜の煮物などが詰め込まれており、食べるだけでテンションが上がってきた。


紀子も美味しそうに食べている。


その様子を見てほっとする。


紀子は少食じゃないけど細いから、食べてるのを見るだけで安心する。


そうして弁当を食べ終わると小田原の辺りで海が見えた。


日差しを照り返して、キラキラ光る海に思わず見入る。


東京も海が近いけど、海ってなんでこんなに惹き付けられるんだろうか。


そう言えば、と思い紀子に尋ねる。


「熱海まで行くなら、ご実家に顔を出さなくて平気だった?」


「いいよ、ここ数年は帰ってないし」


紀子はあっさり返す。


紀子の実家は静岡市だ。


結婚前の挨拶に一度行ったけど、ご家族を見て紀子がこう言う性格になったのが分かった気がした。


大学教授の父、薬剤師の母、弟が一人いて地元で企業を経営している。


一見華々しく、そして決して愛情が薄いとかではないけど、何となく幼い頃から自己責任を刷り込まれたんだろうなという気はした。


弟さんとは、たまに連絡を取ってるみたいだけど。


そして新幹線はまた海岸線から遠ざかり、あっという間に熱海駅に到着した。



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