安心感
(斎藤視点)
その日は、目が覚めた時にはもう悠樹は家にいなかった。
時差のある国とWeb会議があるので、それに合わせて早朝から出勤したのだ。
私も起き出してダイニングの方に行くと、テーブルの上には悠樹が準備した朝食が乗っていた。
何となくのルールで朝食はあっち、夕食は私が準備するのが基本になっていた。
と言っても悠樹は料理があまり得意ではないらしく、朝食メニューはいつもハムエッグ、サラダ、トーストが定番だ。
それでも作ってくれるだけありがたい。
椅子に座ってそれらを食べようとして、あれ?と思った。
いつもは難なく完食できるのに、今朝は何となく食欲がない。
仕方ないのでサラダだけ食べ、ハムエッグとトーストはラップをかけて冷蔵庫に入れ、身支度を整えて私も家を出た。
この日は朝からバタバタしていた。
どうしても今日中に仕上げなければいけない書類、来週から予定されている国会答弁の資料作成、財務省との合同会議の下準備など、息つく暇もない。
それらの段取りを考えながら通路を歩いていると、向こうから悠樹が歩いてきた。
お互い会釈を交わして通りすぎる。
もう夫婦として回りに認知されているので普通に喋ってもいいんだけど、お互い職場では無駄な会話はしないようにしていた。
……けれど。
「ちょっと来い」
いきなり二の腕を捕まれて引っ張っていかれる。
周りに人がいないとはいえ、悠樹の突然の荒っぽい行動に私は面食らった。
こういうことが、前にもあったような気がする。
階段の陰になる場所につれていかれ、私が言葉を発するより早く、悠樹は私の額に手を当ててきた。
もう片方の手を自分の額に当てる。
しばらくして悠樹は「やっぱり」と呟いた。
「おまえ、熱あるな。朝から体温高いなと思ってたけど。堀江さんには俺から言っておくから帰れ」
その一方的な言い方に私は反論した。
「これくらい大丈夫だよ。今日はどうしても抜けられない仕事があるし」
すると悠樹は軽くため息をついた。
「おまえな、この時期に発熱してる人間が職場にいたら、どれだけ迷惑か分かるだろ。いいから帰れ」
「……」
悠樹の言うことは尤もな正論だ。
でも私が素直に頷けず黙り込んでいると、悠樹はポケットからスマホを取り出しながら呆れたように言った。
「おまえ、意外とこういうところ子供っぽいよな」
そして目の前で、どこかに電話をかけ始めた。
「もしもし、○○内科ですか? 発熱外来の予約をお願いしたいんですが。はい、受診歴はあります。斎藤紀子です。今朝から熱があって喉の調子もおかしいようで……はい、わかりました。ありがとうございます」
そう言って電話を終わらせた悠樹は、こちらを見た。
「一時間後に診てくれるってさ。ちゃんと行けよ」
それでも私が黙ってるので、悠樹は少し心配そうな顔をした。
「一人で帰れるか? タクシー呼ぶ?」
「……いい。一人で帰れる」
すると悠樹は軽く私の肩を叩いて、その場を去っていった。
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その夜19時頃、悠樹は帰ってきた。
ベッドで寝てる私のところへ来て、額に手を当てる。
「熱、まだあるな」
「うん、お医者さんから熱は上げられるだけ上げた方がいいって言われてるから、解熱剤は飲んでない」
「辛くないか? 体力落ちたらよくないから、我慢しすぎるなよ」
あれから悠樹が予約してくれた発熱外来で診察を受けたけど、幸いどの感染症も陰性で恐らく風邪だろうとのことだった。
その事はもう悠樹にLINEで知らせてあった。
「なにか食べられる? 帰りにお粥とスープ、プリンとか買ってきたけど」
「……お粥なら食べられると思う」
「分かった。じゃあ温めてくるから。ここで食べる? テーブル?」
「……テーブル行く。あと、今夜はホテル泊まったら? うつしたらまずいし」
「いや、さすがに一人にするのは心配だから、今夜はソファで寝るよ。明日の金曜も休むって堀江さんに言っといたから、週末はゆっくり休め。仕事は俺が引き継ぐから。土曜日も出勤すれば何とかなる」
「……ごめん」
「お互い様だろ? 気にするな」
そう言って私の頭を軽く撫でた後、悠樹は寝室から出ていった。
……今まで一人で生きてきたから、こういう病気のときの対応も一人でするのが当たり前だったけど、家族がいるとこんなにも安心感が違うのか。
私は改めて布団にくるまって目を閉じた。




